7.リンクの多重性
(高校一年・祭主智雄)
「これは私の当て推量なんですが、恐らく今回のナノネットは、頭が悪いです」
僕がT学園に乗り込む前に、神原さんはそうアドバイスをしてくれた。それが、どんな根拠に基づくものなのかは教えてくれなかったから、信用していいのかどうかは分からなかったけど、それでも僕は頷いておいた。
「だから、あなたもそのつもりで、相手の事を考えるべきです。馬鹿との知恵比べは、実は案外、厄介でしてね。行動が読めないのですよ」
それは夕刻の公園で、僕らの座っているベンチの直ぐ後ろでは、少し強めの風がざわざわと木々を揺らしていた。木々の下は暗くて、もう何も見えない。
「それと、或いは“声”に注意しておいた方が良いかもしれません」
そこまでは僕は一方的に話を聞いていたのだけど、流石にそこで口を挟んだ。色々な事をよく理解できないままに言われ続けて、許容量をオーバーしてしまったからだ。この人の話し方は、紺野先生と似ていると思っていたけど、こういう説明は下手だとそう思った。もしかしたら、何か狙いがあるのかもしれないけど。
「どうして声なんです?」
神原さんはニコニコと笑いながら、まずはこう応えた。
「いいですね。ようやく質問してくれました。何か疑問があった場合は、そうやって声に出してくれないと相手には伝わりませんよ。前にも言いましたが、折角のリンクが断たれてしまう。それは、とても惜しい事です」
それを聞いて、僕は少しだけ苛立った。これを言う為に、この人はわざと一方的に間を置かず話し続けていたらしい。意図は分かるけど、やり方は好きじゃない。するとその僕の表情を見たからだろうか、神原さんは、笑いながらこう言った。
「あははは。そう怒らないでください。あなたに機嫌を悪くされるのは、私としても困るのですよ。
我々は既にチームです。情報は交換し合わないといけない。そんなに、私を警戒しないで欲しいのです。リラックスして、色々と気軽に話して欲しい。紺野先生に、何を言われたかは分かりませんが」
最後の言葉に僕は反応する。この人は、気付いていたのか、僕が紺野先生に自分の事を尋ねたのを。言われてみれば、確かに予想のできる事ではあるけど。
「分かりました。できるだけ、僕の持っている情報をあなたに伝えるし、あなたの言葉が分からなければ、それを質問します」
僕がそう素直に答えられたのは、そうする必要があるという神原さんの話に納得しただけじゃなく、内緒で紺野先生に神原さんの事を質問をしていたという罪悪感によるものだったのかもしれない。そして、もしかしたら、それはこの人の狙いだったのかもしれない。分からないけど。いずれにしろ、会話は次へと進んだ。ニコニコと笑いながら、神原さんはこう言う。
「“声”の話でしたね。実を言うと、声を利用して、ナノネット同士が情報交換しているらしい節があるのですよ。
あなたもご存知かもしれませんが、電磁波で情報を交換し合うナノネットは、本来声を必要としません。喋らずとも、情報交換が可能だからですね。しかし、どうもあのナノネットは違うようなのです」
僕はそれに反論した。
「でも、確か“分裂する幽霊”の怪談では、霊能者は声を出さずに会話していたようですが」
「あれはただの噂ですから、信憑性はありません。それに、あの話の主人公は、どうやらナノネットに憑かれ易い特異体質だったようではありませんか。特例と見なせるかもしれません。それに、あの怪談では、そもそも相手は肉体を持った人間ではありませんしね。“声”を、受け取る事も、発する事もできない。声で情報交換できないのは当然の話です」
僕はそれでも納得ができなかった。
「でも、声でしか情報交換できないってのは、何かおかしくないですか?」
「いやいやいや、“声でしか”なんて私は一言も言っていませんよ。恐らく、ナノネットを通しても情報交換をしているのでしょうが、それでは足らなくて声の力で補わなければならないといった感じでしょう。もちろん、文章でもやり取り可能でしょうが」
僕はそれを聞いて考える。それは、“今回のナノネットの頭が悪い”という話と何か関係があるのだろうか。神原さんがどういう情報を握っているのかは分からないけど、性能的に学校ナノネットは劣っていると考えた方が良さそうだ。ところが、そこで神原さんはこんな言葉を重ねてきたのだ。
「一見、劣った特性のように思えるかもしれませんが、あなたにとっては、その性質は少しやり難い部分があるかもしれません」
僕は疑問に思う。
「どうしてですか?」
「ナノネットだけを注意していれば良い、という話にならないからですよ。ナノネットを介して情報交換が行われていなければ、あたなのその“第三の目”は、感知できないのでしょう?
あなたの“第三の目”は、ナノネットに対してはかなりの効果を発揮するものですが、逆に言えば、ナノネットが相手じゃなければほぼ何もできません。“声”で情報交換を行うという特性は、その弱点と一致してしまう」
僕は神原さんの話をもう少しよく考えてみた。仮に声で情報交換していても、ナノネット自体が結び付いているのであれば、大きな問題はないと思えた。それで、
「よく分かりません。ナノネットで、結び付いてさえいれば、僕の“第三の目”は、感知が可能です」
と、そう質問したのだ。しかし、それを聞くと神原さんは首を横に振った。
「いえ、そうとは限らないのです。同一の主体であるにも拘らず、ナノネットでは結び付いていない。或いは、結び付いていてもリンクが弱くて、遠く離れている。そういうケースも充分に考えられるからですね。
その場合、そのナノネットは、声によってお互いの存在を確認している事になります。それは、あなたには感知できないはずです」
そう説明されても、僕にはよく飲み込めなかった。上手くイメージできない。すると、その様子を見抜いたのか神原さんは続けてこう言って来た。
「同一のネットワークと言っても、同じ種類のリンクで結び付いているとは限らないでしょう? リンクのカテゴリが違うと表現しても良いかもしれません。
知り合い同士のネットワークでも、インターネット上のみでの知り合いと、リアルでの知り合いとでは別種のリンクです。それでもネットワークで結ばれている事は結ばれていますから、何らかの影響は与え合いますが。
そして、インターネット上での情報交換を感知できたとしても、リアルでの情報交換は感知できない、なんてケースも考えられます。あなたもこれと同じです」
僕はそれを聞くと、大きく頷いた。そして、こう返した。
「なるほど。今度は分かりました。つまり僕は、ナノネットの結び付きだけでなく、人と人の結び付きにも注視しなくてはならないって事ですね。今回のナノネットは、ナノマシンを介さずに、結び付いている可能性がある」
すると、神原さんはニコニコと笑いながらこんな説明をしてきた。
「大変、結構です。
因みに、蛇足ですが、このリンクのカテゴリの違いはネットワーク上で何かを探索する際にも有効になってきます。
例えば、私はカウンセラーですから、当然、そのカテゴリでのリンクを持っています。カウンセラー繋がりの知り合いがいるのです。ただし、それ以外のカテゴリもある。家族だとか、ナノネット繋がりだとか。そして何かを探す際に、このカテゴリを目印にして、探索を行う事が可能なのですね。探すべき対象が、カウンセリング関係ならば、そちらの方面に働きかければいい。ナノネット関係ならば、紺野先生に相談してみようだとか。
ネットワークで結び付いてはいても、そのリンクの存在を知らなければ、役立たせるのは難しい。そして、そのリンクの存在を確かめるのは、実はかなり大変な作業なのです。しかし、こういったカテゴリを利用すれば、それが比較的楽に行える」
僕はその説明を受けて、少し驚いていた。
「神原さんは、カウンセラーなのにどうしてそんな事を知っているのですか?」
「あははは。私は集団心理カウンセラーなんて名乗っていますからね、社会科学方面の知識も一応、持っているのですよ。当たり前の話ですが心理学は、社会科学と密接に関わっている。これは、数理学方面から社会を眺めた場合に、必要になってくる知識です」
それを聞いて、僕はどうして神原さんと紺野先生が知り合いになったのかを理解できた気になった。紺野先生の分野と、この人の分野は確かに一部は重なっているんだ。
別れ際、最後に神原さんはこんな忠告をしてきた。
「相手は殺人を犯しているかもしれないナノネットです。どうか充分に気を付けてください。できるだけ探索だけを行うのです。いきなり消し去ろうなどとは考えないで。あなたの存在が危険だと連中に思われたら、連中はあなたを殺そうとするかもしれない。何しろ、相手は頭が悪い。
紺野先生のように、私には警察方面に知り合いはいませんが、それでも証拠が見つけられたら動かす事ができます。それまでは極力、攻撃的な行動は慎んでください。あなたにもし何かあったら、私は紺野先生に叱られてしまう」
僕はそれに微笑を返しながら、「分かりました。ありがとうございます」と、そう答えた。神原さんは僕のその返答に満足そうに大きく頷いた。ただし、
「いい返事ですね。
ただ私には、あなたが誰かが危害を受けるのを無視できないのは分かっていますがね」
と、何故かそんな事を言って来たのだった。その時の神原さんの表情は相変わらずに笑顔だったのだけど、僕は冷たいものを感じた。そして、更に続けて、この人は意味深げにこんな説明をしたのだった。
「なんでオバケが夜に出るのか、考えた事はありますか? それは、夜は暗くて色々なものが見えなくなるからですよ。見えないからこそ、人間は色々なものをその先に想定してしまうのです。そしてこれは、ネットワークの断絶についても当て嵌まります。
“声”で繋がったネットワークは、あなたにとって不可視なものです。その点をよく覚えておいてください。あなたは、今回のナノネットでオバケを見るかもしれない」
転校初日。
教室で、僕は皆に挨拶をした。
大勢の前に出るのは、やはり緊張する。素っ気ない担任の先生の対応からは、僕が厄介者である雰囲気が色濃く感じられた。確かにこんなイレギュラーなケースでの転校生は、余計な仕事が増えるから嫌なのだろう。でも、本当にそれだけかどうかは分からない。先生達にもナノネットが影響を与えているだろう事を、僕の第三の目は捉えていた。
仮入学という扱いだから、調べられる期間は短い。僕はできるだけ早く調べる為に、“第三の目”を初日からオープンにした。いつもなら、前髪で隠すのだけど、注目を浴びるのは本当は嫌なのだけど、気にはしていられない。
視界には、アルバイトで一緒に働いている本多さんや柿沢さんの姿もあった。彼女達はとても驚いた表情で僕を見ていた。無理もない。まさか、僕が転校してくるなんて思いもしなかったはずだ。
僕は自分の席に座ると、意識を集中した。ナノネットの情報交換の流れを感じる為だ。普段から無口な僕だけど、それでいつもよりも寡黙になった。ところどころに、ナノネットの流れがあるのが僕には感じられた。しかし違和感もある。普通と違う。強弱の差が激しい。一年生だからかもしれないけど、それほど強い反応はなくて、その所為で把握し辛かった。ただ、それでもそれが奇妙に分断されている点には気が付いた。
リンクが結び付いたり離れたり、安定しないような気がする。その中に核らしきものがあるのは確かなのだけど、その核もそれほど存在感が強くない。頻繁に形を変えている。
僕は、神原さんの話を思い出していた。
連中は頭が悪いかもしれない。情報交換に“声”を利用している。
……分析しながら、無口で無愛想な僕という異分子を、皆が避けている雰囲気に、僕は気が付いていた。ナノネットの影響もあるかもしれないけど、それだけとも限らない。僕は常に緊張していたから。その態度には、近付き難いものがあるだろう。
こんな僕でも少しは寂しさを感じるようで、僕はその孤立に少し怯えた。慣れない環境で感じる不安がそれを刺激したのだと思う。ところが、
「先生から言われたの」
昼休み。そう僕は話しかけられた。その相手は、本多さんだった。同じアルバイトの。
どうやらそれは、この学校を案内してくれるという事らしかった。彼女は口数が少なくて、同じように僕も口数が少ない所為か、言葉が足らなくても僕には彼女の言おうとしている事がなんとなく予想できるんだ。
同じアルバイトをしているから、恐らくそれで彼女が僕を案内する役になったのだろう。別に僕を気にかけてくれている訳じゃない。それは分かっていた。ただそれでも、僕はそれに少しだけ救われた。もちろん、彼女達と同じクラスになったのは偶然じゃない。僕の目的は、学校のナノネットを調査する事。それには、既に分かっているナノネットを軸に調べる方が効率が良い。微弱ではあるけど、本多さんにも、柿沢さんにも既にナノネットが侵入している。僕の“第三の目”は、消去能力が低いから完全には彼女たちのナノネットを消去できなかったんだ。ただし、そのお陰で、それを利用できる。だから、同じクラスにして欲しいと頼んだんだ。
本多さんは、先生から言われた、と言っていた、だとすると、その情報は担任の先生にまで伝わっている事になる。その点は考慮しなくちゃいけないかもしれない。僕の正体と彼女達とのアルバイトを通しての繋がりは、既にナノネットに知られている可能性がある。
本多さんに案内されながら、もちろん僕は神経を研ぎ澄まして、ナノネットを探っていた。学園中に、ナノネットは分布しているようだけど、基本的にはそんなに強い反応はないようだった。“場所”よりも、“人”を拠点にしたネットワークを形成しているのだと、それで僕は判断する。だけど、何ポイントか例外もあった。
まず一つ。僕が驚いたのは学生寮だった。寮がある程度はナノネットの根城になっているだろう事は、来る前から予想はしていたのだけど、でもそれでもその反応の強さは、僕の予想を超えていた。
寮を初めて渡り廊下から見た時、僕はそれに気が付いたのだけど、寮からのナノネットの流れが、遠くからでも感知できた。これだけの反応の強さなら、人間を複数人操る事も可能なはずだ。恐らく、ナノネットとの感応性の強い人は、既に操られている状態にまで陥っている。
僕は渡り廊下で、少し我を忘れてその分析に集中してしまった。寮から、どれほどのナノネットが校舎にまで流れてきているのか知りたかったのだけど、その所為で本多さんから変に思われたみたいだった。
「何が見えるの?」
寮を見続ける僕を不審に思ったのだろう。困惑した表情で、言い難そうに彼女はそう尋ねて来た。仕草と表情で、それが本当は次に進もうと促している言葉なのだと僕には分かった。先にも説明したけど、僕にはなんとなく彼女の言いたい事が分かるんだ。
「うん。ごめん」
僕は素直にそう謝って分析を止めた。変に思われて当然の行動だし、それに今じゃなくても、放課後になってからやれば良い。
「寮なんて、僕は初めて見るから、少し珍しくてね」
僕はその後でそう誤魔化したけど、言った後でそれを後悔した。彼女の様子から、嘘だとばれているのが分かったからだ。
次に僕が気になったのは、食堂だった。寮の食堂で、昼間は一般の学生にも使用が認められている場所なのだけど、そこからもかなり強い反応があった。ただ、それには漠然とながら気が付いていて、それで深く調べたりはしなかった。これ以上、本多さんに不審には思われたくなかったからだ。放課後になってから、ゆっくりと調べれば良い。それよりも、今注目すべきなのは、校舎内部の情報交換スポットだ。そして僕は、一階の渡り廊下にある休憩所で、それを見つけ思わず立ち止まってしまったのだった。
ナノマシンの量自体は、それほどでもない。だから反応もそんなには強くないのだけどしかし、そこから伸びているリンクは、無数に広がっていた。間違いなく、ここは重要なスポットの一つなのだと僕は判断した。“声”で情報を伝え合う。ここなら、充分にその機能も果たせるだろう。精神を集中する。すると、それぞれの結び付きが弱い学校ナノネットが、ここを利用して繋がっているのが分かった。ただし、こんなスポットは他にも幾つかありそうだ。ここ一つでは、校舎全体をカバーできないだろうし、それにリンクの先に、そんな存在がなんとなく予感できる。
「そういえば、図書室を案内し忘れていたよ」
しばらくそうして分析していると、本多さんがそう話しかけてきた。どうやら、今度も彼女を不安にさせてしまったようだ。だけど僕は直ぐにそれに応じる事ができなかった。何故なら、本多さん自身にも、学校ナノネットのリンクが絡みつこうとしているのが分かって、それに気を取られてしまったからだ。それで、
「この場所、本多さんも、よく利用している?」
と、思わずそう問い掛けてしまった。彼女は不思議そうな表情のまま、「いえ、ほとんど使っていないけど、どうして?」と、そう返してきた。その返しを受けて僕は、少しだけ慌てた。思わず質問してしまったけど、こんな質問をすれば、更に変に思われるのは避けられない。
「うん。いや、それならいいんだ。多分、ここはそんなに利用しない方が良いと思う」
そう誤魔化したけど、彼女に変な印象を与えてしまった事は確実だった。それから僕はお礼を言って、教室へ戻った。
放課後。
しばらく校舎中を回り、放課後は探索には向かないと、僕は落胆していた。考えてみれば当然なのだけど、ここのナノネットは主に人を棲家にしている。人がいなくなった時間帯では、既にそのネットワークは乱れてしまっているか、または消えてしまっているんだ。まだ掃除をしている生徒達は残っていたけど、それでも探索に意味がないと思わせるほど、ナノネットの形は変わっていた。
それで僕は、食堂のナノネットを調べてみる事を思い付いたのだ。寮と、食堂のナノネットは、人を棲家にしてはいない。なら、人がいなくなった今でも、調べてみる価値はあるはずだ。それを調べれば、もしかしたら、ナノネットが繁殖している他の場所も分かるかもしれない。
食堂の周りを歩き、裏手に回ると、僕はそこに強いナノネットの反応があるのを発見した。そして、何かを掘り返したような跡があるのも。僕は少し考えると、用具室からスコップを借りて来て、そこを掘り返した。
恐らくは、生ゴミが埋められているのだろう。しかし、その目的はただのゴミ処理ではないはずだ。ここのナノネットを繁殖させる為に、栄養分とエネルギーを補充しているのに違いない。僕はそれを実際、自分の目で確かめたかった。
やがて、生ゴミが大量に出てきたのを僕は見つけた。精神を集中しなくても、そこにナノマシンが繁殖しているのが分かった。予想通りに、ここに生ゴミが埋められているのは、ナノマシンを繁殖させる為。だけど、問題なのはナノマシンじゃない。僕は精神を集中し始めた。このナノマシンがどんなネットワークを形成し、そしてリンクが、何処に向かっているのかという点だ。そしてそこで僕は、ナノネットのリンクが僕の直ぐ後ろに伸びているのに気が付いた。
誰かいる?
振り向くと、そこにいたのは、本多さんだった。咄嗟に第三の目で、彼女に絡みついたリンクを遮断する。そして、「どうしたの? 本多さん」とそう尋ねてみる。すると、本多さんは、我に返ったような顔で、こう逆に聞き返してきた。
「祭主くんこそ、何やってるの?」
僕はそう言われて困ってしまう。どう返したら良いものか。どうして、こうも彼女とはよく巡り合うのだろう? 偶然か、それともナノネットが関与しているのか。
「ああ、勿体ないよね。こんなに腐らせちゃってさ」
困った僕は苦し紛れに、そんな滅茶苦茶な答えをした。どうせ既に彼女には、かなり不審に思われているというのも手伝ったのだけど。当然、彼女はそれじゃ納得しなかった。
「そうじゃなくて、どうして穴を掘っているの?」
僕は強引にこう誤魔化した。
「うん。ゴミを埋めようと思ってね」
彼女はそれを聞いて、思いっきり納得がいかないような表情をしていたけど、それでも何も質問はして来なかった。僕はそのままスコップでゴミを埋め始める。彼女はそれからその場を去った。僕はそれでゴミを再び掘り返して、第三の目で、ナノネットを攻撃しようかと悩んだ。
消去はできなくても、連中を混乱させる事はできる。それは僕の第三の目の、得意分野の一つだった。だけど、やっぱり止めておいた。神原さんの忠告を思い出したからだ。下手な攻撃は止めておいた方がいい。今は、探索に専念するんだ。
それから僕は少し食堂の周辺のナノネットを調べた。茂みや土の中に、ナノネットの存在があるのが分かる。間違いなく、ここはナノネットの中核の一つだ。そして歩き続ける内、妙な気配に気が付いた。
幻。それが浮かび上がっている。茂みの中に。
それは、女子高生の姿をしていた。ただし、僕の第三の目は、それがナノネットによって形作られているものである事を見抜いていた。何かが僕の第三の目に、直接働きかけをしているんだ。
その女子高生には、言葉を情報で伝える能力はないようだった。その代わり、口パクでこう訴えかけてくる。
ワ・タ・シ・は・こ・ろ・さ・れ・た
殺された?
ワ・タ・シ・の・し・た・い・を・さ・が・し・て
死体を探して?
第三の目は彼女を分析していた。そして、それが同種のナノマシンで構成されながら、それでもこの学校ナノネットとは、別のナノネットである事を見抜く。
僕は神原さんの話を思い出していた。この学校ナノネットは、誰かを殺している可能性が大きい。
この娘を殺したのか? そして、この娘はナノネットの核…、“霊”の一つになったんだ。しかし、ギリギリのところで、同一のものになるのを防いでいる。完全には、学校ナノネットに組み込まれていない。恐らく、この学校ナノネットの結び付きの弱さに助けられたのだろう。
切ない視線を僕に寄越しながら、それからその女子高生の幻は消えた。僕は少しだけ、怒りを覚えた。そして、寮を調べてみようと決めたのだ。実は、今日はもう帰ろうかと思っていたのだけど。
どんなルートで寮に向かうか悩んだのだけど、結局僕は、真正面から乗り込む事に決めた。ナノネットに対して、隠れて近付く事にどれだけの意味があるのか分からなかったし、それに誰かに見つかった場合の言い訳が面倒になる。もしまた本多さんにでも遇ってしまったら、今度はどう言えば良いのか全く分からない。それに、何より僕は気分的にそれが嫌だった。正面からぶつかってやりたかったんだ。
正面玄関だと思える場所に進む。想像した通り、かなりの量のナノマシンが渦巻き、ナノネットが蔓延していた。人を棲家にしたナノネットも、場所に憑いているナノネットもここには大量に存在している。でも、そんなものを僕は恐れたりはしない。僕の“第三の目”は、この程度のナノネットなら問題にならないはずだから。あの女生徒を殺した奴らの正体を暴いてやる!
ところが、そう怒りを堪えながら進む僕の目の前に、見慣れた姿が飛び込んで来たのだった。驚いた事に、寮の玄関口から現れたのは、あの本多さんだった。どうして、彼女が寮から出てくるんだ? 僕は訝しげに思いながらも、ナノネットの流れを分析する。しかし、彼女と寮のナノネットの間に、強い結び付きは存在していなかった。彼女が目の前に来るまでの間、精神を特に集中させてその流れを捉えようとしたのだけど、ほとんどナノネットの流れが感じられない。
「どうしたの? 本多さん」
混乱した僕は、彼女が近付いて来ると、思わずそう尋ねてしまっていた。ナノネットで捉えられないのなら、声を出すしかない。すると、本多さんは何かを誤魔化す為に作ったような笑顔で、こう答えてきた。
「ちょっと、寮に用があってね。それより、祭主くん。この寮、何か用がなければ、部外者は入っちゃ駄目なのよ」
彼女の様子がおかしいのは一目瞭然だった。
「そうなの?」
どう対応すべきなのか迷った僕は、気付くとそう返していた。すると、その言葉を待っていたかのように、彼女はこう応えてきた。
「そう。だから、戻らないと」
その短い言葉と、態度からは、早くにこの状況から解放されたがっているような雰囲気が色濃く感じられた。それで僕はこう思う。恐らく、彼女は寮で何か奇妙な体験をしてきたのだろう。もしかしたら、脅されているのかもしれない。
そう思った僕は、大人しくその言葉に従った。彼女を危険な目に遭わせる訳にはいかない。いつ襲われるか分からないのだから、僕の“第三の目”だって、彼女を守りきれはしないだろう。
悔しくて、歯を食いしばったけど。
家に帰ってから、僕は校内図にナノネットを発見した場所の印をつけていった。その図は、神原さんから電子メールで送られてきたもので、どんな種類のナノネットをどう表現するのか、その記号まで指示されてあった。今日分かったスポットを全て記述し終えると、ファイル名に日付を付け、僕はそれを神原さんに送り返した。今日の状況報告とセットで。
明日は、まだ生徒がいる日中に、できるだけ校内を散策して、ナノネットを調査しよう。相手が何をやって来るのか分からない以上、中核を攻める前に、まずは、校内のナノネットの重要スポットの洗い出しを優先するべきだ。