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後編-3

「汝、夜歩くなかれ」

 夏姫さんはぼそっと呟いた。

「私が城崎君と久しぶりに出会った時に最初に言った、ある推理小説の一フレーズです。あなたをここに近づけさせまいと警告として使ったのですが、もはやそれどころじゃなくなりましたね」

「今更だな」

「わかってます。ただ、ふと思い出したので」

 僕らは目の前にある不気味な館を持っていた懐中電灯で照らして見上げた。木造三階建ての豪邸級の建物だ。一階の左隅には木目調の扉があった。扉に近づいて開けようと試みるが、錆びついてるのかドアノブは回らない。

「ダメか」

 そこから視線をずらすと、ガラスのまったく残ってない窓を見つけた。あそこからなら入れるかもしれないと思った矢先、

「裏からは入りませんよ。入り口は表側です。ついてきてください」

 夏姫さんは扉の前を素通りして、建物の左側にある茂みの中へと入っていく。誘われるがまま僕はその後に続いた。

 建物の奥行きは三十メートルほどあった。右手側には明るい土色をした建物の壁が奥まで続いてる。

 僕は少し立ち止まって壁に手を伸ばしてみた。ひんやりと冷たく、まるで棺桶でも触ってるような心地になった。棺桶を触ったことは一度だけある。でも、触り心地なんて記憶に残ってはいない。だというのに不思議とそんな感覚に襲われた。手を離してみると、壁の粉らしきものが指の腹にこびりついていた。

「どうかしました?」

 夏姫さんが数歩先で立ち止まって不思議そうにこっちを見つめていた。

「ごめん。なんでもないよ」

 それから建物に沿って茂みの中を歩き続けて先にある角を曲がる。

 僕は少し気になって、今度は左手側を見やった。言うなれば建物の前庭だ。

 建物の正面にも雑草が茂ってはいるが、裏手ほどではない。地面がアスファルトで舗装されていたからだ。といっても、ハンマーで叩き放題やったかのようにばらばらに割れ、ヒビが入っていた。雑草は割れ目やヒビから生えていた。そのせいで成長が妨げられてるのだろう。

 それよりも一番目をひいたのは前庭の向こう側だ。ここは建物の正面にあたる。十中八九この前庭から向こうへ続いているアスファルトの道が夏姫さんの言っていた師走の館への正規ルートなのだろう。ただ途中で道が途切れていた。崖になっていたのだ。おそらくそこをつなぎとめる橋が崩壊したのだろう。

「ちょっとだけ待っててくれる?」

「え? ええ」

 僕は夏姫さんに一声かけてその崖に近づいた。水の流れる音が聞こえる。ライトで照らすと崖下までは五メートルほどあって底の方では水が流れていた。

 それからすぐに夏姫さんの許へと戻ったのだが、どうやら着いたようである。彼女が立ち止まっていたのは建物の正面玄関の前だった。

「これが・・・師走の館・・・」

「いかにもです」

 その様相はテレビ等でたまに見かける田舎の学校を思わせる建物だった。

 建物の裏側と同じように全ての階にほぼ等間隔で並ぶ小さな窓があった。こちらも半分以上が割られていた。そして小火の跡だろう。焦げた柱や梁が剥き出しになった部分が建物三階の左側に見受けられた。侵入者にいたずらに放火されたのかもしれない。

 建物の全容をだいたい把握してから入り口を見た。玄関は元々ガラスのはめ込まれた格子状の扉が両開きの引き戸となっていたらしいのだが、その片方がなくなっていた。残った片方は、ガラスが割られ、格子のいくつかの筋が折られていた。

 引き戸のない部分から夏姫さんと僕が懐中電灯を向ける。すると闇の中から上がり框が浮かび上がった。

 夏姫さんは懐中電灯の向きを変えて更に中を照らし出していく。でも僕は上がり框から懐中電灯の明かりをはなすことができなかった。その不気味なありさまにすぐにでも引き返したい衝動に駆られていたのだ。

 だからか身体が勝手に後ずさりしていた。途端に上がり框を照らしていた明かりが小さくなる。

 そこでふと上を見上げた。玄関の上、ちょうど僕の頭上には木造の屋根が突き出ていた。屋根のところどころには穴が開いていた。雨が降れば雨漏りどうこうのレベルではないほどにだ。

 もう一度視線を落として今度は玄関の横に目をやると、引き戸の傍らの壁には『蒼流閣(そうりゅうかく)』と彫られた木製の看板があった。どうやら『師走の館』の名前の由来はもっと別なところにあるようだ。

 それはそうとこの名前、

「これって・・・元は旅館だったのか?」

「そうです。営業していた頃は、巷では有名な割烹旅館だったようですよ」

 なるほど敷地の広さに窓からわかる部屋数の多さ、廃れて何年も経ってはいるが、その姿には営業当時の名残が残っている。

 僕はもう一度玄関の向こう側をライトで照らした。そして唇を噛んだ。引き返したいと一瞬でも思った自分が甚だ憎く感じた。この中に神原さんは犯罪者と一緒にいるのだ。僕なんかとは比べものにならない恐怖のどん底にいるのだから。

「今からここに入るのですが、さっきも言いましたが普通に入るだけでは美織さんは見つけられません。だから今から別の次元に入ります」

 感情的になってた僕とは正反対に夏姫さんは落ち着いた物腰で解説を始めた。

「あ・ああ」

「じゃあ、まず私の手を握って下さい」

 そう言って夏姫さんは右手を差し出してきた。

「手? わ・わかった」

 僕は言われた通り彼女の手を左手で握った。そこには彼女が死人だとは思えないほどの温もりとやわらかさがあって、それまで僕を締め付けていた恐怖と緊張が少し緩んだ気がした。

 だが、彼女が続けた言葉が落ち着きかけていた僕に追い討ちをかけた。

「これから言うことが重要です」

 今までにない鋭い眼差しで夏姫さんは僕を見た。

「中に入ったら絶対に私の手をはなさないでください。ここの主にとって、私たちは招かれざる客のようなもの。今からその相手の住処に、私が特殊な力を使って強引に入り込もうというのです。だからもし手を放せば、私の力が伝わらなくなって、元の次元に返されてしまいます。いえ、最悪全く別の次元にとばされて二度とこの世に戻れなくなるかもしれない」

 僕は呆気にとられた。

「マジですか?」

「マジです。そして入ったら美織さんを見つけるまで引き返せませんよ。今一度問います。覚悟はいいですか?」

 この世に戻れなくなるかもしれない。その言葉が頭の中をぐるぐると回り始める。

 また身体が勝手に後ずさりをしかけたけど今度はぐっと踏みとどまった。

 今更恐怖してどうなる!? とっくの昔に覚悟はしているんだぞ! 夏姫さんの警告を振り切ってここまで強引に連れてきといて何を今になって臆することがある?

 全身の血液が氷結していくような感覚に襲われながらも、それを押し退けるように自分に言い聞かせた。

 強張った全身を落ち着かせるように一度深呼吸する。そして不思議と笑みを零しながら僕はこう答えていた。

「ああ。行こう」



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