コミカライズとオリジナル漫画原作
「没かー。うーん、自信作だっただけに残念だ」
依頼取り消しのメールを読み、落胆のため息が漏れる。
半年近く時間を掛けて、練りに練ったプロットだけに、それがすべて徒労に終わったことで、全身の力が抜けたかのような脱力感が襲ってきた。
「でも、しゃーない。切り替えていこう」
自分の頬を手の平で挟み打ち、気合いを入れる。
思ったよりいい音がして少しヒリヒリするが、頭のモヤが晴れた気がした。
「うわっ、自虐趣味あったの?」
驚きと若干の蔑みの感情が入り交じった声が背後から聞こえてくる。
振り返るまでもないが、頭を巡らせてみると――天聖子さんが玄関扉の前で仁王立ちしていた。
黒髪のおかっぱっぽい髪型に女性用のスーツ姿。いつもの見慣れた格好。
扉の鍵は閉まったままの状態でどうやって中に入ったか、なんて聞く必要もない。
「これはこれは、天使役所 異世界転生課にお勤めの、天聖子さんではないですか」
「何、その説明口調。やめてよね、私も忘れかけていた設定を持ち出すの」
眉根を寄せたしかめ面で、訝しげにこちらを睨んでいる。
「約二年ぶりになるので、忘れてしまった人が多いのではないかという気遣いです。ちなみに私は『なうろう』という小説投稿サイトに投稿していた素人作家でしたが、なんやかんや書籍化デビュー、コミカライズ、アニメ化に到達した、という設定です。あ、架空の作家で誰かを元にしたわけではありませんので、勘違いしないでください」
「長い! おまけに言い訳がみっともない! そんな気遣いできるなら、もっとこまめに更新したらどうなの」
「さて、今日の話題はコミカライズとオリジナル漫画原作の違いについてです」
耳に痛い正論を言われたので、聞こえなかった振りを決行する。
「強引すぎるでしょ、話のそらし方が。でも、まあいいわ。ちょっと興味あるし。漫画原作って……さっきこぼしていた愚痴に関わること?」
やはり、聞かれていたのか。
「そうです。今回、とある出版社からオリジナルの漫画原作の依頼を受けていたのですよ。それが没というか依頼取り消しになったので」
「うわー、それはご愁傷様。どれぐらいの間、その仕事に携わっていたの?」
「五ヶ月ぐらいですかね」
依頼を受けた日から換算するともう少し伸びるが、取りかかった日から逆算すればそれぐらいだろう。
「結構長いのね。で、えっと、話戻すけどコミカライズとオリジナル漫画原作の違いって何?」
「コミカライズは元になる小説があって、それが漫画になる。オリジナル漫画原作は依頼側と打ち合わせをしながら、相手の要望に応えた物語を創作、プロットや脚本を書く、といった感じです」
漫画原作という立ち位置は変わらないのだが、やるべきことはかなり異なる。
「んー、ぶっちゃけ、どっちの方が楽なの?」
「そりゃ、圧倒的にコミカライズですよ。仕事内容的にも――立場的にも」
「その含みある言い方がちょっと怖いんだけど」
しまった。淡々と事実だけを述べたつもりだったが感情が漏れ出ていたようだ。
「まず、コミカライズについてですが。これは原作の小説ありきで話が進むわけです、当たり前ですが」
「そりゃ、根本として小説があって、それを漫画にしたい、って話だからね」
「ええ、そうです。なので、基本的には小説を書いた原作者の意見が尊重されますし、もう原作は完成している状態なので、原作者のやることはキャラや世界観の設定をまとめて渡す。質問への回答。ネームやその他諸々のチェックがメインとなります」
これは、あくまで私の経験談なのは忘れないで欲しい。
尚且つ、この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
よっし、いつもの注意事項は終了。
「あっ、そもそもの話なんだけど、コミカライズと漫画原作ってどれぐらいやってきたの? それによって信憑性が変わってくると思うんだけど」
ごもっともな意見だ。
「コミカライズは……ええと、五件で。漫画原作が今回の取り消しも含めると二件ですね」
「結構、やってるのね。正直、意外だったわ」
「ありがたいことです」
これもすべて私の実力! と豪語したいところだけど、実際のところかなりの幸運があった。運も実力のうち、ということにならないだろうか。
「次にオリジナル漫画原作についてですが、これがまあ、色々と面倒……じゃなくて、厳しいのですよ」
「ふむふむ、どんな感じで?」
おっと、天聖子さんが卓上に身を乗り出して、ぐいぐいと迫ってくる。さっきよりも食いつきがいい。
「まず、依頼側の出版社というか……漫画を掲載する媒体によって、求められる内容が大きく異なる、という点でしょうか」
天聖子さんが、肩に頬が着くぐらい大きく首を傾げている。
「ネットで見たことがありませんか? この作品はジャ○プには相応しくない、とか。面白いんだけど雑誌を間違えたな、みたいな意見を」
「あるある。打ち切られたりした漫画を語っている人がよく使う文言よね」
「わかりやすく例えるなら、少年漫画と少女漫画では求められる内容が異なるのはわかりますよね?」
「まあね。少女漫画の人気作を少年誌に掲載しても絶対に人気でないわよ」
その通り。その雑誌には求められる特色があり、読者もそれを踏まえた上で読んでいる。少年誌でも冒険活劇やスポーツ、ちょっとしたお色気など雑誌によって題材は同じでも、絵柄、表現方法、演出などが異なる場合が多い。
とくに少年誌と青年誌なんて……比べるまでもない。
「私の場合はweb漫画サイトだったのですが、それでもやはり特色があって、そこで安定して人気の出るキーワードというかテンプレが存在していました」
「なうろう、で言うところの異世界転生とか、追放物とか、悪役令嬢みたいな感じ?」
「大正解」
連載する予定だったweb漫画サイトについては攻略のために、ランキングに入っている作品はすべて目を通したのだが、九割の作品に共通しているテンプレが存在していた。
「まず、大前提としてweb小説投稿サイトは作者が自分の好きなように書いていい。ですが、仕事である漫画原作に関しては売れる作品を書かなければならない。故に相手の要望に応えつつ、作家としての自分の色や強みを出す必要がある」
「そりゃ、そうよね。ぶっちゃけると、相手はお金を儲けるために漫画の原作を書いて欲しい。だから、売れる作品にして欲しい。商売でやっているのだから、当たり前の要求でしょ」
「はい、そのことについては反論する気もないです」
人気が出ても出なくても、それはすべて自分一人の責任であるweb小説の投稿と違い、漫画には多くの人が携わっている。利益が出ない仕事をされては困る、なんてのは、どの業界でも同じ。
「なので、求められるポイントが多かったですね。必ず入れて欲しい要素、人気作の情報とデータから照らし合わせた攻略法。そういったことを踏まえた上で、原作のプロットを書く」
「なんか、面倒臭そう」
「仕事とはそういうものですから」
と自分に言い聞かせていたのは秘密だ。
「でも、実際のところ良い勉強になりましたよ。正直、そこまで売れることを意識して書いたことがなかったので、こういう考えがあるのか、ここまで追及するのか、と感心しました」
これは嘘偽りのない本音。今回の経験は今後の作品に影響を与えることになりそうだ。良くも悪くも。
「でぇ、どれぐらい没くらったの? 正直に言っちゃいなさいよぉ」
ニヤついた顔が癇にさわるが、深刻そうに質問されるよりはマシか。
「結構な数とだけ。おかげさまで今後に使えそうな小説のプロットが溜まる溜まる。今なら新作を五本ぐらい書けるアイデアはありますよ。漫画原作の依頼、お待ちしております」
キリッとした表情で天井を仰ぎ見る。
「何処に訴えかけているのよ。それで、結局その漫画原作の依頼は取り消されたのよね? なんで?」
さすが天聖子さんだ。普通の人なら聞きづらいことでも、ずけずけと踏み込んでくる。
一瞬だけ迷ったが、隠しておくようなことでもないので別にいいか。
「何度か没をくらって描き直していたら、自分で言うのもなんですが、かなり面白いプロットが完成したのですよ。依頼側の要望にも応え、尚且つ内容も間違いなく面白い。これはいける! と思ったのですが……」
「没をくらったと」
「ですね。そもそも、漫画連載を開始するには担当編集からOKをもらう必要があって、そこから更に企画会議を通らないといけないのですが……結果は言わずもがな」
「自信作だったのに、ね」
あれはショックだった。そのサイトで受ける要素を盛り込み、自分の特色を生かした戦闘シーンや設定。これは必ず人気が出る! という確信があったにも関わらず、依頼側の反応は芳しくない。
特に自分が気に入っているところが、相手にとっての一番の懸念材料だったらしく、このままだと平行線をたどるだけで話が進まないと判断して、依頼の取り消しとなった。
「なんというか、私の作風と合わなかった、というのが一番の問題だったのでしょう」
「……あんたの作風をわかって依頼したんじゃないの?」
「それを言っては元も子もないのですが、ほら、いざ結婚してみたら、想像と違った、とかよくある話じゃないですか。理想と現実は違うのですよ……私は独身ですけど」
「世知辛い話だわ」
珍しく慈愛溢れる表情で優しく俺の肩を、ポンポンと慰めるように軽く叩いている。どうやら、同情してくれているらしい。
「あとは……作者の持ち味を生かさず、妥協させて、依頼側の思う通りの作品を書かせたいのであれば、別に私でなくてもいいんじゃね? とは思いましたね」
「言いたいことはわかるんだけど、面倒な作家とか思われてそう……」
そこは同意見。相手もこんな面倒な作家だとは知らずに声を掛けてしまったのだろう。
柔軟に対応したつもりだったのだが、どうしても譲れないポイントだけは絶対に折れなかったのが問題だったのだろうなー。と今になって思う。
「でもさ、半年近く頭を悩ませて没原稿も書いていたなら、その間の収入はもらえたんでしょ? それってプロットを提出する度に――」
「ないですよ」
キッパリと吐き捨てる。
「……一円も?」
「一円くれたところで確定申告が面倒なだけなのでやめて欲しいですが、一円ももらってないです」
「ただ働き?」
「はい。って、これだと文句を言っているように捉えられそうですが、これは事前に伝えられていましたからね。企画会議を通らなければ漫画原作の話は無しになる。企画段階では金銭のやり取りは発生しない、ってね。それを理解した上で納得して引き受けた仕事ですので」
そう言うと、これ以上口を挟むべきではないと判断したのか、天聖子さんは頬を膨らませてはいるが口を噤んでくれた。
不満があるなら事前に交渉するべきであって、後になって文句を言うのはお門違い。
「……ただ、まあ、これはフィクションですし、ただの愚痴なのですが」
俺が小声でぼやくと、目を輝かせた天聖子さんが見つめてきた。
この人、というか自称女神、こういう下世話な話題が好物だよなぁ。
「誰も漫画原作が没になる、なんて最悪の未来を想定して依頼を受けたりしないですからね」
「普通そうよね、うんうん」
漫画原作。夢のある仕事ではあるが、夢が叶わなければ所詮夢でしかない。
「今回の失敗をバネに頑張るしかないのですが、今回の一件に関して自分を納得させ慰める最良の一言があります」
「教えて教えて」
「相手の見る目がなかった!」
本音はともかく、これぐらいポジティブに生きた方が作家として長持ちするのではないかと。決して、決して、本音ではありま――。




