15.ヒドゥン・パラメータ
(第三の目能力者・祭主智雄)
「どうにも、ヒドゥン・パラメータの存在があるようです」
神原さんから電話でそう言われた。僕はその言葉に戸惑う。ヒドゥンとは隠れたという意味。つまり、それは隠れた要素が存在しているという話だ。これがよくない報せであるのは僕にも簡単に分かった。
「つまり、神原さんの計画通りに進んではいないという意味ですか?」
「いえ、大筋では私の計画通りに進んでいますよ。ただし、どうにも想定よりも、乱れが大きい。これは、推測ですが、もしかしたら、誰かがナノマシン・ネットワークの性質に気が付き、それを利用しているのかもしれません」
「はぁ」
「その誰かが、意図的に学校ナノネットに影響を与えて操っているのではないかと。その所為で、事態は私の予想とは少しだけ外れて進んでいるようなのです」
そう言われても、僕は神原さんの計画を教えてもらってはいないから、実感ができなかった。学校ナノネットは、僕も毎日観察している。それでその状態も分かってはいるけど、でも、何が問題なのだろう。それから僕はこう質問してみた。
「例のアレ、とやらを巡って、ナノネット達の動きが何だか不穏ですが、それと神原さんの不安は関係していますか?」
「いえ、それは私の予想通りです。むしろ、私はそうなるように仕向けました」
「はぁ」
分からない事があったら質問するというのが、僕と神原さんが協力関係になった時に定めたルールだ。しかし、今回の具体的な計画に限っては、ナノネットにばれてしまう可能性があるから僕には伝えられない。確かそのはずだった。だから僕は、少し困っていた。この件に関して、一体、どこまで質問して良いのかが分からなかったからだ。
「このヒドゥン・パラメータに関して、何か祭主君の方で思い当たる点はありませんか?」
僕が困っていると、神原さんはそう質問して来た。
「いえ、全く分かりません」
僕はそう即答する。本当に分からなかったから。
「そうですか。私は、もし何かあるとしたら、祭主くんの人間関係周辺が怪しいのじゃないかと思っていたのですが。人間関係も含めてのナノネット全体で、一番の異分子は、祭主君ですから。
そういえば、あなたはまだ本多真由さんから避けられているのですか?」
僕は一応、(嫌だったけど)本多さんの話も神原さんに伝えていた。彼女が心配なのだけど、避けられてしまっていると。もう調査の邪魔はしてこないから、多分、僕を敵視するのは止めていると思うとも。
「はい。話してくれません」
「そうですか。妙ですね。あの娘は、ナノネットの存在を知っている。既に危険だとも分かっているはずです。そして、あなたがナノネット関連では頼りになると分かっている。その上で避けている、と」
「僕と仲良くすれば、ナノネットから睨まれてしまうからじゃありませんか?」
「その可能性も考えられますが、どうでしょうかね? ならば、ナノネットにばれないようにコンタクトすれば良いだけじゃありませんか。
脅されていたら、恐怖からその考えが浮かばないという可能性もありますが」
「はぁ」
それを聞いて僕は思う。
もしかしたら、本当に単に僕が嫌われているだけなのかもしれない。
「こういう綻びは、案外重要である場合が多いのですが、どうもそれを詳しく調べている時間はなさそうです。
ナノネットが、私の予想とは少し違った動きをしているのは先に伝えた通りです。しかし予想外の行動を執られたなら、それを補正してやれば良いだけです。私は、そのナノネットの動きに合わせて私の計画を実行する事に決めました。
ただし。先にも述べた通りに、どうにもヒドゥン・パラメータが存在している。そこで祭主君、あなたを頼ろうと思います」
僕はその神原さんの話に少しだけ驚いた。もう僕が頼られる事はないと思っていたからだ。そしてそれと同時に喜んでもいた。このまま、何もしないでいるのは嫌だから。神原さんは続けた。
「“鬼ごっこ”の存在は知っていますか?」
鬼ごっこ?
「あの子供の遊びの“鬼ごっこ”ですか?」
「いえ、違います。T学園で噂になっているはずですが、まぁ、学校ナノネットにとっての異分子であるあなたが知らないのは無理もないかもしれません。
鬼ごっことは、“例のアレ”を見つける為に開かれる行事のようなものですよ。ナノネット達の」
僕は顔をしかめた。そんなものが開かれていたなんて全く知らなかった。それだけ、あの学校での僕のコミュニケーションのネットワークは断絶されているという事か。
「その鬼ごっこがですね。どうも、明日の晩に開かれるようなのです。祭主君。どうかあなたも、そこに来ていただきたい」
「構いません。ただ、その場で僕は何をやれば良いのでしょう?」
「不足の事態に備えて欲しいのですよ。誰かが危険に曝された時、あなたにその誰かを護ってもらいたい。あまりに漠然とし過ぎているかもしれませんが、正直、私にも何が起こるのか予想がつかないのですよ」
僕はそれに頷いた。その後で、これが電話の会話だったと思い出して、「分かりました」と、そう答えた。
次の日の学校。
僕はいつも通りに過ごした。意識を集中して、ナノネットの動きを探っても、別に普段と変わらないように思える。ナノネット達はいくつかの塊に分かれていて、繋がってはいない。そして、恐らくその塊同士の組織性は、ナノネットではなく、人間関係のネットワークで維持されている。
その日も本多さんは僕を避けていた。
鬼ごっこ。
そこで何が起こるのだろう? そして、神原さんは何を企んでいるのだろう?
どうであるにせよ、僕は自分に与えられた役割をこなすだけだ。鬼ごっこが行われている間、ナノネット達を監視して、誰かが危険に巻き込まれたら助ければいい。
当日。
既に暗くなっていて、学校の頼りない夜間照明が、辺りを薄暗く照らしていた。
神原さんは食堂の近くに陣取っていた。僕はそこに呼び出された。何かの箱を用意している。黒い箱だ。中身は分からない。しかし、その箱はどうやら、今回の神原さんの計画の肝であるらしい。暗い景色の中で、光を反射しないその箱は、まるでそこだけ空間が切り取られたかのように真っ暗だった。箱があるのじゃなくて、まるで無がそこに鎮座しているように思える。
神原さんはナノネットに、この箱を開けるよう仕向けなくてはいけないとそう語っていた。その時に、何かが起こるらしい。僕はそれを教えてもらってはいないけど、その言葉を信じてみた。ここに至っては、もう信じるしかないだろう。
「できるだけ、第三の目の気配は消してください。あなたにならできるでしょう?」
その暗闇の中で、神原さんは僕にそう忠告をして来た。僕は黙って頷く。神原さんは更に説明をした。
「あなたが調べてくれたナノネットが集中するスポットに、とても小さな装置を設置してあります。その装置には、ナノネットの結び付きを破壊する機能があるのですが、それだけじゃなく、動きもある程度は追える。その性能では、あなたの第三の目よりも上です。そして、鬼ごっこにおいてある現象が起こっているのを、この装置は捉えました」
僕はそれを聞きながら、周囲の気配に意識を集中していた。もう寮生達、いや、ナノネットがやって来てもおかしくはない時刻になっていたからだ。
「鬼ごっこでは、そこに参加しているナノネットの全てが、鬼役の誰かを捕まえた瞬間に一斉に調べるようなのです。それは、つまりはナノネットがその誰かを介して、全て繋がっているとも表現ができますね。もちろん、その一瞬だけですが、その時だけはナノネットの塊達は一つに統合されている。恐らくは、何処かのグループが“例のアレ”を独占しないようにしているのでしょう。
もっとも、それだけじゃなく、この学校外のリンクもそこに結び付いているようですが」
僕はその説明にまた頷いた。
「これだけ言えば、あなたにならもう分かると思います。あなたの能力に、私は期待していますよ。どうか、充分に気を付けてください」
神原さんは何かの機械をじっと見ていた。携帯用の電子辞書のようなものだけど、恐らくはナノネット関連の何かの道具なのだろう。
「先にも言いましたが、今回の鬼ごっこの舞台は、化学室のようです。例のアレは、今回は特別な力を持った何かのようですね。いやいやいや。都合が良い」
そう言うと、神原さんは「ふふふ」と笑った。
「予想通りに、ナノネット達はそこに向かおうとしているようです。今回の鬼役が誰なのかは分かりませんが。もしかしたら、その誰かをあなたは護る必要があるかもしれません」
僕はその言葉を聞くと、暗闇の学校の中を歩き始めた。緊張を感じる。ヒドゥン・パラメータ。それが何なのかは分からないけど、それにはもしかしたら、僕の第三の目は通用しないのかもしれないんだ。
やや早足で、僕は予め決めておいた潜伏場所へと向かう。ナノネット達に見つかってしまったら面倒な事態になる。それは避けなくてはならない。だから、奴らがやって来る前に、僕は隠れる必要がある。まだ、僕の第三の目は、ナノネットの存在を捉えてはいなかったけど、それでも安心はできない。今回のナノネットは、電磁波を発しない可能性もある。
化学室へ向かうルート。絶対に通らなければならない、特別教室の一つに僕は身を潜めた。
その場所からは、窓から街灯の光りが入っているお陰で、廊下を観察できた。更に、暗がりに身を置けるから、相手からは僕の姿は見えない。つまり、その場は隠れて観察するのに都合が良いんだ。
僕はその場所で息を潜めて、ナノネット達がやって来るのを待った。夜の空気を感じる。何か見えない要素があるどころじゃない。ここでは、ほとんど全てが見えない。そして、その見えない全てが、僕にとっての恐怖の対象となっている。
見えない。疑心暗鬼。ブラックボックスであるという事の意味は大きい。ずっと昔に紺野先生が教えてくれた通りだ。そこに身を潜めながら、僕は思った。でも、それに囚われたら何もできなくなる。お化けを作るのは僕自身だ。そう繰り返す。分からない要素があるという前提、それを受け入れた上で何をするべきなのかを考えなくちゃいけない。
僕は神経を集中した。
情報を少しでも多く得なければならない。ナノネット達の存在を確認しなくちゃいけない。
まずは第三の目がそれを捉える。ナノネットの電磁波の拡散。結び付いてはいないそれらを、第三の目は感じた。
来た。と僕はそれで思う。やがて遅れて、ゾロゾロという足音が近付いて来た。
足音が聞こえて来てから、少しの間の後で、寮生の集団が廊下を通るのが見えた。薄暗闇の中でも分かる。その寮生達の意識が奪われてしまっているという事が。僕は第三の目と視覚を集中し、それを観察する。そして第三の目の探知で、僕は妙な揺らぎを感じた。僕の勘違いでなければ、ナノネット特有の電磁波を発していない人がいる。つまり一般人が混ざっているんだ。今度は、視覚に意識の全てを集中した。
違和感を頭の中に印象付けてから、その違和感が誰から発せられているのかを見極めようと思ったのだ。
そして。
僕の目は、信じられない人の存在を捉えていた。
本多真由さん。
僕は目を丸くする。
どうして、彼女がここいるんだ?
僕はナノネット達が過ぎ去ると、思わずそれを追っていた。追ってから、軽率な行動だったかもしれないと反省した。もう少し第三の目で様子を探って、危険がないかどうか確認するべきだったかもしれない。もし見つかってしまったら僕まで危ない。だけどそう考えても、足は止まらなかった。
もし、彼女が危険な目に遭うというのなら。
(僕は少し焦っていたかもしれない)
化学室。ナノネット達がそこに向かっているのは明白だった。神原さんから教えてもらった通りに、ナノネット達はそのまま化学室に入っていく。吸い込まれるように。ちょっとの間だけ、何かの光が見えた。気付くと、僕は走っていた。幸い、ナノネット達は僕の存在には気が付かなかったようだ。でもそれは恐らく偶然じゃない。僕の第三の目は、ナノネット達が他の何かに気を取られているのを捉えていたから。
そして、ドアの隙間から化学室を覗き込む。その僕の視界には、ナノネット達に取り囲まれる本多さんの姿が入って来た。
彼女がこの鬼ごっこの“鬼役”なのか? でも、彼女はナノマシンに侵されていない。ナノネット達には調べようもないはずだ。しかし、そこでナノネット達は何個かパンを取り出した。学校のパン。そこにはナノマシンがかなり大量に含まれているはずだ。意識を集中する。第三の目がその存在を確認した。
つまり、ナノネット達は彼女をナノマシンで侵してから、調べるつもりでいるんだ。彼女の記憶を蹂躙するつもりでいる。
やがて、ナノネット達は彼女にパンを無理矢理に食べさせ始めた。僕はそこに静かに近付いていく。
ナノネット達は運良く全員、僕に背を向けていた。本多さんだけが、僕と顔を合わせる向きにいる。彼女が僕に気付いたのが分かった。驚いた顔をしている。それから、悲しい顔になる。僕はその表情の変化をただ黙って見つめていた。