書籍化の打診が来たらどうしたらいいの?
「新規の出版社が危ないらしいわね」
明日の打ち合わせに着ていく服を選んでいると、背後からお馴染みの声がした。
振り返る必要もないので、小さく息を吐く。
「また危険なネタを拾ってきましたね……」
「最近、その話題で持ち切りだもの。で、何してんの。半裸で」
パンツ一丁の俺を見て動じることなく小首を傾げている天聖子さんは、どうやら恥じらいというものが存在しないらしい。
まあ、風呂場にすら入ってきた人だから初めから分かっていたが。
「明日、出版社の人と打ち合わせがあるのですよ。新しい小説を出版しませんか、と打診が数社からありましたので」
「おー、凄いじゃないの。もしかして、緊張してる? 緊張してる?」
俺の肩に顎を置いて、頬を突く天聖子さんが若干……いや、かなり鬱陶しい。
「さすがに数回こなしていると慣れましたよ。初めての時はかなり緊張しましたが」
「そういうもんなんだ。あっ、ちょうどいいわ。さっき話した出版社の話題もあるし、依頼を受けた時の注意点というか出版社選びのコツみたいなのはないの?」
「ん、んー、そこは踏み込んでもいいものなんですかね」
「大丈夫、大丈夫、魔法の言葉もあるし。それにさ、この作品って読者そんなに多くないけど、作家や作家志望が見ている率がかなり高いらしいから興味があるネタだと思うわよ。それに読者も出版までの裏側とか知りたいだろうし」
確かに書き手の方からの反響は多いらしい。
実際にこの作品を参考にして書籍化を達成したという、奇特な方もいらっしゃいましたからね……。
「まず、とりあえずこれだけは言っておきます」
「「この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです」」
よし、これで苦情の心配もない。今からするのはあくまで架空の創作話なのだから。
万が一、担当さんが目にしても何も言わないだろう。……何も言いませんよね?
「心の声で言い訳してる……」
「ではまず基本の事から話しますね。書籍化の打診が来る場合、もっとも気を付けないといけないのは、直接送られてくるメールです」
「どゆこと?」
「なうろうの運営を通さずに本人に直接送られるメールですよ。正式な依頼は必ず運営を通してきます。運営が関わらずに作者に直接送られてくるメールは無視して構いません。以前、もしくは現在進行形でお世話になっている出版社からのメールなら話は別ですけどね」
「そうなんだ。でも直接メールが来たりすることあるの?」
「普通にありますよ。海外で勝手に翻訳してタダでサイトに載せていいですか? とか、無料で漫画にしてサイトに載せていいですか? とかね」
「へー、そんなのあるんだ」
『なうろう』人気に便乗して金儲けを企む怪しげな企業も結構出てきている。
それの見極め方法として確実なのが運営を通しているかどうかだ。
「じゃあ、運営を通していれば安全確実高利回りなのね」
「最後が余計ですが、まあそうですね。ただし、これは基本中の基本です。それに頼り切らずに自分で見極めなければなりません」
運営を通しているからと言って安心せずに、自分で動くのは大切だ。
「本来の問題はここからです。なうろうで総合日間ランキング、週間ランキング、月間ランキングの全てにおいて、ベスト5に入るような作品は高確率で複数の出版社から声がかかります。かからない場合は何かしらの問題があるか、商業では売れないと判断されたか、そもそも作者に問題があるか、もしくは文字数が小説一冊分に達していないか」
「文字数?」
「はい。単行本の一冊に必要な文字数がだいたい十万文字です。つまり、十万文字に達している作品であれば確実に一巻は出せるという事です。なので、出版社も声を掛けやすいのでしょう」
実際の話、ランキングに載って十万文字を超えたあたりから打診が来ることが多い、らしい。
これは一概には言えないので「そういう考え方もあるのか―」程度の認識でお願いします。
「次のステップに移りますが、運営を通して打診のメールが来ました。そこで、天聖子さんに質問です」
「おっ、何よ」
「メールには我が社から小説を出版してみませんか? という内容が書かれていました、あなたはどうしますか」
俺が問いかけると、顎に手を当てて考え込んでいる。
そのポーズのまま机の前まで移動して座ると、そこに何もないのにクイズの早押しボタンを押すような動きを見せた。
「ピンポーン! 即座に、ありがとうございます、お引き受けします。と返すわね」
ドヤ顔で自信満々に答えてくれた。
それに対して俺の解答は――
「ぶぶー。それはアウトです」
腕をクロスさせて×の字を作る。
「えーっ。受けたメールはすぐに返すのがマナーでしょ! それに即答しないと出版社の気持ちが変わるかもしれないし」
「いやいや。まずやるべきことは依頼をしてきた出版社について情報を集める事です。この場合、既に書籍化している作家仲間がいると情報収集がはかどりますよ」
「あのー、作家に知り合いがいない、誰かさんみたいな場合はどうすれば」
天聖子さんは優しい目で俺を見つめながら、気まずそうに手を挙げている。
その目が何を語っているのか皆目見当もつかないが、すっと目を逸らす。
「これは私の知り合いであるヌーンベアーという作家さんの話なのですが。彼は作家仲間が一人もいないので、ひたすらネットを駆使して情報収集をしたそうですよ。それだけでもある程度の情報は得る事ができますからね」
「な、なるほど。でもネットの情報は虚実が入り乱れているから見極めが難しくない?」
「仰る通りです。そうなると、知名度の高い大手出版社に魅力を感じる人は多いのではないでしょうか。そこなら確実だと」
「やっぱり、大手が強いのね……」
「それは普通の就職でも同じですよ。出来る事なら大手企業に入りたいとみんな思うでしょ?」
「うん、そりゃそうね」
納得していただけたようで、何度も頷いている。
だが、それが全てではない。その話はもう少し後でしようか。
「話を戻しますね。打診が来て出版社を調べると怪しいところのない、しっかりとした会社でした。はい、次にする事は?」
「お受けしますと、メールを返す……」
「どんだけ、せっかちなのですか。メールを返すのはいいのですが、そこは言葉を濁して相手からもっと情報を引き出しましょう」
「と言うと?」
「印税、初版どれぐらい刷るのか。というのが気になって質問したくなりますよね? そこは直接触れずに、書籍化の依頼に関してお礼の言葉を告げて、考え中であることを匂わせて、もう少し詳しく教えてもらえませんか? みたいな感じで言葉をぼやかしましょう」
「そこの駆け引きを知りたいんだけど」
「文字でお金を貰うようになるのですよ。その文章ぐらい自分で考えましょうよ」
相手に失礼な言葉遣いはせずに常識さえわきまえておけば、出版社の人に悪印象を与える事はない。
自分には常識がない? それは知らん。
かなりの高ポイントだったら少々の無礼も許されるかもしれないが……。試してみた事がある人がいたら詳しく聞いてみたい。
「でもさ、さっきも言ったけど、早く返事をしないと出版取りやめに……」
「なりませんよ。そりゃ一か月も放置したら問題ですが、二三日なら、相手も真剣に考えてくれているのだな。と思ってくれますよ、たぶん」
先にお礼のメールだけをすぐに返す、というのはありだと思う。
今からじっくり考えさせてもらいます。とか付け加えておけば大丈夫だろう。
「では、次のステップです。何回かメールのやり取りして、向こうの出す条件もある程度は聞き出せたとしましょう」
「ふむふむ」
「そこで即決せずに、直接会えないか訊ねて話し合いの場を設けましょう。相手から切り出してくる場合もありますので、その時は了承するように」
「直接会うの? メールだけでよくない?」
急にしかめ面になったな。天聖子さんは俺に対してはフレンドリーな対応をするのに、そういうのを面倒に思うタイプなのか。
「うーん、住んでいるところが東京からかなり離れている場合、北海道や九州沖縄、もしくは海外だったら仕方ないですが、関東在住なら会うべきだと思いますよ。もちろん、出版社側の都合もあるので、相手が無理なら諦めましょう」
「距離が離れていると、時間が取れないもんね。編集さんって忙しそうだし」
「そうですね。でも可能であれば会う事をお勧めします。メールでも交渉は可能です。ですが電話であれば相手の本音が聞ける可能性が増します。会えば相手の人柄も伺えますし、信頼するに足りる人物であるか、その目で確認もできます……。偉そうな事を言うようですが」
「まあ、そうよね。メールだと見直して何度も書き換える事ができるけど、会話は取り消しがきかないし。会ったらその表情や態度で本心が見えてくる、って事ね」
うんうん、と何度も頷いている。
「それに依頼を受けたら、その人が自分の担当編集になるのですよ。やっぱり一度は会っておきたいじゃないですか。自分の作品を認めて依頼してくれた方に」
これが偽りのない本心だ。
その人が自分の作品を読んで打診をしてくれた。そして、今後作品を作るパートナーになるかもしれない相手。
一度お目にかかりたいと思うのが自然な感情だろう。
「実際、会ってみると想像以上に自分の作品を読み込んでいてくれて、話が弾んだりすることもあるのですよ。逆に『この人はポイントだけで自分の作品を選んで、まったく読んでねえな』って気づいたりもしますけどね……」
「愚痴になってる、なってる」
話の内容を振っても反応が鈍かったり、明らかにキャラ名を間違えていたりすると正直がっかりする。
「酷い時は本当に序盤しか読んでなくて中盤の話を振ったら「えっ、まだそこは読んでません」って言われた事がありますからね。そりゃ百万文字を超える大作なら、全部読めと無茶は言いませんが、十万文字ぐらいの作品なら小説一冊分ですよ。それぐらいは読み込んできて来い! と――」
「ストーップ! ストーップ! それ以上は危険だから、落ち着いて! ほら、深呼吸しましょう。すーーはーーすーーはーー」
俺の肩を掴んで激しく揺らしてきたので、混沌とした記憶の泥沼に沈んでいた意識が浮かび上がってきた。
一緒に深呼吸を繰り返すと、少し気が晴れる。
「失礼しました。この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。という事で実話ではありませんので、ご安心を」
魔法の言葉を口にすると、平常心に戻れた。
「でもね、悪い点だけではないのですよ。実際会って話をしたら打診を受けた作品だけではなく、自分の投稿した他の作品も読んでくれていて、その作品に対する意見も聞けたら、やっぱり嬉しいじゃないですが。単純ですけど」
「あーそれは分かるわ。それが商談をうまく運ぶための交渉術だとしても、自分の為に勉強してくれているのが伝わってきたら嬉しくなるわよね」
天聖子さんの言うとおりだ。
打診した作品すらちゃんと読んでない編集、と他の作品まで読んでから打ち合わせに挑む編集。
好印象を与えるのはどちらかなんて、言うまでもない。
「お会いするまで受ける気がなかった出版社だったのに、話し合ってから印象がガラッと変わって、そこから出版させてもらおうと決めた事がありますよ。私が出版を受けたところは全て担当さんと会って話して決めましたから」
「なるほどね。会うのって結構大事なんだ。よっし、分かったわ! まずメールでやり取りをして、直接会う約束を取り付ける。そして相手のヤル気と意気込みを確認してから決める。大切なのは担当になる編集の人柄と熱意! これで完璧ね!」
拳を握りしめて立ち上がった天聖子さんを見つめ、最後のアドバイスを口にする。
「そうやって会う約束を取り付けて交渉期間があると、その間に他の出版社からも声がかかって、更に好条件を提示されたりすることもありますからね。まあ時間稼ぎも兼ねている訳ですよ。あと印税率と初版どれだけ刷るかですね。やっぱりお金は大事ですから」
「…………」
天聖子さんが拳をすっと下ろして半眼になり、ため息を吐いた。




