七 幼女
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命のタイムリミットが迫る。さすがにこれ以上は耐えられない。全身の感覚が消え失せてしまった。呼吸は浅くなり、再び意識が薄れていく。
視界が暗くなり始める。もう体育館の天井は見えなくなっていた。このまま私は何もできずに死んでしまうのだろうか。
生命活動が停止しようとしている。ここまで来ると往生際の悪さも通用しない。どう足掻いても生き物は死から逃れることはできないことを実感する。
真っ暗な闇が私を覆う。視力は完全に失われていた。
残念だが、どうやらここまでのようだ。
「こらー! 何してるんですかぁー!」
変な声が聞こえる。こんな時に幻聴か。それとも私は走馬灯でも見ているのか。いや、実際は何も見えていないのだが。
「勝手に人を死なせちゃダメですぅ! これは規律違反ですよー!」
さっきから子供の声がうるさい。私はもうすぐ死ぬのだ。その隣で騒ぐのはどうかと思う。
せめて最期の瞬間は静かに迎えさせてほしいものだ。
「むむぅ。これはもう助かりません……。回復は不可能なのです」
その声の主は私のことを見て言っているらしい。
復活の見込みはないのだという。ま、わかっていたけれども。
「仕方ないです。こうなったら時を戻しましょう。もう! 余計な手間をかけさせないでくださいのです!」
時間を戻す? そんなことができるというの?
この子はさっきから何を言っているのだろう。
理解が追い付かないまま、ただ死を待つだけの私。
ところが、闇に包まれていたはずの視界が急に開けてゆくのであった。
さっきまで何も見えなかったのに、眩しい光が目に飛び込んできたではないか。
気づけば私は起き上がっていた。二本の足で地面の上に立っているのだった。
切断されたはずの下半身がしっかりとくっついている。
え? この一瞬で何が起きたの……?
目の前には鎌を持ったまま立ちすくむ死神の少女がいた。彼女は呆然としたまま、何もないところを見つめている。
そして、その隣では見知らぬ女の子が「ふぃ~」と息を吐きながら、額の汗を拭っていた。
ピンク色の髪をした幼女。年齢は十歳くらいだろうか。
ぷにっとした頬が可愛らしい。すると、幼女はパッチリとした目で私を見てくるのだった。
「はぅ……。そんなに見つめられると恥ずかしいのです……」
しかし、彼女は私と目が合うと顔を赤らめてすぐに視線を逸らしてしまった。
何これ、すごく可愛いんですけど。冗談抜きで妹にしたい。
私には弟がいるのだが、歳の離れた可愛い妹が欲しかった。
無邪気で従順な妹と一緒に遊んだり、髪を解いてあげたりしたいと思っていた。
できることなら彼女をお持ち帰りしたい。
「どうしてあなたがここに……」
死神の少女は幼女の姿に恐れおののいていた。
なぜそんなにビビる必要が? こんなに可愛いのに。
「噂を聞きつけてやって来たら、やっぱりあなたの仕業だったのです。死神が人間に直接手を下すことは禁じられていると、あれほど言ったじゃないですか!」
「で、ですが……。私はあの時の失敗を取り返すために……」
「それは理由にならないのです。なぜなら、この人はまだ死ぬ運命ではないからです」
一体、私は何のやり取りを見せられているのだろう。
彼女たちの言っていることがまるで理解できない。おかしな夢でも見ている気分だった。
「確かに柊春華の名前はリストに載っていませんでした。でも、彼女は十年前に死んでいます。冥府へ行くはずの人間を私は取り逃がしてしまった。だから、再度その魂を捕えるべきだと判断したのです」
「名誉挽回を目指すあなたの気持ちは、よーくわかります。仕事熱心なのはよいことなのです。だからといって、ルール違反をしてもいい理由にはならないのです」
「くっ……」
死神は唇を噛んだ。悔しがりつつも、自らの行いを反省しているようにも見える。
「運命は変わるものなのです。柊さん……いえ、大野美波さんは十一年前の事件でお亡くなりになりました。ですが、そこから彼女が生き返ることができたのも、一つの運命なのです」
幼女は死神を諭すような口振りで、優しく囁くのだった。
それはさておき、この子は私の正体を知っているものと思われる。私がかつて、大野美波として生を送っていたことを見抜いているのだ。
なぜそんなことがわかるのか。この幼女、やっぱりただ者ではない。
「あの、ちょっといいかしら?」
私は二人の会話に割り込んだ。
「はわわっ! な、なんでひゅか?」
急に話しかけられたためか、ピンク頭の幼女は体をビクッとさせて、潤んだ目でこちらを向くのだった。
あれ? もしかして私、この子に警戒されてる?
「怖がらなくてもいいわよ。私、別にあなたのことを襲うつもりはないから」
「ほ、ほんとですかぁ……?」
「ええ。安心して」
体を震わせる幼女。
私って、そんな怖い人に見えているのかな? ちょっと傷つくわね。
「私のこと、食べないです?」
「当たり前でしょ……」
この子は私を何だと思っているのだろう。
「ほら、怖くないから。おいでおいで」
幼女を手招きする。警戒心を解くために甘い声で誘い込む。
「うう……」
身構えつつも、幼女は少しずつこちらへ歩み寄る。
そうそう。大丈夫よ、大丈夫。
私はあなたの敵ではないわ。
幼女はゆっくりと私の傍へやって来た。
私は手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でる。
「よしよし」
「ふにゅ……」
気の抜けた声を漏らす幼女。
警戒が解けてきたみたいだ。この調子で行こう。
「あなたのお名前は?」
私は幼女の頭をなでなでしながら、名前を尋ねた。
「チコというのです」
「チコちゃんね。私は柊春華。よろしく」
「あうぅ……」
恥ずかしがっているのかな。照れ臭そうな顔でチコちゃんはコクンと頷いた。
「ず、ずるい……」
死神の少女が小さな声で呟いた。
「何か言った?」
「な、何でもありません……」
サッと顔を背ける死神。さっきから彼女は羨ましそうにこちらを見ている気がするのだけれど、私の勘違いかしら。
「はううっ! こんなことをしている場合じゃないのですっ!」
チコちゃんは私の手を振り払い、目にも止まらぬ速さで距離を取った。
私は残念な気持ちになった。まだ完全には心を開いてくれそうにない。
まぁいい。これから少しずつ彼女と仲良くなれれば……。今日のところはこのくらいにしておこう。
私も少々お遊びが過ぎた。チコちゃんの可愛さのせいですっかり気が緩んでいたが、彼女には色々と質問しなければいけないことがある。
「ところでチコちゃん。あなたは何者なのかしら」
彼女は私の正体を知っている。
ただの人間ではない。いや、人ですらないのだろう。
時間を戻したり、死神を掌握したり、謎が多過ぎるのだ。
幼女とはいえ油断ならない存在だ。
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