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3.詐病疑惑

 (教師・室井沢卓巳)

 

 一応、今でも肩書きは教師を名乗っている。ただ私は、ここ数ヶ月学校には行っていない。原因は、うつ病だ。いや、うつ病だと診断を受けたのは確かだが、本当にそうなのかどうかは分からない。

 私が主に悩まされたのは幻覚、及びにそのフラッシュバックで、抑うつ状態などではないからだ。

 幻覚。多分、幻覚だと思う。いや、幻覚でなければ何なのだろう? あんなものが、現実である状況下など存在するはずがない。

 一年ほど前だった。私はその日、学生寮の宿直だった。そして、夜回りをしている最中に信じられない光景を見たのだ。

 その現場では、殺人が行われていた。数十人の生徒が一人の女生徒を殺害し、そしてバラバラに分解していた。しかも、それだけではなく……。

 今でも、鮮明にその光景を思い浮べる事ができる。

 

 ――学校の中庭だった。ちょうど、食堂の裏手辺りだろうか。

 暗闇。

 妙な物音に誘われて向かってみると、数十人の気配がそこを蠢いているのが分かった。懐中電灯の明かりを向けると、闇が取り払われ、生徒達の姿が現れる。光の反射の所為か、その生徒達の目は皆、光を放っているように思えた。そしてその光る生徒達の目は、全て私に向かっていた。

 『何をしている?』

 恐怖にかられた私は、逃げ出したい衝動を堪えつつ、教師としての職責を全うするべく、やっとそれだけの言葉を発した。声は微かに震えていた。

 生徒達は何も答えなかった。しかし、少しの間の後で、囁きに近い声が響いてきた。それは私に対して発せられたものではなかった。彼らは、話し合いをしているようだった。

 『どうする?』

 『否定するか?』

 『無理だろう』

 『見逃してと、頼んでみれば?』

 『自分達の言葉じゃ、説得力はないさ』

 『じゃ、被害者自身にお願いさせよう』

 その囁きは不自然に響いていた。力はないにも拘らず、エネルギーが空間で離散されないが為に、声が私にまで届いてくる。そんな印象を私は受けた。

 私はその間、一歩もそこを動けなかった。嫌な汗が出る。そして、

 『大丈夫。この先生も、半分は浸かっているから』

 そう誰かが言うのを合図に囁きは終わり、生徒達の垣根が二つに割れたのだ。その先には、その先には、

 女生徒が。いや、正確には女生徒のバラバラになった身体が横たわっていた。私は吸い寄せられるようにして、その場に歩み寄っていった。

 『お前達がやったのか?』

 死体の前まで来ると、私はそう言った。もしそうなら私も危ない。その考えは、何故か頭に浮かばなかった。

 『仕方なかったんです』

 暗闇の中で誰かが言った。判別がつかない不思議な声で。まるで、その生徒達全員が暗闇と密約を結び、その喉を借りて発した声のように私には思えた。

 『どう仕方ないって言うんだ?!』

 私はそう叫んだ。しかしまるで何の手応えもなかった。感情を持った存在に相対しているような気がせず、私は、空虚に向けて訴えかけたかのような気分になった。

 『とにかく、警察に連絡する』

 そう言うと、初めて連中は慌てたように私には思えた。

 『それは、困ります』

 『当たり前だろう。それだけの事をしたのだから!』

 『でも、困るのはワタシ達だけじゃ、ありませんよ?』

 『他に誰が困るって言うんだ』

 『――学校』

 『学校?』

 私はその時、更に恐怖を濃くしていたと思う。その生徒の返答が淡々とし過ぎていて、不気味だったのだ。この程度で、何を騒ぐ必要がある? その口調は、そう言っているように私には思えた。

 『そう。学校です。学校全体が、困ってしまうのですよ』

 私はそれを聞いて、眉をひそめた。

 『問題が発覚すれば、確かに学校は迷惑を被ることになるだろう。しかし、だからと言って、見過ごせるような事じゃない!』

 それに、私はそう一般論で答えた。しかし、相手はそもそも一般論など語ってはいなかったのだった。

 『――でも、』

 でも?

 『その娘も、この学校の一部になっているのですよ。既に。だから、警察に連絡をしたりなんかすれば、今やもう誰も得をしないのですよ。

 あなた自身も含めてね』

 その時、暗闇から一本の腕が伸びているのに私は気が付いた。その腕の指は、真っ直ぐに死体に向かって伸びていた。バラバラにされた死体に向けて。

 “その娘?”

 私はその指の先に、生首が転がっているのを見つけた。生首は私の視線を受けると、急に目に生気を取り戻し、ゆらりと揺れると、ゆっくりと立ち上がった。そして、

 『お願い先生。どうか、警察には通報しないでください』

 と、そう言ったのだ。

 その次は、覚えていない。気付くともう朝で、私は寮の宿直室で寝ていた。恐らくは気絶してしまったのだと思う。或いは夢だったのか。その日の学校は何も変わった点はなかった。いつも通りの日常が流れただけだ。やはり夢だったのかもしれないと、もちろん私はそう考えた。しかし、この話はそれで終わりではなかったのだった。

 それから私は、その殺されていた女生徒を探した。確りとその姿を見たのは、その女生徒だけだったから、本当に夢だったのかをはっきりさせる為には、その女生徒を探してみるしかなかったのだ。話を色々な先生に聞いてみたが、休み続けているような女生徒はいないという。もしも、夢であったのなら、そもそもそんな女生徒は存在していないか、いても普通に登校し続けているという事になる。

 しかし、私が確認した現実は、そのどちらとも違っていた。私は全校生徒の写真によって、その女生徒が確かに存在していると確認した。仕事をしながらでもあったし、また気持ちとしては避けたくもあったから、それには二週間ほどかかってしまったが、あの光景は私の脳裏に焼きついているから、間違いはないと思う。鷺沼静というのが彼女の名前だった。だが、その女生徒を訪ねて、私は奇妙な違和感を味わったのだ。

 写真の女生徒とその本人が、一致していないように思えたのだ。似てはいた。しかし、同一人物のようには思えない。

 狭い学校内だし、夢に見た(夢だとすれば)のだから、視界には入っていたのだろうが、ほとんど接した事のない人間に対しての、そんな私の感覚が信用できるのかどうかは分からない。それは承知していた。しかし私は、それでも納得ができなかったのだ。

 まさか、「本当に君は、鷺沼静か?」と本人に尋ねる訳にもいかず、私は悶々とした日々を過ごす事になった。誰も騒がない。ならば、間違っているのは私なのだろうか?

 しかし、それからも私はあのバラバラの死体が転がっていた光景を鮮明に思い出すようになってしまった。そして、思い出す度に、何故か私は、彼女が別の人物だと強く認識していったのだった。いや、そればかりか、その思い出す光景の中の鷺沼静は、鷺沼静の生首は、

 『先生、お願い。あの鷺沼静は別人なのよ。偽者なの。どうか、暴いて』

 と、そう私に訴えかけてくるのだ。

 恐らく私は、写真の印象との違いに困惑しているのではなく、記憶の中の鷺沼静の印象との違いに困惑していたのだと思う。

 一応、同じクラスの他の生徒の何人かに鷺沼静が前と何か変わったかどうか訊いてみたのだが、「風邪を引いて、一週間くらい寮で寝込んだ時からちょっと声とか変わって、雰囲気は変わった」と、その程度の返答が得られただけだった。

 もしも別人が本人に成りすましているのならば、もっと劇的な変化に気が付いているはずだろう。

 そんな生活の中で、私は徐々に神経を擦り減らしていった。私以外の全ての人間が狂っていて、彼女が同一人物だという幻を見ているだけなのでは? という現実性のない妄想を抱くようになった程だった。

 もしそうなら、鷺沼静本人すらもそう思い込んでいる事になる。有り得ない。

 そうしている内に、私は病院へ通うようになってしまった。「幻に苦しめられている」「その幻の所為で、学校に行くのが怖い」「最近は、眠れなくなってきた」等の訴えをすると、医者は私に、うつ病という診断を下した。

 うつ病。

 まさか、そんな病名が告げられるとは思っていなかった。

 「恐らく、疲れているのですよ。あなたは真面目な人だから、職務を全うしようと神経を傷めてきたのでしょう。寮での宿直なんて、特にプレッシャーで、ストレスが溜まり易そうですからね」

 そう言われた。

 診断結果を学校に提出すると、簡単に長期休暇をくれた。それから私は、ずっと家にいる。

 

 「――なるほど。しかし、あなたはそれを疑っているのですね。それで仕事を休んでいるのに生活できている自分の立場に、罪悪感を覚えている…」

 

 にやけた顔が目の前にあった。私は何故か、その顔に向けて自分の身に起こった出来事を聞かせているのだった。どうしてそんな必要があったのかは自分でも分からない。気が付くと、いつの間にか話をする流れになっていた。

 男は、カウンセラーだという。名前は、神原徹というらしい。名刺を見せてもらった。神原が来るという連絡は、ちょっと前に精神科医の方からもらっており、それによると集団心理学者の肩書きも持つ、信頼のおける人間であるらしい。

 神原は、私の症例に興味を惹かれて、私を訪ねてみる気になったのだとか。

 「私は集団心理療法の専門家です。と言っても、これは既存にあるものとは少し趣向が違っていて、実を言うのなら、私が独自に提唱しているものなのですがね。差別化を図る為に敢えて呼び名を変えるのであれば、“集団システム療法”ですかね」

 自己紹介の時に、神原はそう言った。よく笑う男で、その時も笑っていた。その笑いは営業スマイルとも何か違う、得たいの知れないものであるように私には感じられた。どうも信用して良いのかどうか分からない。

 「家族療法というものがあります。これは、病を個人のものと捉えるのではなく、家族の問題だとする考え方です。家族の関係性の改善により、病を治療するのですね。私はこれは家族に限らないのじゃないかと考えている。どんな集団にでも当て嵌まるのじゃないかと」

 そこまでを神原が説明すると、私は話を途中で遮ってこう言った。

 「すいませんが、その話は私にはどうも関係がなさそうだ。できれば、私を訪ねた用件を単刀直入に言ってもらえるとありがたいのですがね」

 そう言ってしまったが、実を言うのなら、関係がないとは私は思っていなかった。この男がもし仮に、私の病を詐病だと疑っているのだとすれば、この男の肩書きも、ここを訪ねた意味もそれなりに分かるような気がする。

 つまり、どのような経緯で私が自分を病だと偽るようになったのか、その経緯をその背景にある集団との関係をも含めて、私から聞き出したいのではないだろうか、この男は。

 「ふむ」

 神原は私のその言葉を聞くと、そう声を発してから私を見た。それからこう続ける。

 「どうも、あなたは私を警戒しているようですね。いえ、それ以前に機嫌が悪いように思える」

 その言葉は的を得ている。確かに私はこの男を警戒していたし、機嫌も悪かった。しかし、それを言ってこの神原という男はどうするつもりでいるのだろう? 事実ではあったとしても、関係が悪くなって終わりではないだろうか? そう私は疑問に思ったのだが、それから神原はこう続けたのだった。

 「室井沢さん。人は、自分の心を読んで、他人の心を読むらしいです。だから、もしあなたが何かしら心にわだかまりを持っているのだとしたら、それがそのまま、他人を観る目にも現れる。

 つまり、あなたにとっての私は、あなた自身の心の鏡でもあるのですよ」

 それから、しばらく間が生まれた。私はそれに何も答えられず、そして神原は私を観察しているようだった。

 何かを見定めたかのようなタイミングで、それから神原は口を開いた。

 「実を言うのなら、私はここにカウンセラーの立場で来た訳ではないのですよ。もっと他の事を聞きに来たのです。しかし、どうもあなたの心の問題を無視したままでは、いけないようですね。

 どうでしょう? もし良かったら、あなたが私の何を恐れたのか、それを聞かせてはもらえませんか?」

 

 それから私はあの不思議な出来事を神原に話したのだ。私は罪悪感を覚えていると言ったつもりはなかったのだが、何故かこの男はそう断定していた。

 「罪悪感を覚える。……それも分かります。あながた奇妙な体験をしたのは事実なのでしょうが、それは夢だったのかもしれないし、後を引いているとはいえ、病気と呼べるレベルなのかも分からない。

 まるで、自分が詐欺で楽をしているように思えてしまうのも無理はない」

 私はそう神原に言われて反論した。

 「何も私は、自分が病気じゃないなんて言ってはいない。確かに病気だが、うつ病かどうか疑っているだけだ」

 すると、神原は直ぐにこう答えた。

 「しかし、もし仮に他の病気であった場合、うつ病であると誤診されてしまうレベルで、軽度なのかもしれない。なら、やはり休む正当性がない。

 そうなるかもしれない。そして、あなたはそう思っているんだ」

 私はそれに何も答えられなかった。神原は私の反論がないのを確認すると、それからまた続けた。

 「だからあなたは、私が自分を糾弾しに来たと考えたのじゃありませんか? そして、必要のない警戒をした。だから、あんなに不機嫌だった」

 そう言い終えると、神原はにやけた笑いを更に濃くした。

 「なに、安心してください。あなたには、間違いなく補助を受ける資格がありますよ」

 神原はその濃くした笑いのままにそう言った。その時私には、彼が初めて少しはカウンセラーらしく思えた。だがしかし、私はそう言われても少しも心休まる事はなかったのだった。

 私の家はアパートで、怠惰な暮らしぶりを反映しているかのように、その部屋は薄汚かった。もう何日も片付けていない。その部屋の一角を、なんとか取り繕って接客用のスペースを作ったのだが、それくらいでは誤魔化せていないだろう。この男は気が付いているはずだ。私のだらしなさを。同情されているようで、私はみじめな気持ちになった。

 「心の病の診断基準をご存知ですか? 人の心が直接は観察できないからなのか、現在は原因ではなく、その症状に判断基準を置くのが主流になっています。つまり、病因は考えない。うつ病に注目するのなら、その代表的な症状に不安や不眠があります。あなたにはこの二つが両方とも当て嵌まる。だから、あなたを担当した医師は、あなたをうつ病だとそう診断したのでしょう。もちろん、診断は大変に難しいので、それが適切なものなのかどうかは分からないのですが。

 これは私の個人的な意見ですが、あなたのような立場にいる人間に要求される心構えは、“病気に甘えない”だと思います。病気だから、自分は働くのを免除されている、などと考えてはいけない。病気依存になってはいけないのです。社会があなたを援助してくれるのは、飽くまで病気を克服する為なのだという意識を持ち、そしていつかは、社会に対して恩返しをするという目標を持たなくてはいけない。

 あなたは、罪悪感で苦しんでいる時点で少なくとも病気に甘えてはいません。頑なに自分は病気だと思い込もうとしている人達とは根本が違っているでしょう。自分を責め過ぎると、恐らく、あなたの抱えているその問題は改善に向かいません。すると、もっと社会に対して迷惑をかけてしまう」

 神原は悩んでいる私に向けて、そうたくさんの言葉を浴びせてきた。その口調は、脅しているようでもあり、諭しているようでもあり、また励ましているようでもあった。

 勘弁してくれて、と返すのも何かおかしいが、それに対して私は心の中でそう呟いた。私はそんなに強い人間ではないのだ。しかし、それに反して何故か心は落ち着いていた。更に、気付くと私はもしかしたらこの男に助けられたのかもしれない、とそうも思った。そしてそれから、しばらくの間の後で、

 「そういえば、あなたは何か私に聞きたい事があったと……」

 そう問い掛けた。この男の目的はそれだったはずだ。冷静になってそれを思い出す事ができた。もちろん私がそう言い出したのは、この男に少しでも恩返しがしたかったからだ。すると神原は、こう答えた。

 「いえいえいえ、それがね、図らずも目的は達成してしまったのですよ。あなたの体験談で」

 私の体験談で?

 そう言われて私は、狸に化かされたような心持ちになった。この男は、一体何が聞きたかったのだろうか? その私に向け、神原はこう言った。

 「ところで、ナノネットという存在はご存知ですか?」

 私は必死に記憶を辿り、その単語を見つけ出した。

 「あの、精神医療などに用いられるナノマシン応用技術の一つですよね? 人間の精神に働きかけができるという」

 「そうです。その通りです。」

 相変わらずの笑顔で、神原はそう答えた。カウンセラーだというこの男が、その存在を気にかけるのは分かる。医師ではないから、直接触る資格は持っていないだろうが、関わる機会くらいならばあるのだろう。神原は私の治療にそれが使えるとでも考えているのだろうか?

 「そのナノネットが、自然界にも繁殖しているという話があります。それも、ご存知でしょうか?」

 しかし私は次にそれを聞いて、眉をひそめた。それが半ば都市伝説に近い話に直結していたからだ。

 「知ってはいますよ。場合によっては、人間に働きかけをしてくるのだとか。でも、あまり信じてはいません。繁殖しているというのは受け入れられても、ナノマシンが勝手にネットワークを形成して、しかも人を利用するなんてのは」

 「ま、信じられないのは分かります。ただ、もしそれが本当だとしたら、人間が細菌のようなロボットに化かされている事になる。それこそ、馬鹿馬鹿しいと思いませんか?」

 神原はにやにやと笑っていた。私には、再びこの男が分からなくなった。

 「もしそうなら、反対に化かし返してやりたいじゃないですか」

 神原はまだ笑っていた。本当に楽しそうに。多分、この男は何かを企んでいる。その時私はそう思った。

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