20.カスケード
(第三の目能力者・祭主智雄)
「その為には、祭主くんが調査してくれた例のスポットが大いに役に立ちました……」
神原さんがそう言った。その言い方に僕は少しだけイライラした。まるで僕の機嫌を取るような言い方に思えたからだ。本多さんの事で僕が怒ったのを気にかけているのかもしれない。そんな必要はないのに。僕の方が誤解していただけだと言うのなら、僕はそんな事で怒ったりはしない。もっとも、神原さんの所為で彼女が危険な目に遭ったというのは事実なのかもしれないけど。
ただ僕は、その怒りを抑えて神原さんの話の続きを聞いた。多分、ここで怒る方がもっと子供なのだろうと思ったから。
「私達の知り合いに、ナノネットにとても感応し難いという珍しい体質を持った人がいるのですが、その人に頼んで、ナノネットのリンクを分断する装置を、そのスポットに設置してもらったのです。結果は予想通り、ナノネット達は、バラバラになりました」
その女の人というのは、多分山中さんの事だろう。やっぱり、あの人も関わっていたんだ。
「満足いく結果ですが、しかしそこで何もしなければ混乱が起こり、ナノネット達が何か問題を起こす懸念もあった。そこでナノネット達に組織性を持たせたのです。統制する為に。それにも私や室井沢先生が関わりました。“濃い青色”のルールも、そのタイミングで設定したものです。そして情報を集めつつ、ナノネット達に“例のアレ”への関心を高めさせ、チャンスが訪れるのを待った。
しかるべきタイミングで、室井沢先生が“例のアレ”を持っていると公表し、そこに集中する敵意を利用して、ナノネット達に一箇所にアクセスさせ、一塊にした上で直ぐに消去するつもりでいました。
“例のアレ”を保持しているという囮がいなければ、例え結びつきを強くしても、一箇所にアクセスしようとはしないでしょう。その為に、囮は必要だったのです。くどいようですが、更に説明を加えるのなら、バラバラにしなければ、互いを結び付ける力を強化する事もできなかった。リンクが分断していたからこそ、互いへの関心が増し、情報を得る必要性から、リンクを結ぼうとするのです。
ただ、そのチャンスを待ち続けた辺りから、私達は違和感を感じ始めます。ナノネット達の動きに予想外な点が見られ始めた。例えば、ナノネット達の会議が真夜中ではなく、夕方や日中に開かれるようになったり、寮生以外のメンバーが参加するようになったり」
そこで山瀬さんが手を上げた。
「それをやらせていたのは、あたしよ」
そう言う。それから、彼女は僕に視線を移すと続きを語った。
「祭主くんに、ここのナノネットのことを詳しく聞いてね、それで色々と試して、色々と利用させてもらったの」
その言葉で、僕に視線が集まる。本多さんも僕を見ていた。なんでそんな事をしたのか不思議に思っているような顔。僕はそれに何も答えなかった。山瀬さんは、本多さんの知り合いで、それで事情を話せば、あの時僕を邪魔していた本多さんを説得してくれると思ったから、僕は山瀬さんに話してしまったのだけど、それを言えば恐らく、本多さんは自分を責めるはずだ。ここでは言えない。
それに、どんな事情があるにせよ、情報を漏らしてしまったのは僕のミスだ。さっき僕は神原さんを怒ったけど、むしろ悪いのは僕の方になる。結果として、本多さんを危険な目に遭わせてしまった。神原さんの心配していた通りに、僕は情報を漏らしたのだし。
ところが、そうして黙っていると、山瀬さんは大きく溜息を漏らしたのだった。
「はぁ。なんだかな。
もう、嫌になっちゃう。祭主くんも真由と同じくらいにお人好しじゃない。庇うなんて。本当は嫌がらせのつもりでばらしたのに。
あの時、真由は祭主くんの調査とやらの邪魔をしていてね、それであたしに説得してくれないかって事情を話したの。でも、二人に責任はないわよ。それを知って、勝手に利用したのはあたしなんだから」
それを聞いて、室井沢先生は「山瀬、お前…」と、何かを言いかけたけど、それ以上は口にしなかった。それに山瀬さんは、過剰反応する。
「どうして、そんな事をしたのか不思議ですか? 先生。半分は遊びです。そして、もう半分はあたしが、真由を好きだったから」
僕はそれを言うのを止めさせようとした。いたずらに自分を傷つける事はない。ところが、僕が何かを言う前に彼女は、
「情報を漏らした自分に責任があるみたいな顔しないでよ、祭主くん。自分の責任くらい、自分で取らせて。
あたしは真由を手に入れる為に、策を練ったんです。真由を、何でも言う事を聞くロボットにしてやろうと思って」
僕は本多さんを見てみた。彼女は顔を伏せていた。そして、そこまでを山瀬さんが言ったところで神原さんがこう言った。
「なるほど。そこまで聞ければ充分です。大体の事情は察しました。情報を漏らしたのは確かに祭主君のミスですが、不問にしましょう。祭主君はただの高校生です。スパイでもなんでもない。それくらいのミスは想定して計画を練るべきだった。これは、私のミスでもあります。無理に、今回の話を頼んだのは私ですしね」
室井沢先生がそれを聞いて、更に何かを言おうとしたけど、神原さんがそれを制した。
「彼女は既に充分に反省しているようですよ、先生。それに、今は精神状態がよろしくないようだ。少なくとも今は、もう何も言わない方が良いでしょう」
それから一呼吸の間の後で、また神原さんは語り始めた。
「ナノネット達が予想通りに行動していないのを受けて、私は計画を修正しました。ナノネット達が開く“鬼ごっこ”。それを利用して、計画を実行しようと考えたのです。今晩に決めたのは、鬼役が誰なのか分からなかったからです。その情報が全く入っては来なかった。何かしら不気味な予感を覚えましてね。今までは誰なのか分かっていたのに。何か悲惨な事が起こる前にそれを防がなくてはいけないと思ったのです。それで、祭主君にも出てきてもらった。幸い、その勘は当たったようですが」
僕はそれを聞いて、その点は神原さんに感謝しなくちゃいけないとそう思った。それから本多さんを見る。山瀬さんの事もあってか、彼女は複雑な表情をしていた。ただ、彼女も感謝をしてはいると思う。神原さんはまだ続けた。
「因みに、私はナノネット達の集団に接触し、“例のアレ”を保持しているのが室井沢先生だと伝えた上で、あの箱に“例のアレ”が入っていると騙すつもりでいました。そして、室井沢先生にあのブラックボックスを開けてもらおうと」
そこで本多さんが口を開いた。
「どうやって、室井沢先生が“例のアレ”を持っていると、ナノネット達に信じさせるつもりだったのですか?」
「そもそも、“例のアレ”を発見した時に、あなたが感じた情報はわずかばかり、ナノネット達に伝わっているのですよ。つまり、室井沢先生の情報も伝わっているのです。と言っても、大体の雰囲気程度でしょうが。だから、信じさせ易い土壌はあったのです。
それと、これです」
そう言って、神原さんは妙なトランシーバーのような機械を取り出した。それを見て、本多さんは驚く。
「それって……」
「そうです。指の骨を掘り出した時に、あなたが持たせられていたあの機械ですね。あの時と同じ、これを作動させれば、ナノネット達は室井沢先生が“例のアレ”を見つけた本人だと信じるでしょう」
そこで僕は抗議の声を上げた。
「それは紺野先生から借りてきたものですね? そんな便利なものがあるのなら、初めから使っておけば、僕はこんなに苦労しなかったのに」
「いやいやいや、あなたがこれを使ったら、室井沢先生が“例のアレ”を見つけた本人だとナノネット達を騙せなくなるでしょう?
それに、実を言うのなら、そこまでの危険はないだろうと私は踏んでいたのです。ナノネット達に、人を傷つけるのは自分達の害になると教え込んでいまして。少なくとも数ヶ月はその情報は保持されるだろうとも考えていた。
どうも、これまた予想外の事が起こって、ナノネット達は凶暴化してしまったようですが」
それを聞き終えると、本多さんが言った。
「わたしがその箱を開ける役になったのは、どうしてなんですか?」
「もちろん、初めからの計画ではありません。私はあなたがここに来ている事すら知りませんでした。ただ、どうにもナノネットの動きを観察していると、祭主君らしき人物の行動が普通じゃない。それで、どんな事情があるかは分かりませんが、恐らくあなたが鬼役になったのだとそう判断しました。
先に言った、スポットに設置したナノネットを分断する為の装置は、そのまま観測装置としても使えましてね。それで、室井沢先生に出てきてもらうより、あなたがそのままこの箱を開けた方が早いと判断したのです。
祭主くんを警戒して、ナノネットがあなたにアクセスしないかとも不安になりましたが、その前に祭主くんは他のナノネットを封じようとしていたみたいだし、それに、“例のアレ”が目の前にあるという事実に、ナノネット達はどうやら釣られてくれたようです。全員、繋がってくれたみたいだ」
僕はそこで思わず口を挟んでしまった。照れ隠しだったのかもしれないけど。
「実はそこに疑問があるんです。僕が見つけたスポットは、人がたくさんいる時にだけ現れるパターンのようなもののはずです。つまり、人が消えた夜中では、スポットとしての意味を為さない。なのに、どうしてその装置が今も効果的に作動したのです?」
「それは簡単ですよ。今回使った装置には、ナノネットのリンクを記憶する機能もあるんです。昼の内に記憶し、その情報を溜めておけるのですがね。だから、こうして夜中でも正常に機能しているし、微弱なナノネットの電磁波を強化させられる。
高い機械なもので、もし一つでも失くしたり壊したりしたら、紺野先生に怒られてしまいますがね」
それから神原さんは、開けられた黒い箱の近くまで寄っていくとこう言った。恐らく、最後の締めだろう。
「先にも説明しましたが、この箱が開かれると、スポットに設置した装置のもう一つの機能、ナノネットを強力に結び付ける機能が作動します。
少しでも接点があれば、ナノネットのリンクが結び付き、その先にあるリンクにも同じ様に作用し、ドミノ倒しのように各リンクは繋がっていく。つまりは、カスケードが起きるのですが。これにより分裂した、この学校の外に在るナノネットも結び付いたはずです。多とも一とも言える、今回のこの厄介なナノネットの一群は、これにより全て完全に消去された事になるはずです」
神原さんがそう語り終えると、山瀬さんがこう続けた。
「かくしてこの学校は、ナノネットのいない普通の学校に戻りましたとさ。めでたし、めでたし」
それからこれで終わりと判断したのか、室井沢先生が口を開いた。解散の合図だ。
「さて。これでもう皆、“知らない事”はないはずだ。今は夜中の学校、こんな状況でいつまでもいるような場所じゃない。後は私が寮生達を起こして、後始末しておくから他の人は帰りなさい。神原さん。もちろん、あなたもです。部外者ですからね」
そして僕らは解散した。ただ最後、その帰り道に、神原さんから僕はこんな事を言われたのだ。
「今回の事で、あなたはお父さんにお礼を言うべきですよ。それともう一度忠告します。少しの知る知らないの差が、大きな違いを生む。あなたの中に存在している化物は、虚に向かって咆えた犬が作り出した幻かもしれない」
僕は無言のままそれに頷いた。