一 元凶
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アンネリーゼの転移魔法によって神は人間界に墜ちた。だが、アンネが使える転移魔法は完全なものではなく、水のある場所にしか対象となる人や物を移動させることができないのだった。
もし神の転移した先が海や川だったとすれば、彼女は溺れて死んでしまうかもしれない。そうなる前に早く見つけ出さなければならない。
私がそのようなことを懸念しているとアンネに伝えたところ、魔女は得意気な顔でこう答えた。
「すでに彼女の居場所は把握しておりますわよ」
「どこにいるの?」
「メアリーのお家のお風呂ですの。あの子がちょうど入浴中でよかったですわね。浴槽にお湯を張っていたみたいですわ」
「彼女にとってはいい迷惑よね……」
バスタイムの邪魔をされるアンネの弟子が気の毒だ。人が突然、湯舟の中から現れたらビックリするだろう。
私も以前、アンネの転移魔法で魔界から人間界へ戻ってきたことがある。その時は桃が住むアパートのお風呂に転移した。桃は私と入浴できることになって喜んでいたが、あれが他の人の家だったら大騒ぎになっていたところだ。
「メアリーには少女を捕獲するように指示を送ってありますわ。今から彼女のもとへ向かいますわよ」
犬小屋の中に魔法で居住空間を生み出したメアリーは、今もそこで暮らしている。
アンネを愛する彼女は師匠のそばを離れたくないようで、私の家のすぐ隣に犬小屋を構えているのだった。
私とアンネリーゼ、それから山之内らを合わせた八名はメアリーの家に乗り込んだ。
「おかえりなさいませ、アンネリーゼお姉さま! ご命令通り、身柄を拘束しておきましたよ」
無力と化した神が魔法陣の中で磔にされた状態で囚われていた。
「よくできましたわ、メアリー」
アンネは神の生け捕りに成功した弟子を褒める。
「何なのよ、これ……。どうして私がこんなことに! アンタたち、これから私をどうするつもり?」
神は私たちを睨んだ。
「さて、どうしましょう。実は僕たちもまだ何も決めていないものですから」
山之内はわざとらしく困り顔をしながら言った。
「私を誰だと思っているのよ。私は神よ? こんなことをして許されると思ってるわけ?」
「お姉さまの命令は絶対なの。悪く思わないで」
メアリーは冷めた目をしながら言った。
「アンタも私を裏切るのね。でも、それでいいのかしら。柊春華を始末すれば、闇の魔女を取り返せるのよ? もう一度私と組まない?」
「それは無理。私の力では柊春華は殺せない。お姉さまがそれを許さないから」
「この役立たず! あー、本当にどいつもこいつも使えない!」
冷静さを失い、怒り狂う神。
ここに彼女の味方はいない。もう詰みが確定している。
味方だったはずの者たちにことごとく裏切られ、神としての能力を失い、こうして無様な形で拘束されている。
今となっては本当にこの少女が世界を支配していたのかさえ疑わしく思えてくるものだ。
「ようやく会えたわね、神様。まずは今までのことをちゃんと謝ってもらおうかしら」
私は少女に向かって言った。
すべての元凶がここにいる。彼女は私の人生を狂わせた張本人だ。
「柊春華……! お前だけは絶対に許さない! 殺す! 絶対に殺してやる!」
彼女は鬼の形相で暴言を吐く。その一言一句からは強い憎しみを感じる。
どうしてこの人は私をそんなに恨んでいるのだろうか。私が彼女に何をしたというのか。一方的に恨みを募らせているようにしか思えないのだけれど。
「あなたが私を憎む理由って何なの?」
純粋な疑問だった。冗談でとぼけたり、彼女を馬鹿にしているわけでもない。
「忘れたとでも言うつもり? 大野美波だった頃のアンタは私から大切なものを奪ったのよ」
「大切なもの……? 何それ?」
「大学の推薦と岩上くんよ!」
「はい……?」
何のことかさっぱりわからない。
大学の推薦はさておき、岩上くんって誰だっけ?
そもそも私は大野美波だった頃の記憶を失っているのだ。今から十年以上も前に、この女との間にどんなことがあったのかなんて、当然覚えていない。
「まさか、本当に忘れたわけ……?」
神の表情が凍り付く。
「申し訳ないけど、何も思い出せないわね。大野美波として生きていた時の記憶はさっぱりなのよ。もし当時の私があなたに何か酷いことをしたのなら、今ここで謝るわ」
「嘘よ。そんなの嘘……。いいから思い出して! 全部思い出せ! 大野美波ぃぃぃ!」
無理なものは無理である。殺された大野美波が柊春華に生まれ変わる時、前世の記憶を引き継ぐことはできなかったのだ。
今の私は殺された日のことを微かに覚えているくらいで、それまでの出来事や思い出は綺麗に抜け落ちている。その代わり、偽りの記憶が植え込まれているのだった。
大学に入学する前の記憶はすべて作られたものだ。よって、神と私がどんな関係だったのかは知らない。
「ずっと憎んできた相手があの頃の記憶を失っているなんて、そんな馬鹿な話ある? じゃあ、私の復讐はどうなるのよ……? この恨みはどう晴らせばいいわけ?」
虚無感が少女を襲う。
彼女が知る大野美波はもうどこにもいない。その事実を知ってしまったのだ。
「あなたがいけないのです。神になったあなたは岩上竜也さんを操り、大野美波さんを殺害した。それがすべての過ちだったのですよ。殺された彼女は柊春華さんとなってこの世に生まれ変わりましたが、大野美波としての記憶をほとんど失っています。彼女が当時の出来事を忘れてしまったのは、紛れもなくあなた自身のせいです」
山之内が淡々と告げる。
「あああああ……!」
もがき苦しむような声を上げる少女。
彼女の顔は絶望に満ちていた。自分は取り返しのつかないことをしてしまったのだと、悟っているようだ。
岩上竜也……。ああ、思い出したわ。彼は大野美波のクラスメイトだったのよね。
「私は岩上くんのことが好きだった。高校三年の秋、彼に思い切って自分の気持ちを伝えたわ。でも、断られた。彼は大野美波が好きだったの」
岩上は少女の想い人であったらしい。
ところが、彼女の恋心は大野美波の存在によって打ち砕かれてしまった。
「志望校の推薦枠も大野美波に奪われた。私の方が成績は優秀だったはずなのに。アイツは担任に媚びを売って枠を手に入れたのよ。利口ぶったり、色目を使ったり、あの手この手で担任の気を引いたわ。ひたすら勉強して、テストでいい結果を残して、卑怯な真似はせず、正当な努力を重ねてきた私を嘲笑うかのようにね」
「それはあなたの思い込みではないでしょうか。本当に大野美波さんは先生に媚びを売っていたのでしょうか」
「黙りなさい、山之内! アンタは何も知らないくせに。私は自分の目で見てきたのよ。勝手なこと言わないで」
少女の目には涙が浮かんでいた。
やるせない気持ちと悔しさがこみ上げてきたのだろう。
彼女が何を見てきたのかはわからない。どんなことを感じていたのか、私には推測することしかできない。だが、彼女は本気だったのだ。夢を掴もうと必死だった。
大野美波も同じだった。夢のキャンパスライフを手に入れかけたはずが、少女の逆恨みによって、その夢を絶たれてしまったのである。
大野一家惨殺事件は憎しみが生んだ悲劇だった。それは美波の家族や岩上竜也など、何の罪もない人たちまで巻き込むものとなった。
「あなたは身勝手だわ。いくら何でも人を殺すのはやりすぎよ」
「うるさい……。人間の分際で偉そうに」
「ふふふ。元人間のあなたがそのセリフを吐くのは笑えますわね」
アンネは手で口元を隠しながら、上品に笑った。
とりあえず、私の疑問は解消した。
神は逆恨みをしていたに過ぎない。それが原因で私は振り回されることになったのである。
迷惑な神様だ。
やはり彼女には神の座から降りてもらうしかない。
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