十八 好機
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「これ、どうなってるの? すごく広い部屋……」
私は目を疑った。自分は狭くて暗い穴にもぐりこんだはずなのに、なぜか高級住宅の一室にいたからだ。
犬小屋は人間が入るには狭すぎるスペースだった。窮屈な思いをするものだと思っていたが、実際に入ってみると、全くそんなことはなかった。
まるで別の場所にいるような気分だった。あの犬小屋の中が、こんなに広い空間に変化しているなんて……。
「この部屋はね、お姉さまから教わった『空間歪曲術式魔法』で作ったの。空間情報を操作して、時空を歪めることで、小屋の中身を広くしたわけ。あとは『色彩変幻術式魔法』で色を付けて、『模倣術式召喚魔法』でお気に入りの家具を置いてみたわ」
経緯を説明するメアリー。何を言っているのかさっぱりわからないが、ここは彼女が魔法で生み出した部屋だということはわかった。
「驚いたでしょう? これが私の実力よ」
メアリーは誇らしげに言った。一方、私は開いた口が塞がらなかった。
弟子は師匠から伝授された魔法を応用し、狭い空間を自分好みの部屋に作り替えたのである。
彼女は近くにあるソファに腰を下ろす。ソファの隣にはテーブルが置かれており、その上にはティーセットが用意されていた。
カップに紅茶を注ぐメアリー。まずは香りを楽しむのだった。
ティータイムの習慣は師匠であるアンネリーゼに影響されているのかもしれない。
私はアンネに『赤の鳥籠』という真っ赤な内装の部屋に召喚されたことがある。メアリーが生み出したこの空間は、あの部屋を再現しているように思える。家具の配置や部屋の色合いがそっくりなのだ。
上質そうなテーブルとソファ。カーテン付きのベッド。大きな鏡が付属した化粧台。
どれも赤の鳥籠にあったものと似たような姿をしている。
唯一あの部屋と異なる点は、この部屋の壁には大きな肖像画が飾られているということだった。
「これって、もしかしてアンネ……?」
縦長の巨大な額縁の中には、黒のゴスロリファッションをしたブロンドヘアの美女が描かれていた。どこからどう見ても、闇の魔女・アンネリーゼである。
「ええ、そうよ。これでずっと、愛しのお姉さまと一緒にいる気分になれるでしょ? ああ、絵に描いたお姉さまも、すごく素敵だわ……」
アンネの肖像画をうっとりとした目で眺めるメアリー。ただの絵に萌え萌えしている。二次元オタクの素質があるかもしれない。
この部屋をアンネリーゼ本人が見たらどう思うのだろう。自分の絵がデカデカと飾られていることに抵抗を感じるのではないだろうか。また、その絵を見てハアハアしてるメアリーにドン引きするのではないだろうか。
いや、あの女のことだ。頭が相当イかれてるので、「わたくしも春華の肖像画を飾りますわ」とか言い出しそうな気がする。それだけは絶対にやめてほしいものだ。私が恥ずかしい。
「そういえば、お姉さまはどちらに? アンタと一緒じゃないの?」
メアリーがアンネの居場所を問う。それはこっちが聞きたい質問だった。
「まだ戻ってきてないの? 先に帰ってると思ってたんだけど……」
私は言った。てっきりアニメが観たくて帰宅しているものと考えていた。
「そんなはずないわ。私はずっとここで、お姉さまの帰りを待っていたのよ」
メアリーが反論する。
「気づかなかったんじゃないの? アンネがあなたの犬小屋をスルーした可能性は?」
「いいえ、有り得ないわ。お姉さまが近くにいるのに、魔力を感じないなんて」
魔女には魔女特有の察知能力があるらしい。魔力を放つ存在が近くにいるとき、その魔力を感知することができると、以前アンネは言っていた。
彼女ほどの魔女ならば、放っている魔力も大きいはずだ。それを感知できないとすれば、メアリーの魔力アンテナはかなり鈍っていると言えるだろう。
「アンタが帰ってきたときはちゃんと気づいたでしょ?」
メアリーは言った。
そういえばそうだった。彼女は私が帰ってくるタイミングを見計らっていたかのように、いきなり小屋から飛び出してきたのだ。
「困ったわね。アンネってば、どこをほっつき歩いてるのかしら……」
家にもいないとしたら、彼女はどこへ行っているというのか。
「せっかくお姉さまにお部屋をお見せしようと思っていたのに……」
メアリーは残念そうな顔をした。
きっと褒めてもらえると思っていたのだろう。師匠から教わった魔法を使いこなし、一つの部屋を完成させた彼女には、承認欲求というものが少なからずあるはずだ。
あの魔女は弟子を放置して何がしたいのか。それに、この私まで置いていくなんて。別に嫉妬なんかしてないけど、無視されてるようですごく腹が立つ。
「あなたの魔法でアンネのこと探せないの? 魔女ならできるでしょ?」
「も、もちろんできるわよ……! 失敗するかもだけど……」
メアリーは少し自信なさげだった。
ははーん、さては苦手分野だな?
「別に無理しなくていいわよ。あなたには難しいみたいだし」
私は挑発した。「できないんでしょ? んー?」みたいなニュアンスを含ませておいた。
なぜか私は苛立っていたのだ。その苛立ちのあまり、メアリーに意地悪なことを言ってしまうのだった。
何をしているんだ私は。どうしてアンネがいなくなっただけで、ここまで動揺しているのか。あんな女、別にいなくなったって平気じゃない。むしろさっさといなくなってくれた方が、私的にはありがたいわね。
……いや、それはウソである。今のは本音ではない。
私にはアンネが必要だった。彼女がいなければ、私は生きていけないのだ。
なぜなら、私と彼女には契約があるから……。
私たちはお互いを満たし合わなければ、死んでしまう契約を結んでいるのだった。どちらか片方でも欲求不満の状態が続けば、両者が命を落とすこととなる。
もしこのままアンネが現れなければ、二人とも満たし合うことができなくなる。そうなると、私は魂ごと滅んで消え果てしまう。
最近、アンネとは「儀式」を行っていない。お互いに疲労が溜まっており、すぐに眠る夜が続いていたからだ。
このままでは、体の中の「時限爆弾」が、そろそろ炸裂してしまうのではないか。タイムリミットが迫っているのではないか。
私が妙に苛立っている理由は、そこにあるのかもしれない。自らに滅びが近づいていることを恐れているのかもしれない。
「とりあえず、外へ出ましょう。あなたも一緒にアンネを探すのよ」
メアリーの手を引く私。しかし、彼女はこの場を動こうとはしない。
どうして動かないのよ、この子は。愛するお姉さまが心配じゃないの?
「どうしたの? さっさとして。っていうか、出口はどこにあるの? どうやって出ればいいのか教えてくれないかしら?」
この空間は赤の鳥籠をモチーフにしていると思われる。あの部屋と同様、ここには出入り口となる扉がないのだった。
「そうね……。お姉さまを探さなきゃ……」
メアリーは静かに言った。
わかってるなら早くしてよ。
「出口を教えてちょうだい」
そうしなければ何も始まらない。とりあえずここから出よう。
……しかし。
「出口はないわ」
無表情のまま、メアリーは言うのだった。
それは冷めた声だった。
「どういう意味かしら? 出入りするための扉がないってことは、私もすでに知っているわ。あなたたち魔女は、魔法を使ってこの部屋から出るんでしょ? だったら私も一緒に連れ出してくれなきゃ困るんだけど」
私は魔法を使えない。空間をこじ開けて、外に出る術は持ち合わせていないのだ。だから魔女に何とかしてもらうしかない。
「アンタが外に出る必要はないわ。というか、私が出さないから……」
急にメアリーは険悪な表情に変わった。
何なの? いきなりどうしたの?
「はぁ……? なんで出してくれないの? あなたまで私を鳥籠の中に閉じ込める気なの? もしかして、やっぱりあなたも私のこと好きなの? えー、もう勘弁してほしいんだけど。魔女の愛はお腹いっぱいなんですけど」
アンネも私に似たようなことをした。魔界にいた頃の彼女は、私を赤の鳥籠で飼い殺すつもりでいたのだ。あの時はなんとか彼女を説得して、人間界に帰って来られたが……。
「勘違いするな、柊春華。私はアンタを愛してなどいない」
「じゃあ、どうして閉じ込めようとするわけ?」
「決まってるでしょ、そんなの。ここでアンタを始末するためよ……」
「始末?」
何を言い出すんだ、この子は。
私は理解が追いつかなかった。
「この状況は、どう考えても好機としか言いようがないわ。お姉さまが近くにいない今こそ、アンタを排除する絶好のチャンス。ここでアンタを殺してしまえばいいのよ」
メアリーはニヤリと笑う。
「いきなり何を言い出すの? まだ私のこと恨んでるの? 言っとくけど、私はアンネのことなんて何とも思ってないから。アイツが勝手に私を恋人扱いしてくるだけで、私はアイツに特別な感情なんて持ってないから」
誰かに勝手に惚れられて、第三者から勝手に恨まれる。本当に迷惑な話だ。私には何も気はないというのに。
「アンタがお姉さまをどう思っていようが関係ないわ。アンタはお姉さまの心を奪った。私からお姉さまを奪い去った。私はそれが許せない」
怒りの目を向けてくるメアリー。彼女は本気で私を恨んでいる。
「知らないわよ、そんなの」
私は言った。
「アンタを始末するタイミングをずっと伺っていたわ。私が人間界にやって来た目的は、お姉さまをアンタから取り戻すこと。今ここでアンタを殺し、私はお姉さまを連れて魔界に帰るわ」
そんなまさか。この魔女は本気で私を殺すつもりだったのか。
本気の愛だったのだ。メアリーはアンネリーゼを本気で愛していたのだ。その愛を取り戻すために、恋敵を始末する。その野望を果たすために、彼女は人間界まで追いかけてきたのである。
「柊春華……覚悟!」
メアリーの足下に魔方陣が出現した。
そして、魔方陣から大きな斧が呼び起こされるのだった。
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