冥府の王と一輪の花
初投稿です。よろしくお願いします。
本当はもっと大きな物語の一部なのですが、短編として上げました。
基本的に自己満足用ですので、読まれる方はそのつもりで。
とある妖精、ミンスは、ハーデスに恋をしていた。しかしハーデスには妃ペルセポネーがいたため、想いを伝えることができなかった。また、ハーデスも、ミンスの想いに薄々気づきながらも、どうすることもできない優柔不断な自分を疎ましく思っていた。
ある日、ハーデスは、ミンスを食事に招待する。
ミンスはこの機会に、思い切って告白するつもりでいた。当時オリュンポス神族は一夫多妻が当たり前だったし、愛妻家で有名なハーデスでももしかしたらと思っていた。
対するハーデスの側は、この機会にミンスの気持ちを確かめて、もしもの時はどうにか断ろうとしていた。愛妻家であることもあるし、妃の怒りに触れたら彼女がどうなるかわかったものではない。
しかし、秘密裏に計画されていたこの食事会が、ペルセポネーに露見してしまう。そして、ミンスはハーデスに想いを伝えることなく、雑草にされてしまった。
ハーデスは彼女を哀れに思った。また、自分が迂闊に食事に招待したせいだという自責の念も感じた。なので、彼は雑草を爽やかな香りを放つ可憐な花に変えてやり、妃に隠れて、冥府の宮殿でこっそり世話をすることにした。
時は流れ、地上にて、後に神々の黄昏と呼ばれる終末戦争が起こり、その結果、地上は滅び、冥府は邪悪な死者で溢れかえってしまう。
事を重く見た冥府の神々は、冥府をタルタロスの底に落とし、永久に封印してしまうことを採択する。
そして、冥府がタルタロスへ落ちた後に死者を受け入れる場所、冥界を冥府の上に作り、そこを管理するに相応しい人間の死者を選んだ。
彼らは彼女に肉体を与え、新たな冥王とした。ハーデスは彼女に、地上が再び生ある場所になったとき、『花』を地上に植えてやるように頼んで、『花』を託した。そして冥府と冥界は切り離され、冥府はタルタロスの底へと落ちていった。
『花』は、全てを覚えていた。
再び時が流れ、地上は再び人間の住む場所になった。ハーデスの言葉通りに、『花』は地上へ植えられた。
人間に愛され、その数をどんどん増やしていく『花』は、やがて力を得、再び妖精として人の形をとるに至った。
かつてのニンフのメンテーではなく、ミントの妖精、ミンス=エルヴェンに生まれ変わったのだ。
彼女は、ミントの葉の色の髪とミントの花の色の目を持ち、薄荷の結晶の羽を持つ、美しい少女の姿となった。
ミントの妖精として生まれ変わった彼女は、強大な力を得た。
ミントの数が彼女の力であり、ミントの群生地に瞬時に現れるようになった。
また、ミントの香りが持つ効能、つまり『相手を落ち着かせる』力を得た。
「ハーデス様にもらった命、粗末にするつもりはないけど。ハーデス様がいない世界で生きる意味なんて……」
やがて彼女は、頭に大きなリボンをつけて生活するようになる。そのリボンには、神話の時代彼女らが使っていた文字で『ハーデスの所有物』といった意味のことが書かれている。
そして彼女は、ハーデスを冥府から出す為の方法を探し始めた。
そして、研究の末にタルタロスへ入り、永い永い時をかけて、やっとのことで想いを告げたミンス。しかし、その想いが実ることはなかった。
ハーデスは彼女を振ると、彼女の頭のリボンをとり、彼女が彼の所有物であることを否定した。
こうして、ミンスの永い初恋は終わりを告げた。
「一億年と二千年前から――いいえ、もっと前。初めて会った時から、好きでした」
一目惚れ、だった。
森で遊んでいたとき、彼を見つけた。
彼は、地上に住む者たちに恐れられている、冥府の王だった。
豊穣神の娘ペルセポネーを冥府に攫い、そのせいで地上に植物が実らない冬ができたと聞いていた。
だが、彼女は知っていた。彼がオリュンポスきっての常識神であることを。一夫多妻が当たり前で、色々やらかしている他の神々とは違い、妻だけを愛し、その妻を幸せにするために日々努力していることも話に聞いていた。
また、彼がペルセポネーを攫ったのも、ゼウスたちの策略だったらしいという噂も聞いていた。
何より、彼女がハーデスを見つけたとき、彼は森の奥地で、草花や鳥、動物たちと戯れていたのだ。その姿を見て、恐れなど抱くはずもなかった。
彼女は思い切ってハーデスに話しかけ、友人になった。彼が地上で自然と戯れる時、共に戯れるのはもっぱら彼女だけだった。他の妖精たちは、冥王と戯れる妖精に呆れてもいたし、素直に凄いとも思った。
ハーデスは愛妻家だ。想いを告げたところで、実らないだろう。
それはわかっていた。でも、日に日に想いは強くなっていった。
『今夜、地上で夕食を食べないか?』
彼に誘われた時、思わず飛びついてしまった。
そして、その席で思い切って告白しよう、と思った。
だが、それはできなかった。
夕食の席に割り込んできたペルセポネーが、彼女を雑草にしてしまったのだ。
結果的にはよかったのかもしれないし、よくなかったのかもしれない。
彼女は、以降長い時をハーデスと共に過ごすことができるようになったし、想いを伝えるのに更に永い時を必要としてしまうことになる。
ハーデスは、醜い雑草だった彼女を、可憐な花に変えてくれた。そして、献身的に世話をしてくれた。
冥府が邪悪な死者で溢れた時も、彼女をこっそりと冥界へ託し、地上へ戻すように頼んでくれた。
彼女はそれを忘れていないし、だから地上へ戻ってから、ずっとずっと、ハーデスを助けるために準備をしてきた。
「ハーデス様、このタルタロスを完全に閉じる方法を見つけたんです。もうハーデス様が死者を押さえつける必要はない。地上へ出て、私と一緒に暮らしてください。昔みたいに……また、一緒に遊んでください。どうか、私を愛してください」
ひと思いに、告げた。
「――――――――――――」
沈黙。
すっかりやつれてしまったハーデスは、しかし、目を閉じている。
やがてハーデスは目を開くと、言った。
昔と変わらない、優しい声で。
「あの日、あの晩餐の席で、私は君の気持ちを確かめるつもりでいた。そして、もし私の思い違いでなければ、こう言うつもりだった。……私には妃がいる。だから君の気持ちに答えることはできない。……すまない」
スっ、と、闇が彼女を包み込んだような感覚。
足元に突然穴が開いたような、そんな感じ。
心の中が一気に消え、空洞になってしまったような。
それでも彼女は、健気に問う。
「あの時地上にいたペルセポネー様は亡くなってしまわれました。他の冥府の神々も既に亡くなってしまったのでしょう。タルタロスを閉ざす方法がなかった頃はハーデス様が死者を押さえつけていなければならなかった。でも、もう状況は変わったんです。ハーデス様が冥府にいる必要はもうないのです。地上へ出て、自然と戯れることだって……!」
「ああ、わかっているよ。君はよくやった。花の妖精の身で、よくもそこまで出来たものだ。でも、そういうことじゃないんだ」
子供のように叫ぶミンスを、ハーデスは優しい声でなだめる。
「これは私の贖罪なんだ。ゼウスたちに唆されたとは言え、妃を冥府へ攫ったのは私だ。彼女を母と引き裂き、地上に冬をもたらしたのは私だ。そんな私にできることは、一心に彼女を愛することだけだ。だから私は今までそうやってきたし、これからもそうして生きていくつもりだ。私は、彼女が――好きだったから。だから、君のことは、愛せない」
これが、ハーデスのただ一度の浮気、その真実。
彼は妖精に浮気したのではない。一途に、己の妻を愛し続けていたのだ。
「そんな………そんな……………ッ!」
頭を振り乱して叫ぶミンス。
「私が今までしてきたことは………! 私の想いが………無駄だったなんてッ!!」
「無駄じゃないさ」
ハーデスは椅子から立ち上がると、ミンスの前に跪いて、彼女の頭に手を乗せた。
そのまま、右に左に撫でる。
「君のおかげで私は救われた。まだこの世界に、私を愛してくれる人がいた。嬉しいよ。だから私は、これからも、ここで孤独に耐えていけるだろう」
「―――――――!」
それは、明確な、拒絶の言葉。
彼女を労いながらも、彼は、冥府を動かないと言う。
「このリボンも、もう、いらないな」
ハーデスは、ミンスの頭のリボンを解く。
『ハーデスの所有物』である事を示す、そのリボン。
「君は私のものになりたかったみたいだけど、それは無理だよ。君は私のものじゃない。君は君自身のものだ」
もう一度、頭を撫でる。
ミンスは、ただ目を固く瞑って、涙をこらえていた。
ハーデスは、彼女の頭を抱えると、そのボロボロの胸元へ抱く。
「もうここへ来てはいけないよ。君は地上で、自由に生きなさい」
「~~~~~~~~~ッ!!」
そして、彼女は、愛する人の胸で、涙した。
ミンスは泣き止むと、スッと立ち上がった。
「……これを」
地上から持ってきた花束を、ハーデスに差し出す。
「孤独に蝕まれた時は、私を思い出してください。私は、いつでもあなたを想っています」
「ああ。ありがとう」
「………もう、柘榴の実はないんですね」
「そうだね。なくてよかったと、今なら思うよ」
ハーデスがそう思うのも無理はない。
冥府には、冥府に属する者しか住めない決まりがある。
それは死者と、冥府を治める神と――冥府の柘榴を食べた者だけだ。
ミンスなら、迷いなく食べたであろう。
「……時間だ。帰りなさい」
「はい。…………ハーデス様」
「何?」
「来世では、あなたの妻になりたいです」
「そうだね。そして、来世ではもっと普通の身分で出会いたいものだ」
「さようなら。ハーデス様」
「ああ。さようなら」
読んでいただきありがとうございました。どうでしたか?感想などお聞かせくだされば幸いです。