書籍化取り消し問題について
「今一番ホットな話題はあれだと思うのですよ」
こたつの天板に顎を乗せて、まったりしている天聖子さんにそう切り出すと、目を限界まで見開いて凝視された。
「それって、もしかして……出版を匂わせて、改稿作業とかさせられた挙句、何十日も連絡がこなくなって進行状況訊いたら、書籍化無理って言われた人の話じゃないでしょうね……」
「説明ありがとうございます。それです」
「やめなって! 一応、曲がりなりにも書籍化している作家が出版社との問題に口を挟んだらとんでもないことになるわよ!」
天板に上半身を伸ばして、俺の服を掴むと激しく前後に揺さぶってくる。
これは本気で焦って心配してくれているのか。
「何を仰っているのですか、これは架空の物語ですよ? 何も怯えることはありません」
「そ、そういう設定だったわね。でも今更、信じてくれる読者いるのかしら」
「はっはっは、あくまで『なうろう』という小説サイトや架空の作家のお話ですよ? ほら、精神を安定させる為に、大きく深呼吸をしてから魔法の言葉を一緒に唱えましょう」
天聖子さんの肩を叩き、一緒に深呼吸をしてから同時に魔法の言葉を口に出す。
「「この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです」」
よっし、これで今回も何を言っても問題にならない。安心安心。
「ま、まだ不安は残るけど、幾らなんでも自分自身に関わる危ない発言はしないわよね」
「もちろんですよ。あ、これは友人の友人から聞いた話なのですが、とある作家……仮にヌーンベアーさんとしておきましょうか。その人は書籍化に関わる編集さんに恵まれて、不満の一つもないそうですよ」
「そ、そうなんだ。そのヌーンベアーさんが何者かは知らないけど、それは幸運だったわね」
ええ、直接会ったことはないのですが、彼は今の担当編集に恨みも文句も不満もないそうです。ええ、これっぽっちもないそうです。
「それで、今回の一件なのですが、やはり書き手としては作者に肩入れしてしまいます。出版側としては早く火消しをしたくて焦り、対応を間違えたのも大きかったですね」
「でも、こういうことって出版業界では良くある話だって聞いたけど」
「まあ、私もとある方から聞いたことはありますよ。書籍化を匂わせて色々口出しをして新作を書かしたけど、ポイントが伸びなかったからあっさり切り捨てられた作者さんとかね」
「あー、そういうのうちの同僚もあったわ。一応神見習いだから天罰くらわしといたそうだけど」
最近、営業不振な出版社とか売り上げ伸びないところはもしかして……いや、ないよな、さすがに……。ま、まあ、フィクションですし。
「今回のことは出版業界の常識と普通に働いた経験がある人との認識が違ったこと。『なうろう』作家というのが特殊な存在だということに気づかなかった、というのが大きいのではないでしょうか」
「それって、出版業界の常識と一般の人の常識が違うってこと?」
「そうですね、一般の人というより『なうろう』作家が特殊とも言えます。今回の一件で現役のベテラン作家も、同じような経験を何度もしてきたことがあると仰っていました。ということは、他の作家も経験してきたのでしょう。小説家の業界としては特に珍しくないこと……なのかもしれません」
「小説に限らなくても、漫画家さんも原稿を持ち込んでは何度も没をくらって、結局デビューできない人って多いらしいし。やっぱり、出版業界としては常識なのかな」
「そういうネタは漫画家さんも単行本の巻末や、エッセイ風の作品で触れていることがあるので、実際にある話なのでしょう。ただね、今回の一件はそれとは違うのですよ。そういうのは自分で考えた作品や企画を自主的に持ち込んでいるわけじゃないですか」
「ああ、うん、そうよね」
「でも、今回のは出版社側から書籍化しませんか? と持ち掛けているわけです。で、何度も改稿作業もさせて、莫大な時間を浪費させて、尚且つ自分から連絡も入れずに「無理でした」じゃ、そりゃ腹も立つでしょう」
「あー、そうよね。うんうん」
「それに加えて、専業で小説に生活の全てを懸けている人と、他にちゃんとした仕事があり、趣味で書いている小説の人気が出て書籍化の声がかかった人とでは、出版社や書籍化に対する思い入れが違うのです」
「ん? どういうこと?」
ピンとこなかったようで、額に指を当てて小首を傾げている。
「これはどんな仕事でもそうですが、不満があったとしても限界ギリギリまで堪える人っていますよね。かなり理不尽な要求や罵倒を受けても我慢して、ストレスをためて」
「うんうん。特に日本人に多いわよね。上司から無理難題や八つ当たりされても反論せずに我慢する人」
「ええ。生活が懸かっていますから、今後のことを考えて耐えてしまうのですよ。だから、専業で小説を書いている方は同じような目に遭っても、ぐっと堪えるわけです。出版業界への不平不満も公の場で口にしたりもしません。ブラック企業に勤めていた当時の私もそうでしたね……」
ああ、懐かしきあの日々。残業手当はなく、週休二日制なのに土曜日を休んだ記憶が殆どなく、日曜出勤も当たり前。残業時間は月100時間を軽く超えてたなぁ。
「ど、どうしたの、遠い目をして!?」
「いえ、少し過去に想いを馳せていただけです。話を戻しますね。だから、今回の一件も出版業界では、それ程珍しいことではなかったのでしょう。あくまでも憶測ですからね。作家になって半年足らずの奴が戯言を口にしているだけですから」
「なんか……いつもよりフォローに必死さが見えるんだけど」
「気のせいです。で、『なうろう』で書いている方は最終的には小説家になりたいけど、本業があるという人が結構いらっしゃるのではないでしょうか。そういう方は理不尽な要求に対して怒る心と立場の余裕があるのです。別に干されても趣味で書き続けるだけですから」
「つまり、本業小説家と同じように『なうろう』小説家を扱うと、反撃を喰らうと」
「全てがそうとは言いません。『なうろう』出身でも従順で大人しく出版社側が扱いやすい作者もいらっしゃるでしょう。噂ではヌーンベアーさんがそう――」
「それはどうでもいいから、話の続き」
くっ、大事なところを妨げられた。売り込み失敗かっ。
「ええとですね、なんでしたっけ……ああ、そうそう。つまり『なうろう』作家は、普通の作家さんと違って、言い方は悪いですが――逃げ道が存在している人もいるのです。まあ、あとは昔と違って、そういった不平不満を人々に向かって発信する場があることも大きいです」
「ネット……ツイッターとかよね。そっかー、それが無い時代は友達や知り合いに愚痴を零すぐらいしか、できなかったんだ」
良くも悪くもネットは世界の仕組みを現在進行形で変えている。
今回の一件もネットが普及していなければ、投稿サイトがそもそも存在していなかったし、このような暴露もあり得なかった。
ネットで儲けてネットで痛い目に遭う。それが世の中の理なのかもしれないな。あ、今ちょっとカッコいいこと言った。メモっておいて、別の小説で活かそう。
「つまり、今まで多くの小説家が我慢してきたことも、『なうろう』出身には通用しないことがあるってことね」
「そう言うと『なうろう』作家には我慢を知らない人がいると思うかもしれませんが、そうではありません。この一件に関しての世論の反応を見て、どちらが正しかったのかは一目瞭然でしょう。おかしなことや間違っていることに対して堂々と異を唱えられるというのは、中々できないことなのですよ」
「黙って我慢している方が楽だったりすることもあるもんね」
自分が同じ立場だったら黙っていたと思う。元々事なかれ主義者だからな。
仄めかす程度の愚痴は零していたかもしれないが、小説家になりたいという強い想いが勝って、不平不満があっても我慢していただろう。
だから、それだけに今回の一件を明らかにした作者はとても勇気があると思う。出版業界としてはアウトだとしても。
「なんか、すっとしないよね」
「このタイミングで、この方に声を掛ける出版社がいたら、会社の評価が一気に上がりそうな気はします。うがった物の見方をすれば……宣伝効果抜群ですよ」
「あー、それは言えるかも」
「そして、そんな危険なネタに突っ込んでいったこの作品を拾い上げても、評価がうなぎ登り間違いなしです!」
「いや、こっちのはただの便乗商法でしょう。それにこれって架空の話だから、なんにも関係ないしぃー。この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。なんでしょ?」
「……ソウデスネ」




