二十 昇天
山之内という男ならば、漱石のことについて詳しく知っているだろう。
なぜこんなものを私に渡したのか、彼に聞いてみるしかない。
「山之内翔平の連絡先を教えて」
私は漱石に向かって言った。
すると、山之内の携帯電話のものと思われる電話番号とメールアドレスが書かれたメールが、私のスマホに送られてきた。こんな簡単に連絡先がわかってしまうとは、個人情報保護もへったくれもない。
だが、おかげで彼に連絡することができる。漱石の能力に感謝だ。
私は電話をかけた。すると、彼はすぐに応答した。
『はい、山之内です。おやおや、もう僕の連絡先を手に入れてしまったのですね、柊春華さん。僕の予想では三日後にあなたが電話をかけてくるはずだったのですが……。ま、予想は予想ですからね。外れることもあるでしょう。所詮僕は神になり損なった存在です。未来のことまで知ることはできないのです。さて、本題にはいりましょうか。猫のキーホルダー、漱石さん……でしたっけ? どうしてそれを僕があなたに渡したのか、ということを疑問に思って電話をかけてきたのでしょう? 違いますか? まぁまぁ、そう慌てないでください。僕はあなたに全ての真実をお伝えしますから』
山之内はトーンの変わらぬ声で続けた。
『いいですか? 落ち着いて聞いてください。まず僕自身についてです。さっきも言いましたが、僕は神になりそこなった存在です。神の座をかけて争っていたのですが、惜しくも敗れてしまったのです。次に、猫のキーホルダーについてです。あなたが漱石と名付けたそのキーホルダーは僕が真の神から託されたものです。なぜそれをあなたに渡したのかというと、神がそう望んだからです。僕は神の命を受けて、あなたに漱石さんを渡すことになったのです。神はいわば僕の上司みたいなものですから、指示に従うしかないのですよ』
そう言いながら山之内は笑っていた。
それはとても乾いた声だった。感情のこもっていない笑い方だった。
『そして、最後にあなたについてです……。単刀直入に申しましょう。あなたはもうすでに死んでいます。嘘ではありませんよ。あなたは十年前に亡くなったのです。あの忌まわしき殺人事件によってね。残念でしたねぇ、もうすぐ憧れの女子大生ライフが待っていたというのに……』
死んでいる。私はもう、死んでいる。
十年前に、死んでいる。死んで……いる……。
『最期の瞬間を覚えていますか? 覚えてない……ああ、そうですか。あなたは死を迎える直前に恐怖で意識を失っていましたからね。ある意味幸運だったかもしれませんよ。苦しまずに死ねたわけですから。死神のお迎えも早かったことですし、あなたはすぐ死者の国へ向かうことになりました。しかし、死を受け入れられなかったあなたは死神を振り切って逃走しました。そして、人間界に戻り、『柊春華』という嘘で塗り固められた存在として蘇ったのです。ですが今日、とうとうあなたの嘘でできた肉体は滅びの時を迎えた。なぜなら、僕の正体を知ってしまったからです。僕はあなたを今まで見逃してきました。見て見ぬふりをしてきました。あなたの嘘を黙認してきたのです。でも、もうさすがにこれ以上は待てません。大野美波さん、いつまで柊春華を演じるつもりですか…?』
大野美波。それが私の本当の名前だった。
そうだった。柊春華は私じゃない。柊春華は私が嘘で造った偽物の……。
私は嘘をつき続けて生きていた。死を認めず、偽りの生を演じていたのだ。
『あなたの前に現れた大野美波は僕が用意したコピーなんです。柊春華の皮を被ったオリジナルの大野美波を連れ戻すために送り込まれた幻影とでも言うべきでしょうか』
自らに起こった悲劇を思い出させるために、その幻影は現れた。
『柊春華さんは大野美波が理想とする女性でした。大野美波が自らが憧れる女子大生像をイメージして創り上げた人物こそが今のあなたなのです』
生前の私は女子大生になりたかった。死んでも諦めきれなかった。だから、私は柊春華を生み出し、その肉体に魂を憑依させて生きてきた。
しかし、もう時間切れだ。いつまでも偽りの身体では生きられない。肉は腐り、骨は砕け、血は枯れる。
『それでは答え合わせをしましょう。なぜ、あなたのクラスメイトだった岩上竜也は大野美波とその家族を殺害したと思いますか……? 動機は何だと思いますか?』
わからない……。なぜだろう。彼とは何もなかった。揉めたこともないし、恨みを買うようなこともしていないはず……。
どうして私は彼に殺される必要があったのか。
『正解は愛です。彼はあなたを愛していたのです。しかし、あなたは彼の愛に気付くことはなかった。あなたは自分ばかりを見ていた。まわりへの愛が足りていなかったのです。だから彼の気持ちにも気づかなかった。こんな言い方をするのも酷ですが、自業自得です。恨むなら自身の振る舞いを恨むことです』
そうだったのか……。
彼は私を愛していた。そんなこと、まったく気づかなかった。
『彼は大きな病気を抱えており、もう先は長くなかった。死期が近いことを悟っていた彼はあなたと心中する気で、あなたの家に乗り込んできたのです。しかし、彼は間違えてあなたではなく妹さんの部屋に入ってしまった。妹さんが騒いだため、仕方なく彼女を殺すこととなった。その後にはあなたのご両親も登場なさり、同じく彼らも殺される羽目になった。本当に不運でしたね。あなたの家族は巻き添えを喰らっただけなのです』
ごめんなさい……。
私は家族に謝りたい気分になった。
私が彼の愛に気付いていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。先の短い彼を気遣って最期までそばにいてあげることもできただろう。
でも、やっぱりこんなの理不尽だ。私は何も悪いことなんてしていない。やっぱり許せない。
『ああ……。あれほど美しかったあなたですが、とうとう本格的に肉体が腐り始めてきたようですね。ハエの飛ぶ音が電話越しに聞こえてきますよ。さあ、そろそろ帰るべき場所に帰りましょう』
嫌だ……。嫌だ……。
まだこのまま、この世界に残りたい。アニメの続きが見たい。ラノベの続きが読みたい。
理想の生活を叶えてくれる理想の旦那をまだ見つけていない。
まだまだやり残したことがあるのに。
そういえば、桃はどうなってしまうのだろう。あの子は私がいなくなれば、きっとまた泣きわめくに違いない。大学生にもなってみっともない。
彼女は早く次の人を見つけるしかないだろう。
楽しかった。とても楽しい日々だった。結局彼氏はできなかったけど、憧れの女子大生になることはできたのだ。充実した日々だった。
ありがとう。
私の肉体は砂のように崩れ去った。跡形もなくなった。
『あの世でご家族と再会なさってください。彼らもきっと、あなたを待っていらっしゃいますよ』
うん。そうしよう。やっと会えるんだ……。十年ぶりの再会だ。
ようやく私は死と向き合うことになった。
第一章、完