五 姉弟
帰宅した頃には六時を過ぎていた。私はドアを開け、家の中に入った。
玄関にはくたびれたスポーツシューズが置かれていた。どうやら弟がもう部活が終わって帰ってきているようだ。いつもは八時前に帰宅する弟だが、今日の帰りは早かったらしい。
「ただいま」
リビングに入る私。学ラン姿の弟がソファに腰掛けて夕方のニュースを見ているのが目に入った。
「おう、お帰り」
視線をテレビ画面に向けたまま、弟は言った。
彼の名は柊春樹。高校二年生。学校のバスケットボール部に所属している。
春樹は私と同じくサラサラとした黒髪の持ち主である。顔立ちは私の弟なだけあって悪くない。割とイケメンな方に分類してもいいだろう。
「こんな時間に家にいるなんて珍しいわね」
「今日は部活が早く終わったんだ」
「ふーん」
そんなことだろうとは思っていた。
私は床に鞄を置き、テーブルのイスに腰を下ろした。
すると、春樹がテレビを観ながら突然こんな質問をしてきた。
「姉ちゃんってさ、彼氏とかいんの?」
「唐突ね。いきなりどうしたのかしら?」
「いや、なんとなく……」
「そう……」
ついさっきまで彼氏ができなくて不貞腐れていたところなのだが。
どうしてこんなタイミングでそんな質問をするのか。せっかく忘れようとしていたのに。
「彼氏いるの? いないの?」
「逆に聞くけど、いると思う?」
いたらこんな時間に帰宅しない。もっと遅くまで外でデートしてる。
「そりゃ、いてもおかしくはないと思うけどよ……」
弟は気まずそうな顔をしていた。地雷を踏んでしまったとでも言いたげな様子だった。
「いないわ」
私は正直に答えた。そのまんまダイレクトに。
「いないのか……」
呆れたような、憐れんでるような、どっちつかずの反応を見せる春樹。残念なお姉ちゃんで悪かったわね。
「ええ、いないわよ。そういうアンタだって彼女いないでしょ」
「まぁな。近々できるかもしんねーけど」
「……はい?」
ちょっと待ってほしい。今のは聞き捨てならない。二つ下の弟が私よりも先に恋人を作るだなんて生意気な。そんなことは断じて認めない。絶対に許さない。
「ちょくちょく耳にするんだよな。俺のこと好きな女子がいるって噂」
「はっ。所詮は噂でしょ? デマの可能性もあるわ」
「そうかもな。でも信憑性は高いと思うぜ。なんせ本人が最近やたらと俺に絡んでくるからな。手作りのクッキー持ってきてくれたりとか、部活の休憩時間にタオル貸してくれたりとか」
は……?
クッキー? タオル?
ほざけ。
「やっぱりあれはマジだわ。ぜってぇ本気だわ。クリスマスの予定とか聞いてくるし、これはワンチャンあるわ」
「リア充め……」
私は下唇を噛みしめた。
「姉ちゃんもそろそろ誰かにアタックしろよ。美人なんだからイケるって。もうちょい自分に自信持てよ」
「余計なお世話よ。私は安っぽい女じゃないの。そういうことは私を十分に養える男を用意してから言いなさいよね。私はそこらの平凡な男に構ってる暇はないの」
「うわぁ……。そりゃ彼氏できないわ。それはないわ。何様のつもりだよ……」
「神様よ」
「あー、はいはい。疫病神が何か言ってらぁ」
誰が疫病神よ。
私は生意気な弟に腹が立った。まだまだガキのくせに恋人なんて作ろうとしてんじゃないわよ。
高校生に恋愛は早すぎると思う。そういうのが許されるのは二次元の世界だけであり、リアルの高校生が恋人を作るなど破廉恥だ。不健全だ。児童ポルノだ。
「姉ちゃん、見た目はいいけど中身がアレだもんな……」
「ふん。男は女の見た目ばっかり気にしてるじゃない。どうせ中身なんて見ないでしょ? 顔が良ければいいんでしょ? 男ってホントに子供よね」
「いや、そんなことねーよ。男は外面しか見てないわけじゃない。ちゃんと性格も見てるからな」
弟は反論した。こういうところがますます生意気。
何よ。何なのよ。
「姉ちゃんの理論が正しけりゃ、今頃姉ちゃんはモテモテのはずだ。なのに、どうして誰も姉ちゃんに寄ってこないのか? それは世の中の男はちゃんと中身も見てるからなんだよ」
「ぐぬぬ……」
私は拳を握りしめた。
弟の言っていることは間違っていない。まさにその通りだ。
あまりにも当たり過ぎてて、何も言い返せない。それがたまらなく悔しい。
「ま、せいぜい頑張れよ。見た目はいいんだから、アタックしてみる価値はあると思うぜ。性格は後からちょっとずつ直していけばいいし」
謎の上から目線、超ウザい。
私だって本気出せばやれるもん。言われなくてもできるもん。
涙目で敗走しながら、私はリビングを抜け出した。
私は心の中で宣言した。
絶対にスゴイ男を捕まえて、弟をぎゃふんと言わせてやる……と。