十 相棒
私は帰宅すると、自室に向かった。
鞄を床に置いたとき猫のキーホルダーが目に入った。
そういえば、この猫に話しかければ何かを答えてくれると男子学生は言っていた。ぬいぐるみに話しかけるだなんて、そんな奇妙なことは人前ではできないので学校では控えていたのだが、自分の部屋で一人きりの状況ならば試してみてもいいかもしれない。
今は誰も近くにはいない。家にいるのは私だけである。今こそ猫に話しかけるチャンスだろう。
本当にこれが何かの役に立つのだろうか。本当に質問に答えてくれるのだろうか。
見た目は普通のぬいぐるみである。何か特別な仕掛けがあるようには思えない。中身がどうなっているのか確かめようがないが、握ってみると、綿が入っているような感触がした。いや、綿しか入っていないのではなかろうのか。
もはやこれだと、ただのぬいぐるみとしか思えない。
半信半疑ではあるが、せっかくなので、私は猫に質問してみることにした。
「もしもし。お名前は?」
「……」
反応はない。
聞こえてないのだろうか。マイクが音声を拾えなかった可能性がある。
私はもう一度、大きな声で猫に向かって話しかける。
「もしもーし! お名前は何て言うんですかぁ!」
「……」
それでも返事はない。ただのしかばねかしら?
故障している? もしくは、質問に答えてくれるのは嘘? 私はあの男に騙されたのか?
そりゃそうよね。ぬいぐるみが喋るわけがない。信じてしまう方がおかしい。
私は諦めてネットをすることにした。ぬいぐるみと会話するなんて時間の無駄だった。
するとその時、スマホの着信音が鳴った。メールを受信したようだ。
私はメールを開く。差出人は不明だ。見たことのないアドレスが表示されている。
どうせまた迷惑メールなのだろう。いつものパターンだ。さてさて、今日はどんなくだらない文章が書いてあるのかな?
本文が表示される。そこにはとても短い文章しか書かれていなかった。いつもなら、グダグダと口説き文句が書かれているメールばかりが送られてくるものだが、今回はやけにサッパリしている。
『名前はまだない』
本文はこれしか書いていないのであった。
私は頭の中である言葉が引っかかった。
「名前……?」
名前と言えば、さっき私は猫のぬいぐるみに名を尋ねたところだった。まさか、このメールは私の問いかけに対する返事として送られてきたというのだろうか?
「いやいや、まさか……」
もう一度、別の質問を投げかけてみることにした。
「私の名前は?」
すると、再びさっきのアドレスからメールが届いた。
メールを開いた瞬間、私はゾッとした。こんなことがあっていいものかと思った。
本文には『柊春華 ヒイラギ ハルカ』と書かれていたのだった。ご丁寧に読み方まで添えてあるではないか。
この猫には質問に対してメールで返事をしてくれる機能があるというのか?
「あ、明日の天気は?」
メールが届く。
『晴れ時々曇り。最高気温21度、最低気温13度。降水確率は午前午後ともに10パーセント』
本当にこの予報は正しいのだろうか。デタラメを書いている可能性もある。
私はスマホで明日の天気を調べた。すると、メールの内容と同じ予報がなされていることが判明した。
……本物だ。この猫は質問に対して正確な答えを出してくれるのだ。
ならば、もっと他のことを聞いてみよう。
「あなたを私にくれた人の名前は?」
あの男子学生の名前が知りたかった。この猫ならば、答えてくれるかもしれない。
すると、やはり先程のアドレスからメールが送られてきた。
『山之内翔平 ヤマノウチ ショウヘイ』
猫によると、彼は山之内という人物らしい。
これはとんでもない優れものだ。何でも教えてくれるすごい奴だ。
山之内という男は、どこでこんなものを手に入れたというのだろう。
私は猫の有能っぷりに感心する反面、得体の知れない恐怖を感じていた。これは悪魔の発明品なのではないかと思えてきた。これを悪用する人間が現れたら、世界はとんでもないことになってしまうのではないだろうか。
「来季のアニメは豊作?」
こんなくだらない質問もしてみた。
しかし……。
『不明』
と、返信が来た。
おや?
「アメリカの次期大統領は?」
『不明』
これはどういうことだろう? 壊れてしまったのか?
おかしい。まさか未来は予知できないというのか? 明日の天気は答えてくれたのに、どうして?
「私に彼氏はできる?」
『不明。それはお前さん次第』
おっと……。もっともな答えが返って来たではないか。
「ねぇ、どうして未来のことは答えてくれないの? 天気予報はちゃんと教えてくれたじゃない。ちゃんと予言しなさいよ」
私はぬいぐるみに向かって文句を吐いていた。事情を知らない他の人間からすれば、私は頭のおかしい人間にしか見えないだろう。
メールが届く。私は急いでそれを表示した。
『吾輩に未来予知の機能はない。天気予報はあくまで予測である。絶対的な未来を把握することは不可能。吾輩が答えられることは、現存する情報に限る』
私は瞬時に理解した。この猫は事実しか答えられないのだということを。
この猫には名前がないという事実。私の名前が柊春華であるという事実。これをくれた男の名が山之内翔平であるという事実。そして、天気予報は猫が気象庁からデータを引っ張り出してきたにすぎない。
なるほど。ということは、こいつは明日の株価を予測することはできても、確信的な情報を提供してくれるわけではないのだ。いつ株価が上がったり下がったりするのかを断定することはできない。あくまで予想であり、確定した未来ではない。
この猫を利用するには、少々頭を使う必要がありそうだ。
ところで一つ気になったのだが、この猫は一人称が『吾輩』なのか?
「その『吾輩』っていうのは何なの?」
『吾輩は吾輩である』
「あはっ! あははははは!」
思わず吹き出してしまった。
そうか。私が私であるように、この猫も同じく一匹の「吾輩」なんだ……。
これからはこの子を相棒として連れて歩こう。私の使い方次第では何かの役に立つかもしれない。
私はとんでもない代物を手に入れてしまったのであった。