三題に沿ってショートストーリー 2 (リドル・ストーリー)
人によく似た、されど人ならざる漆黒の生き物が今日も魂を求め人間界へと舞い降りる。
バサバサ揺れるカーテン、濡れて色濃く滲む赤い絨毯。大きな音を轟かせ落ちる雷が、ソファーにて可愛らしいぬいぐるみと共に眠る女を。その横で、眠る女の体から漂う白い塊を咀嚼する漆黒の生き物を照らす。
(ふッツウだなァ)
亡骸と化した女を横目に首を捻る。美味そうな匂いがしてたから食べてみれば美味くも不味くもないモノだった。
見込み違いの味に疑問に思うも、些細なことと思考はさらなる食を求める。
(でも量ハ一人にしちャ多クてイイな。こレなら後もウ一人分で充分)
尻尾のように残っていた白い塊を飲み下し立ち上がった時だ。漆黒の生き物の鼻を甘ったるい香りが刺激した。
人間界には漆黒の生き物が住まう世界とは異なり様々な物が存在する。人間の世界に来た当初は、芳しい魂と混ざり合うそれらに漆黒の生き物は眉をひそめたものだ。それは今も変わらない。けれど何故かこの香りはひどく漆黒の生き物を惹きつけた。
本能赴くままに歩いた先、甘い香りは何か作りかけだったのだろう。近づきより一層芳香を放つそれは、火がつけられた状態で煮え滾る鍋からしていた。覗き込んだ漆黒の生き物は目を見張る。
黄金色に輝く液体のなんと鮮麗なことか。人間の言う金銀財宝なぞ足元にも及ばない魅力があった。
ゴクリ喉が鳴る。我慢を知らない漆黒の生き物は欲望に従い素手で掬い取り口に運ぶ。
(〜〜っッ‼︎‼︎ オイしイ、美味いウまイ、ウマイ‼︎)
粘りがあってそれでいてジャリジャリした歯応えがたまらない、舌に絡みつく濃厚な甘味。類稀な絶品に称する魂の味と酷似しているそれは、漆黒の生き物がむしゃらに食らいつき瞬く間に空となってしまった。
(タりナイ、もッともッと食べタイ)
しかし黄金色に輝くそれは既に鍋の底まで舐め回し一滴もない。名も知らなければ作り方もわからず、これを作った女は己が食らい生き絶えてしまった。途方にくれ唸る。暫し考えた結果、漆黒の生き物はある実験を鑑みた。
***
(ダめだ。こレじャなイ)
口や鼻・耳、凡ゆる穴から血を垂れ流し使い物にならなくなった女の体は、闇色の足に蹴られ肉塊化する。
なんでも抜け殻と成った入れ物は異なる魂を入れたら中身は違えど、生前と同じ行動を繰り返す習性があるらしいと。ふと思い出した、昔同族に聞いた眉唾話に縋り実行してみた訳だが。
(なンカ、ちガウ)
確かに別物の魂を入れた女の器は同じ物を作った。でも何か違ったのだ。漆黒の生き物自身、説明出来ないが決定的に──。
幾度も本来の魂ではない異物を混入し試したせいか、女の殻は壊れてしまった。そこまでしても諦めきれぬ漆黒の生き物はご自慢の翼広げはためかせる。
(ドこダ、ドこダ)
蟲の如く人間はひしめいているのだ。きっとあの女と同じ人間がいると信じ。夕焼けに染まる街の匂いを嗅ぎわけ飛び回る。
(ドこ、ドこにイル)
飛翔続け行き着いたのは、時代の波に逆らえずシャッター閉まる元店が並ぶ老朽化した商店街だった。
(ツかレた)
漆黒の生き物にとっては魂以外が放つ異臭強い街にいるだけで精神が削られ、人っ子一人見えない寂れた此処は安らげた。腰を下ろしうな垂れる。
同族が今の己を知れば腹抑え笑うだろう。漆黒の生き物の、自嘲めいた渇いた声が虚しく地に転がる。
だが、どうしても諦めたくない。初めて湧く執着心が叫ぶのだ。「探せ、欲しい」と。気づけば陽は沈んでおり、人間界は暗闇に包まれている。
充分に休憩も取らず再度翼を広げかけた漆黒の生き物の鼻に、覚えある香りがふわり風に乗ってきた。
(こレ‼︎ こレダ‼︎)
走って、転んで、また駆けて。灯漏れる木造建築の一軒家へ、閉ざされた戸口すり抜け疾走する。
(あッタ‼︎)
現世では古めかしいガス焜炉に煮られ、求めるそれは大きな鍋の中グツグツ黄金色に輝やいていた。
(こレ、ぜッタイこレ‼︎)
喉に通さずとも漆黒の生き物にはハッキリ分かった。己が求めていたのはこれだ。やっと、漸く嗅ぎあてた。
すぐそこに捜し求めていたものがあるのだ。なのに、麻薬中毒者を思わせる脇目も振らず伸ばした指先は、突如現れた皺だらけの手と悲鳴に近い叫び声に阻まれる。
「優一郎っ‼︎ ダメ‼︎‼︎」
気づけば漆黒の生き物はシミに塗まみれた割烹着姿の老婆を見上げていた。
「火傷しちゃうでしょっ‼︎ 触ったらダメよ」
真っ直ぐ己を射抜く瞳、じんじん痛む手の甲。冷たい床の感触が、この老婆が己を突き飛ばしたのだと知らしめた瞬間、生まれたのは惑いであった。
何故、所詮人間共のエゴイスティックで地獄と呼ばれる世界の住人である己が視え、剰触れられるのだ。疑問は老婆が鍋から離れた事により難なく解する。僅かに芳香に混じり漂った臭いを漆黒の生き物はよく理解していた。
(こノばばア──)
繁々眺めていたら、老婆は「あっ」と声を上げ何かを握って振り返る。
「やだワタシ大事なこと忘れてたわ」
しゃがんで、未だ混乱抜けず床に座る漆黒の生き物の手を取り視線を合わせ微笑む。
「お帰りなさい、優一郎」
コロリ。手の平にのる小さな黄金色の個体。
「食べるんならこっちにしなさい。アンタそれ大好きだもんね」
言ってる意味がわかろうも、老婆の言葉は混乱を極めた脳に繋ぎ成さず元より本能で生きる漆黒の生き物は、考える事を放棄した。与えられたそれを舌の上で転がす。
(……ウまイ)
舌触りよい滑らかな口当たりが身に沁みこむ。
***
腕や足の形類似していれど、角に翼が携わっているのに加え肌も人間ではありえない闇色。
「はいどうぞ。優一郎」
この老婆はボケてるなんて次元ではない。「ユウイチロウ」ってどんな人外だ。陽が差し込む居間にいる己へ、自然に出されるホカホカのゴハンなる物を前に思う。
「ほらさっさと座りなさい」
漆黒の生き物が欲しいのはこれじゃないが、あの黄金色輝く甘味を作る老婆が出す食はどれも漆黒の生き物を悔しい程魅力した。
中でも様々な色彩が列をなす瓶詰めにされた粘っこくぶよぶよしている液体は美味かった。深紅に輝くのは年若い女、琥珀は健康な青年、碧は眼鏡を掛けている貧弱ながらもギッシリ濃縮している魂の味がした。
無理矢理にでも黄金色輝く甘味を作らせるつもりが、彼方から提供してくる至れり尽くせりな現状。
ベタつく手を舐める漆黒の生き物を、老婆が「商品を摘み食いするんじゃないよ。アンタって子は本当変わらないね」と注意しつつ、どこか嬉しげに眺めていたのも、恐らく息子と勘違いしてるせいだろう。
今も嘘偽りない笑みを浮かべる老婆と囲む食卓、夜になれば布団並べ必要のない睡眠とる。嘲りの対象だった人間と同じ生活を送る己を滑稽に感じれど、嫌ではないのが漆黒の生き物には不思議でならない。
(でモ……)
鼻を鳴らし、穏やかな笑みで箸を進める老婆を観察する。
「なんだい、そんな見つめて」
柱に据えてある黄ばんだ文字盤の時計が、チクタク時を刻む。
***
皿の割れる音が響き、次いで床に何か叩きつけられた鈍い音が打つ。居間でくつろいでいた漆黒の生き物はチラリとそちらへ視線をやり、ゆっくり身体を起こす。
(やッぱリ)
台所に、か細い息を吐く老婆が横たわっていた。いつもの陽だまりを感じさせる双眼をキツく閉じ、心臓を服越しに掴んでいる。
人間は脆く、弱い生き物だ。漆黒の生き物達に比べ半分も寿命がないし、ちょっとの事で怪我をする。
芳香を掻き消すまでに部屋を満たす臭いに、漆黒の生き物はこの老婆が既に助からないのだと察した。黄金色輝く甘味を己を魅力してやまない美味をもう食せない。此処へ来るきっかけとなった女同様、異なる魂を入れど、きっと無駄だ。
(あレなンデだろ)
景色がぼやけて映る。
「ゆぅ……ろ……ぅ」
ふいに老婆の唇が震え、薄く瞼を開けた視界に自分見下ろす漆黒の生き物を捉えると苦痛に歪む表情を和らげた。
「……っこ……ァメ、なら……ぃぞう、こよ」
途切れ途切れに紡がれた言葉に目頭がカッと熱くなった漆黒の生き物の瞳から大粒の雫が溢れる。
「カぁ、ち……ゃン」
ぼたぼた、ぼたぼた頬をつたい落ちる水滴。一体己はどうしてしまったのか。靄掛かる頭に、また何時ぞや聞いた同族の話しが蘇る。
人間とは違い何故己達は感情に支配されないのか。それは最も愚かな『愛』という気持ちが己達には『食欲』へ直結する為である。だからこそ形無き朧げな幻想に道を踏み外さず、本能に従い動けるのだ。「好き」は「美味しいそう」に「愛おしい」は「食べたい」へ。
温かさ抜けていく老体。今にでも消え入りそうに、ゆらゆら揺れる命の灯火。
「オなか…………スイたヨ」
膝をつき手を伸ばす。
漆黒の生き物は────。
お題
「砂糖」「光」「悪魔」
を、リドル・ストーリーにて挑戦しました。
漆黒の生き物は、老婆を食べてしまったのか、食べずに去ったのか、はたまた全く別の行動をとったのかは読み手様にお任せ致します。