三 継承
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山之内は十年もの間、柊春華の復活を待ち続けていた。
彼の想いはいつまで経っても変わらなかった。愛する者を取り戻せる日が来ることを信じ、神への服従に徹していた。
どんなに憎い相手であうとも、山之内が神に逆らうことはなかった。
だが、それも今日でおしまいだ。
彼は復讐を果たす絶好のチャンスを迎えている。
「あなたから神の座を継承します。僕が神になれば、柊さんの呪いを無効化できる……」
そう言うと、山之内は胸ポケットに忍ばせていた折り畳み式の果物ナイフを取り出した。
「最期に何か言い残すことは?」
「やめて……。全部私が悪かったわ。神の座はアンタに譲る。柊春華にかけた呪いも解く。だから、命だけは助けてよ……」
「今さら罪を認めたところで、あなたが許されることはありませんよ。これは僕個人の恨みだけではありません。あなたに殺された人たちの無念を晴らすためでもあります」
少女は自らが犯した罪を償わなければならない。だが、それは謝罪や反省で済むようなものではなかった。
彼女に唯一残された贖罪の方法は「死」のみである。
極刑に処されること。それ以外の道はない。
目には目を。歯には歯を。命には命を……。
「もし生まれ変わることがあるならば、来世は真っ当に生きてください。僕はそれを心より願っています」
「待って……待ってよぉ……」
刃を突き立てる山之内。
少女は大粒の涙を流しながら許しを請う。
私たちは誰も山之内を制止しようとしなかった。皆、同じ考えを持っているようだ。
神はここで死ぬべきだ、と……。
やっと終わる。これで終わるのだ。もう私は神の陰謀に振り回されずに済む。
美波との出会いから始まった奇妙な生活が幕を閉じる。そして、これからは一人の女子大生として友人たちと平穏な日常を過ごすことになる。
ずっと待ち望んでいた日々がようやく手に入る。私の夢が成就する。
戦い続けてよかった。諦めなくてよかった。
「では、さようなら」
山之内が少女の心臓を目掛けてナイフを突く。
せめて苦しまぬよう一撃で仕留めるようだ。彼なりの温情なのかもしれない。
「ダメなのですぅぅぅぅぅ!」
聞き覚えのある可愛らしい声が響いた。
その言葉と同時に山之内の右腕は凍り付いたかのように動かなくなった。
彼が握っているナイフは少女の左胸に刺さる寸前で止まっている。
「あなたの手を汚させるわけにはいかないのです」
「チコさん……。生きていたのですね」
神に抹殺されたはずのチコちゃんが現れたのである。
彼女は山之内の手を優しく握り、ナイフをゆっくりと取り上げた。
「チコ……様……?」
ユーリアは目をぱちぱちさせながら、チコちゃんの姿を見つめている。
そこにいるのは幻か。それとも幽霊か。
彼女は自分の目を信じることができないようだ。
「チコ……! チコ!」
真っ先にレイアさんがチコちゃんに抱き着いた。
「心配をおかけして申し訳なかったのです。この通り私はちゃんと生きているのですよ」
「うわぁぁぁぁぁ……! チコぉぉぉぉぉ」
クールなレイアさんが人目も気にせず泣きじゃくっている。
その姿はチコちゃんへのただならぬ愛を感じさせるのだった。
「よくぞご無事で……」
涙目になりながらユーリアが言った。
「ここまでよく頑張ったのです、ユーリア。もう大丈夫なのですよ。あとは私に任せてほしいのです」
チコちゃんはユーリアの頭を撫でる。
「へっ。死んだと聞かされた時は驚いたが、何とか生きてるみてぇだな」
「感動の再会……だな」
「もう会えないのかと思っていましたわい」
仲間たちもチコちゃんの無事を喜んだ。
彼女は皆から慕われていたようだ。
「どうしてアンタがここに……?」
最も驚いているのは神だった。自分が殺したはずの相手がここに立っているのだから。
「肉体は滅んでも、魂はまだ生きていたのです。私は肉体が破壊される前の時間に戻り、どうにか復活することができたのですよ。それから元の時間軸に戻り、ようやく皆さんに追いついたのです」
チコちゃんの能力は時間を操ることだった。彼女は一度、肉体を失ってしまったが、時を戻すことで対処したようだ。
「あなたが生きていたことは大変喜ばしいのですが、僕の邪魔をしないでください。僕は神になるために、この手で彼女を葬らなければなりません」
「山之内さん、あなたはもう十分頑張ったのですよ。無理しなくていいのです。本当は神になりたいなどとは思っていないのでしょう?」
チコちゃんは山之内を諭すように言葉を投げかける。
「ふふっ……。どうやらあなたはすべてお見通しのようですね。僕のことをよくわかっていらっしゃる」
「もちろんなのです。私はあなたのお友達なのですから」
二人はお互いの顔を見つめ合い、笑った。
「神になるなんて、僕には荷が重すぎます。そんな器じゃありませんからね」
山之内は自分の気持ちを正直に認めるのだった。
「神の座は私が継承するのです。任せてほしいのです」
チコちゃんはポンと自らの胸を叩いた。
これに対して誰も異論を唱えることはなかった。
全員、彼女が適任だと考えているみたいだ。
「この哀れな少女は、私が面倒を見るのです。二度と過ちを犯さぬよう、一から教育をやり直すのです」
「何を……言ってるのよ……?」
「あなたを生まれた時の姿に戻すのです」
チコちゃんは少女に手をかざす。すると、みるみるうちに少女の身体が小さくなっていく。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
なんと少女は赤ん坊になってしまった。
それから、チコちゃんは赤ん坊をそっと抱きかかえる。
「歪んだ心を元に戻すことは難しいのです。なので、赤ちゃんの状態からやり直すしかありません。正しい心を持つことができるように私がたっぷりと愛情を注ぎながら育てるのです」
赤ん坊になった少女を育て直すと宣言するチコちゃん。
幼女なのに母性あふれる存在だと思っていたが、まさか本当にママになってしまうなんて。
「やれやれ。さすがに赤ちゃんに復讐する気にはなれませんね。こうなればお手上げです。僕は結局、何も成し遂げられない存在のようです」
「まぁそう言うなよ。まだ諦めるのは早いぜ。呪いが解けたら、このお嬢ちゃんを振り向かせるんだろ?」
カルロスさんが山之内を励ます。
「ああ、そうでしたね……。ですが、難しいと思います」
「どうしてだ? やってみなきゃわかんねぇだろ」
「僕は彼女に相応しい相手ではないからです」
そう言うと、山之内はバタリと倒れ込んだ。
「お、おい……! どうしたんだ?」
カルロスさんが山之内の身体を揺さぶる。
だが、反応はない。
「む……。これはもしや……」
アベルさんが目を見開いた。
「……亡くなっているようですな」
ファルコさんはかつて医者だったらしい。その彼が言うのだから、山之内が死んでいるというのは本当なのだろう。
突然のことで誰もが言葉を失っていた。私も何が起きているのか理解できなかった。人はこんなにもあっさりと死んでしまうものなのかと感心するほどであった。
「彼の寿命はたった今尽きたのです。ユーリア、魂を回収するのです」
「はい。チコ様」
山之内の身体から青く光る火の玉のようなものが抜け出した。ユーリアはそれを手で掴み、ケージの中に取り込んだ。
「冥府に届けてまいります」
「よろしくなのです」
チコちゃんはユーリアを見送った。
「儚いものですわね」
アンネリーゼが呟く。
「私のせい……かも」
「どうしてですの?」
「私が彼の告白を断ったから、生きる気力を無くしちゃったのかもしれないわ」
「考え過ぎですわ。春華は何も悪くありませんの」
「はい。これは最初から決まっていた運命なのです。柊さんの責任ではないのですよ」
そうだといいんだけど……。
やっぱり申し訳ない気がする。もし「オッケー」と返事をしていたら、彼の魂は活力を得て、死なずに済んだのではないかと思ってしまう。
だが、そんなことを考え出したらキリがない。私は永遠に罪悪感を背負うことになってしまう。
彼は私にフラれる運命だった。どう転んでも、その運命は変わらなかった。そう思うことにしよう。
山之内は安らかな顔で眠っている。それが私にとって、せめてもの救いだった。
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