後編-2(H25改)
海水浴場に沿って走る片側一車線の国道。その国道の海の反対側は雑木林になっていた。
車道の林側に面したガードレールを跨がり雑木林へと突入すると、その先はひたすら急勾配の険しい、道とは言えない山道となっていた。無論、林の中は闇だ。僕と夏姫さんは各々持った懐中電灯の明かりだけを頼りに歩を進めた。
林の中に突入してから5分程経っていた。途中振り返ると、いくつかの光の点が走っていくのが見えた。国道を走っていく車だ。
そこかしこにある木々の幹や枝を伝って、落ち葉に埋もれたぬかるんだ道を、夏姫さんも僕も何度も足をとられそうになりながらのぼっていく。こんな険しい道を神原さんを担いで登ったのだとしたら、誘拐犯は相当な怪力の持ち主なんじゃないだろうか。だとするなら、そんなやつを相手にたった二人で乗り込んで大丈夫だろうか。それに館には夏姫さんのいう『主』が住んでいるという。加えて館で待ち構えているという別次元の世界。途方もなく不安だらけだった。ミイラ取りがミイラになるというが、この先にあるのは、そのことわざを具現化した世界なのかもしれない。
夏姫さんが言うには、ずっと昔には館に続く元々のルートがあったらしいのだが、途中にある橋が全壊しているらしく、今は封鎖されているという。唯一のルートは肝試しで使われている、道と呼べない道をただひたすら上るこのルートのみだった。それが僕たちが越えなきゃならない最初の難関だった。しかし、難関に加えて更に道を阻む者までいた。
幽霊だ。人が寄りつかない環境と、海と面しているからか集まりやすいのだろう。
「目を合わせちゃダメ! ただ真っ直ぐ前だけ見て! 見えることを感づかれたら狙われます」
「あ、ああ」
夏姫さんの助言で、進むべき道を一心に見つめて歩を進める。
そうして歩き続けること数十分。胸の高さまで雑草の生い茂った平地へと辿り着いた。その奥に見える建物の影が、噂で有名の師走の館なのだろう。
ところで、どうして夏姫さんが長ズボンに履き替えたのかがわかった。男性ならともかく、女性だと脚を露出させてこの草原を進んでいくのは誰しもが嫌がるだろう。ということは、夏姫さんは一度下見にきていたのかもしれない。
僕と夏姫さんは草原の一歩手前で立ち止まった。
「見えたな。神原さんはあそこに連れ込まれたんだな?」
隣にいる少女からの返答はない。
「夏姫さ――」
「やっぱり無理ですよー。あんなところ入れません!」
夏姫さんの顔が見るからに青ざめていて震えていた。彼女が廃墟の建物に入るのが無理だというわけでないことは百も承知だ。そういえば林に入った時点で男言葉もやめてしまっている。それだけ余裕がないということか。
「そんなにここの主が危ないのか?」
「ここにくるまでにすれ違った幽霊たちとは全く別物なんですよ」
何かにとりつかれたように師走の館を直視しながら彼女は返答した。一度視線を逸らせば、たちまち何かに襲われてしまう、そんな錯覚にでも陥っているかのように。
幽霊すらも恐怖させる幽霊とはいかなるものなのか。
「じゃあ、何者なんだよ?」
「・・・人間じゃないんです」
「人間じゃ・・・ない? じゃあ一体?」
「わかりません。ただ、普通の幽霊じゃないのは確かなんです」
夏姫さんは何かを振り切るように師走の館から視線を逸らして僕を見た。
「噂では、薬物中毒の女性が発狂して、ここで何人も人を殺して最後は自殺した、なんて情報もあるようですが、それはデマです」
「そんな噂が流れてるのか。でも、人間じゃない霊、そんなのを相手に神原さんを助けられるのか」
「可能性は限りなく低い・・・というより、私たちがどうなることやら」
言いながらまた師走の館を見やる夏姫さん。
彼女の言う通り可能性は低いかもしれない。でも、もう退くことはできない。覚悟の上でここまでやってきたのだから。
「行こう! 覚悟はもう決めたんだ! 神原さんを連れて無事にここから出るんだよ!」
そううったえかけると、夏姫さんは思いつめたように暫く険しい面持ちでいたが、やがて臍を固めたのか、
「・・・そうでしたね。美織さんを何としてでも助けなきゃ! 三人みんなで生きてここを脱出してまた遊びましょう! あ、私もう生きてないんでしたっけ」
緊張で張り詰めていた夏姫さんは一転苦笑を浮かべた。
覚悟を決めた僕らは、懐中電灯を照らしながら雑草の生い茂った草原を突き進んでいった。が、草原の中ほどまできた時だった。
「きゃっ!! へ・ヘビです!!」
「ええ! ちょっ、夏姫さ――」
僕が呼び止める間もなく、夏姫さんは全速力で草原の向こう側まで駆け抜けていった。
これほど雑草が生い茂ってるのだから、生き物にしてみれば居心地のいい住処でもあるはず。ヘビが数十匹いたっておかしくはないだろう。
これは早急に抜けた方が良さそうだと、早足で草むらの中を突き進んだが、ヘビや害虫に遭遇することはなく、無事草原から抜け出ることができた。
僕らが泊まっていた旅館を出発して約一時間、こうして無事に師走の館に辿り着いたのである。