「冷たい」と婚約破棄された風鈴令嬢ですが、私が去った王都は呪いで滅びるそうです~今更跪かれても、殿下のお側ではもう鳴りません~
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この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています
あらかじめご了承の上、お楽しみください
「お前との婚約は、本日をもって破棄する」
王太子エドワードの声が、真夏の王宮庭園に響き渡った。
薔薇の香りが濃密に漂う茶会の席。集まった貴族たちの視線が一斉に私へと注がれる。驚愕、同情、そして——ああ、あの令嬢たちの目には明らかな嘲笑が浮かんでいる。
(まあ、予想通りの展開ね)
私、リーリエ・フォン・ヴァイスハイトは、手にしていたティーカップを静かにソーサーへ戻した。磁器が触れ合う澄んだ音だけが、静まり返った庭園に響く。
「……承知いたしました、殿下」
「は?」
エドワードが眉をひそめる。どうやら私が取り乱すか、泣きながら縋りつくとでも思っていたらしい。五年も婚約者でいて、まだ私のことを何も理解していなかったのね。
いえ、理解する気がなかったのでしょうけれど。
「お前、状況がわかっているのか」
「ええ。殿下は私との婚約を破棄なさりたいのでしょう? 承知いたしました、と申し上げております」
「……っ」
エドワードの隣で、蜂蜜色の巻き毛を揺らしたセレナが、わざとらしく目を潤ませている。
「リーリエ様……私、本当にごめんなさい。私のせいで……」
(あなたのせいですけれど、何か?)
もちろん、そんな本音は口にしない。侯爵令嬢として五年間培ってきた完璧な微笑みを浮かべるだけだ。
「セレナ様が謝られることではございませんわ。殿下のお心が私にないことは、以前から存じておりましたもの」
ざわり、と周囲がどよめく。
エドワードの顔が紅潮した。怒りか、羞恥か。おそらく両方だろう。
「開き直るか。やはりお前は冷たい女だ」
「冷たい、でございますか」
「ああ。心がない。氷のようだ。セレナを見ろ、彼女がどれほど心を痛めているか」
見れば、セレナは震える手でハンカチを握りしめ、今にも泣き出しそうな表情を作っている。
(まあ、素晴らしい演技力。舞台女優になれるのではないかしら)
「セレナのような温かさが、お前にはないのだ。だから俺はお前を愛せなかった」
エドワードは勝ち誇ったように言い放つ。周囲の視線が私に集まる。同情、軽蔑、好奇——様々な感情が入り混じっている。
ああ、「軒先の風鈴」。
私につけられた陰口を思い出す。飾りのように吊るされ、時折思い出したように鳴らされるだけの存在。五年間、確かにその通りだった。
でも——
「殿下」
私は静かに立ち上がった。真夏の陽光が、淡金色の髪を透かして揺らめく。
「風鈴の音を、お聞きになったことはありますか?」
「……は?」
「風鈴は、風がなければ鳴りません。そして風鈴の音色は、聞く者の心を映すと申します」
エドワードが眉をひそめる。私の言葉の意味がわからないのだろう。予想通りだ。
「もし殿下が私を『冷たい』とお感じになるのであれば——それは殿下のお心が、私の音色を聞こうとなさらなかっただけのこと」
「何を訳のわからないことを」
「いいえ、これ以上は申しません。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
深く、優雅に一礼する。侯爵令嬢として恥じることのない、完璧な所作で。
「ただ一つだけ」
顔を上げ、エドワードの碧い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「風鈴が去った後、殿下のお側で何が鳴るのか——どうぞお楽しみになさいませ」
踵を返す。
その瞬間、庭園の隅に設えられた東屋の軒先で、一つの風鈴が涼やかな音を立てた。
——りん。
誰も気に留めない。けれど私にはわかる。あれは、私が幼い頃に調律した風鈴の一つ。王宮の結界を構成する、百八つの風鈴の一つだ。
(さようなら、殿下)
私の足音に合わせるように、風鈴が鳴り続ける。まるで別れを惜しむように、あるいは——これから起こることへの警告のように。
もちろん、エドワードがその意味を理解することは、ないだろう。
理解できる頃には、すべてが手遅れになっているのだから。
◇ ◇ ◇
「お嬢様、お帰りなさいませ」
ヴァイスハイト侯爵家の正門をくぐった瞬間、マリアが深々と頭を下げた。その声には、かすかな震えが混じっている。
「ただいま戻りました、マリア」
「……お嬢様」
顔を上げた侍女頭の目が、赤く腫れていた。泣いていたのだ。私のために。
(ああ、この人は本当に)
胸の奥がじわりと温かくなる。五年間、王宮で「冷たい」と言われ続けた私だけれど、こうして心から案じてくれる人がいる。それだけで、十分だった。
「マリア、泣かないで。私は追放されたわけではないのよ」
「存じております。ですが……っ、あの愚か者の王太子が……!」
「声が大きいわ」
「構いません! お嬢様の価値がわからぬ方など、こちらから願い下げでございます!」
思わず小さく笑ってしまった。この人の前でだけは、完璧な侯爵令嬢の仮面を外していられる。
「マリア、兄様は?」
「旦那様は執務室でお待ちです。お嬢様がお戻りになったら、すぐにお通しするようにと」
「わかったわ」
懐かしい邸内を歩く。王宮の煌びやかさとは違う、落ち着いた品格のある調度品。そして——至るところに吊るされた風鈴たち。
私が幼い頃から調律してきた風鈴が、微かな風に揺れて澄んだ音を奏でる。
(ああ、帰ってきたのね)
五年ぶりに、心から安堵の息をついた。
執務室の扉を開けると、兄のギルベルトが書類から顔を上げた。私と同じ淡金色の髪、けれど瞳は父譲りの深い紺色。その目に、複雑な感情が揺れている。
「リーリエ」
「兄様」
「……よく戻った」
ギルベルトは立ち上がり、私の前まで歩いてきた。そして——何も言わず、私を抱きしめた。
「……兄様?」
「五年だ。五年間、お前は王宮であの男に冷遇され続けた。俺は何もできなかった」
「仕方のないことです。王家との関係上——」
「わかっている。だが……っ」
兄の声が震える。この人も、ずっと歯痒い思いをしていたのだ。
私は兄の背中に手を回した。
「兄様、私は大丈夫よ。むしろ——解放されて清々しているくらい」
「……本当か?」
「ええ。もう『今日も殿下はセレナ様とお幸せそうで何より』なんて自嘲しなくて済むもの」
ギルベルトが体を離し、私の顔をまじまじと見つめた。そして——小さく吹き出した。
「お前、そんなことを考えていたのか」
「毎日よ。『私の存在意義とは一体』って」
「相変わらず毒舌だな」
「兄様の前でくらい、素でいさせてちょうだい」
私たちは顔を見合わせて、同時に笑った。
しばらくして、ギルベルトは真剣な表情に戻った。
「リーリエ。王宮の結界のことだが」
「わかっているわ」
「お前が去れば、我が家が代々守ってきた加護は薄れていく。疫病、不作、魔物の侵入——あらゆる災厄が王都を襲うだろう」
「ええ」
「……王家から泣きつかれるぞ」
「そうでしょうね」
私は窓辺に歩み寄り、庭園を見下ろした。色とりどりの花が咲き乱れ、その合間に無数の風鈴が揺れている。
「でも兄様。風鈴は、必要とされる場所で鳴るものなの」
「……どういう意味だ?」
「私を『冷たい』『心がない』と言って追い出したのは、あちらよ。今更助けを求められても——」
振り返り、静かに微笑んだ。
「——便利な道具として使われるのは、もう御免だわ」
ギルベルトは一瞬目を見開き、それから深く頷いた。
「わかった。王家から何を言われようと、俺はお前の味方だ」
「ありがとう、兄様」
その時、執務室の扉が控えめにノックされた。
「旦那様、お嬢様。お客様がお見えです」
マリアの声だ。
「客? 今の時期に?」
ギルベルトが眉をひそめる。婚約破棄の直後だ。普通なら、距離を置こうとする貴族がほとんどのはず。
「辺境伯家のご次男、クロード・ヴァン・エーデルシュタイン様とおっしゃる方です」
私は思わず息を呑んだ。
辺境伯家の次男。戦場で数々の武功を立てた騎士。そして——
(三年前、あの戦場で)
遠く離れた野営地で、私は風鈴を鳴らしていた。傷ついた兵士たちを癒すために。その中に、瀕死の重傷を負った騎士がいたと聞いている。
まさか、その人が——
「お通ししてもいいかしら、兄様」
「お前が会いたいなら」
私は頷いた。
胸の奥で、何かが静かに揺れ始めていた。
◇ ◇ ◇
応接室の扉が開いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
黒曜石のような漆黒の髪。深い琥珀色の瞳。長身の体躯には、戦場を駆け抜けてきた者だけが纏う独特の緊張感がある。
クロード・ヴァン・エーデルシュタイン。
噂に聞いていたよりも——ずっと、鋭い眼差しの人だった。
「突然の訪問をお許しください、侯爵令嬢」
低く、落ち着いた声。けれどその響きには、どこか不器用な誠実さが滲んでいる。
「いいえ、お気になさらず。クロード様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
彼は一瞬だけ目を伏せた。社交辞令に慣れていないのがよくわかる。戦場の騎士は、王宮のサロンとは縁遠いのだろう。
「お掛けになってください」
「失礼する」
ソファに腰を下ろした彼の視線が、私の顔をじっと見つめていた。
(……何かしら?)
不躾というわけではない。むしろ、何かを確かめようとしているような——真剣な眼差し。
「あの」
「婚約破棄の話は聞いた」
「えっ——」
「王太子は愚かだ」
唐突な断言に、私は目を瞬かせた。
「……初対面で、ずいぶんと」
「事実だ。あの男には、風鈴の価値がわからない」
風鈴。
その単語に、胸がざわめいた。
「クロード様は、風鈴のことをご存知なのですか」
「——三年前」
彼は静かに語り始めた。
「北方の戦線で、俺は瀕死の重傷を負った。毒を塗った刃に斬られ、高熱に苦しんでいた」
「……」
「意識が朦朧とする中、風鈴の音が聞こえた。澄んで、涼やかで——まるで冷たい湧き水が、灼けた喉を潤していくようだった」
クロードの琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
「あの音色に、命を救われた」
私は小さく息を呑んだ。
あの頃、私は確かに北方の野営地へ風鈴を送っていた。傷ついた兵士たちを癒すために、一つ一つ丁寧に調律して。
まさか、その風鈴の音が——
「リーリエ嬢」
「は、はい」
「あの風鈴を調律したのは、あなただと聞いた」
「……ええ。確かに、私ですわ」
「ならば頼みがある」
クロードは身を乗り出した。その真剣な眼差しに、私は思わず背筋を伸ばす。
「あの音色を——もう一度、聞かせてほしい」
「……」
「おかしな頼みだとは、わかっている。だが俺は——」
彼は言葉を切り、少しだけ視線を逸らした。
「あの音色を、ずっと忘れられなかった」
不器用な告白だった。
社交界の甘い囁きとは程遠い、飾り気のない言葉。けれどそれは——エドワードがどれだけ口を極めて愛を語っても、一度も私の胸に響かなかったものだった。
(ああ、この人は)
私の音色を聞いてくれていた。
あの王宮で、誰も耳を傾けてくれなかった風鈴の音を——この人だけは、命を救われたと言ってくれている。
「……少々お待ちくださいませ」
私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
軒先に吊るされた小さな風鈴を手に取る。ガラスでできた透明な風鈴。幼い頃に初めて調律したものだ。
指先で軽く弾く。
——りん。
澄んだ音色が、応接室に広がった。
「これが、私の風鈴です」
振り返ると、クロードは目を閉じていた。
その表情は——まるで、長い旅の末にようやく故郷へ帰り着いた人のようだった。
「……ああ」
かすかに震える声。
「この音だ。ずっと、聞きたかった」
私の胸が、じわりと熱くなる。
五年間。「冷たい」「心がない」と言われ続けた。私の風鈴を、誰も必要としていなかった。
でも——
「クロード様」
「……何だ」
「私の風鈴を聞いてくださって、ありがとうございます」
彼は目を開けた。琥珀色の瞳に、かすかな戸惑いが浮かぶ。
「礼を言われることではない。俺は——」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「風鈴は、聞いてくれる人がいなければ意味がないのです。あなたが私の音色を必要としてくださった。それが、どれほど嬉しいか」
クロードは無言で私を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「リーリエ嬢。王都で、異変が起きている」
「……ええ、でしょうね」
「原因不明の疫病。作物の不作。民は不安に怯えている」
「私が去ったからです。ヴァイスハイト家は代々、王都の結界を守ってきました。私の風鈴が——その要だったのです」
「知っている。だからこそ俺は来た」
彼は真っ直ぐに私を見た。
「王太子は、あなたの価値を理解していなかった。だが俺は知っている。あなたの風鈴が、どれほど多くの命を救ってきたか」
「……」
「俺の領地に来てほしい」
それは、唐突な申し出だった。
「辺境は過酷だ。王都のような華やかさはない。だが——あなたの風鈴を、心から必要としている者たちがいる」
クロードは立ち上がり、私の前で片膝をついた。
「俺に、あなたを守らせてほしい」
私は——生まれて初めて、言葉を失った。
窓の外で、風鈴が涼やかな音を立てる。
まるで、私の代わりに返事をするように。
◇ ◇ ◇
リーリエがヴァイスハイト領へ戻って、一月が過ぎた。
王都アルヴィスは、急速に荒廃し始めていた。
「殿下! 疫病の死者がさらに増えております!」
「殿下! 西の農村で不作が深刻化しております!」
「殿下! 城壁付近で魔物の目撃情報が——」
エドワードは玉座で頭を抱えていた。
「うるさい! 黙れ!」
次々と報告に訪れる家臣たちを怒鳴りつけ、足元に書類を叩きつける。
一体なぜだ。なぜこんなことになっている。
あの女を追い出しただけだ。あの冷たい、心のない女を。それだけで、こんな災厄が降りかかるはずがない。
「殿下」
傍らに控えていたセレナが、涙ぐんだ声で囁く。
「私、怖いわ……こんなことになるなんて……」
「セレナ……」
エドワードは彼女の手を取った。蜂蜜色の巻き毛、潤んだ翠の瞳。この女だけが、自分を理解してくれる。自分を愛してくれる。
「大丈夫だ。俺がついている」
「ええ……でも、民の間では噂が……」
「噂?」
セレナは俯いた。
「リーリエ様が去ったから、災いが起きているのだと……」
「馬鹿な!」
エドワードは立ち上がった。
「あんな女一人がいなくなったくらいで、王都が荒廃するはずがない!」
「で、ですよね……でも、ヴァイスハイト家は代々、王家に仕えてきたと聞きました。何か、特別な役割が……」
「知らん! そんな話は聞いたことがない!」
実際、エドワードは知らなかった。
王家の守護結界が、ヴァイスハイト家によって維持されていることを。リーリエの風鈴が、その中核を担っていることを。
政務よりセレナとの逢瀬を優先し、国の成り立ちすら学ばなかった愚かな王太子には、知る由もなかったのだ。
「……とにかく、対策を考えねば」
「殿下、一つご提案が」
側近の一人が進み出た。
「ヴァイスハイト家に使者を送り、リーリエ嬢を呼び戻しては——」
「却下だ」
エドワードは即座に切り捨てた。
「俺が追い出した女を呼び戻すなど、沽券に関わる」
「しかし殿下——」
「黙れ! 他の方法を考えろ!」
側近は口を噤んだ。誰もが、もう何も言えなくなっていた。
その夜——
エドワードは一人、中庭を歩いていた。
月明かりの下、かつて茶会が催された庭園は荒れ果てていた。薔薇は枯れ、噴水は止まり、芝生は茶色く変色している。
ふと、東屋の軒先で何かが揺れた。
風鈴だ。
——りん。
微かな、けれど澄んだ音が響く。
「……」
エドワードは足を止めた。
不思議な音だった。聞いていると、頭の奥がじんわりと温かくなる。苛立ちが薄れ、心が凪いでいく。
(この音は……)
「風鈴は、風がなければ鳴りません」
リーリエの声が、脳裏に蘇った。
「そして風鈴の音色は、聞く者の心を映すと申します」
「……くだらん」
エドワードは首を振り、その場を去った。
あの女の言葉など、聞く価値もない。
——しかし、その風鈴が彼に届けていたのは、最後の警告だった。
数日後、王城の書庫で古い文献が発見される。
「王家の結界は、ヴァイスハイト家の『音の魔法』によって維持される」
「その中核を担うのは、代々の継承者が調律する百八の風鈴」
「継承者が王都を去れば、結界は崩壊し、あらゆる災厄が解き放たれる」
文献を読んだエドワードは、蒼白になった。
「嘘だ……そんな馬鹿な……」
だが、現実は残酷だった。
疫病は広がり続け、不作は深刻化し、城壁の外には魔物が徘徊し始めている。
すべては——
リーリエを追い出した、自分のせいだった。
「くそ……くそっ!」
エドワードは拳を壁に叩きつけた。
「あの女が……あの女が悪いんだ! なぜこんな大事なことを教えなかった!」
——違う。彼女は教えようとしていた。
あの茶会で、「風鈴の音をお聞きになったことはありますか」と問うた。けれどエドワードは、その意味を理解しようとしなかった。
「セレナ」
エドワードは愛人を呼んだ。
「セレナ、お前には心当たりがないか? この災厄の原因について——」
「さあ……私には何も……」
セレナは首を傾げた。けれどその瞳の奥に、一瞬だけ何かが揺らいだのを——
エドワードは見逃した。
◇ ◇ ◇
王都の災厄が始まって二月。
きっかけは、些細なことだった。
「殿下、これを」
側近の一人が、小さな布袋を差し出した。
「なんだ、これは」
「セレナ嬢の侍女が、密かに処分しようとしていたものです。怪しいと思い、押収いたしました」
布袋を開けると、中からガラスの破片がこぼれ落ちた。
「……風鈴?」
砕けた風鈴の欠片だった。
エドワードは眉をひそめた。風鈴など、どこにでもある。わざわざ処分しようとするほどのものではない。
——いや、待て。
「この風鈴は、どこのものだ」
「調べましたところ……王宮の東の塔に飾られていたもののようです。ヴァイスハイト家が奉納した、結界の要となる風鈴の一つだとか」
エドワードの顔から、血の気が引いた。
「なぜ……これがセレナの侍女の手に……」
「わかりません。ですが、風鈴が砕かれた時期と、災厄が始まった時期がほぼ一致しております」
「……」
「殿下。セレナ嬢に、お話を伺うべきかと」
「馬鹿な! セレナが風鈴を割るはずがない!」
「ですが——」
「黙れ! これは何かの間違いだ!」
しかし、疑念は一度芽生えると消えなかった。
エドワードは、セレナの部屋を密かに調べさせた。すると——出てくる出てくる、不審な品々。
呪術に使われる触媒。毒草の粉末。そして——リーリエの持ち物と思しき髪飾りや手紙。
「これは……」
「呪詛の形跡がございます、殿下。セレナ嬢は、リーリエ嬢を陥れるために、結界の風鈴を割ったものと思われます」
「……嘘だ」
エドワードの声が震えた。
「セレナが、そんなことを……」
「殿下、直接お確かめになってはいかがでしょう」
——そして、対峙のときが来た。
「セレナ」
呼び出された彼女は、いつものように涙ぐんだ瞳でエドワードを見上げた。
「殿下、お呼びでしょうか」
「これに見覚えは?」
砕けた風鈴の欠片を見せる。セレナの表情が、一瞬だけ凍りついた。
「そ、それは……」
「東の塔の風鈴だ。結界の要となるものだった。なぜこれが、お前の侍女の手にある?」
「知りません! 私は何も——」
「嘘をつくな!」
エドワードの怒声が響いた。セレナが怯えたように身を竦める。
「お前の部屋から、呪術の触媒が見つかった。リーリエの持ち物も。お前は——リーリエを陥れるために、風鈴を割ったのか?」
「ち、違います! 私は——」
「なぜだ! なぜこんなことをした!」
セレナの表情が、みるみる歪んでいった。
涙ぐんだ瞳が、冷たい憎悪に変わる。
「……なぜ? なぜですって?」
彼女は笑い出した。甲高い、狂気じみた笑い声。
「あの女が邪魔だったからよ! あの冷たい顔をした、何を考えているかわからない侯爵令嬢が!」
「セレナ……」
「殿下は私を愛しているのに、あの女が婚約者だった! だから——だから消したかったの!」
「消す……?」
「風鈴を割れば呪いが解放されて、王都が荒廃する。そうすれば——そうすれば、あの女のせいにできると思ったのよ!」
エドワードは言葉を失った。
目の前にいるのは、愛した女ではなかった。計算高く、執念深く、そして——致命的に愚かな野心家だった。
「セレナ……お前は……」
「でも上手くいかなかった! 殿下があの女を追い出してくれたのに、災厄は止まらない! おかしいわ! なぜ——」
「……もうやめろ」
エドワードの声は、ひどく疲れていた。
「衛兵。セレナを拘束しろ」
「殿下!? 嘘でしょう!? 私を——私を見捨てるの!?」
「お前は王国を危機に陥れた。その罪は——」
「あなたが悪いのよ! あなたが私を王太子妃にしてくれないから——私は——」
セレナの絶叫が、広間に響き渡った。
引きずられていく彼女の姿を見送りながら、エドワードは膝から崩れ落ちた。
「俺は……何を……」
すべてが、間違っていた。
リーリエを冷遇したこと。セレナを信じたこと。婚約を破棄したこと。
すべて——すべてが、取り返しのつかない過ちだった。
「リーリエ……」
今更、彼女の名を呼んでも。
もう、何もかもが遅すぎた。
◇ ◇ ◇
王太子エドワードが、わざわざヴァイスハイト領まで足を運んできた。
その報せを聞いたとき、私は庭園で風鈴の調律をしていた。
「お嬢様、いかがなさいますか」
マリアが険しい表情で問う。
「……お通しして。逃げても仕方のないことでしょう」
「あのような男、門前払いにしても構わないのですよ」
「マリア、そうしたい気持ちは私も同じよ」
私は小さく笑った。
「でも——ここで逃げたら、私は五年間と同じになってしまう。今度こそ、きちんと終わらせるわ」
応接室に向かうと、クロードが廊下で待っていた。
「一人で行くのか」
「ええ」
「……俺も同席する」
「いいえ、これは私の問題よ」
クロードは眉をひそめた。この不器用な騎士は、私を一人で行かせることに明らかに不満を感じている。
「クロード様。私は大丈夫です」
「……」
「信じてください」
彼は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「待っている」
「ありがとう」
応接室の扉を開けると——そこには、記憶よりもずっとやつれた王太子の姿があった。
金髪は艶を失い、碧い瞳には隈が浮かんでいる。かつての傲慢さは影を潜め、代わりに焦燥と後悔が滲み出ていた。
「リーリエ」
「殿下。わざわざのお越し、恐れ入ります」
私は形式的に一礼した。もはや婚約者ではないが、相手は王太子だ。最低限の礼儀は必要だろう。
「座ってくれ」
「いいえ、このままで結構です。どのようなご用件でしょうか」
私の冷淡な態度に、エドワードは唇を噛んだ。
「……セレナのことは、聞いているか」
「ええ。風鈴を割り、結界を崩壊させた罪で拘束されたと」
「すべて、あいつの仕業だった。俺は——騙されていた」
「そうですか」
私は淡々と答えた。エドワードの顔が歪む。
「お前は、怒らないのか」
「怒る? 何に対してでしょう」
「俺がお前を信じなかったことに、だ! セレナの嘘を信じて、お前を冷遇し続けたことに!」
私は静かに彼を見つめた。
「殿下。怒りは、相手に期待しているからこそ生まれるものです」
「……」
「私はもう、殿下に何も期待しておりません。ですから——怒りもないのです」
エドワードの表情が、凍りついた。
そう。怒りよりも深い感情——それは、諦めだ。五年間かけて、私の中でエドワードに対する感情はすべて枯れ果てていた。
「リーリエ、頼む」
エドワードは突然、私の前に跪いた。
「王都に戻ってきてくれ。お前の風鈴がなければ、結界は——」
「殿下」
私は遮った。
「風鈴は、必要とされる場所で鳴るものです」
「だから——」
「殿下のお側では、もう鳴りません」
エドワードが息を呑む。
「私は五年間、殿下のお側にいました。けれど殿下は一度も——一度も、私の音色に耳を傾けてくださいませんでした」
「……」
「『冷たい』『心がない』——そう仰いましたね。でも殿下、風鈴が冷たく聞こえたのは、殿下ご自身の心が私に向いていなかったからです」
私は窓辺に歩み寄った。軒先で、一つの風鈴が微かに揺れている。
「今、この領地には私の風鈴を必要としてくださる方々がいます。私の音色を聞いてくださる方がいます」
クロードの顔が脳裏に浮かぶ。「もう一度聞かせてほしい」と言ってくれた、あの不器用な騎士。
「私は——その方々のために、風鈴を鳴らすことにしました」
「リーリエ……」
「お帰りください、殿下」
振り返り、かつての婚約者を見据えた。
「王都の災厄は、殿下ご自身でお解決ください。私は——もう、殿下の道具ではありませんから」
エドワードは床に伏したまま、動かなかった。
肩が震えている。泣いているのかもしれない。けれど私の心は、少しも揺らがなかった。
——りん。
窓辺の風鈴が、澄んだ音を立てた。
それは、長い呪縛からの解放を告げる音だった。
◇ ◇ ◇
季節は巡り、秋が深まっていた。
エーデルシュタイン辺境伯領——かつては荒涼とした辺境と呼ばれたこの地に、今は穏やかな活気が満ちている。
「リーリエ様! 今日も風鈴の音が素晴らしゅうございます!」
村娘が笑顔で手を振る。私も微笑み返した。
この領地に来て半年。クロードとともに各地を巡り、風鈴を設置してきた。邪気を祓い、人心を癒す音の魔法——それが、少しずつこの土地に浸透し始めている。
「リーリエ」
背後から低い声がかかった。振り返ると、クロードが馬から降りてくるところだった。
「お帰りなさい、クロード様」
「ああ。……様はいらない」
「ではなんとお呼びすれば」
「……普通に、名前で」
彼は視線を逸らした。耳の端がほんのり赤い。
(この人は本当に、不器用ね)
私は小さく笑った。
「クロード」
「……ん」
「今日の巡回はいかがでしたか」
「問題ない。北の村にも風鈴を設置した。住民は喜んでいた」
「そう、よかった」
並んで歩きながら、私は領地の風景を見渡した。
金色に色づき始めた木々。実りをつけた畑。子供たちの笑い声。そして——至るところで揺れる風鈴たち。
「クロード」
「何だ」
「この土地を『癒しの辺境』と呼ぶ人が増えているそうですね」
「……聞いている」
「あなたのおかげです」
「俺じゃない」
クロードは首を横に振った。
「お前の風鈴のおかげだ。俺は——お前をここに連れてきただけだ」
「それが、一番大切なことよ」
私は足を止め、彼を見上げた。
「私を必要としてくれた。私の音色を聞きたいと言ってくれた。あなたがいなければ、私は——」
「リーリエ」
クロードが私の言葉を遮った。
琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
「一つ、頼みがある」
「なんですか」
「俺の傍で——ずっと、風鈴を鳴らしてくれないか」
「……」
「俺は口下手で、不器用で、お前にふさわしい言葉を知らない。だが——」
彼は私の手を取った。戦場で鍛えられた、無骨で硬い手のひら。
「お前の音色を、一生聞いていたい」
それは、プロポーズだった。
華やかな言葉も、甘い囁きもない。ただひたすらに誠実な、この人らしい言葉。
私の目に、じわりと涙が滲んだ。
「……クロード」
「返事は、今すぐでなくていい。俺は——」
「はい」
「……え?」
「はい、と言いました」
私は笑った。五年間、王宮では見せたことのない——心からの笑顔で。
「私も、あなたのお傍で風鈴を鳴らしたい。ずっと」
クロードは目を見開いた。そして——不器用に、けれど確かに、微笑んだ。
「……ありがとう」
「こちらこそ」
私たちは、しばらく手を繋いだまま立ち尽くしていた。
軒先で、風鈴が鳴る。
——りん、りん。
澄んだ音色が、秋の空に溶けていく。
私はようやく、私の音色を聞いてくれる人に出会えたのだ。
◇ ◇ ◇
——それから、数年の月日が流れた。
王都アルヴィスの災厄は、結局エドワードの手では収められなかった。
ヴァイスハイト家は王家への協力を控え、結界は崩壊したまま。疫病と不作、魔物の脅威に苦しむ民は王太子への信頼を失い、やがて彼は王位継承権を剥奪された。
歴史書には、こう記されている。
「王太子エドワード・レオンハルト・アルヴィス。愛人の讒言を信じ、守護者たる侯爵令嬢を追放した愚王。その治世は災厄の時代として記憶される」
一方、辺境伯領は「癒しの辺境」として繁栄を極めた。リーリエとクロードは正式に婚姻を結び、その子孫は代々、音の魔法を受け継いでいく。
風鈴は、今も辺境のあちこちで揺れている。
必要とされる場所で、必要としてくれる人のために——静かに、けれど確かに、その音色を響かせながら。
——りん。
遠い王都の廃墟で、割れた風鈴の欠片が風に揺れた。
もう二度と、音を奏でることはない。
それはかつて、誰にも聞かれなかった音色の——最後の残響だった。
【完】




