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後編-4

 目の前にぽっかりと口を開けた玄関。その奥では見渡す限りの闇が広がっている。まるでブラックホールのように思えた。その前に僕と夏姫さんが立っている。

 次の瞬間、玄関の入り口と僕らの間に異変が起き始めた。

 玄関の前に見えないガラス板でも置いたかのように、その面を音もなく幾筋のノイズが走り出したのだ。

 やがてそのノイズは消え去り、元のブラックホールを思わせる玄関の姿に戻った。

「次元の入り口を開けました」

 何事もなかったように平然と夏姫さんが言った。

 呪文のようなものを唱えたり、両の手から魔法のようなものを放ったりといったことをするのだろうかと思っていたが、彼女は僕の手を握ったままで何の動作もなかった。

「そうなのか?」

「はい。何の変哲もありませんがこの玄関を越えると私たちは美織さんがいる次元にいけます」

 依然、僕と夏姫さんは手をつないだままで互いに反対側の手には明かりの灯った懐中電灯を持っている。

「じゃあ、行きますよ」

 夏姫さんが一歩を踏み出す。それに合わせて僕も後に続く。二歩、三歩、そして今しがたノイズの走っていた場所を越えた。

 別段、変わった感覚はなかった。水面をすり抜けるような感触や平衡感覚がおかしくなったりといったこともない。ただ、最後の一歩を踏み出した瞬間に、昼夜が刹那的に入れかわったかのように視界が明るくなった。

「どうなってるんだ?」

「もう懐中電灯はいらないですね」

 夏姫さんはライトの明かりを切ってポケットに収めた。僕も持っていても仕方ないのでズボンのポケットにライトを収める。

 でもおかしいのはそれだけじゃない。外から見たのとは明らかに建物の中の風景が違っていた。

 僕らが立っていたのは上がり框のすぐ手前だった。上がり框から先にはメープル色の木造の廊下が続いている。それがどういうわけかワックス掛けでもしたかのように艶があって天井の明かりを反射していた。その明かりの発生源であるシャンデリアが二つ天井にぶら下がっている。どちらもオレンジ色の温もりのある柔らかな光を放っていた。

 廃墟なのになぜ電気が? そんな疑問どころではない。肝試しの侵入形跡である足跡がどこを見ても見あたらない。それどころか埃一つないのである。

 光沢のある廊下の先に目をやると階段があった。上がり框をあがってすぐ左には受付があり、右には下駄箱があった。下駄箱は漢数字で番号が振ってあり各扉には鍵がついていた。

 振り返ると背後にあった玄関の引き戸も復元されたように二つ並んできれいな状態でそこにあった。

 まるでここが営業当時の過去にタイムスリップしたかのようだった。これが夏姫さんが言っていた神原さんがいる次元なのだ。

「きゃっ!!」

 突然の背後からのフラッシュに夏姫さんが小さく悲鳴を上げた。間断なく凄まじい轟音が鳴り響く。

「雷?」

 玄関の引き戸の向こう側へ耳を澄ますと雨音が聞こえてきた。ここに入る時は雨なんて降る気配は微塵もなかったはずだが。

「う・・・雷なんかに怯えてられないです」

 夏姫さんは自分にそう言い聞かせて気丈に振舞う。そして表情を一転させ、睨みつけるような鋭い眼差しで僕を見た。

「さっき言ったこと覚えてますよね?」

「ああ」

 僕は夏姫さんの手をしっかりと握っている。

 実を言うとこの時少しだけ安堵していた。荒れた廃墟の中を探して回らないといけないと思っていたからだ。壁が崩れたり床が抜けたりといった危険が常時つきまとうのではないかという先入観を持っていたので、ほんの少しだけ緊張が緩んでいた。しかしこの手を放すと一瞬で取り返しがつかなくなることには変わりない。

「じゃあ、早速突入です!」

 土足のままで夏姫さんが上がり框を上がる。本当ならここで靴を脱ぐのだろうが生憎僕らは客じゃない。そのまま僕も続いた。

 廊下を進み、階段の横を抜けるとすぐにT字路にぶつかった。

 左右に同じくらいの長さの廊下が赤い絨毯とともに続いていて、つきあたりはどちらも曲がり角になっていた。

 本当なら二手に分かれて探すのが効率がいいのだが、いかんせんその方法は使えない。

「どっちから行きましょうか?」

「とりあえず地図を見てみよう。リュックの中なんだけど出せるかな?」

「はい」

 夏姫さんにあいてる方の手でリュックから地図を出してもらう。そして二人して絨毯に膝を着くと、夏姫さんに折りたたまれた地図を片手で広げてもらった。

 明かりがあるので見やすい。うれしい誤算だった。

 左右どちらにも同じ数の客室があるが、左に行けば大浴場や大広間、厨房などもある。

「一度右端まで見て回ってからここを迂回して左端まで行ってみよう。それから二階に上がって同じように端から端まで見ていくんだ」

「わかりました」

 夏姫さんは頷くと地図を折り畳み、出しやすいように今度は自分のズボンのポケットに収めた。

 そうして僕らは右の通路を進んでいった。

 通路沿いの客室のドアは全て開けて中を確認していく。

 この旅館、一階は全て同じつくりの和室のようである。客室の広さは六畳、その中心には漆黒のテーブルとそれを取り囲む四つの座椅子があり、端には奥行きのある黒いブラウン管テレビ、その向かいには押入れと思われる襖があった。天井には四角いかさをかぶった和風の蛍光灯がぶらさがっていて中心から紐が伸びていた。

 そして驚いたことに、全ての部屋の蛍光灯に明かりが灯っていて懐中電灯の出番は全くなかったのである。それに加え、やはり見る部屋全てが未だ営業しているのではないかと思える程に綺麗だった。

 角を左に曲がるとさらに廊下が続く。廊下の先は行き止まりになっていたが、それまでの全ての客室のドアを開けてみても人の気配はなかった。

 T字路まで戻ると今度は左側の通路を進む。同じつくりの客室が続くが人気はない。その先にある大浴場も大広間も厨房も覗いたが、どれも同じ結果だった。ただ一貫して言えるのは、営業当時のように中が綺麗なことと、ご親切に全ての電灯に明りが灯っていたことだ。

 再びT字路へと戻ると二階へと上がった。

 二階の客室は全てが洋室だった。客室の広さは階下の和室と同じくらいだ。部屋の四方を覆う壁紙は真っ白で床全体にはベージュの絨毯が敷かれていた。和室と同じサイズのブラウン管テレビがあり、壁に沿って置かれたダブルベッドには真っ白な掛け布団まで用意されていた。

 天井の蛍光灯はどの部屋も相変わらず光を放っていた。しかし端から端までの全ての洋室を覗いたがやはり人気はなかった。

 とうとう最上階である三階へと上がる。この階では和室と洋室が交互に並んでいた。こちらも全ての客室を覗いたが人気はなし。

 無駄足の状態で僕らは再び階段のところまで戻ってきた。

「これで全ての部屋は見て回ったはずだよね? なんで神原さんいないの?」

 がっくりと肩を落とす僕に、夏姫さんは落ち着いた物腰で答えた。

「いいえ。まだ見てない場所が残ってますよ」

「え?」

「屋上です」

 僕と夏姫さんは同時に三階からのびる階段を見上げた。

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