十九 救済
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「こんなのおかしいわよ! どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」
武装したメアリーを前に、私は自身の理不尽な運命を呪った。
誰かに命を狙われる。そんなことの繰り返しだ。この平和な時代に、日本という平和な国で、年に何度も襲撃される人間なんてそうそういないだろう。しかも相手は人間じゃない。人よりももっと強大で厄介な「魔」という存在が、私の身と魂を喰らおうとしてくるのだった。
斧を軽々と持ち上げるメアリー。それは小柄で華奢な少女の姿からは想像もつかない怪力だった。彼女が人間ではなことを表している。
「お姉さまを狂わせたアンタの罪は大きい。あの世で永遠に悔いるがいいわ」
メアリーはキッと睨んでくる。私を恨んでも仕方ないのだが、なぜか私が悪者扱いされるのだった。彼女の認識では、この私がアンネリーゼを誘惑し、おかしな方向へ導いた元凶なのだという。
こんなのたまったもんじゃない。私に勝手に惚れたのはアイツなのだ。全部アイツが悪いのだ。
アンネとメアリーが、それまでどんな関係だったのか知らないけど、私には彼女たちの関係を狂わせるつもりなど毛頭なかった。
そう、これは不運な結末なのである。誰もこうなることなんて想像していなかったのだ。
それなのに、私ばかり憎まれ役になるなんて。ふざけんじゃないわよ、もう。
「言い残すことはあるかしら、柊春華。懺悔の言葉なら聞いてあげるわよ……?」
斧を振りかぶるメアリー。すでにやる気満々……いや、殺る気満々である。
このまま黙って斬り殺されるのもアレだ。言いたいことを言っておくのも悪くないだろう。
「そうね。じゃあ一言だけ……」
私は答えた。
「言ってごらんなさい」
真顔でメアリーが言う。
彼女には言っておきたいことがあった。少し意地悪なことをしてやろうと思った。そうでもしなければ、私の気が済まない。誰がタダで殺さるものか。
だから私は、思ってることをズバッと言ってやることにした。
「私を殺して気が済むなら、そうすればいいわ。でも私は何度でも蘇るから」
「何を言っているのかしら? 殺しても蘇るですって……?」
「そうよ。だって私は神だもの」
「わけがわからないわ。頭大丈夫かしら? いえ、頭おかしいんじゃなくて?」
「あなたにだけは言われたくないわね。おかしいのはあなたの方でしょ。憎い相手は殺すという発想しか浮かんでこないなんて。きっとアンネも呆れてるに違いないわ。そんなんだから、魔界に置き去りにされちゃったのよ」
「な、何ですって……!」
明らかな動揺を見せ始めるメアリー。彼女は相手の言葉にすぐ惑わされる癖があるようだ。メンタルがもろくて崩れやすいという弱点を持っているのだった。
この魔女はアンネには遠く及ばない。師と仰ぐ彼女を永遠に超えることはないだろう。これは魔術の腕の話ではない。一人の女としての話である。
口を開けば「お姉さまお姉さま」としか言えない馬鹿な女だ。コイツにとって、アンネリーゼが全てなのだった。
もし、そのお姉さまがいなければ、メアリーという魔女は空虚なものとなってしまう。生きる目的を失った抜け殻になることだろう。
彼女はアンネを追いかけることしかできないのだ。アンネを追いかけることが生き甲斐なのだった。だから、ずっと追いつくことはできないし、追い抜くこともできない。
「アンネがあなたに振り向くことはないわ。それだけは覚えておきなさい」
クスッと鼻で笑う私。今の私は、とてつもなくゲスい顔をしていることだろう。
ああ、言ってやった。このアンネリーゼ馬鹿に顔面ストレートを喰らわせたような気分だわ。
これで悔いなく殺される。
「言いたいことは……それでおしまいかしら?」
怒りで震えるメアリー。ああ、とうとう本気で怒らせてしまった。これは楽に死なせてはくれないだろうな。きっと惨い殺され方をされちゃうんだろうな……。
死んでも生き返るから大丈夫。そういう意識はあるものの、やはり死は恐ろしかった。死から逃れたいと思ってしまう。
何度死んでも慣れることはない。多分一生そうだろう。
「死ね! 柊春華ぁあああああ!」
怒号を響かせながら、巨大な斧を振り下ろすメアリー。
斧の刃が私の脳天を目がけて一直線に落ちてくる。
これは脳ミソをぶちまけるだけでは済まない。全身が真っ二つになることだろう。
私は目を閉じて、襲いかかる死に身構えた。
ガキィン!
そして、物凄い音がした。
だが、骨や肉が砕ける音にしては変に甲高い音だった。それどころか、私は全く痛みを感じていない。意識ははっきりと残っている。もしかして、すでに魂が肉体から分離した後だったりして……。
目を開ける。すると、黒い何かが目の前にあった。
何だこれは? と思って見上げると、そこには長いブロンドヘアの女が立っていた。黒い衣装を身に纏った彼女は、まさに闇の魔女と呼ぶのにふさわしいと言えるだろう。
「お、お姉さま……」
驚いた表情で彼女の顔を見つめるメアリー。どうしてここに、といったことを考えているに違いない。
「パワーは申し分ないですわね。ですが、力に対して武器の強度が低すぎますの」
メアリーの斧を巨大な剣が受け止めていた。刃どうしが激しくぶつかった衝撃で、斧にヒビが入っている。このまま拮抗が続けば、砕け散ってしまうことだろう。
それに対し、大剣の刃はびくともしていなかった。明らかにこちらの方が頑丈にできていることがわかる。
「武装魔術で大切なことは、いかに壊れにくい武器を造るか、ですわ。そして、次に使いやすさですの。己の身体能力に適合したものでなければ、上手く扱うことができなくてよ」
師匠の言葉がメアリーの胸に響いていると思われる。彼女はジーンとした様子で頷いていた。
「アンネ! どこいってたのよアンタは!」
私は思わず叫んでしまった。急にいなくなってしまった彼女が、この絶妙なタイミングで戻ってきたせいだ。
別に心配なんてしていなかったんだからね? ただ、あまりにも遅いから、少し気になっていただけというか……。
「危ないところでしたわね、春華。あなたのその綺麗な体に傷がついてしまうところでしたわ」
傷どころでは済まない。アレを喰らっていたら、間違いなく死んでいた。木っ端微塵にされていただろう。
「今まで何してたのよ、まったく……。もう少しで本当に死んじゃうかもしれなかったんだからね」
私は急に目頭が熱くなった。落ちそうな涙を必死でこらえる。
なぜ泣きたくなるのだろうか。それは死にかけた恐怖が原因だろうか。それとも、行方不明のアンネが戻ってきたことへの安堵感のせいだろうか。
いや、どちらでもないはずだ。この涙はもっと複雑な感情から生じているのだ。
私は彼女に我が身と魂を束縛され、絶対に逃れることができない。だが、その束縛がなければ生きることもできなくなる。私にとって、魔女こそが生命線であり、魔女との契約が私の全てを制約しているのだった。
さっき私は、メアリーを哀れな存在だと思った。彼女をアンネがいなければ生きていけない可哀想な女だと思っていた。だが、それはこの私も同じだったのだ。
私はメアリーを笑うことなどできなかった。私にそんな資格はなかったのである。
メアリーを笑う自分が情けなく思えた。私もアンネリーゼ無しでは生きられない存在だというのに。
同類のメアリーを馬鹿にしている自分が情けない。みっとも無さ過ぎて涙が出る。
私はなんて哀れな女なのだろうか。
「間に合ってよかったですわ。ゴミ掃除に少し時間がかかってしまいましたの……」
アンネは言った。
「ゴミ掃除……?」
何の話をしているのだろう。
「お、お、お姉さま……。これは……その……」
師匠の言いつけを破り、私を襲撃したことを後悔し始めるメアリー。彼女は斧を捨て、その場にペタンと座り込んでしまった。恐ろしい制裁が待っているのではないかと、震えあがっている様子だった。
「春華をどうするおつもりでしたの? メアリー」
にこやかな表情でアンネが問い詰める。
「わ、私は……お姉さまを取り戻したくて……」
メアリーは今にも泣き出しそうだった。ガクガクと震えながら、アンネの顔を見ている。
アンネリーゼの気迫に私までゾッとしていた。彼女からはただならぬオーラが漂っている。これは血祭りの予感がする……。
「もう一度聞きますわ。あなたは春華のことを、どうする気でしたの……?」
「ひゃ、ひゃい……。申し訳ごじゃいましぇん……」
「謝れと言っているのではありませんの。わたくしの質問に答えるのですわ」
メアリーの顔はぐしゃぐしゃになっていた。見ているこっちが可哀想になってきた。もうその辺にしてあげて!
「さぁ、早く……。怒らないので正直に話すのですわ」
ウソだ。正直に言ったら絶対に怒るパターンである。それはこの世で最も信用できない言葉の一つだからね。
「ううっ……ひっく……」
とうとう泣きじゃくり始めるメアリー。私を殺そうとしていた時の威勢がまるで嘘のようである。
「泣いて済む話ではなくってよ? わたくしにぶち殺されたくなければ、素直に話すのですわ」
今殺すって言ったよね?
これは本当にマズいわね。このままだと、本当にメアリーが死んでしまう。
いちゃもんつけて私を襲ってきたのだから、この子のことは嫌いだけど、さすがにこんな状況になれば同情せざるを得ない。
私も一応人間だ。慈悲くらいはある。
今回ばかりは彼女を許してあげてもいいのではないか。誰だって、間違いを犯すことはあるんだし、一度くらいは大目に見てもいいはずだ。
だから救済してあげることにしたいと思う。
ホント、この私に感謝してよね?
「ひっく……うえぇっ……」
「さぁ、答えるのですわ」
「待ってアンネ」
私は声を出した。
「何ですの? 春華。今ちょっと忙しいところですの」
「あなたの質問には、私が代わりに答えるわ。彼女、今はちょっと話せる状態じゃないみたいだし」
苦し紛れかもしれないが、救いの手を出してやろう。
「あら、そんなことができますの? 春華にメアリーの意図が理解できますの?」
「ええ。メアリーはね、私の修業に付き合ってくれていたのよ」
「修業……ですの?」
キョトンとするアンネ。
「そうよ、修業よ。私、いつ神の手先から襲われても大丈夫なように、彼女に鍛えてもらっていたわけ。さっきまではね、武器を使った実戦形式の勝負をしていたの」
「春華は武器を持っていませんわ。どう見ても不利ではありませんこと? これではまるで、春華が一方的に襲われているようにしか見えませんの」
しまった。私はノーガードだった!
ええーっと、ここはもっと上手い言い訳を……。
私は格闘技の達人だから、素手で戦う主義なの! なんて通用するわけないよね……。
「まさか、もしかして春華……」
アンネは何かに気づいた様子だった。
「何かしら、アンネ」
私は平静を装う。言い訳していることを悟られないようにしなくては。
「あなたが武器を持っていないのは、ハンデということですのね?」
何だかよくわからないけど、物凄く私にとって好都合な解釈をしてくれた。
「そ、そうなのよ! 私さ、修業のおかげでめっちゃ強くなっちゃってさぁ。もう武器とか一切要らなくなったっていうか……」
「それは素晴らしいですわ! ますます惚れてしまいますの!」
完全に信じ切っているアンネ。
彼女がおバカで助かったぁ。
「メアリーはすごいわ。だって、この私を短時間でここまで強く成長させたんだもの。あなた、優秀な弟子を持っているのね。もう最高! やっぱりアンネは世界一! いいえ、魔界一だわ!」
私はアンネを褒めた。褒めて褒めて褒めちぎった。
「そんな……。照れますわ、春華……」
ポッと頬を染めるアンネ。いいぞ、効いてる効いてる。
「だからメアリーを責めないであげて。この子は何も悪くないわ」
「そうですわね……。むしろ褒めてあげなくてはいけませんわ」
よし、上手くいった。これでもう大丈夫だろう。
アンネはしゃがんで、腰を抜かせたメアリーと目線の高さを合わせた。そして、彼女の頭を優しく撫で始めるのだった。
「偉いですわ。あなたはわたくしの自慢の弟子ですの」
「お、お姉しゃまぁ……」
メアリーはわけがわからない様子だったが、空気を読んでノリを合わせていた。
そして、彼女たちは感動の抱擁を交わすのであった。
ふぅ。本当に手のかかる魔女だわ、二人とも。
私は近くにあったソファに腰掛けた。一度座って見たかったのよね、コレ。
ああ、すっごい疲れた……。これから奈々香と映画だっていうのに。
今日は波乱の一日だ。朝から濃すぎる展開が続いている。
ともあれ、無事にアンネが見つかって何よりだ。このまま戻って来なかったら、本当にどうしようかと焦ったものだ。
そういえば、さっきアンネは「ゴミ掃除」とか言ってたけど、あれは何だったのかしら……?
お読みいただきありがとうございます。
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