童の日常
ここがどこかと問われればとある田舎の、またさらなる片田舎と答えるだろう。
周囲は田畑と古めかしい家。ほとんどが木造で、ビルなどあるはずもない。さすがにアスファルトでできた道路こそあるものの、それを利用するのは専ら農耕機と軽トラックぐらいという有様。今時こんなところがと思われるかもしれないが、意外にこういう土地は残っているものである。
その田舎道を歩く一人の少女、鼻歌を歌いながら歩いていた。道路の真ん中を歩く姿は都会の人間からすれば暢気に思えるだろうが、それは地域の特異性であるといえる。舗装の改修もされない道は当然車の姿はなく、ほぼ間違いなく農道だ。これくらい事故に遭うどころか、車がすれ違うような場所ではない。
「よかったっ今日は良いお野菜たくさん買えた♪
家主様喜んでくれるかな?」
そんな平和な一日。
毎日二人が三食食べれるのに必要なだけの食材を、少女は毎日麓まで降りて購入する。スキップまでしているところを見ると相当に嬉しいようだ。
今歩いているのは緑の畦道。毎日通る道とはいえ飽きることはないという。平凡な毎日も季節毎で顔を変え、彼女はそれが楽しいものと感じている。平凡こそが幸せなことを知っているのだろうか。ただ今日は珍しく彼女に声を掛ける者が居た。
「ひさしぶりじゃな、わらし」
「?」
ただし、頭上から。
「こっちじゃ、上を見い」
「! きつねさん、おひさしぶりです〜」
少し胸元が開いた着物、金色の髪の毛。まぁここまでなら普通の女性だったろう。国籍は日本ではないかもしれないが、今更そんなことを気にするような少女──わらしではなかった。
頭上から声をかける女性。よく見ると金髪に混じり頭に白毛の固まりがあり、それにあわせて金毛も浮いていた。そして纏っているのは紅の着物。見た目は人だが、彼女は人間ではなかった。その最大の要因は……彼女の後ろにはやたらふさふさした金毛が見える。
「きつねさん、やっと服着るようになったんですね♪」
そしてわらしも人外が相手だと言うのに全く物怖じしていなかった。
「ん、わらしの勧めもあったから合いそうなモノを選んでみただけじゃ。洋服というのは好かん。何故にあんなに窮屈なのじゃ」
わらしはあはは、と笑ってごまかすしかない。彼女とて人の世界を熟知しているわけではないのだから。 だから、知ってる範囲で、すこしだけ忠告をする。
「でもそんな格好で人前に出ないでくださいね」
「何故じゃ?」
少なくともきつね本人よりは長く人間に接しているあろうわらしに、軽くきつねは聞き返す。ほんとうに、軽く。
「……襲われますよ?」
「もう遅い」
「?!」
目をぱちくりと、びっくりしたふうなわらし。見た目は14、5の少女なのに、さらに第一印象を低く見られるのはこの初々しさ故なのだろう。
「ちょ、きつねさん?!」
「あー、いや、この格好で山を歩いておったらな。
天狗どもが発情してかかってきおったわ」
何をそんなに気楽な。簡単に言うよこのきつね。
「気をつけてくださいよ? きつねさん、そうやってると魅力的なんですから」
「ああ、わかっておるよ」
それに、天狗どもは全て蹴散らしておいたからな、と心の中で付け足しておく。
†
妖。
古来より言い伝えられる不可思議。不可思議とは人々の念が寄り集り発生するものが多い。その不可思議の一部である妖。妖が生まれるための念は様々で、自然に対する畏怖敬愛から個人に対する色情憎悪まで存在する。種類は問わず、その思いの強さだけが問われる。
そして、念の集まりがやがて実体化し、人間にとって不可思議な力を持つようになったのが妖と呼ばれるモノ。
彼女たちもまた妖のひとつである。
「しかしお主も変わった妖よのぅ」
「なにがですかぁ?」
「人と積極的に交わろうとしておる。妾とて永劫とも呼べる時を過ごしたが、いつの時代も物珍しい目で見られるのが常じゃった」
そう、妖は人と接しないのが暗黙の了解である。その根底には人は妖を受け入れられないことがあるからだ。
人間は等しく感情を抱く。但し善の感より負の感が残ってしまうのは仕方のないことなのだろうか。そうやって集まった負の感が実際に害悪の妖を多く生み出した。もちろん害悪の妖ばかりでなく善の妖も生み出しているのだが、人の目には先に述べたとおり負の感ばかりが記憶に残ってしまう。記憶に残るのは表に見える害悪の妖がほとんどのため、妖が悪さをすると信じられてしまった。
実際はわらしのような善の妖に、きつねのような自然の妖と、中立や善に傾く妖も少なくはない。
だが一部の代表のおかげで彼らの住処は少しずつ、だが確実に削られてしまった。
妖が住まう自然の結界を人、古来は陰陽師という人が作り出す霊的結界が奪ってきたという歴史があった。強引に頑なに作る人の結界が、自然に発生する結界を削り壊すことなど簡単な事なのだ。だからこそ妖は人の目に見えぬように力を使い、己の姿を隠し続けてきた。
これら浮遊、隠遁、そして結界などの力も不可思議な力の一部であり、力を持つ妖だからこそ人の姿を借り人の前に出てくることもまたある。人の前に姿を現すのは基本的に人型だが、その方法は多様だ。常に人型をとる妖もいれば人化の法を使う妖も少なからず存在する。
「へへっ、家主様のおかげですよぅ」
このわらしも基本が人型という珍しい妖である。実は彼女のおかげで近隣の村が廃村にならずに済んでいるという話もあるが、それはまた別の話だろう。
ともあれこのわらし。意外に村の人気者だったりする。たまに現れるきつねもやはり|(別の方向で)人気者なのだがそれもまた別の話だろう。
「家主殿は元気かえ?」
「ええ、相変わらず"こんぴうたあ"とかいうものから離れませんけど。
それも仕事なんですって」
人の社会が変わり、妖を知らぬモノが増えた。同様に、妖の社会も変わり、人を過敏に恐れることも少なくなってきた。
この村でもわらしが妖であることを知っている年寄り連中が少数ではあるが存在する。その長老たちをもってしても彼女らは敵対するような相手ではなかったし、幼い子ども達にしてみればわらしですら友だちなのだ。
そう言う意味では妖にとって良き時代が訪れたとも言えるのかもしれない。人と接することを好む、比較的新しい妖ならば。
「あやつも変わったヤツよのう。我らの時代ではあんなのが仕事とは呼べぬぞ」
「人も私たちも、良くも悪くも変わっているんですよ。きっと」
わらしの言うことももっともだろう。
†
さてこんなわらしの家主であるハクヤ。
プログラマを生業とし、一日のほとんどをコンピュータの前ですごすという不健康きわまりない生活を過ごしている。運動などあろうはずもない。にもかかわらず適度に筋肉が付き、肥満を全く感じさせないのは偏にわらしの食生活面での活躍とこの生活環境にあった。
こんな田舎でも電話ぐらいは通っている。そして彼は仕事をインターネットを通して受注していた。そうやって仕事を受ける傍ら、必要な物資は自身で用意しなければならない。必要であれば片道数時間の走行距離があろうと厭わずに出向くしかないのだ。最近でこそオンラインショッピングという手法も増えたが、それでは時間がかかりすぎることが多かった。
一度だけわらしに仕事関連の物資の補充を頼んだこともある。しかしそれは一度きりで終了した。つまり、悪い方向に思いっきり失敗してくれたのだ。客先に提出するメディアの購入を頼んだのだが、購入から帰宅までに時間がかかりすぎ、わらしが帰ってきた頃には締め切りは過ぎていたという事件があり、さらに必要なメディアを間違えたという、少し大変な目に遭ったのだ|(ちなみにわらしは数日がかりで依頼をこなし、ハクヤは作成できた品をメールで送付することでなんとか難を逃れている)。
そんな事件があって以来、ハクヤは仕事関連は必ず自身で行うことにしている。
「ん~、今日はこんなもんかねぇ……」
ハクヤの部屋がある2階から1階の居間に降り、一握の休息を手にしたところだ。作り置きしてあった麦茶を冷蔵庫から取り出したところでわらしの声がした。
「家主さまー、今戻りましたー」
「おーおつかれさん」
そんないつものやりとり。たまにハクヤの部屋から声が出ることもあるがそれもまた日常だろう。
唯一日常とは違うのはわらしの隣にいる彼女だ。
「ひさしぶりじゃの、家主殿」
「お、きつねか。めずらしいな」
ハクヤやわらしからすればきつねは珍しい賓客だ。今頃わらしの頭の中は夕食の献立でも組み立ててるところだろう。
実際、今日の夕餉はいつもよりも少し豪華だった。
†
「しかし人間も変わったものよのう」
夕餉の後のお茶会できつねが言う。どうやらこのまま泊まることに決めたらしい。
「オレが変人だとでも」
「ちがうとでも抜かすか。変人」
「なんか直球だとむかつくな」
子どものじゃれ合いとも言う。わらしも加わると大変になることを二人とも理解しているのでほどほどに切り上げることにした。
「しかし、ココも変わったの」
「なんのことだ?」
「結界が優しく成っておる」
「それだけじゃ分からんって。フツーの人間にゃ見えんよ」
ハクヤの言うことももっともだろう。
「元来家屋に生まれる結界は住居人に影響されることが多いのじゃ。無論風水や陰陽術といった人為的な力は除くぞ? お主らが結界術を使えるとも思わんし誰ぞが掛けたものでは無いことぐらいはわかる。
つまり家主殿やわらしがいるからこそこの結界が生まれたとも言えるな」
結界は家の向き、作り、間取りなどにも影響されるのは確かであり、人はそれを風水や陰陽術といった形で利用してきた。だがそれ以上に住人という要素が結界には大きく関わっていた。人が住まない家屋が簡単に無くなったり、他人の家に入りにくいと感じる心はこの結界が原因だという。
「それなら親とわらしに感謝だな。一人と一人でやっていけるのもこの家があるからなんだし」
からからとハクヤは笑う。
そうやってハクヤときつね杯を交わしている間、わらしも当然杯を傾けている。
にこにこと微笑みながら杯を傾ける少女の姿。事情を知らない者が見れば未成年飲酒とでも取られかねないが、これで齢数百を超えているのだから。
いつもと同じ、それでいていつもと違う日常は、こうやって過ぎ去っていった。