10.甘い判断
(高校一年・本多真由)
わたしはもう祭主くんにも寮にも関わらない。そのつもりでいた。でも、それは無理だった。なにしろ、祭主くんとはアルバイトで一緒で、寮の先輩達ともわたしはアルバイトで一緒だったからだ。
次の日のバイトのシフトで、わたしは祭主くんと同じ時間に重なった。彼は、しばらくはいつも通りに無言だったのだけど、何かを思い詰めているような様子で、そして客足が途絶えたタイミングで、わたしに話しかけてきた。それは、とても珍しい事だった。もしかしたら、初めてかもしれない。
「ここ数日の出来事で、本多さんは僕を奇妙に思っているかもしれないけど」
彼はまずそう言った。いかにも口下手な感じで言い難そうにしながら。その不器用さに、わたしの警戒心が少し和らぐのを感じた。でも、それでも積極的に関わりたくはない。
「信じてはもらえないかもしれない、けど、実は僕にはナノマシン・ネットワークを感じ取る能力があるんだ」
彼はその時、前髪を分けて例のあのデキモノをわたしに見せてきた。恐らくは、その額のデキモノでナノマシン・ネットワークを感じられる、という事だろう。
そういえば、彼は以前に、“分裂する幽霊”の正体はナノネットじゃないかとそう言っていた。この話が嘘じゃないとすれば、それは彼がナノネットを感じ取れるからこその発言だったのかもしれない。
その次に、彼はこう続けた。
「そして、君やこのアルバイトの先輩達、つまりT学園の生徒達から、僕はナノネットの気配を感じ取ったんだ」
それからまた黙る。なんだか、わたしの様子を確認しているような気がした。わたしはどう反応したら良いのか、それで困ってしまった。もう関わりたくはないから、分かったとは返したくない。でも、何も返さないと彼を傷つけてしまうかもしれない。それで結局、わたしはただ頷いた。すると、彼はまた口を開いた。
「だから僕は、君の学校に転校した。ナノネットを調査する為だ。僕には、ナノネットに干渉できる能力もあるから、身の危険はそんなに心配しなくてもいい。相手がナノネットなら、僕は負けない」
その説明で、当然わたしは、先輩を含めた寮生達が祭主くんを恐れていたのを思い出した。もしも、寮生にナノネットが宿っているのだとすれば、話の辻褄は合ってくる。けど、わたしは同時に不安にも思っていた。彼を全て信用してしまって良いものだろうか? だからわたしは、こう質問したのだ。
「どうして、初めに、わたしにその話をしてくれなかったの?」
その話だけで信用するには、既にわたしの中で彼は不気味な存在になり過ぎていた。
「君達を巻き込みたくなかったんだ。話せば、きっと関わってしまうだろうから。それに、できるだけ秘密にしておくべき事でもあった。ナノネットに知られたくはない」
「じゃあ、どうして今は話してくれているの?」
「君が既に関わってしまっているのじゃないかと思ったから。それに、既にナノネットにも知られしまっているみたいだし… それに、」
そこまでを語って彼は、突然に言い淀んだ。何故か、顔を赤くしている。それから、何かを誤魔化すように、
「とにかく、T学園に蔓延しているナノネットは危険な可能性があるんだ。なにしろ、人を殺しているのかもしれない」
と、そう言って来た。
「人を殺している?」
「うん。詳しくは僕も分からないのだけど、女子生徒を殺しているかもしれない。しかも、そんなに昔じゃない」
わたしはそれを聞いて、先輩から聞いた怪談を思い出した。殺された女性の霊が、自分の死体を探して夜の校内を彷徨っている、という話を。そして、それと同時に夢の話も思い出していた。これは、鵜飼という先輩の体験談だった。殺されてバラバラにされる夢を、何度も見るという。寝惚けて親に、助けを求める電話までかけてしまったとか。
“詳しくは僕も分からない”。と、そう彼は言った。しかも、そんなに昔ではなく女子生徒が殺されている、と。でも、女子生徒が一人いなくなれば、普通は話題になるはずだろうと思う。例え、殺されているのか分からなくても、行方不明となれば関心を引かない訳がない。しかし、わたしはそんな話は聞いた事がない。なら、もしかしたら、彼は何かを勘違いしているのじゃないだろうか?
もしも、彼のナノネットを感じ取れる能力とやらが、相手の幻想までも把握してしまうのだとすれば、ただの夢を彼が勘違いしている可能性もある。
わたしはそれを祭主くんに言おうか迷ったのだけど、その前にお客さんが入ってきた所為で、その話は続けられなかった。その後も、その話を続けられるような雰囲気じゃなくて、結局、話は曖昧なままで終わってしまった。祭主くんは終始何かを言いたそうにしていたから、きっととても気にしていたのだろうと思う。わたしが、彼の話を聞いてどんな風に感じたのかを。もっとも、わたしだって気にしていた。一体、本当に問題があるのは寮と彼、どちらなのだろう?
その日のアルバイトが終わるのは、祭主くんよりもわたしの方が1時間ほど遅くて、彼が帰った後もわたしは残っていた。そして、時間が遅い分だけ15分ほど余計にある休憩時間中に、先輩達が三人ほどやって来たのだ。先輩達は、今日のシフトに入っていなかったはずだ。と言う事は、わざわざわたしに会いにやって来たのかもしれない。
「あの例の“彼”から、何かを言われなかった?」
先輩の一人がまずはそう言った。例の“彼”とは間違いなく祭主くんだろう。先輩達がそう言ったのは、祭主くんの話が本当だからなのかもしれない。少なくとも、彼にはナノネットを感じ取れる能力があるんだ。そして、わたしの学校にはナノネットが蔓延している。そう考えてから、わたしはこくりと頷く。すると、先輩達の目の色は少しだけ変わったように思えた。
『なるほど。それで、それを聞いてあなたはどう思ったの?』
「正直、分からないです」
本当に分からなかったから、わたしはそう答えた。殺人が、自分の学校で起こっているなんて信じられないし、先輩達がそんなに危険な存在だとも思えない。確かに、寮の時のあの体験は奇妙だったけど、でも、結局わたしは何もされなかった。祭主くんを追い返してと頼まれただけだ。例え、ナノネットが先輩達に宿っているのだとしても、それはそんなに恐ろしい存在じゃない気がする。
それを聞くとその先輩は、少し笑った。それから、
「良かった。彼の話を信用した訳じゃないのね。なら、聞いて頂戴。わたし達には、確かにナノネットが入り込んでいる。でも、それはそんなに強いモノじゃないの。わたし達に入っているナノネットは、明確な自己なんて持っていないし、それに人間の脳の助けを借りなくては高度な知能も持たない」
わたしはその話に少し驚いた。人間の脳の助けを借りる?
「先輩は、自分にナノネットが宿っているのを自覚しているのですか?」
「ええ。わたしだけじゃなく、ここにいる他の皆もそうよ」
背後にいる他の二人の先輩は、それに答えて「うん、うん」と相槌を打った。わたしは、更に質問をする。
「その上で、それを受け入れているのですか?」
「そうよ」
わたしは多分、その時に訝しげな表情をしたのだと思う。きっとだからだろう。それから、先輩はこう言って来たのだ。
「さっきも言ったけど、ナノネットはそんなに恐ろしいモノじゃない。だから、拒絶する必要もないの。意識を支配されるのだって、とっても稀。普段は、ただ存在を感じるくらいのものだから。
わたし達は、少し変わった隣人くらいの気分でナノネットに接しているわ。少なくとも、理由もなく消去されなくちゃいけないようなモノじゃないのは確か。でも…」
でも。
先輩が何を言いたいのかは簡単に分かった。でも、祭主くんは、そのナノネットを消去しようとしている。
「彼は、学校のナノネットが、人を殺したと言っていました」
先輩はそれを聞くと軽く首を横に振った。
「なるほど。それで彼がどうしてわたし達を敵視しているのか分かったわ。彼は、勘違いをしているのね。わたし達は、誰かを殺したりするような恐ろしい存在じゃない」
「わたしは、彼は鵜飼先輩が見ている悪夢を勘違いしているのじゃないかと思ったのですが。鵜飼先輩が何者か達に殺される悪夢を繰り返し見るって聞いたんです。学校で噂されている怪談の一つの、自分の死体を探す幽霊の話とちょっと関連があるような内容なんですが」
その話には別の先輩が反応した。
「その話ならわたしも知っているわ。多分、そんな夢を見るのは、ナノネットの所為ね。ナノネットが、学校の怪談を吸い上げて、夢を見せてしまっているのよ。でも、ナノネットだってしたくてそんな事をしている訳じゃないのよ。学校のナノネットには、そんな性質があるのよ。そこは信用して欲しいわ。それに罪のない話だし」
わたしはそれを聞いて大きく頷いた。やっぱり、彼の勘違いだったんだ。そう思う。その様子を見てか、それから先輩はこう言って来た。
「良かった。納得してくれたみたいね。それでね、本多さんにお願いがあるの」
わたしは、その言葉に少し悪い予感を覚えた。
「どうか、彼を止めて欲しいの。彼はこれから、ナノネットを消去しようとするはず。何の罪もないナノネットを。実は、今日も学校で調査みたいな事をしていたのよ」
それはわたしの予想通りのお願いだった。でも、本当に先輩達が困っているのなら、引き受けざるを得ないだろう。
「あの寮の時に、それを教えてくれていれば、もっと早くに彼を止めていたのですが」
そう答える。すると先輩は、こんな説明をしてきた。
「ごめんなさいね。ナノネットが強くなっている間は、高度な思考ができなくなってしまうのよ。だから、とてもじゃないけど、そんな事は説明できないの。代わりに、ナノネットを介しての情報の交換はできるようになるのだけどね」
その話にわたしは納得した。それで、あの寮の時、先輩達の様子はおかしかったんだ。あの時は不気味に感じたけど、正体が分かればそんなに恐ろしくはない。
「とにかく、分かりました。明日、彼を説得してみます」
そして、わたしは先輩達にそう約束をしたのだった。
次の日、休み時間になるなり、祭主くんは教室を出て行った。きっと、ナノネットの調査に出かけたのだろう。わたしはそれを追いかけた。先輩達との約束を果たさなくちゃいけないし、それになにより、こんな馬鹿馬鹿しい誤解は、やっぱりできるだけ早く解いた方が良いとも思ったから。
不気味に思えてしまうものを、人は必要以上に恐れるんだ。本当は、危険なんかなくたって。
無口な祭主くんは、きっとわたしと同じで、ただそれだけの理由で、他人から誤解を受けてきた事が多いと思う。その彼なら、きっと分かってくれる。わたしは、そんな風に思って彼を追った。だから、最初はもっと簡単に彼を説得できると思っていたのだ。
でも、それは違っていた。
「ナノネットを調査する必要なんて、ないよ」
彼に追いつくのは簡単だった。多分、ナノネットを感知しながら歩いているからだろう、彼は歩くのが遅かったのだ。
開口一番、そう言ったわたしを、祭主くんは驚いた目で見つめた。
「聞いて祭主くん。学校のナノネットは、人を殺してなんかいないの」
続けてわたしがそう言うと、彼は「どうして、そう言い切れるの?」と、そう尋ねてきた。それを受けてわたしは、この学校に流れている噂話を説明する。そして、それが原因で寮生が誰かに殺される夢を見るとも。
「多分、祭主くんはそれを勘違いしているだけだよ。ここのナノネットは、危険な存在なんかじゃないの」
ところが、彼はそれを聞いても納得はしてくれなかった。
「確かに重要な話ではあると思う。でも、それだけじゃ証拠にはならないよ。それに、僕は殺されただろう女生徒の霊を観ている」
「霊?」
「ナノネットの核みたいなもの。辛うじて残っているのを、中庭に発見した」
それを語った後、彼は不機嫌になっているように思えた。何故か、怒っている。
「本多さんが、その話を聞かせてくれたのはありがたいけど、それだけで調査を止める訳にはいかない。はっきりとした証拠を、見つけるまではね」
わたしはそれを聞いて、軽くショックを受けた。それはきっと、彼なら直ぐに誤解が解けるとわたしが思い込んでいたからだろう。そのショックは、わたしの中で直ぐに怒りに変わった。
「なんで、不気味だからって…」
と、そう反論しようとしたのだけど、そこで突然に声がかかって、最後までそれを言えなかった。
「君達、そろそろ休み時間が終わるよ。教室に戻らなくていいのかい?」
と、咎められたのだ。
そこには男の人の姿があった。確か、室井沢先生という人だ。病気で休職していたのだけど、つい最近復職して、皆の話題になっていたのを覚えている。
わたしはそれで、不完全燃焼のまま教室に戻ることになった。そしてその所為でか、祭主くんに対する怒りは、中々、消えなかったのだった。絶対に、止めてやる。気付くとわたしは、強くそう思うようになっていた。
だからそれでわたしは、休み時間になる度に教室を抜け出して、ナノネットの調査をしている祭主くんを邪魔するようになったのだ。邪魔というよりも説得だけど、結果的にそれは同じだった。祭主くんは、初めのうちはわたしに反論していたけど、徐々に避けるようになり、わたしから隠れるようになっていった。
わたしは、その彼の反応に、ますます意固地になってしまった。罪もない存在を消去するなんて、絶対に止めさせなくちゃいけない。自分も、何の罪もなくても、気持ち悪がられているのに、どうして他の者も同じだと分かってあげられないのだろう?
そんな事を繰り返して、何日かが経ったある日、わたしは祭主くんを探している最中に突然に話しかけられたのだった。誰かと思ったら、室井沢先生だった。復職したばかりの先生だから、わたしはもちろんそんなに面識がない。話かけられる理由は思い当たらなかった。
「やぁ」
と、室井沢先生は言った。わたしが、挨拶の意味で頷くと、それから先生はこう言って来た。
「今日も、例の彼を探しているのかい?」
その言葉にわたしは驚く。そこに、恋愛的なニュアンスを感じ取ったからだ。わたしは顔を真っ赤にしながら、こう返した。
「どうして、そう思うのですか?」
「ここ最近、毎日、彼を追っている姿を見るからだよ」
絶対に勘違いされていると思ったわたしは、
「確かに彼を探していますけど、別にそれは、そんな意味じゃなくて……」
と、慌ててそう言った。室井沢先生は、わたしの心中を察しているようで、
「私もね、別にそんな意味で尋ねた訳じゃないよ。でも、そうじゃないとすれば、どうして君は必死に彼を探しているのかな?」
と、そう返してきた。わたしは無言になる。どう説明すれば良いのか分からなかったからだ。しばらく黙っていると、先生は質問にこう付け足した。
「私はこれでも教師だからね。生徒の気になる行動はチェックしなくちゃならない。やましい事情がないのなら、話せるはずだよ」
わたしはそれでもしばらく黙っていたのだけど、やがて口を開いた。適当な嘘を吐くという選択肢もあったけど、正直に話すと決めた。わたしは嘘が下手だし、それに嘘を吐かなくちゃいけない理由もない気がする。
「実は……」
問題は、その話の内容を、先生が信じてくれるかどうかだった。あまりに突拍子もない話だから、疑われる可能性も大きい。でも、本当の事を話して、それでも疑われるのならそれで良い気もした。わたしは多分、不器用なんだ。
「なるほど」
話を聞き終わると、先生はそう言った。それから一呼吸の間の後でこう続ける。
「できるだけ公平に判断したつもりで言うけど、私にはその祭主君という子の考えは正しいと思える」
わたしはその言葉に少し驚いた。祭主くんの考えを肯定した点ではなくて、室井沢先生がこの話を信じた点に驚いたのだ。
「何も調査しないで、それだけの話から、この学校に蔓延しているという、そのナノネットが安全なものかどうか決めるのは難しいと思うよ。まずは、調査が必要だ。判断はそれからにしないと」
そう続けた先生に向け、わたしはこう尋ねた。
「あの、わたしの話を信じてくれるのですか?」
この学校にナノネットが蔓延していて、それが人に影響を与えているなんていう、馬鹿げた話を。
それを聞くと、先生は軽く微笑んでからこう言って来た。
「私はね、本多さん。この学校の教師だよ。そりゃ、しばらくご無沙汰していたけど、この学校が何かおかしいという事くらいは、ずっと前から気付いている。むしろ、その話を聞いて、納得したくらいだ」
わたしはその説明に疑問を感じた。
「なら、どうしてその疑問を、他の人に話さなかったのですか?」
「それは、君と同じ理由。信じてもらえるとは思わなかったから。そして多分、それは祭主君も同じだろう。君に話して信じてもらえるとは思っていなかったはずだ。彼は勇気を出して、君にそれを話したんだ。きっと、それだけの理由があったのだと思うよ」
わたしはそれに黙った。そしてわたしはこう思ったのだ。確かにわたしは、あまり深くは考えていなかったかもしれない。黙ったわたしに向けて、先生は更にこう言った。
「まぁ、彼はそんな境遇だから、恐らくは孤独には慣れっこだろうけどね」
その言葉は、わたしの胸に刺さった。わたしは彼の気持ちなんて、まるで考えていなかった。ナノネットを感じ取れるという、他の人にはない特殊な能力を持っている以上、理解されない辛さを彼はわたし以上に味わって生きてきたはずだ。
「あの……、わたし…」
と、それからそうわたしは、室井沢先生に目で訴えてみた。わたしにはこれから自分がどうするべきなのか、分からない。その目を受けて、先生はこう返してくれた。
「まずは、彼の言葉が正しいかどうか、その証拠を集めてみるべきだろう」
「でも、どうやれば良いのか……」
「なら、放課後に中庭に行こう。彼の言葉が正しいのなら、中庭には殺された女子高生の“霊”がいるのだろう?」
「はい。そうらしいですけど」
わたしは、その提案を不思議に思う。先生は、何をするつもりなのだろう?
「ナノネットの“霊”がある場所には、その死体が近くにあるケースが圧倒的に多いらしいよ。死体が発見できれば、彼が正しいと分かるはずだ。
中庭を探してみよう。大丈夫、場所の特定はそんなに難しくない。少し、私には考えがあってね」
それから、室井沢先生はそうわたしに提案してきた。わたしは黙ってそれに頷いた。少しだけ不安に思いながら。
放課後になる前に、わたしは祭主くんに話を聞いておこうと思った。室井沢先生の話で少し疑問点が生まれてしまったからだ。それで彼を廊下にまで呼び出すと、こう質問したのだ。
「祭主くん。あなたには、殺された女生徒の霊が見えたのでしょう? なら、どうしてその死体を探さないの?」
ナノネットの“霊”がある場所には、死体が近くにある。その室井沢先生の言葉から、疑問に思ったのだ。彼はやや不思議そうな表情をしてはいたけど、それでもこう答えてくれた。
「僕の“第三の目”は、ナノネットしか感知できないから、死体を探すのは難しい。時間が経ち過ぎているようだし。それに、その行動は目立つから、ナノネットに警戒されてしまうかもしれない。そもそも、死体は既に原型を留めないように、処分されている可能性が大きい。
そんな不確定な作業よりも、調査の方を優先すべきだったからだよ」
わたしは彼の言葉に頷いた。祭主くんは、相変わらずに不思議そうな表情をしていた。多分、どうしてわたしが突然にそんな事を訊いてきたのか分からないでいるのだろう。そんな中でわたしは、ますます室井沢先生の提案に不安を感じたのだった。一体、先生にはどんな“考え”があるのだろう? もしかしたら、先生は死体が既に処分されている可能性が大きいと知らないだけなのかもしれない。
放課後、約束の時間にいくと、室井沢先生はそこでスコップと軍手を持って待っていた。どうやら、本気で殺された女子生徒の死体を探すつもりでいるらしい。しかし、先生が用意していたのはそれだけじゃなかった。先生は何かの奇妙な薬用のカプセルのようなものと、そして、かなり昔のトランシーバーのような機械を何故か用意していたのだった。
「実は、随分前から私は、この学校にナノネットが蔓延しているのじゃないかと疑っていたんだよ。そして、準備をしつつ、協力者になりそうな人間が現れるのをずっと待っていた」
カプセルと、その機械とを示しながら先生はそう言った。それから、更に続ける。
「このカプセルには、ナノマシンが入っている。これを飲むと、体内にナノマシンが入り込んで、ナノネットに感応し易くなるという代物だ。そして、こっちの機械は、ナノネット電磁波遮断装置。これを当てると、ナノネットに憑かれた状態から回復できる」
言いながら、先生はわたしにそのナノネット電磁波遮断装置なるものを渡してきた。
「わたしがこのカプセルを飲んで、ナノネットを感じ、死体の場所を特定する。もしもの時は、君がそれで私を正気に戻すんだ。いいね?」
そして、そう言い終えると、そのまま中庭の中央に向けて歩き出してしまう。
先生の考えは何となく分かった。ナノネット・カプセルを飲むと、ナノネットを感じられるようになる代わりに、ナノネットに憑かれる可能性も出てくる。だから、その時はこの機械でナノネットの干渉を止め、自分を正気に戻せ、という事だろう。でも、
「あの、わたしは、こんな機械の使い方なんて」
でも、わたしはこんな機械を使った事なんて一度もない。上手くできるとは思えない。
「大丈夫だよ。電源は既に入っているから、後はスイッチを押すだけだ。そこに、赤いボタンがあるだろう? それを、押すだけ」
先生は特に気にする様子を見せずに、そう返してきた。ただ、たとしてもわたしにはまだ心配な点があった。
「死体は、既に処分されているのじゃないか?って祭主くんが言ってましたけど」
先生はそれにも即答した。
「かもしれないね。でも、断片的な何かくらいは残っているかもしれない」
わたしも直ぐにそれに返す。
「でも、もしもそんな場面を誰かに見られでもしたら」
わたしはこの学校の、学校に蔓延しているナノネットの“敵”になってしまうのじゃないだろうか?
「大丈夫だよ。私は教師だから。見つかっても叱られない。ゴミ穴を掘っていたと言えば良いじゃないか」
いえ、そんな事を気にしているのじゃなくて、ですね、とそう続けようと思ったのだけど、上手く言葉が出なかった。どうにも、先生の勢いに気圧されてしまったからだ。
仕方なしにわたしは、先生の後を追った。先生は確信的な足取りで進んだ。まるで、死体のある場所が分かっているかのように。しばらく進むと、先生はわたしを振り返り、それから「飲むよ。準備しておいて」と、言ってから例のカプセルを口に入れた。わたしは軽く緊張する。もし、先生の様子がおかしくなったら、どうしよう? そして、もし渡されたこれが効かなかったら?
その時、わたしは反射的に祭主くんの顔を思い浮べていた。多分、ナノネットが相手なら、彼に頼るのが一番だからだろうと思う。でも、本当にそれだけかどうかは分からなかったけど。
先生は中空を見上げるような動作をすると、「なるほど」と、そう呟いた。「あれが、その彼女だな」と、続ける。そして、そのまま藪の中に入ってしまった。そして、藪の向こうの湿った地面に、スコップを刺すと掘り返し始めた。
「あの…」
と、わたしはそう話しかけたけど、先生は聞こえていないのか、一心に掘り続けている。少しだけ、室井沢先生の様子には普通じゃないところがあって、わたしはなんだか恐くなってしまった。ナノネットに憑かれているのかもしれないと、不安になる。すると、そんなわたしに気が付いたのか、先生は地面を掘りながらこう言って来た。
「彼女はどうやら、自分の死体を見つけてもらいたがっている。その場所を指し示しているんだ」
わたしはそれを聞いて不思議に思う。祭主くんはそんな事は言っていなかった。どうして、先生にはそれが分かるのだろう?
そう思ってから、わたしはいつの間にかに自分が祭主くんを信用している事に気が付いた。何故なのかは、分からなかったけど。
その状況下で、わたしはただ黙って、なんたらとかいう機械を持ったまま、掘り続けている先生を見続けるしかなかった。心細く。やがて掘り続けていた手を止めると、先生は「あった」と、そう呟いた。
あった?
室井沢先生は、泥にまみれた小さな白い骨のようなものを、手の平の上に乗せていた。多少、興奮しているように思える。
「やはり、連中は死体を完全には処分していなかったんだ」
そう言った。まるで、以前からナノネットを知っているかのような口振り。
「先生?」
と、そう尋ねると、室井沢先生はこう返して来た。
「協力してくれて、ありがとう。私はこれを詳しく調べてみるよ。もし、人骨だったなら、殺人が行われたのは真実だった可能性が大きい」
わたしは不思議な心持ちになりながらも、それに黙って頷いた。