後編-7
天井から突如落ちてきた一匹の蛇。ここは行き止まりだ。蛇に戻り道をふさがれた形である。毒を持ってるのかどうかはわからないが、例え無毒だったとしてもかまれれば怪我をするのは必至だ。
「ど・どうしましょう!?」
「大丈夫だよ。落ち着いて」
慌てだす夏姫さんを宥めつつ、リュックに入れた物を思い出す。ここで使える物といえば軍手と虫除けスプレーくらいだ。だが、夏姫さんと手を放すわけにはいかないから軍手で蛇をつかまえるなんてことはできない。それに虫除けスプレーが蛇に効くとは思えないし、むしろ刺激を与えてしまい、却って攻撃してくるような気がする。近くに棒の類は落ちてないかと探してみたが見つけられなかった。
ここはおとなしく蛇の横をすり抜けて戻るのが無難に思えた。幸い道幅も広いのだ。
「壁に沿って蛇を避けていこう」
「わ・わかりました」
しかし、突如僕と夏姫さんの頭の間を突っ切るように別の蛇が後ろから飛び出してきたのである。
「きゃああああっ!!!」
けたたましい悲鳴を上げる夏姫さん。彼女の声にかき消されたが僕も思わず悲鳴を上げていた。だが、手はしっかりとつないでいたので放すことはなかった。
「くそっ! なんだよここ!」
行き止まりの岩壁を振り返ると蛇がもう一匹、岩と岩の隙間に沿ってはりついていた。
「ここって蛇の住処なのか?」
「み・みたいですね。早く出た方がよさそうです」
唇を震わせながら夏姫さんが答える。だが目の前には二匹の蛇が行く手を妨げている。しかも、どちらも舌をちょろちょろ動かして蛇行しながら近づいてきてるのだ。背後の岩壁にも蛇がいる。完全に挟まれた状態だ。
「とにかく今言った方法でいこう」
夏姫さんの腕を引っ張ってぎりぎりまで右側の壁に張りついてみた。すると、徐々に接近してきていた蛇はどちらも動きを止めて、僕らの方に頭を向けた。刺激を与えないようにと、蛇の横を静かに通り抜けていく。二匹ともこちらを睨んではいるが、様子を見ているのか距離を縮めようとはしてこない。行き止まりの岩壁にはりついていた蛇も先程から変わらず同じ場所にいた。そして、二匹の蛇の横を抜けてなんとかやりすごせた、とほっとしたその時だ。
どさっと、またも上から僕らの前に降り立つように何かが落ちてきた。また別の蛇だ。これで四匹目である。
「きゃーっ!!!」
「早く出よう!」
いやいやとでも言う風に首をぶんぶん振りながら怯える夏姫さんを強引に引っ張って元来た道を走り出す。ここはまさしく蛇の住処だ。脳裏に映画で見た蛇だらけの谷底が浮かび、鳥肌が立った。
ひたすら走り続けた。そして階段まで辿り着くと大急ぎで駆け上がった。
おそらく階段の半分くらいのところまで来ただろうか。僕らは立ち止まって肩で息をしていた。
「ここまでくれば大丈夫だろう。でも不思議なことだらけだ。この地下通路はいったいなんなんだ? それになんでこんな蛇だらけのところにあのノートがあったんだろう?」
「はぁ……はぁ……ごめんなさい。私にもわかりません」
呼吸を整えながら、面目なさそうに俯く夏姫さん。彼女もお手上げのようである。
「それにしても、主も神原さんもいなかったな。神原さん、無事だといいんだけど」
「ごめん……なさい」
また謝る夏姫さん。
「いや、夏姫さんを責めてるわけじゃないよ。とりあえず地上に戻ろう。もう動ける?」
「はい。大丈夫です。行きましょう」
僕らは再び階段を上り始めた。
見たところ階段に蛇はいなかった。走った分の体力を今のうちにできるだけ回復させようと、ゆっくりと階段を上がることにした。
まだ探していない場所がどこかにあるはずだと、僕はさっき開いたマップを頭の中に浮かべながら足を動かした。
それから数分経った。が、僕らはまだ階段を上っていた。
「城崎君? なにかおかしいですね?」
「うん。本当ならとっくに納屋についてるはずだけど」
階段をいくら上れど一向に納屋に着かないのである。
途中から変だと思い段数を数えていたが、百段はとうに超えていた。
「また罠ですか」
夏姫さんは悄然として立ち止まってしまった。今にも泣き出しそうな顔をしている。
僕は夏姫さんの肩を叩いた。
「押してダメなら引いてみる。上ってダメなら下りてみようよ」
意表を突かれたのか夏姫さんは瞠目した。
「下りるのは賛成できません。でも、このままじゃ埒があきませんものね」
手をつないだまま階段上で半回転して僕らが振り返った瞬間、階段のずっと下の方に小さな光りが見えた。蛍でも飛んでいるかのようなとても小さな光だった。懐中電灯で照らしてみたが、小さな光まで灯りは届かない。
「なんだ?」
僕がその場でかたまっていたら、少しずつ光が大きくなってきた。近づいてきてるのだ。
「走って! 早く!」
夏姫さんが僕の腕を引っ張りながら叫ぶ。不意のことだったので僕は一拍遅れて夏姫さんとまた階段を駆け上がり始めた。
背後から微かにだが音が聞こえてきた。まるで地下鉄が奥から走ってくるような空気を揺さぶる音。それは次第に大きくなり、やがて地響きを伴った凄まじい音へと変わる。
走りながらも肩越しに後ろを見やると、小さかった光が階段の空間ぎりぎりにまで膨らんでいた。距離にすれば階段五十段分も離れていないだろう。背後から巨大な何かが接近してきてるのは間違いない。
追いつかれたら一巻の終わりだと頭の中で誰かが訴えてきている。だが、やはりどれだけ階段を上っても地上には出られない。背後から迫る発光体は確実に近づいてきている。
発光体の放つ光が僕らの左右の壁を照らし出す。発光体はもう真後ろにまできていた。
「くっそー!!!」
僕が叫んだ瞬間だった。
どんっ、という鈍い音が聞こえた。それは高速で走っていた車が人間をひいたような音。同時に夏姫さんが僕の手から放れていく。その発光体は夏姫さんに衝突し、そのまま彼女を連れ去ってしまった。
僕は階段をすごいスピードで駆け上がっていく発光体の後ろを見た。いや、駆け上がるというより飛んでいると言う方があってるかもしれない。なぜなら、その発光体はまるでファンタジーに出てくる白いドラゴンのように見えたからだ。
――あいつが主!!
何の確証もない、だというのに咄嗟に僕はそう思った。
すごいスピードで階段を上昇していくそれはどんどん僕から遠のいていく。まるでこの先にも階段が延々と続いているかのように。
夏姫さんから手を放した時に懐中電灯も一緒に手放してしまったのだろう。数段上から懐中電灯が僕に光を浴びせていた。その逆光で夏姫さんを連れ去った白い発光体はもう見えない。
僕は階段に一人取り残されてしまった。
落ち込んでいる間もなく目の前に黒い靄が現れた。夏姫さんはこの次元に入る前に言っていた。手を放すとこの次元から飛ばされる、と。
靄は僕を包み込むように広がり、絶望とともに僕の視界を暗黒に埋め尽くした。