バレンタインデー特別篇 生々しい冒険者ギルド
「ちょっと異世界行ってみない?」
散歩にでも行かない? と誘うノリで何言ってんだ、天聖子さんは。
「どうしたんですか。今日は酒を飲んでませんよね、まだ」
「酔っぱらっても、冗談でもないわよ。最近、なんだかんだで世話になっているから、バレンタインデーのチョコの代わりに、異世界体験をちょっとだけさせてあげようと思ったの」
本気で言っているなら、今すぐにでも飛びつきたくなるぐらいの申し出だが……どうにも胡散臭い。
「それって、異世界に送られた後は戻ってこられるのですか?」
「当たり前でしょ。予定は半日だけど、帰りたいって願えばすぐに返してあげるわよ。ほら、前に冒険者ギルドの設定をもう少し凝りたいって言っていたでしょ。リアル異世界の冒険者ギルドに入って話を聞くだけでもやってみたら?」
少しリアル志向の異世界ファンタジーを書こうかと思っていたので、この申し出は渡りに船なのだが。
顔を見る限り嘘や冗談といった感じはしない。なんだかんだで付き合いが長いので、それぐらいは表情から読み取れる。
「じゃあ、お願いしましょうかね。ここで異世界の様子を少しでも知っておけば、他の作者よりも優位に立てるのは確かですので」
「でしょでしょ。あっ、万が一に備えて、身体能力を五倍に上昇。あとは、前に書いていた作品の加護の力を与えておくわね。半日は猶予があるから、なんなら魔物狩りしてきてもいいわよ」
「至れり尽くせりですね、感謝します」
異世界に渡る前に着替えることにした。新作の主人公がサラリーマン設定だったので、形から入るためにスーツの袖に腕を通した。久しぶりだな、これを着るのも。
「ホワイトデーのお返し期待しているからねっ」
「腕を振るいますよ」
天聖子さんは優しく微笑むと、手のひらを俺に突き出す。
足元からあふれ出す光に包まれ、俺は異世界へと転移した。
さっきまで部屋だったというのに、周りの光景が様変わりしていた。
「本当に女神なんだな。知ってたけど」
もう少し敬うべきなのだろうか。まあ、それは部屋に戻ってから考えよう。時間は有限だからな無駄にはできない。
キョロキョロと辺りを見回してみると、ファンタジーのラノベやゲームにありがちな町並みは、定番中の定番である中世ヨーロッパ風だ。
といっても、本当に中世ヨーロッパの街並みがこうなのかは知らない。レンガの家もあれば木造建築もある。それどころか土壁の住宅もあるようだ。
なんでアジア風ではないのか、中世よりもっと以前の縄文時代とかもしくは明治ぐらいの時代はないのか、と突っ込みたい。だが、これが異世界の決まり事だし、そういった異世界を選んで天聖子さんは送ってくれたのだろう。
夢にまで見た異世界なので踊りだしたくなるぐらい心が弾んでいるが、たぶん天聖子さんが遠くから俺を見ているはずだ。落ち着いたふりを装わなければならない。
……じゃないと、後で絶対にからかわれる。
街中をじっくり探索したところだが、今日は当初の目的である冒険者ギルドに向かうことにした。今書いている新作で冒険者ギルドの設定をどうするか迷っていたので、参考にさせてもらわないとな。
気のよさそうなおじさんを見つけ話しかけてみると、
「あー、冒険者ギルドならこの道を真っすぐ行った先にあるぞ。お前さん妙な格好をしているが旅人なのかね?」
「ええ、まあ。ありがとうございました」
スーツ姿が珍しいようで、じろじろ見られたがあっさりと道を教えてくれた。
町行く人々は簡素で地味な色合いの服を着ているので、ビシッとしたスーツ姿は悪目立ちをするようだ。
しかし、前から思っていたことなのだが……中世ヨーロッパはスーツの元になったと言われている服装が存在したらしく、異世界が舞台の作品ではタキシードやそういった服装をよく目にする。
そう考えるとスーツもそこまで奇抜だとは思えないのだが。
まあいい、気候は温暖なので上を脱いでTシャツ一枚になっておくか。これなら、そこまで違和感もないだろう。
「しかし、言葉は通じるのか」
口の動きと発している言葉が一致しないので、俗にいう翻訳機能が備わっているようだ。これがないと情報収集もままならないので非常に助かる。
ただ、この世界で一般的な服も用意してもらうべきだったな。冒険者をするのはわかっていたのだから、鎧と武器も手配してもらっておいた方が良かったか。
「いや、それは贅沢を言いすぎか」
甘えすぎるのもよくないなと自分を納得させ、教えられた冒険者ギルドに向かい進んでいく。
石造りの頑丈そうな建造物が見えてきた。
鉄筋コンクリート造のような真四角の建物で、入り口らしき扉から鎧やマントを羽織った人々が出入りしているので間違いない。
直ぐに入らず、しばらく冒険者らしき人を観察しておく。
割合としては――男しかいない。それも鍛え上げられた肉体をした厳つい男ばかりだ。武器は何故か剣ではなく、鈍器と斧と槍が多い。小さな剣を携えている者もいるにはいるのだが補助武器といった感じで、鈍器と斧と槍がこの世界では流行っているのだろう。
まあ、魔物を相手するなら破壊力のある斧や鈍器か、リーチがある槍がメインになるのは納得できる。
「しかし、女性がいないな……あと顔のいい奴が一人もいない」
なうろう作品やラノベの異世界なら、イケメンの冒険者や美人な女性冒険者が結構いるものなのだが、女性冒険者なんて一人も見かけていない。
着替え中に教えてもらった情報では、魔法が存在する世界で希少ではあるが魔法使いもいるという話だったので、美人でミステリアスな女魔法使いに期待していたのに。
弓を背負っている冒険者もいるのだが、そういう人たちも筋肉の浮き出たマッチョマンだったりする。
「弓を放つのにも筋力必要だもんな……」
弓使いと言えば細身のエルフのような種族をイメージしがちだが、弓の威力を出すには筋肉は必須だ。
それに奇抜な格好をした冒険者が一人もいない。全員が似たような恰好で武器のデザインも武骨でシンプルだ。
色彩も鉄の色か薄汚れた茶色や濃い藍色ばかり。小説の挿絵や表紙で見たことがある煌びやかな武具は存在しないのか。肌の露出もほとんどないな……虫刺されや、少しでも怪我しないように対策をしているのだろう。
この時点で想像していた異世界ファンタジーとの差に挫折しそうだ。天聖子さん、俺がリアル志向の作品を書いているから、気を使ってリアル寄りの異世界に送ってくれたのか……嬉しいような、もったいないような……。
その判断は冒険者ギルドで話を聞いてからにしよう。たまたま、荒くれ者のような人たちが多い時間帯なだけで、俺の思い描いていた美男美女の冒険者だって存在しているに違いない。
意を決して古ぼけた扉を押し開き、中に一歩足を踏み入れると……異臭がした。
男の汗と血の臭いがする。その臭いの原因は薄汚れた格好の冒険者たちで間違いない。
そりゃ、仕事を終えた冒険者たちは汗もかいているだろうし、魔物や自分の血で汚れていても不思議じゃないよな。それが入り混じれば、こんな悪臭も生み出される。
冒険者ギルド内は大きなロビーになっていた。丸いテーブルと椅子が幾つかあり、座っているガラの悪いおっさんたちがこっちを睨む。
弱そうなやつが来たな、とか思われていそうだ。中肉中背で腹筋が割れているわけでもない俺だと、ここではかなり浮いた存在だろう。
今までの俺なら萎縮して動けなくなっていただろうが、天聖子さんから能力をもらっているので奴らに負けることはない。という自信が背中を押してくれた。
ロビーの奥のカウンターの上に『受付』という文字が見える。文字まで日本語に脳内変換してくれるのか。帰ったら秘蔵のゼリーを天聖子さんに進呈しよう。
職員らしき男がいるのだが、こういった場合は綺麗な受付嬢がいるのが決まり事なのに、職員は全員が冒険者たちに匹敵するむさ苦しいおっさんばかりだ。
「すみません。冒険者になりたいのですが」
「あー、冒険者だぁ。やめとけ、やめとけ。お前さんのような身なりのいい人間がやる職じゃねえよ」
俺の姿を一瞥すると鼻で笑い、追い返すように手を振る。
「いえ、一文無しでして。冒険者として働かなければ生きていけないのですよ」
いきなりやめろ、と言われるとは思ってもいなかったので意表を突かれたが、ここで引き下がるわけにはいかない。冒険者ギルドの仕組みを調べに来たのだから。
「あんた、話し方からして教養もあるようだが、なら冒険者なんて底辺の職を選ばずに、どこかの店で働いたらどうだ。文字の読み書きができるなら、雇ってくれる店は多いぞ」
そうきたか。俺を馬鹿にしているわけじゃなく、むしろ心配して親切な対応をしてくれているのか?
「その……冒険者に憧れていまして」
「ぶっ、憧れているだぁ。ぶはははははっ、面白いにいちゃんだな! 冒険者なんて、ろくに仕事もできない半端者が生き延びるために選ぶ、最後の手段だぜ? なあ、お前ら!」
とんでもないことを口にした職員が、周りの冒険者に聞こえるように大声で問いかけると、
「ちげえねえな!」
「まともな神経してたら、いつ死ぬかわかんねえ命がけの仕事なんかしねえよなぁ」
腹を立てるのかと思えば、完全に同意しているぞ。
普通は新参者を馬鹿にして、ちょっかいをかけてくるチンピラ冒険者が現れる場面なんだが。
「お前さんは、吟遊詩人の冒険譚でも聞いて妄想が膨らんじまったのか。たまにいるんだよなぁ、冒険者は一獲千金を得られる夢のある職業だみたいな考えのやつがな。いいか、にいちゃん。周りの奴らを見てみろ、顔は不細工だし、薄汚い男ばかりだろ。あんなの接客業もできねえし、馬鹿ばっかだから頭を使う仕事もできねえ」
言い過ぎだとは思うが俺も似たようなことを思っていたので、否定はできない。
「特に女は顔が少々悪くても他に金を得る手段は幾らでもある。男より身体能力が劣るのに、わざわざ明日死ぬかもしれない割の合わない冒険者になんてなる必要はねえ。見た目がいいなら、男も女も他に生きるすべは山ほどあるからな。羨ましい限りだぜ」
冒険者にむさ苦しい男しかいない理由が判明した。説得力がある説明で非常にわかりやすいが、夢も希望もありゃしない。
「あの、私は特別な力、加護が使えますので冒険者に向いているのでは……」
「にいちゃん、加護持ちかよ! なら、余計に冒険者なんてなるんじゃねえよ。兵士として志願してみたらどうだ。もしくは商人に直接売り込むのもありだぜ。護衛として雇ってくれるぞ。加護持ちなんて、どこでも引く手あまただ」
「護衛? 商人の護衛は冒険者ギルドに依頼がくるのでは?」
「おいおい、馬鹿言うなよ。大事な商品を扱っているのに、こんな胡散臭い連中を雇う馬鹿が何処にいるってんだ。冒険者の仕事は魔物を殺して、素材を集めて売る。それだけだぜ」
荒くれ者といった方がピンとくるような冒険者を護衛に雇ったら、盗賊が現れてもどっちがどっちか区別がつかない。
大事な荷物と自分の命を預けようとは……思えないよな。
なんだろう、確かにリアリティーのある話だが、求めていた異世界の展開とは違う。
「にいちゃん、悪いことは言わねえ。他の職を探して、どうしても人生上手くいかなくなり、それでも死にたくねえと願ったのなら、冒険者やるのも悪くはねえと思う。だがな、あんたは苦労を知らない顔をしている。そんな奴がこんなことしちゃいけねえ。無理にやったとしても、魔物に食われるのがオチだ。金がねえなら、その手にしている脱いだ服を買い取ってやるよ」
「やめとけやめとけ。自ら泥沼に飛び込むんじゃねえよ」
親身になって諭されてしまった。近くで話を聞いていた冒険者っぽい人も止めに入ってくれている。
最底辺の職で周りの連中は口も悪いが、根はいい人っぽいぞ。みんな苦労してきたからこそ、優しいのかもしれないな。
言われたことには納得いくのだが、冒険者として活躍をする前提で渡された能力が……今は空しい。
「町は防壁で守られているから、ピンとこねえかもしれねえが、街の外には魔物が腐るほどうろつき、子供が出歩けば一時間も経たずに骨すら残らねえ。にいちゃん、仲間はいるのか? それとも冒険者になった後でどこかの団にでも入る予定なのか?」
「いえ、一人でやっていくつもりですが」
俺の答えを聞いた途端、職員が大きく息を吐き、肩をすくめた。
「にいちゃんが見かけによらず腕利きだったとしよう。それでも、一人で仲間も連れずに外に出たら、同じ運命が待っているだけだ。数の暴力ってのは侮れないんだぜ」
物語にありがちなソロプレイヤーというのは、この世界では稀有どころか無謀な馬鹿という認識のようだ。
自分の得た能力は相当なものだと思うが、何匹もの魔物に取り囲まれて、まともな喧嘩の経験すらない俺が冷静に対処できるか? と問われたら、頷く勇気はないな。
……魔物のビジュアルと迫力で腰が抜ける気がする。
「でも、街の周りにいる魔物は弱いものばかりじゃ」
「馬鹿言うなよ。街なんて栄養のある餌のたまり場なんだぜ。そんな良質な餌場から人間が出てくるのを、待ち構えている強力な魔物もうろちょろしてやがるぞ」
ゲームだと初めの町や村の周りは弱い魔物しかいないのだが、異世界の現実はちっとも優しくないようだ。
「一人だと怪我した時どうするんだ?」
「回復薬や傷薬といったものがあるのでは」
「あるにはあるが、あんなもん気休めだぞ。傷口を水ですすいで包帯を巻く。それが破傷風を防ぐには一番確実だ」
ゲームみたいに飲んだら傷口が完治とはいかないのか。自分の書いていた異世界作品が、どれだけご都合主義だったのか痛感させられるな。
「なら、治癒の力がある人を冒険者の仲間に」
「おいおい、馬鹿言うなよ。治癒能力使える奴なんて、皆金持ちだ。診療所を開いてぼろ儲けしている連中が、危険な冒険者なんてやるわけねえだろ。怪我や病気を奇跡の力で治すだけで、金が転がり込んでくる。治癒の力がある奴なんて生まれついての勝ち組だ」
言われてみれば、その通りだけど、この異世界の現実って厳しいというか生々しいぞ。
冒険者となってパーティーを組むとしたら、ムキムキマッチョの厳ついおっさんばかりになるのか……いや、まだ諦めるな! 回復職が無理なら魔法使いだ。質問する前から答えが見えている気がするが、きっと気のせいだ!
「じゃあ、魔法使いというのは」
「冗談じゃなくて、本気で言っているみてえだな。にいちゃん、世の中の常識はもう少し知っておくべきだぜ。あのな、魔法ってのはガキの頃から優秀な師について学ばなければ身につかねえんだよ。術式とやらはかなり複雑らしくてな、高度な計算力が必要になるそうだぜ。金に糸目をつけずに、物心ついた頃から一心不乱に勉強をし続けて、才能ある一握りの人間が三十か四十になってようやく初級魔法が操れるそうだ。そんなエリートが冒険者って……魔法使いの殆どが国に所属して高い地位を得ているぞ」
つまり、あれか。東大よりも価値があり難易度の高い大学を卒業した三十代が、そこからフリーターするってことだよな、冒険者になるってことは。
探せばいるかもしれないが……稀有な存在だというのは理解できる。
お試しできているのだから冒険者をあきらめてもいい。でも、やはり小説を書く身としては冒険者に憧れがある。ここで引くわけにはいかない。
「それでも、俺は冒険者になりたいんです!」
強い意志をもって決断したように見えるよう、声を張って堂々と言い放つ。
俺の気迫に驚いたのか受付は目を見開き、こちらの顔をじろじろと見つめている。
「はぁ、そこまで言うなら好きにしろ。じゃあ、この書類に目を通して、必要事項を記入してくれ」
渡された紙には細かく注意事項と説明が記載されている。
どれだけ危険かがこと細かく書かれているのは、最後通告のつもりなのだろう。
「あの、この紙は?」
何も書かれていない紙を一枚渡されたので、受付に質問してみる。
「それは受取り先の名前と住所をまず書いてくれ。その後の空白は残された人へ伝えたいことや、所持品をどうするか記入しておけばいい」
「それって、つまり……」
「遺書だな」
ですよねー。
「冒険初日で死ぬ奴なんて腐るほどいるからな。実際、防壁の向こうで腐っている奴もわんさかいるぜ」
笑えないギャグをかましてくれる。
「で、どうするよ。冒険者やってみるか?」
「今日は宿屋でゆっくり考えることにします」
俺はそういって踵を返し、冒険者ギルドの外に出た。
うん、時間はまだあるみたいだけど、なんだか心が疲れた……もう帰ろう。
「天聖子さん、帰してもらえますか」
そう呟くと、俺は再び光に包まれた。
「どうだった!」
いつもの我が家のこたつに潜り込んでいた天聖子さんが、ニヤニヤと笑いながら呆然していた俺の顔を、下からのぞき込んでいる。
「異世界って、シビアですよね……」
「バレンタインのチョコ代わりにしては、ちょっと苦かったかしら?」
「カカオ100%よりもね……」




