リアリティーのある異世界
「ちょっと聞いてよ!」
今日はずっと家に居て来客もなかったというのに、何故かトイレから出てきた天聖子さんが怒っている。
いつの間にトイレに入ったんだろうか。
最近、めっきり寒くなってきたので、今日はじっくり煮込んだおでんを大量に仕込んでいたのだが、この調子だと全て売り切れそうだ。
「あ、運よく晩御飯の時間だったのね! 玉子とこんにゃくとちくわね!」
押し入れから買った覚えのない可愛らしいデザインの座布団を引っ張りだし、その上で胡坐をかいている。
もう、いつものことなので何も言うまい。
食卓に土鍋ごとおでんを運び、取り皿と箸も用意する。このセットも天聖子さん専用の物で、知らぬ間に食器棚に収納されていた。
「でね、ちょっと聞いてよ!」
「はいはい、なんですか。からしいります?」
「もちの、ろんよ!」
機嫌が悪いときは取りあえず、何かを食べさせるとおさまるので、食事をしながら話を聞くことにしよう。
「最近、なうろう出身作家のアニメが放映されるようになったでしょ、その影響で異世界転生系の小説にいちゃもんつける輩が増えてきたのよ」
「あー、確かに。最近、ネットのまとめサイトとかでもよく見かけるようになりましたよ」
有名になると叩かれることも増える。それは仕方のないことだと思う。
自分の作品も叩かれることが多いので、憤る気持ちは理解できる。
「でね、主人公の動向や考え方をバカにされるのは、百歩譲って我慢できるのよ。何が腹立つのかって……異世界にオリジナリティーがない、って意見よ!」
あー、それは頻繁に目にする意見だな。何でどいつもこいつも中世ヨーロッパで現地人が主人公より頭が悪い設定ばっかりだって。
「中世ヨーロッパっぽくてー、オークとかオーガとかエルフとかー、何で異世界なのに地球で広まっているファンタジーの生物がいるんですかー、とか嫌味言うのよ! 異世界に送る側としては、わざわざ生態系の似ている星を選んで、都合のいい感じに生物を配置して、細かいチェックをしてから送っているのよ!」
そんな地道な努力を影でしていたのか。異世界に送る仕事をしている女神様たちを見る目が少し変わったよ。
「でもまあ、そう言いたい人の気持ちもわかりますよ。同じような世界に同じような展開に飽き飽きしているのですよ」
「ふんっ、そこで、私は考えたのよ。じゃあ、そういった人たちの望むオリジナル異世界転移を体験させてあげようと! あっ、玉子美味しい」
怒りながら食べるという器用なことをしている。
「でも、体験させるってどうやって?」
「ネットでそういった作品を罵倒している方々に集まってもらいました」
俺の質問に嬉しそうに笑う天聖子さんは、箸を持っていない左腕を横に振るうと家のテレビに電源が入った。
画面には上空からの見下ろし映像が映っていて、何もない白い部屋に十人ほどの男女が集められている。全員が挙動不審で怯えながら辺りを見回していた。
勝手なイメージだとそういった書き込みをする人は、不潔で陰険な感じな人かと思っていたのだが普通の外見をしている。まあ、そういうイメージだって勝手な思い込みと偏見の産物なんだよな。
ネットなんて最近は普通のたしなみだから、書きこんでいる人も特に変な人というわけじゃない。
ちなみにこれはフィクションなので、作者がそう思っている訳でもなく実際にそういう人がいるわけでもないのだが。
このような作品を読んでくださる心が豊かで穏やかな人格者である読者なら、言うまでもなくわかってくれているとは思うが。
「言い訳どころか、読者に媚び始めてない……」
天聖子さんの呟きを無視して、素朴な疑問を口にするか。
「えっ、なんですかこれ」
「あれは、異世界に送る人に説明とかするときの、お決まりの場所よ。ノーマル状態だと真っ白で何にもない空間だけど、真っ暗バージョン、森林、裁判所風とか内装は自由に変更できるわ。今は描写が面倒だから真っ白にしているけど」
それは、お気遣いありがとうございます。という作者の声が聞こえてきそうだ。
「で、あそこにいる人は、その批判していた人たちですか」
「ええそうよ。問答無用であの部屋に転移させたの。じゃあ、ちょっとお仕事してきます!」
目の前から天聖子さんの姿が掻き消えると、テレビ画面の端の方からおでんの入ったお椀を持ったままの天聖子さんが現れる。
そして、うろたえている人々に箸を向けた。
「貴方たちは生前、異世界転移、転生の物語はオリジナリティーが全くないと仰っていました。ありきたりな異世界じゃない作品を見たいと望んでいらっしゃったので、本当にランダムで星に飛ばすとどうなるか、ご覧ください」
カメラアングルが変わって天聖子さんの顔がアップになったが、満面の笑みを浮かべている。だというのに、背後からゴゴゴゴと擬音が流れだしそうなぐらい迫力がある。
本当にストレスが溜まっていたようだ。秘蔵のプリンを食後に提供しようか。
「とはいえ、貴方たちを飛ばすのは人道的にどうかと思いますので、身代わり君を使います。皆さんにはリアリティーを楽しんでもらう為に、VRヘッドセットをしてもらいます」
身代わり君と呼ばれたのは、中肉中背のこれといって特徴のない男性だった。服装は革靴にスーツだ。
連れてこられた人たちはいつの間にかVRヘッドセットを付けさせられている。あれって、最新の頭に装着して360度自在に見える奴か。いいなー、人気があり過ぎて買えなかったから、一個売ってもらいたい。
そんなことを考えていると、テレビの映像が変わり画面が真っ赤に染まる。どうやら地表が全て溶岩で覆われている星のようだ。そこに転移させられた身代わり君が現れると、溶岩に落ちて燃え尽きた。
いや、まあ、そうなるわな。
「直ぐに終わってしまったので、今度は別の異世界に飛んでもらいます」
天聖子さんの声が弾んでいる。
その映像をあの装置で見せられた人々が悲鳴を上げて、VRヘッドセットを外そうと足掻いているが、無理みたいだな。
「あ、それは、私が許可しないと外せませんのでー、じゃあ、次行くよー」
水だけの惑星に転移して落ちて、溺れた。
今度は枯れた砂の惑星のようだが、空気が薄いのか身代わり君が喉を押さえて倒れた。
次は氷の惑星のようで凍死した。
まあ、本気でリアリティーを求めたら異世界転移ってこうなるよな。
「さすがに、生きることすらできない環境は酷すぎませんか」
思わずテレビ画面に向かって声を掛けてしまった。
天聖子さんの顔にズームアップすると、大きく一度頷いている。
「それもそうね。じゃあ、人の住める大気の世界にします」
その言葉に連れてこられた人々もホッとしている。映像だけとはいえ、死に続ける光景ばかりでは気が滅入るからね。
次の映像は大草原だった。草も今まで見たことのない形状をしている。葉の形が真四角で植物かどうかも怪しい。
「ご覧ください、向こうから現れたのはこの世界での一般市民です」
解説している天聖子さんの声から楽しんでいることが伝わってくる。
その一般市民が画面に映されたのだが……何だあれ。
一見、タコのように見える大きな頭はひび割れていて、時折、パカパカと開いたり閉じたりを繰り返している。そこから細長く紫色の舌みたいなのが伸びている。
目らしき器官があるのだが、青く丸い眼球だと思うそれは半分以上外へせり出している。数は六つだな。
体はその意味不明な頭から伸びたタコの脚が束ねられたような姿で、わかりやすく表現するなら地上を歩くタコの化け物だ。
「はい、あれがこの世界の住民です。ちなみに人間に似た姿の生物は一体も存在しません」
その一般市民がくねくね体を揺らしながら、こっちに迫ってきている。
俺はそっとテレビの電源を落とした。
「さてと、おでん食べよう」
大根に味が染みていて格別の旨さだ。からしをたっぷりつけて、ふうふうしながら頬張る。うん、最高だな。
しかし、あれはリアリティーとは違うような。
確かに異世界というか別の星という認識で考えるなら、まず人が住める環境なんて極僅かだろう。そんな異世界に転移したら即死は確実。
なら住める環境に送られたとしても、住んでいる人が地球人と似ている保証なんてない。むしろ、全く違う化け物じみた外見をしている方が納得できる。
そこも妥協して、地球人と似ている生物がいたとしても今度は言葉が通じない。でも、この言葉が通じない設定だけは、小説に適用する人が多かったりする。海外に行ったような感覚で想像しやすいしな。
まあそれも、何故か翻訳機能が初めからついているパターンが大半だが……はい、俺もその設定が多いです。
結局、一から世界観を創り上げて、人々も魔物もオリジナルの生物にした場合、漫画なら映像で理解させられるが、小説になると描写がどうしてもくどくなる。
道具や生き物が現れる度に説明がずっと入り続ける小説を誰が読んでくれるのか。主人公以外、登場人物が全てグロテスクな生物。そして意思の疎通もできない……人気でないだろうな。
うーん、善良な市民も含めて異世界の生物を見た目で化け物と判断して、チート能力で虐殺する作品はワンチャンあるかっ! いや、ないな、うん。
ただ、結局異世界なのに設定が同じようなものばかりだと批判する時に、日本を舞台にした作品のように世界観が既に出来上がっているものと同列に比べるのはどうかと思う。
ああいった作品は近未来設定や組織や能力設定を凝るぐらいしかできないし、そういったものも既に使い果たされていて何処かで見たことある設定だらけになっている。
もちろん、斬新なアイデアや心に響く言葉、魅力的なキャラで最高の作品を創り上げている作者の方々も大勢いらっしゃる。よっし、フォローしたから大丈夫だ。
異世界なんて、学園、スポーツ、近未来と同じくただのジャンルだというのに。
「たっだいまー」
ご機嫌な天聖子さんが対面に座っている。
おでんの具材をお椀に移して、勢いよく頬張っている姿は幸せそうだ。
「ご機嫌ですね」
「うん、異世界の設定がどんなに大切かわかってくれたからね!」
無理やり連れてこられた方々には心の中で手を合わせておこう。
「でも、今回の話は苦情が寄せられそうですよね」
「大丈夫、大丈夫、これ最後夢オチだから」
「えっ? 今、なんと?」
「だーかーらー、夢だからこれ。目が覚めたら、さっきのは夢ってオチ。だから言いたい放題で、酷い展開でも夢だから許されるの。夢だから本心じゃないし」
いやいやいや。その終わり方は一番やったらダメなパターンでしょ。
物語の締めとして許されない終わり方、ベスト3に入ってるよ!
「夢だから、おでんの玉子を一人で全部食べたことも許されるわよね」
そう言われて鍋に視線を落とすと、綺麗に玉子が消え失せていた。
俺が最後にとっておいた一番大好きな玉子……。
「許せるかあああああっ!」
はっ、えっ、これは布団。あ、本当にさっきのは夢だったのか。
はぁ、じゃあ作ったばかりのおでんを火にかけて、もっと煮込ませておこう。
台所に向かい土鍋の蓋を開けると、そこには――。




