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0.ブラックボックス・テスト

 (子供・祭主智雄)

 

 「どうがんばっても、ブラックボックス・テストでいくしかりませんが…」

 子供の頃、僕は初めてその言葉を聞いた。ブラックボックス。直訳するのなら黒い箱。それを言ったのは父の知り合いで、紺野秀明という名前のナノマシン・ネットワークを研究している科学者だった。僕が不思議そうな顔をしていると、紺野先生はこう説明してくれた。この人は、とても勘が鋭くて、何も言わなくても相手の考えている事を簡単に察してくれるんだ。無口な僕にとってはありがたい。

 「ブラックボックスというのは、中身の仕組みが不明という意味です。だから、ブラックボックス・テストというのは、中身の仕組みを理解しないまま、テストを行うという事ですね。

 コンピュータ・プログラムのテストの時などにはよく使われる言葉です。入力と出力だけでテストを行う。本来は、ホワイトボックス・テスト…… 仕組みを理解し、それに応じたテストを行う方がより安全性が高いのですが、コストがかかり過ぎますから、それで済ますのです」

 僕はその時多分、不安を感じていたのだと思う。その説明を聞いて。ブラックボックス・テストは安全性が低いと解釈したからだと思う。“多分”というのは、自分ではあまり不安を感じていた事には気が付いていなかったからだ。しかし、紺野先生の目にはそうは映っていなかったようで、先生はそれから続けてこう言って来た。

 「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。プログラムだけじゃなく、薬のテストなども、ブラックボックス・テストがほとんどです。その効果がどうして得られるのか分からないまま、テストを行う。アスピリンなどが有名なのですが、アスピリンという薬は、70年以上もの長い間、どうして効果があるのか不明のまま使われ続けたのです。薬を飲むという入力から、どんな効果、つまり出力が得られるのか、テストをし、その薬にはその効用があると判断する。それでも充分だと、社会的に認められている訳ですね。

 もちろん、それは人間の技術力に限界があるからこそ執っている手段なのですがしかし、だからそれでも実績があると判断してもらって大丈夫なんですよ。歴史が証明しています」

 紺野先生は僕の顔を少し見ると、それから「もっとも、極論を言ってしまうと全てのテストは、ブラックボックスになるのですがね……」と、そう続け、まだ子供には分からないだろうと判断したのか、それから何も言わなかった。

 テスト。それは生まれた時から僕にある、僕のおでこの特殊なデキモノについてのテストだった。つまりは、それは、僕のそのデキモノに関するテストは、仕組みが不明のまま行うしかない、という話だ。

 デキモノ。それは黒い石のような感じで、光沢がある。まるで宝石か何かのように見えない事もないから、ファッションとか宗教か何かの特殊な習俗で埋め込んであるのだとよく勘違いされる。誤解を解くのは面倒だから、放っておく場合がほとんどなのだけど、学校だとかだとそうもいかない。そんな時は、医者の診断書を持って、先生達を納得させなくちゃいけない。しかし、それでも僕は先生に疑われた事があった。何故なら、その診断書を書いた人間が、僕の父親だったからだ。僕の父親は医者なのだ。つまりは、僕が父親に頼んで、偽装させたのじゃないかと疑われた訳だ。

 父親に。

 それは僕にはとても皮肉に響いた。

 父親の知り合いの紺野先生という人は、幼い頃のある日、突然に僕を訪ねて来た。僕の額のデキモノを調べると言って。初め、僕は紺野先生を警戒していた。父親の知り合いだと聞いたからだ。しかし紺野先生と接する内に、僕は徐々に紺野先生を信用していった。紺野先生は父親とは全く別のタイプの人間に思えた。優しくて、親身になってくれる。僕はどうしてこんな人が父親と知り合いなのかと不思議に思い、そして、もしも紺野先生が本当の僕の父親だったら良かったのに、とすら思ったのだった。

 紺野先生が、ナノマシン・ネットワークを研究しているらしいと知った時、幼い頃の僕にはそれが何なのか分からなかったのだけど、僕の額のデキモノの正体が、どうやらそれらしいという事くらいは理解できた。

 ナノマシン・ネットワーク。略してナノネット。僕の額のデキモノは、それが集まってできた集積回路のようなものであるらしい。もっとも、ナノネットとしては、かなり特殊な部類に入るようなのだけど。そしてそれから紺野先生は、僕の額のそれを調べ始めたのだった。僕の額のナノネットに、どんな特性があるのか、何ができるのか。そして、どうしてこんなものが、僕の額に生まれた時から存在しているのか……。

 そして、それはブラックボックス・テストによって行われたのだ。仕組みを理解しないままで行われるテスト。黒い箱。それに、どんなものが入っているのかは分からない。誰も(僕も)僕のそれを分からない。

 結果として、僕の額のナノネット… “第三の目”と紺野先生は名付けてくれたのだけど、第三の目には、様々な能力がある事が分かったのだった。

 第三の目をコントロールすれば、他のナノネットの信号の流れがある程度は分かり、それに干渉すらできる。僕は紺野先生の指導の元、訓練を行ってその能力を磨いた。実を言うのなら、それまではそれに劣等感すら感じていたのだけど(だって、このデキモノの所為で、僕は好奇の目で見られ、色々と嫌な目にあってきたから)、それからは受け入れなくちゃと思った。紺野先生が、それは決して拒絶するべきものじゃないと教えてくれたから。

 生まれた時からあるそれは、僕の一部分なんだ。どう足掻いても逃れられない。嫌な体験も含めて、全部。

 (どうして、それが生まれたのか、その原因も含めて、全部)

 

 父親は寡黙な人だ。

 無口な僕は、よく父親に似ていると言われる。でも僕は、それにあまりピンと来なかった。仕事人間で真面目。それくらいしか父親の事を知らないから、そう言われても実感できなかったのかもしれない。ほとんど父親と会話しない僕は、普段父親がどんな仕事をしているのかを知らなかった。医者であるという事くらいしか知らない。地位も具体的な専門分野も。もっとも、僕の額のデキモノについては、父親は色々と調べてきたから、そういうのを扱える分野である事だけは確かなのだろうけど。

 小学生高学年に入る頃、ふとこんな疑問が僕の頭に浮かんだ。医者である父親から生まれた僕の額に、こんなデキモノがあるのは、果たして本当に偶然なのだろうか? もちろん、それは確かめようのない事だった。何らかの事故、或いは実験……。その思いは、確証に変わりもしなかったけど、完全に消えてもくれなかった。そして、

 そして、紺野先生がやって来て、僕の額のそれがナノネットだと教えてくれてからは、僕の疑念は更に強くなった。医療用のナノマシンが、病院にたくさん置いてあるという話を、聞いた事があったからだ。

 僕は紺野先生に、どうして僕を調べにやって来たのか、その経緯を質問してみた事がある。単純に知りたかったし、それに、もしかしたら父親について、少しは何か分かるかもしれないとも思ったから。

 それによると、僕の父親には、僕の額の第三の目の正体が、ナノネットである事は随分早くから分かっていたらしい。そして、それが深く脳にまで結び付き、分離不可能な状態である事も。ただし、ナノネットに関する専門的な知識を持たない父親には、それ以上は分からなかったのだそうだ。それで、しばらくは何もできないでいた。しかし、そんな頃に紺野先生と知り合いになったらしい。

 「私は、自慢じゃないですが、かなり顔が広いのです。それで、色々な分野の人と知り合う機会が多いのですよ。あなたの父親も、そうして知り合った内の一人でした。ナノネットで珍しいケースがあるとくれば、私も興味を惹かれますし、私の所に話が来る可能性も大きい。それは、必然だったのかもしれません」

 紺野先生はその時、そう語ってくれた。もしかしたら、僕が父親に対して抱いている感情を、敏感に察していたのかもしれない。それから紺野さんはこう続けた。

 「ブラックボックス。黒い箱。何があるのか分からない。そういうものには、ある心理的な効果が働きます。情報が見えない、と人間は疑心暗鬼になり、様々な事をその先に想像してしまうようで……。例えば、軍の機密事項にUFOに関するものがあるとか、遺伝子操作された生き物が存在するとか。

 オカルトとは、元々は“隠された”という意味らしいです。隠されている事によって、何でもないものが恐ろしい化け物になってしまうのですよ。

 あなたの父親は寡黙な人です。とても不器用だ。あなたと交流はないかもしれません。それで色々と不安が出るかもしれませんが、それは、その心理効果によるものです。そんなに心配する必要はないと思いますよ」

 紺野先生が何を意図して、そんな説明をしてくれたのか、それは僕にも直ぐに分かった。何も知らないままで、勝手に物事を決め付けたりしてはいけないのだ。当たり前だけど、憶測での判断は危険だ。僕は父親を知らないのだから。

 それから僕は軽く居心地の悪さを感じた。自分の醜い考えを、紺野先生に悟られたくなかったのかもしれない。それを誤魔化すようにこう言った。

 「前に、ブラックボックス・テストの説明をしてくれましたね。今の話は、それとも関係があるのですか?」

 「はい。関係がありますよ。早い話が情報の伝達がどの程度、存在しているのか?って問題なんですが、言葉で聞くより捉えるのが難しくて、実はとても奥が深い話でもあるのです。

 これは因果関係と相関関係の違いにも密接に結びついています。そして、それは学問の成り立ちにも影響を与えている。行動主義心理学という分野をご存知ですか?」

 僕はそれを聞くと首を横に振った。すると、紺野先生は更にこんな説明をしてくれた。

 「人間の心は観察する事ができません。我々が観察できるのは、人間の行動だけ。つまり、人間の心はブラックボックスだという事になります。ならば、人の心理に対しての科学的な態度とは、行動に対してしか執れないのではないか?

 そういう発想から誕生した分野ですね。それまでの精神分析学などの心理学に対する反発から生まれた分野とも言えます」

 それから、紺野先生はこんな感じの簡単な図を、僕に描いて見せてくれた。

 

 入力→■→出力

 

 「入力。つまり、何かしらの働きかけを人間に対して行います。すると、それはブラックボックス。この黒い箱ですが、その中を通して何らかの結果として出力されます。この黒い箱に何が入っているのかは分からない。つまり、仕組みは分からない。しかし、それでもその関係性を体系化していけば、学問は構築できる。この黒い箱が、人間の心な訳ですがね。

 行動主義心理学の発想とは、こんなものです。そして、だから行動主義心理学とは、相関関係の学問だとも言えるのです。因果関係まで知りたかったら、この黒い箱の中を開けてみなくてはなりません。しかし、それはしないのですね。関係がある、という事までしか知ろうとはしない」

 それを聞いた時、僕は反射的に、こんな質問をしていた。

 「どうして。どうして、その先を知ろうとはしないのですか?」

 すると、紺野先生は静かにこう答えた。

 「身の程をわきまえているからですよ。人間に、人の心を直接観察する事なんてできない、と。もっとも、それは人間の心以外にも言える事なんですがね。遺伝学も相関関係の学問でしかありませんし。いえ、極論を言えば、あらゆる事象は相関関係でしか捉えられない」

 だからね。と、紺野先生は続けた。

 「――この世界は、大きなブラックボックスなんです」

 

 その言葉に、僕は怯えた。

 この世界が、不確かな黒い箱の中にあるという事実を知ったからじゃない。

 それはその話は、僕の、自分自身の心さえブラックボックスである事を物語っていたからだ。

 僕は、僕を分からない。

 分からないんだ。

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