9.奇妙な依頼と厄介な客
(探偵・藤井正一)
紺野先生とコネクションを持ち、それを利用した事を私は半分は成功だと思い、半分は失敗だったと思っている。
紺野先生のお陰で、私は仕事を得られているしその伝手は大いに役に立ってもいるのだが、その反面、望んでもいない仕事が私の所に舞い込んできてしまうケースも多い。少しでも不可解で、ナノネット絡みの可能性があると私に仕事が回される傾向があるのだ。
その事を紺野先生に愚痴ると、「客だった私を利用した罰ですよ。諦めなさい」とそんな返答をされた。どうも、紺野先生にはこうなるだろう事は、半ば予想がついていたようだ。
紺野先生との伝手を利用して、ナノネット絡みの事件を私が解決すれば、その事が話題になって更にそんな依頼を呼び寄せてしまう。そしてそれを解決すれば、更に話題になり… という循環で、ナノネット絡み事件の人間社会のネットワークが私に向かって形成されていったと、どうもそういう事らしい。それで奇妙な仕事の依頼が、そのネットワークを通して私に集中するのだ。こういうのを正のフィードバックというらしいのだが、これは軌道に乗り始めれば、勝手に増殖をするのだとか。しかも、初期に話題を獲得すれば、ほぼ必然的にそうなってしまう。知っていたのなら、少しは忠告してくれても良さそうだと紺野先生に文句の一つでも言ってやりたいが、そんな事をしても意味がない。既に仕事は勝手に、向こうからやって来るのだから。
浮世のしがらみで断るに断れず、私はそれを受けてしまう事が多い。しかも、毎回紺野先生を頼れるとは限らない。ナノマシンが絡んでいない可能性だってある。だからまずは、私が一人で対応しなくてはならない。そして、その時に舞い込んで来た話も、そんな内の一つだった。奇妙ではあるのだが、ナノネットが絡んでいるという確証が得られない。私は頭を抱えながらその話を聞いていた。しかもその時は、それだけでなく、更に、もっと納得のいかない事があったのだ。
「何度も寮生から“助けてくれ、命が危ない”という主旨の電話が親御さんに向けてかかってくる。しかし、翌朝に確かめてみても、何もおかしい点はないと。なるほど、奇妙な話ですね」
その男は、何故かこの場所にいた。私の探偵事務所兼、住居であるアパートに。ニコニコとした顔で、依頼人の相談事を一緒に受けている。男は名を、神原徹という。紺野先生の知り合いの、カウンセラーだ。
「一人や二人ならば、その生徒さん達がそういう癖を持っている、で済ませられる話かもしれませんが、多人数となると何かがあると疑いたくなるのも無理はありませんね」
しかもその男は、何故かもう一人、珍客を連れてきていた。これも紺野先生絡みの知り合いで、怪談収集を趣味にしている変わった女性、名を山中理恵という。ただ、彼女に関しては神原よりもマシだ。と言うよりも、いてくれた方が良い。彼女は常識もあるし、機転も利く。探偵助手だと相手に思わせるくらいの落ち着いた対応もできる。むしろ、私より接客は巧いくらいだ。だが、それでも問題はある。何故、神原は彼女を連れて来たのだろう?
その依頼主は、スクールカウンセラーだった。女性である。彼女は一つの学園だけでなく、複数の学園を掛け持っているのだが、生徒だけでなく、教師と生徒の親の関係を取り持つような役割もしているらしい。モンスターペアレントの相談なども受けてくれるので、重宝がられる存在だとか。
恐らく、神原はカウンセラー繋がりのコネを利用して、彼女がここに相談しにやって来る事を知ったのだろう。そして、この男がやって来るという事は、その話には何かしら普通じゃない事情が関わっている、という事でもある。
「はい。親御さん達から相談されたのですが、流石に何が起こっているのかわたしにも見当がつかなくて。生徒に質問しても、寝惚けていたくらいしか答えてくれないのです。いじめを疑ってみましたが、そんなに酷いいめじはなさそうでした。先生方も分からないという話で、それで困って、この探偵事務所に相談に来たのです。なんでも、この探偵さんは、こういった事件を数多く手がけているのだとか」
そう言って、そのスクールカウンセラーは私を見つめた。私はどう答えれば良いのか分からず、無言になった。自分は紺野先生や他のナノネット関係者を頼っただけで、ほぼ何もしていないとはもちろん言えないし、かと言って胸を張って私が解決したとも言えない。もちろん、自力で解決した依頼もかなりあるが、そういったものは結局ナノネットが絡んでいなかったか、絡んでいても些細なものだったに過ぎない。黙っていると、相変わらずの笑顔のままで、神原がこう彼女に質問をした。
「その生徒さん達の間で、何か怪談が話題になっていたりはしませんか?」
その質問に、一番反応したのは山中理恵だった。何も言わなかったが、明らかに目を輝かせて興奮している。彼女は恐らく、その質問をしたくてしたくて堪らなかったはずだ。しかし、私への依頼だという手前、それを我慢していたのだろう。私の仕事の邪魔になるのを恐れていたのだ。しかし、この神原という男は、そんな事を気にするようなタイプではない。
何故、そんな質問が出るのか不思議そうな顔をしているスクールカウンセラーに向けて、神原はこう語った。
「この探偵さんを手伝ったりもしていますが、実は私の職業もカウンセラーです。しかも、集団心理カウンセリング。だから、人間関係の心理が、怪談に投影されるのだという事もよく承知している。それで、質問をしてみたのです」
尚もスクールカウンセラーは戸惑っていたが、そこに山中理恵が続けた。
「実はそれだけでなく、ナノネットが存在する場所には怪談が多く発生するという特性があるのですよ。ナノネットの影響で、幻が見えたりするからですが」
それを聞くと、ようやくスクールカウンセラーは納得したような顔になった。そして、
「それほど多くは聞きません。いえ、怪談をカウンセラーに話すなんて、あまりないですから」
と、そう答える。神原はそれに大きく頷いた。
「そうでしょうね。自分から尋ねない限り、そんな話題がカウンセラーとの会話に、自然に上るケースなんてあまりないでしょう」
しかし、それから思い出したように、スクールカウンセラーは口を開いた。
「ただ、そういえば今までは、ほとんど気にしていなかったので忘れていたのですが、確か白い女の幽霊が、自分の死体を探して回る、というような怪談があるのは聞いた事があります」
それに対して、神原は「ほほぅ」と声を上げ、山中は「自分の死体を探す霊。よくあるタイプの怪談ですが、学校ではあまり聞かないかもしれません」と、興奮していた。彼女の(私から見れば)ただ一つの弱点が、露呈している。怪談が好きで、そういう話に触れると我を忘れてしまう傾向が彼女には少なからずあるのだ。だが、今回に限ってそれは良い結果をもたらしてくれた。
「あの、生徒は寝惚けていたと言っていましたが、その時にどんな夢を見ていたのかは、聞かなかったのですか?」
興奮に乗せてか、今までは控え目だった彼女が、そう質問したのだ。すると、スクールカウンセラーは驚いたような様子を見せ、それからこう答えた。
「そう言えば、女性の死体を探している最中に、何者か達に追われて、殺される夢を見た、というのがありました。他のケースでもほとんど、追われる夢だったみたいなので同じ様なものだと思います。……怪談と一致しますね」
「それは何か関係があるかもしれませんね。或いは、あなたが知らないだけで、他にも類似した怪談があるのかもしれない」
その言葉に、そう続けたのは神原だった。いつもは本心を笑顔で隠しているような男だが、その時は本当に面白そうにしているように私には見えた。
その話をした一瞬だけ、スクールカウンセラーは興奮したように思えたが、直ぐに冷静さを取り戻したようだった。恐らく、関連性があったとしてもそれが何を意味するのか分からなければ、何にもならない点に気が付いたのだろう。案の定、
「ただ、だとしてもどうすれば良いのか」
と彼女は言いかけた。私はそれを咄嗟に制するとこう口を挟んだ。
「ありがとうございます。お話を聞けて大変に良かった。こちらとしては、有用な情報は既にいただきました。これから調査に入ります。具体的に、何をやるのかはどうか尋ねないでください。企業秘密ですので。後は、何かが分かり次第、あなたに報告します」
ここはもう、会話を切り上げた方が良いと判断したのだ。これ以上話せば、どんなボロが出ないとも限らない。本当は神原達が探偵助手でも何でもない事が分かってしまうかもしれない。山中はともかく、神原は平気でばらしてしまいそうだ。それに、態度からいって、神原は恐らく何かを掴んでいる。少々不安だが、後はこの男に任せるしかないだろう。
スクールカウンセラーは、怪訝そうな表情をしていたが、それでもそう言われれば何も返せなかったようで、
「分かりました。では、報告をお待ちしております」
と、そう言って出て行った。出て行ってから、神原は相変わらずにニコニコと笑いながらこう言って来た。
「勝手に帰してしまわないでくださいよ。話の途中だったのに」
私はその言葉に驚いたような振りをしながら、こう返した。
「え、まだ、何か聞きたい事があったのですか?」
「いえ、ありませんけどね」
それは私には初めから分かっていた返事だった。この男がまだ聞きたい事があるにも拘らず、人を帰すはずがない。そう私に見抜かれている事を知ってか知らずか、それから神原はこう言って来た。
「しかし、相変わらずに鼻は利きますね。自分に不利な状況にならない内に、お客さんを帰すなんて。まさか、私達に任せるだけなんて言えませんものね」
私はその言葉に少し苛立つと、こう返した。
「あなたの方から、わざわざ首を突っ込んできたのでしょうが。それに、一応、金は払いますよ。あなたが普段、どんな事をやってお金を稼いでいるのかは知らないが、それほど裕福な訳じゃないのでしょう? あなたはそれで助かるはずだ」
「私はカウンセラーですよ。カウンセリングで生活しています。ま、それでもお金は貰いますけどね。しかしこうなると、あなたは仕事を仲介するだけの業者みたいですが」
どうも私はこの神原という男の嫌味が嫌いだ。紺野先生も、よく私をからかってくるが、この男ほどの毒はない。
「私は普通の依頼なら、自力で解決しますよ。今回だって、自分で動く気でいたんだ。それを止めておいた方が良い。自分達に任せろ、と言ったのはあなたでしょう?」
「ははは。いや、すいません。多少、言い過ぎました。人間関係のネットワークを上手に使うのは、あなたも私も同じ。互恵関係は大事にしましょう。どうも、あなたを見ているとからかいたくなるのですよ」
神原はそう言いながら、本当に楽しそうにしていた。この男は、相手を怒らせるようなことを平気で言うが、その反面、簡単に謝りもする。しかし、この男から謝られても、私は謝られている気がしない。ただ、それでも怒りは治まるから不思議だ。
「しかし、企業秘密だから、詮索はしないでくれ、という言い訳は巧みですね。肩書きと、ブラックボックスの効果を上手く利用している」
それから神原はそう続けた。
「それはなんの皮肉ですか?」
「いやいやいや、純粋に褒めているのですよ。専門職を名乗ると、それだけで実際には何をやっているのかをあまり疑われなくなるのです。それどころか、ブラックボックスにしておいた方が信用される。肩書きの威光効果と、情報を伝えない事で想像力を膨らませる効果とが合わさっているのですね。あなたはそれを経験で知り、利用している。流石、職業探偵といったところでしょうか」
それは、或いは先にからかい過ぎたことを反省しての褒め言葉だったのかもしれないが、それでも少し私は気持ち悪く感じた。
「そんなことで褒められても、あまり嬉しくはありませんがね」
苦笑しつつ私がそう答えると、神原は「それでは、私は用がありますので」と、そう言って席を立った。それと同時に山中理恵も出て行くかと思ったのだが、彼女は出てはいかず、来客用に用意したお茶を片付けてくれた。
探偵事務所とは言っても、アパートの一室を改良したもので住居も兼ねているので生活臭がにじみ出ている。応接室の少し先は台所になっているのだが、彼女は何も言わず、極めて自然にそこに湯呑みを運んで洗い始めた。
「いや、すいませんね」
私がそう声をかけると、「いえいえ、今回、藤井さんには迷惑かけましたから、これくらいは当然です」と、そう返してきた。
それを聞いて、私は少し溜息を漏らす。そして、むしろ助かったのは私の方なのに、とそう思う。神原は何も言わなかったが、恐らくどんな事が起こっているのか見えているのだろう。私にはまるで分からなかった。正直、もし一人で依頼を受けていたら、酷く苦労をしていただろう。そして、また紺野先生か、その知り合いの誰かを頼るのだ。
私はその時に、ふと気になって湯呑みを洗い続ける彼女にこんな質問をしてみた。
「しかし、どうしてあなたが、あの男と一緒にやって来たのですか?」
どうも、あまり一緒に来る必然性はなかったように思う。もっとも、私は来てくれて大いに助かったが。
「半分は私の意志ですよ。面白そうな話じゃありませんか。不謹慎ですけどね」
彼女は怪談が好きというだけあって、実は好奇心旺盛で、この手の話に首を突っ込みたがるのだ。だからこそ、紺野先生によく関わるのだろう。
「半分は、というと、もう半分は?」
「実は紺野先生から、神原先生のお目付け役を言い渡されましてね。私が協力するという条件で、神原先生は紺野先生からナノネット関係の道具を借りたのですよ」
私はそれを聞くと笑った。彼女は湯呑みを洗い終え、再び応接室にやって来ていた。もうそろそろ帰るつもりでいるかもしれない。
「あなたも物好きですね。だから、神原さんから利用されてしまうのですよ。いや、この場合、紺野先生からも利用されているのかな?」
「あら、随分と悪く言うのですね。神原先生は、そんなに悪い人じゃありませんよ」
山中理恵は、知り合いの中で神原に好印象を持っている数少ない一人だ。私にはそれが謎である。彼女はある程度の人を見る目を持っている。あの男が、厄介なタイプである事は、充分に承知しているはずだ。
「それに、神原先生と付き合う時は、利用されるつもりでいろ、と紺野先生からも言われていますから、利用されるのは別に構いません。私も、実は利用していますしね」
「ははは。あなたは肝が据わっている。私に言わせれば、神原さんは狸ですよ。一緒にいると、どう化かされているのか、不安で仕方がない」
「それは、藤井さんが化かされる事を恐れているからですよ。化かされる覚悟で接すれば、別に怖くはありません。でも、神原先生が狸というのは、言い得て妙ですね」
“狸”という表現がよほど気に入ったのか、山中はそれから少し笑った。神原は狸を連想させる外見をしている訳ではないが、雰囲気はなんとなく狸という気がする。
「知っていますか? 狐の七化け狸の八化けなんて言いまして、狐と狸の化かし合いって、案外、狸が勝つんですよ」
彼女は笑いながら、そう言った。それで私も彼女が何を連想しているのかを察する事ができた。
狐とは、つまりは紺野先生だ。
「紺野さん。神原先生は、苦手だって言っていましたものね」
彼女は、よく紺野先生を“さん”付けで呼ぶ。まぁ、これも彼女が紺野先生と近しい関係だからだろう。
嬉しそうにしている山中を見ながら、この娘も案外、厄介なタイプなのかもしれない、と私はそう思った。