修正不能
「ねぇ、ちょっと、馬鹿、かばんの中身、勝手に漁んないでよぅ」
そう言って自分のカバンを力任せに取り返す美貴には色気もへったくれもなくて、あるのはキツイ香水の匂いだけだった。香水なんてもんは体に塗るもんじゃないんだよと教えてあげたいけれど、そういうことって、言ったら世間じゃぁまずいので心身の奥深くにひっそりとしまっておく。私の右手が探すのはリプトンのレモンティー、もちろんパックのやつ。
素早く取り返されてしまってなんだか興ざめだ、あぁ、今日も、とってもツッマンネぇぇぇ、ツマンネぇぇぇと反芻する。一人でそんなことしても机の下には魅力的な出来事が転がっているわけじゃいないことは百も承知。実際に転がっているのは、丸まった使用済みティッシュペーパーとスナック菓子の残骸、そして私が脱ぎ散らかしたサンダルだけである。椅子の上に素足で、足を抱えて座るのはハシタナイワヨとか、注意するほどお嬢な方なんて知り合いの中にはイラッシャラナイノデ、悠々自適なキャンパスライフを現在私は過ごしているというわけなんです。
「どうせ漁られたってなんにも面白い物入ってないでしょう?」
「そ、それはそうなんだけど、友里恵は遠慮っていうものがなさすぎデス!」
「そんなもの、仲良くなった時に棄てマシタ」
私たちふたりは「くっくっく」と苦笑気味に笑う。
めくるめくシュールレアリズムの世界。和製英語万歳!
絵を描いている時って本当に素晴らしい。なぜって、人と話さなくて済むから。初め真っ白の四角に向かって延々と鉛筆や絵筆を持ち替える動作をしている時って、脳味噌がドロッて溶けだして、直接それが地の白に色を付けているみたい。赤、黒、青、あぁ、幸せ。目の前に出来上がって完璧になりつつある絵画もどきは私の心? をすくすくと癒してくれる。あっ、毛先から抜ける絵の具が少しゆるい。右の手のひらが黒煙でまみれていることにふと気づいた。
バイトは過去に二ヶ月だけやって辞めた。それ以後働くということをしたことがない。理由は一般的な人間と話さなきゃならなかったから。店長さんはとってもいい人だったけど、先輩の中に一人だけネチネチした人がいて、運悪く眼をつけられて、ある意味双方の見解の一致で辞めた。とまぁ、たしかそんな感じだった気がする。はっきりわかったのは、社会的に、生きていくのには不向きだということだ。それがわかっただけで有意義な二か月だったではないか。
「てか、友里恵ぇ、就職どうすんの」
「あー、どっかで絵を描いて食っていけたら幸せだなって思うのよ、美貴は? 私と同じでラクガキ家志望?」
「わたしは……彼氏と永久就職を目指す!」
「…………」
この手の話は食いつかないで早々に切り上げるが勝ち。ちょっとだけ蓄積したイライラをシャープペンの細い芯に向けたら耐え切れずにぱっきり折れた。そりゃそうだ。ノートの端に不細工な美貴の図Aを描こうとすると、折れたばかりの芯の先がままならない。がりがりとうまく紙と接地してない。結局ますます不細工な美貴の図Aができた。
「友里恵、ひどぉ~い、これわたしでしょ。ブサイク過ぎ!」
だって不細工に書いたんだもの。
ワンルームの自室にて。パソコンに向かってホームページを更新し続ける自分。このページがお仕事に結びついたことは二回。どっちもイラスト依頼だった。通ってる大学の名前で取れた仕事のようなもんだけど、世の中って適当にできてるんだなぁって思って安心した。こんなに不都合だらけの私なんかでも需要があったりするのネ。でもこんな規模が小さいうちは独立なんてできねぇヨナァ、と考えつつ、地道にサイト運営に精をだしています。
世界中にどれだけ、こんなことしながら生きている人がいるのだろうと考えると、とたんにやる気がなくなる。だからなるべく考えないようにしながら、だらだらと続けるのです。
モニターと睨めっこしながら、くりっく、たいぷ、くりっく、たいぷを繰り返していると手元のケータイの時計機能は早くも零時過ぎだった。明日は一限からか、面倒だけどしょうがない、今日はもう、寝よう。下らないことをやっている時ほど時間がたつのは早い。部屋の電気を落として、もぞもぞとベッドにもぐりこんだ。
お昼ご飯は学食で、人目を気にせず焼肉定食をモリモリ食べた。お茶が温かくもなく冷たくもなく、ぬるい。私が味噌汁を「ずずずずっ」と啜っていたとき、美貴の携帯電話がテーブルの上でガタガタ震えた。
「ごめ~ん、彼氏だぁ、ちょっと待っててぇ~……あ、もしもしぃ?」
肉の最後の一切れを頬張る。一人で堪能する最後の肉は美味い。
お肉を飲み込んで、こころのなかで御馳走様したあと、手にケータイをひっつかんで、顔が歪んで蒼白気味の美貴が走ってくる。不細工な美貴の図Bは近寄るなり言った。
「友里恵! 今、いま、別れた! 電話で!」
「はぁ!? 永久就職できないじゃん」
「うん、もう、私、どうしたらいいか、わかんないヨォォ」
「よぉし美貴、こんな日はパーっと酒でも飲もう」
「最悪、今日あんまりお金ないかも~」
「わかった、今度キッチリ返してネ」
なんだかとてもテンションが上がってしまった私はきっと、性格が悪いのだろうけど、今夜、私達は語らうだろう。これからも切れ目なく続く日常が、美貴のカバンの中身と同じじゃないことを願いつつ。