十一 開店
土曜日の今日は学園祭二日目だ。昨日に引き続き、大学では騒々しいお祭りが行われることになっている。けれども、私はこれからバイトに行かなければならない。
本屋のアルバイトを始めて八カ月になる。ここまで辞めずに続けてこられたのは、その仕事が私に合っていたからだと思う。バイトのおかげでコミュ力も多少は向上したと思われる。そう思いたい。
同僚もいい人ばかりだ。私はチャラチャラした人間が苦手だが、バイト先は大人しい感じの人が多い。気さくなおばちゃんや博識な文系男子学生とも仲良くやっている。
だが、バイト先には一人だけ問題児がいる。それは私のことではない。確かに私も見方によっては問題児かもしれない。美人で優しい女子大生なので、来店した客を惑わせてしまう可能性があるからだ。店の風紀を乱しかねない美貌。ああ、私ってなんて罪な娘なのかしら……。
まあ、それはいいとして。
私の言う問題児とは、この前新しく入って来た女子大生のことである。同い年だが、私にとってはバイト先で初めてできた後輩だった。
見た目は落ち着いており、清楚感がある。私ほどではないが、まぁまぁ美人だ。挨拶もきちんとできる良い子である。接客態度も問題ない。むしろ私よりコミュ力が高いので、彼女の方が店員としては優秀だといえる。
しかし、バイト中やバイト後の私への絡み方が問題なのだ。
彼女とは初めて会った時に打ち解けることができた。といっても、向こうが一方的に話すだけで、私はただ相槌を打つだけだったのだが。とりあえずお互いのメールアドレスを交換するくらいの仲にはなった。
普段は至って真面目なタイプで、私も彼女が嫌いではない。また、口数が多く、人懐っこい部分もある。
そんな彼女はスキンシップが過度であった。私が倉庫で整理をしていると、背後から彼女が忍び寄り、胸を揉んできたりするのだ。
私は笑って適当にあしらうのだが、彼女は会うたびに私を触り続けてくる。
バイトが終わって店を出る際には、必ずハグをしてくる。外国人かよ、と思ってしまうものだ。彼女が海外で生活を送っていた時期があるのかは知らないが、あいさつ代わりのハグは遠慮してほしい。私はそういうのには慣れていないのだ。
今日も彼女とシフトが被っている。ワザと向こうが被せてきているのではないかと思えてくるほどだ。だとすれば、私は随分と気に入られてしまったようだ。私に友達なんて美波や桃と会うまでは、全然できなかったのに。高校時代は、教室の片隅で読書してるような人間だったのに。
◆ ◆ ◆ ◆
「お疲れ様です」
私はバイト先の書店に到着した。スタッフの控室に入って挨拶をする。
「おはよう。今日もよろしく」
同僚の男性アルバイトが先に来ていた。私よりも二つ年上の先輩だった。名は安原という。
この人は私の教育係だった。何でも親切に教えてくれるいい先輩だ。誠実そうなところが好印象である。お金を持ってたら彼氏にしてもいい。
問題児はまだ来ていないようだ。いずれ来るはずなので、身構えておく必要がある。今日も思いきりハグをされるであろう、と。
そう思っていると……。
「おはようございまーす!」
「ひゃっ!」
背後からその問題児が抱き付いてきたのであった。
一瞬のスキを突かれたような気分だった。びっくりしたものだ。変な声が出てしまった。
「おはよう、春華」
「う、うん……。おはよう」
「おはよう、前島さん」
「はい。おはようございます、安原先輩」
彼女の名は前島奈々香。先月やって来たばかりの新人アルバイトだ。
すっかり職場に馴染めている様子だ。他のメンバーからも評判が良い。
「相変わらず仲が良いんだね、二人は」
安原さんが微笑ましそうに私たちを見ながら言う。
「ええ、そうなんですよ!」
前島奈々香は私にしがみついたまま、笑顔で答えた。
うん、仲良しってことにしておく。だけど、そろそろ離れてくれないだろうか……。
これはいつものことだ。出会ったら即、前島は抱き付いてくるのだ。なぜか私にだけ。
驚かすのはやめてほしい。心臓に悪い。今ので三年くらい寿命が縮んだ気がする。
「よし、そろそろ開店の時間だ。準備しよう」
安原さんの合図で、私たちは業務を開始した。
私はレジに立った。だが、まだ客は来ていない。開店直後に来店する人はあまりいない。この店には、すぐ売り切れになる人気商品が置いてあるわけでもないし、当然だろう。
「……で、その手は何なの? 前島さん」
前島が私の尻を撫でていた。私の傍に立ちながら、無言のままスリスリと。
この人、痴漢です。
「あ、ばれちゃった? なんだか春華、元気無さそうだから、元気になるパワーを分けてあげようかなぁって」
「それがこれなの? もっと別な方法あるでしょう」
「てへ。ま、触りたかっただけなんだけどね!」
変態だ。お前はエロ親父か。
「昨日からうちの大学は学園祭でね……。昨日は一日中歩き回ってたから、ちょっと疲れちゃって」
と、私は疲れている理由を説明する。
「そうなんだ。私のとこは先週が学園祭だったなー。声優の西山優里恵って人がゲストで来ててさー。私、その人のファンなんだよねぇ」
「え? それホント?」
私は飛びついた。
その声優はとても有名だ。人気上昇中の若手女性声優である。今期のアニメにもいくつか出演していた。
そんな人が学園祭に来ていただなんて。声優オタクの私としては、とても羨ましい限りだ。うちの大学もゲストで声優さんを呼んでほしいものだ。
「あ、もしかして春華も声優とか詳しいタイプ?」
しまった……。私は隠れオタクだったのだ。今までアニメや声優関連の話題は人前では避けるようにしてきた。オタクだとバレないように、そういう話を耳にしても反応しないことを心掛けていたのだ。
ついうっかり、前島の話に興奮してしまった。素の自分が出てしまった。あくまで私は、美人女子大生なのだ。そのイメージを崩すわけにはいかない。私はオタク趣味とは無縁な女子を演じなければならないのだ。
「い、いや……別にそんなことは。最近は声優も学園祭にくるのね。驚きだわぁ」
私は適当に誤魔化した。
「そうなんだよ。声優ファンは多いからね。時代も変わったなぁ」
前島が声優に興味があるとは知らなかった。アニメとかそういうのには興味がないと思っていた。というか、そんな趣味があったことをためらいもなく話し始める彼女に驚きだった。私なら、口が裂けても自分の趣味は語らないのに。
「その西山って人はね、女子小学生から母親まで幅広い役をこなすスゴイ演技力の声優さんなんだ。今度、西山優里恵が出てるお勧めのアニメ紹介するよ。とても面白いから絶対観て」
「そ、そう……。楽しみにしてるわ」
今さら感が半端ない。私にアニメの布教や有名声優の紹介をするなんて、釈迦に説法である。
まさか身近に共通の趣味を持つ人間がいたなんて。見かけによらず、最近はオタク女子が増えているようだ。
間もなくして、本日最初の客が来店した。
私と前島は「いらっしゃいませ」と声を張り上げた。
さて、バイトに集中しよう。前島のお触り行為を牽制しつつ。
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