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「冷たい」と婚約破棄された風鈴令嬢ですが、私が去った王都は呪いで滅びるそうです~今更跪かれても、殿下のお側ではもう鳴りません~

作者: uta
掲載日:2026/03/25

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

「お前との婚約は、本日をもって破棄する」


王太子エドワードの声が、真夏の王宮庭園に響き渡った。


薔薇の香りが濃密に漂う茶会の席。集まった貴族たちの視線が一斉に私へと注がれる。驚愕、同情、そして——ああ、あの令嬢たちの目には明らかな嘲笑が浮かんでいる。


(まあ、予想通りの展開ね)


私、リーリエ・フォン・ヴァイスハイトは、手にしていたティーカップを静かにソーサーへ戻した。磁器が触れ合う澄んだ音だけが、静まり返った庭園に響く。


「……承知いたしました、殿下」


「は?」


エドワードが眉をひそめる。どうやら私が取り乱すか、泣きながら縋りつくとでも思っていたらしい。五年も婚約者でいて、まだ私のことを何も理解していなかったのね。


いえ、理解する気がなかったのでしょうけれど。


「お前、状況がわかっているのか」


「ええ。殿下は私との婚約を破棄なさりたいのでしょう? 承知いたしました、と申し上げております」


「……っ」


エドワードの隣で、蜂蜜色の巻き毛を揺らしたセレナが、わざとらしく目を潤ませている。


「リーリエ様……私、本当にごめんなさい。私のせいで……」


(あなたのせいですけれど、何か?)


もちろん、そんな本音は口にしない。侯爵令嬢として五年間培ってきた完璧な微笑みを浮かべるだけだ。


「セレナ様が謝られることではございませんわ。殿下のお心が私にないことは、以前から存じておりましたもの」


ざわり、と周囲がどよめく。


エドワードの顔が紅潮した。怒りか、羞恥か。おそらく両方だろう。


「開き直るか。やはりお前は冷たい女だ」


「冷たい、でございますか」


「ああ。心がない。氷のようだ。セレナを見ろ、彼女がどれほど心を痛めているか」


見れば、セレナは震える手でハンカチを握りしめ、今にも泣き出しそうな表情を作っている。


(まあ、素晴らしい演技力。舞台女優になれるのではないかしら)


「セレナのような温かさが、お前にはないのだ。だから俺はお前を愛せなかった」


エドワードは勝ち誇ったように言い放つ。周囲の視線が私に集まる。同情、軽蔑、好奇——様々な感情が入り混じっている。


ああ、「軒先の風鈴」。


私につけられた陰口を思い出す。飾りのように吊るされ、時折思い出したように鳴らされるだけの存在。五年間、確かにその通りだった。


でも——


「殿下」


私は静かに立ち上がった。真夏の陽光が、淡金色の髪を透かして揺らめく。


「風鈴の音を、お聞きになったことはありますか?」


「……は?」


「風鈴は、風がなければ鳴りません。そして風鈴の音色は、聞く者の心を映すと申します」


エドワードが眉をひそめる。私の言葉の意味がわからないのだろう。予想通りだ。


「もし殿下が私を『冷たい』とお感じになるのであれば——それは殿下のお心が、私の音色を聞こうとなさらなかっただけのこと」


「何を訳のわからないことを」


「いいえ、これ以上は申しません。婚約破棄、謹んでお受けいたします」


深く、優雅に一礼する。侯爵令嬢として恥じることのない、完璧な所作で。


「ただ一つだけ」


顔を上げ、エドワードの碧い瞳を真っ直ぐに見つめた。


「風鈴が去った後、殿下のお側で何が鳴るのか——どうぞお楽しみになさいませ」


踵を返す。


その瞬間、庭園の隅に設えられた東屋の軒先で、一つの風鈴が涼やかな音を立てた。


——りん。


誰も気に留めない。けれど私にはわかる。あれは、私が幼い頃に調律した風鈴の一つ。王宮の結界を構成する、百八つの風鈴の一つだ。


(さようなら、殿下)


私の足音に合わせるように、風鈴が鳴り続ける。まるで別れを惜しむように、あるいは——これから起こることへの警告のように。


もちろん、エドワードがその意味を理解することは、ないだろう。


理解できる頃には、すべてが手遅れになっているのだから。



◇ ◇ ◇



「お嬢様、お帰りなさいませ」


ヴァイスハイト侯爵家の正門をくぐった瞬間、マリアが深々と頭を下げた。その声には、かすかな震えが混じっている。


「ただいま戻りました、マリア」


「……お嬢様」


顔を上げた侍女頭の目が、赤く腫れていた。泣いていたのだ。私のために。


(ああ、この人は本当に)


胸の奥がじわりと温かくなる。五年間、王宮で「冷たい」と言われ続けた私だけれど、こうして心から案じてくれる人がいる。それだけで、十分だった。


「マリア、泣かないで。私は追放されたわけではないのよ」


「存じております。ですが……っ、あの愚か者の王太子が……!」


「声が大きいわ」


「構いません! お嬢様の価値がわからぬ方など、こちらから願い下げでございます!」


思わず小さく笑ってしまった。この人の前でだけは、完璧な侯爵令嬢の仮面を外していられる。


「マリア、兄様は?」


「旦那様は執務室でお待ちです。お嬢様がお戻りになったら、すぐにお通しするようにと」


「わかったわ」


懐かしい邸内を歩く。王宮の煌びやかさとは違う、落ち着いた品格のある調度品。そして——至るところに吊るされた風鈴たち。


私が幼い頃から調律してきた風鈴が、微かな風に揺れて澄んだ音を奏でる。


(ああ、帰ってきたのね)


五年ぶりに、心から安堵の息をついた。


執務室の扉を開けると、兄のギルベルトが書類から顔を上げた。私と同じ淡金色の髪、けれど瞳は父譲りの深い紺色。その目に、複雑な感情が揺れている。


「リーリエ」


「兄様」


「……よく戻った」


ギルベルトは立ち上がり、私の前まで歩いてきた。そして——何も言わず、私を抱きしめた。


「……兄様?」


「五年だ。五年間、お前は王宮であの男に冷遇され続けた。俺は何もできなかった」


「仕方のないことです。王家との関係上——」


「わかっている。だが……っ」


兄の声が震える。この人も、ずっと歯痒い思いをしていたのだ。


私は兄の背中に手を回した。


「兄様、私は大丈夫よ。むしろ——解放されて清々しているくらい」


「……本当か?」


「ええ。もう『今日も殿下はセレナ様とお幸せそうで何より』なんて自嘲しなくて済むもの」


ギルベルトが体を離し、私の顔をまじまじと見つめた。そして——小さく吹き出した。


「お前、そんなことを考えていたのか」


「毎日よ。『私の存在意義とは一体』って」


「相変わらず毒舌だな」


「兄様の前でくらい、素でいさせてちょうだい」


私たちは顔を見合わせて、同時に笑った。


しばらくして、ギルベルトは真剣な表情に戻った。


「リーリエ。王宮の結界のことだが」


「わかっているわ」


「お前が去れば、我が家が代々守ってきた加護は薄れていく。疫病、不作、魔物の侵入——あらゆる災厄が王都を襲うだろう」


「ええ」


「……王家から泣きつかれるぞ」


「そうでしょうね」


私は窓辺に歩み寄り、庭園を見下ろした。色とりどりの花が咲き乱れ、その合間に無数の風鈴が揺れている。


「でも兄様。風鈴は、必要とされる場所で鳴るものなの」


「……どういう意味だ?」


「私を『冷たい』『心がない』と言って追い出したのは、あちらよ。今更助けを求められても——」


振り返り、静かに微笑んだ。


「——便利な道具として使われるのは、もう御免だわ」


ギルベルトは一瞬目を見開き、それから深く頷いた。


「わかった。王家から何を言われようと、俺はお前の味方だ」


「ありがとう、兄様」


その時、執務室の扉が控えめにノックされた。


「旦那様、お嬢様。お客様がお見えです」


マリアの声だ。


「客? 今の時期に?」


ギルベルトが眉をひそめる。婚約破棄の直後だ。普通なら、距離を置こうとする貴族がほとんどのはず。


「辺境伯家のご次男、クロード・ヴァン・エーデルシュタイン様とおっしゃる方です」


私は思わず息を呑んだ。


辺境伯家の次男。戦場で数々の武功を立てた騎士。そして——


(三年前、あの戦場で)


遠く離れた野営地で、私は風鈴を鳴らしていた。傷ついた兵士たちを癒すために。その中に、瀕死の重傷を負った騎士がいたと聞いている。


まさか、その人が——


「お通ししてもいいかしら、兄様」


「お前が会いたいなら」


私は頷いた。


胸の奥で、何かが静かに揺れ始めていた。



◇ ◇ ◇



応接室の扉が開いた瞬間、私は思わず息を呑んだ。


黒曜石のような漆黒の髪。深い琥珀色の瞳。長身の体躯には、戦場を駆け抜けてきた者だけが纏う独特の緊張感がある。


クロード・ヴァン・エーデルシュタイン。


噂に聞いていたよりも——ずっと、鋭い眼差しの人だった。


「突然の訪問をお許しください、侯爵令嬢」


低く、落ち着いた声。けれどその響きには、どこか不器用な誠実さが滲んでいる。


「いいえ、お気になさらず。クロード様とお呼びしてもよろしいでしょうか」


「……どうぞ」


彼は一瞬だけ目を伏せた。社交辞令に慣れていないのがよくわかる。戦場の騎士は、王宮のサロンとは縁遠いのだろう。


「お掛けになってください」


「失礼する」


ソファに腰を下ろした彼の視線が、私の顔をじっと見つめていた。


(……何かしら?)


不躾というわけではない。むしろ、何かを確かめようとしているような——真剣な眼差し。


「あの」


「婚約破棄の話は聞いた」


「えっ——」


「王太子は愚かだ」


唐突な断言に、私は目を瞬かせた。


「……初対面で、ずいぶんと」


「事実だ。あの男には、風鈴の価値がわからない」


風鈴。


その単語に、胸がざわめいた。


「クロード様は、風鈴のことをご存知なのですか」


「——三年前」


彼は静かに語り始めた。


「北方の戦線で、俺は瀕死の重傷を負った。毒を塗った刃に斬られ、高熱に苦しんでいた」


「……」


「意識が朦朧とする中、風鈴の音が聞こえた。澄んで、涼やかで——まるで冷たい湧き水が、灼けた喉を潤していくようだった」


クロードの琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「あの音色に、命を救われた」


私は小さく息を呑んだ。


あの頃、私は確かに北方の野営地へ風鈴を送っていた。傷ついた兵士たちを癒すために、一つ一つ丁寧に調律して。


まさか、その風鈴の音が——


「リーリエ嬢」


「は、はい」


「あの風鈴を調律したのは、あなただと聞いた」


「……ええ。確かに、私ですわ」


「ならば頼みがある」


クロードは身を乗り出した。その真剣な眼差しに、私は思わず背筋を伸ばす。


「あの音色を——もう一度、聞かせてほしい」


「……」


「おかしな頼みだとは、わかっている。だが俺は——」


彼は言葉を切り、少しだけ視線を逸らした。


「あの音色を、ずっと忘れられなかった」


不器用な告白だった。


社交界の甘い囁きとは程遠い、飾り気のない言葉。けれどそれは——エドワードがどれだけ口を極めて愛を語っても、一度も私の胸に響かなかったものだった。


(ああ、この人は)


私の音色を聞いてくれていた。


あの王宮で、誰も耳を傾けてくれなかった風鈴の音を——この人だけは、命を救われたと言ってくれている。


「……少々お待ちくださいませ」


私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。


軒先に吊るされた小さな風鈴を手に取る。ガラスでできた透明な風鈴。幼い頃に初めて調律したものだ。


指先で軽く弾く。


——りん。


澄んだ音色が、応接室に広がった。


「これが、私の風鈴です」


振り返ると、クロードは目を閉じていた。


その表情は——まるで、長い旅の末にようやく故郷へ帰り着いた人のようだった。


「……ああ」


かすかに震える声。


「この音だ。ずっと、聞きたかった」


私の胸が、じわりと熱くなる。


五年間。「冷たい」「心がない」と言われ続けた。私の風鈴を、誰も必要としていなかった。


でも——


「クロード様」


「……何だ」


「私の風鈴を聞いてくださって、ありがとうございます」


彼は目を開けた。琥珀色の瞳に、かすかな戸惑いが浮かぶ。


「礼を言われることではない。俺は——」


「いいえ」


私は首を横に振った。


「風鈴は、聞いてくれる人がいなければ意味がないのです。あなたが私の音色を必要としてくださった。それが、どれほど嬉しいか」


クロードは無言で私を見つめていた。


やがて、ゆっくりと口を開く。


「リーリエ嬢。王都で、異変が起きている」


「……ええ、でしょうね」


「原因不明の疫病。作物の不作。民は不安に怯えている」


「私が去ったからです。ヴァイスハイト家は代々、王都の結界を守ってきました。私の風鈴が——その要だったのです」


「知っている。だからこそ俺は来た」


彼は真っ直ぐに私を見た。


「王太子は、あなたの価値を理解していなかった。だが俺は知っている。あなたの風鈴が、どれほど多くの命を救ってきたか」


「……」


「俺の領地に来てほしい」


それは、唐突な申し出だった。


「辺境は過酷だ。王都のような華やかさはない。だが——あなたの風鈴を、心から必要としている者たちがいる」


クロードは立ち上がり、私の前で片膝をついた。


「俺に、あなたを守らせてほしい」


私は——生まれて初めて、言葉を失った。


窓の外で、風鈴が涼やかな音を立てる。


まるで、私の代わりに返事をするように。



◇ ◇ ◇



リーリエがヴァイスハイト領へ戻って、一月が過ぎた。


王都アルヴィスは、急速に荒廃し始めていた。


「殿下! 疫病の死者がさらに増えております!」


「殿下! 西の農村で不作が深刻化しております!」


「殿下! 城壁付近で魔物の目撃情報が——」


エドワードは玉座で頭を抱えていた。


「うるさい! 黙れ!」


次々と報告に訪れる家臣たちを怒鳴りつけ、足元に書類を叩きつける。


一体なぜだ。なぜこんなことになっている。


あの女を追い出しただけだ。あの冷たい、心のない女を。それだけで、こんな災厄が降りかかるはずがない。


「殿下」


傍らに控えていたセレナが、涙ぐんだ声で囁く。


「私、怖いわ……こんなことになるなんて……」


「セレナ……」


エドワードは彼女の手を取った。蜂蜜色の巻き毛、潤んだ翠の瞳。この女だけが、自分を理解してくれる。自分を愛してくれる。


「大丈夫だ。俺がついている」


「ええ……でも、民の間では噂が……」


「噂?」


セレナは俯いた。


「リーリエ様が去ったから、災いが起きているのだと……」


「馬鹿な!」


エドワードは立ち上がった。


「あんな女一人がいなくなったくらいで、王都が荒廃するはずがない!」


「で、ですよね……でも、ヴァイスハイト家は代々、王家に仕えてきたと聞きました。何か、特別な役割が……」


「知らん! そんな話は聞いたことがない!」


実際、エドワードは知らなかった。


王家の守護結界が、ヴァイスハイト家によって維持されていることを。リーリエの風鈴が、その中核を担っていることを。


政務よりセレナとの逢瀬を優先し、国の成り立ちすら学ばなかった愚かな王太子には、知る由もなかったのだ。


「……とにかく、対策を考えねば」


「殿下、一つご提案が」


側近の一人が進み出た。


「ヴァイスハイト家に使者を送り、リーリエ嬢を呼び戻しては——」


「却下だ」


エドワードは即座に切り捨てた。


「俺が追い出した女を呼び戻すなど、沽券に関わる」


「しかし殿下——」


「黙れ! 他の方法を考えろ!」


側近は口を噤んだ。誰もが、もう何も言えなくなっていた。


その夜——


エドワードは一人、中庭を歩いていた。


月明かりの下、かつて茶会が催された庭園は荒れ果てていた。薔薇は枯れ、噴水は止まり、芝生は茶色く変色している。


ふと、東屋の軒先で何かが揺れた。


風鈴だ。


——りん。


微かな、けれど澄んだ音が響く。


「……」


エドワードは足を止めた。


不思議な音だった。聞いていると、頭の奥がじんわりと温かくなる。苛立ちが薄れ、心が凪いでいく。


(この音は……)


「風鈴は、風がなければ鳴りません」


リーリエの声が、脳裏に蘇った。


「そして風鈴の音色は、聞く者の心を映すと申します」


「……くだらん」


エドワードは首を振り、その場を去った。


あの女の言葉など、聞く価値もない。


——しかし、その風鈴が彼に届けていたのは、最後の警告だった。


数日後、王城の書庫で古い文献が発見される。


「王家の結界は、ヴァイスハイト家の『音の魔法』によって維持される」


「その中核を担うのは、代々の継承者が調律する百八の風鈴」


「継承者が王都を去れば、結界は崩壊し、あらゆる災厄が解き放たれる」


文献を読んだエドワードは、蒼白になった。


「嘘だ……そんな馬鹿な……」


だが、現実は残酷だった。


疫病は広がり続け、不作は深刻化し、城壁の外には魔物が徘徊し始めている。


すべては——


リーリエを追い出した、自分のせいだった。


「くそ……くそっ!」


エドワードは拳を壁に叩きつけた。


「あの女が……あの女が悪いんだ! なぜこんな大事なことを教えなかった!」


——違う。彼女は教えようとしていた。


あの茶会で、「風鈴の音をお聞きになったことはありますか」と問うた。けれどエドワードは、その意味を理解しようとしなかった。


「セレナ」


エドワードは愛人を呼んだ。


「セレナ、お前には心当たりがないか? この災厄の原因について——」


「さあ……私には何も……」


セレナは首を傾げた。けれどその瞳の奥に、一瞬だけ何かが揺らいだのを——


エドワードは見逃した。



◇ ◇ ◇



王都の災厄が始まって二月。


きっかけは、些細なことだった。


「殿下、これを」


側近の一人が、小さな布袋を差し出した。


「なんだ、これは」


「セレナ嬢の侍女が、密かに処分しようとしていたものです。怪しいと思い、押収いたしました」


布袋を開けると、中からガラスの破片がこぼれ落ちた。


「……風鈴?」


砕けた風鈴の欠片だった。


エドワードは眉をひそめた。風鈴など、どこにでもある。わざわざ処分しようとするほどのものではない。


——いや、待て。


「この風鈴は、どこのものだ」


「調べましたところ……王宮の東の塔に飾られていたもののようです。ヴァイスハイト家が奉納した、結界の要となる風鈴の一つだとか」


エドワードの顔から、血の気が引いた。


「なぜ……これがセレナの侍女の手に……」


「わかりません。ですが、風鈴が砕かれた時期と、災厄が始まった時期がほぼ一致しております」


「……」


「殿下。セレナ嬢に、お話を伺うべきかと」


「馬鹿な! セレナが風鈴を割るはずがない!」


「ですが——」


「黙れ! これは何かの間違いだ!」


しかし、疑念は一度芽生えると消えなかった。


エドワードは、セレナの部屋を密かに調べさせた。すると——出てくる出てくる、不審な品々。


呪術に使われる触媒。毒草の粉末。そして——リーリエの持ち物と思しき髪飾りや手紙。


「これは……」


「呪詛の形跡がございます、殿下。セレナ嬢は、リーリエ嬢を陥れるために、結界の風鈴を割ったものと思われます」


「……嘘だ」


エドワードの声が震えた。


「セレナが、そんなことを……」


「殿下、直接お確かめになってはいかがでしょう」


——そして、対峙のときが来た。


「セレナ」


呼び出された彼女は、いつものように涙ぐんだ瞳でエドワードを見上げた。


「殿下、お呼びでしょうか」


「これに見覚えは?」


砕けた風鈴の欠片を見せる。セレナの表情が、一瞬だけ凍りついた。


「そ、それは……」


「東の塔の風鈴だ。結界の要となるものだった。なぜこれが、お前の侍女の手にある?」


「知りません! 私は何も——」


「嘘をつくな!」


エドワードの怒声が響いた。セレナが怯えたように身を竦める。


「お前の部屋から、呪術の触媒が見つかった。リーリエの持ち物も。お前は——リーリエを陥れるために、風鈴を割ったのか?」


「ち、違います! 私は——」


「なぜだ! なぜこんなことをした!」


セレナの表情が、みるみる歪んでいった。


涙ぐんだ瞳が、冷たい憎悪に変わる。


「……なぜ? なぜですって?」


彼女は笑い出した。甲高い、狂気じみた笑い声。


「あの女が邪魔だったからよ! あの冷たい顔をした、何を考えているかわからない侯爵令嬢が!」


「セレナ……」


「殿下は私を愛しているのに、あの女が婚約者だった! だから——だから消したかったの!」


「消す……?」


「風鈴を割れば呪いが解放されて、王都が荒廃する。そうすれば——そうすれば、あの女のせいにできると思ったのよ!」


エドワードは言葉を失った。


目の前にいるのは、愛した女ではなかった。計算高く、執念深く、そして——致命的に愚かな野心家だった。


「セレナ……お前は……」


「でも上手くいかなかった! 殿下があの女を追い出してくれたのに、災厄は止まらない! おかしいわ! なぜ——」


「……もうやめろ」


エドワードの声は、ひどく疲れていた。


「衛兵。セレナを拘束しろ」


「殿下!? 嘘でしょう!? 私を——私を見捨てるの!?」


「お前は王国を危機に陥れた。その罪は——」


「あなたが悪いのよ! あなたが私を王太子妃にしてくれないから——私は——」


セレナの絶叫が、広間に響き渡った。


引きずられていく彼女の姿を見送りながら、エドワードは膝から崩れ落ちた。


「俺は……何を……」


すべてが、間違っていた。


リーリエを冷遇したこと。セレナを信じたこと。婚約を破棄したこと。


すべて——すべてが、取り返しのつかない過ちだった。


「リーリエ……」


今更、彼女の名を呼んでも。


もう、何もかもが遅すぎた。



◇ ◇ ◇



王太子エドワードが、わざわざヴァイスハイト領まで足を運んできた。


その報せを聞いたとき、私は庭園で風鈴の調律をしていた。


「お嬢様、いかがなさいますか」


マリアが険しい表情で問う。


「……お通しして。逃げても仕方のないことでしょう」


「あのような男、門前払いにしても構わないのですよ」


「マリア、そうしたい気持ちは私も同じよ」


私は小さく笑った。


「でも——ここで逃げたら、私は五年間と同じになってしまう。今度こそ、きちんと終わらせるわ」


応接室に向かうと、クロードが廊下で待っていた。


「一人で行くのか」


「ええ」


「……俺も同席する」


「いいえ、これは私の問題よ」


クロードは眉をひそめた。この不器用な騎士は、私を一人で行かせることに明らかに不満を感じている。


「クロード様。私は大丈夫です」


「……」


「信じてください」


彼は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。


「待っている」


「ありがとう」


応接室の扉を開けると——そこには、記憶よりもずっとやつれた王太子の姿があった。


金髪は艶を失い、碧い瞳には隈が浮かんでいる。かつての傲慢さは影を潜め、代わりに焦燥と後悔が滲み出ていた。


「リーリエ」


「殿下。わざわざのお越し、恐れ入ります」


私は形式的に一礼した。もはや婚約者ではないが、相手は王太子だ。最低限の礼儀は必要だろう。


「座ってくれ」


「いいえ、このままで結構です。どのようなご用件でしょうか」


私の冷淡な態度に、エドワードは唇を噛んだ。


「……セレナのことは、聞いているか」


「ええ。風鈴を割り、結界を崩壊させた罪で拘束されたと」


「すべて、あいつの仕業だった。俺は——騙されていた」


「そうですか」


私は淡々と答えた。エドワードの顔が歪む。


「お前は、怒らないのか」


「怒る? 何に対してでしょう」


「俺がお前を信じなかったことに、だ! セレナの嘘を信じて、お前を冷遇し続けたことに!」


私は静かに彼を見つめた。


「殿下。怒りは、相手に期待しているからこそ生まれるものです」


「……」


「私はもう、殿下に何も期待しておりません。ですから——怒りもないのです」


エドワードの表情が、凍りついた。


そう。怒りよりも深い感情——それは、諦めだ。五年間かけて、私の中でエドワードに対する感情はすべて枯れ果てていた。


「リーリエ、頼む」


エドワードは突然、私の前に跪いた。


「王都に戻ってきてくれ。お前の風鈴がなければ、結界は——」


「殿下」


私は遮った。


「風鈴は、必要とされる場所で鳴るものです」


「だから——」


「殿下のお側では、もう鳴りません」


エドワードが息を呑む。


「私は五年間、殿下のお側にいました。けれど殿下は一度も——一度も、私の音色に耳を傾けてくださいませんでした」


「……」


「『冷たい』『心がない』——そう仰いましたね。でも殿下、風鈴が冷たく聞こえたのは、殿下ご自身の心が私に向いていなかったからです」


私は窓辺に歩み寄った。軒先で、一つの風鈴が微かに揺れている。


「今、この領地には私の風鈴を必要としてくださる方々がいます。私の音色を聞いてくださる方がいます」


クロードの顔が脳裏に浮かぶ。「もう一度聞かせてほしい」と言ってくれた、あの不器用な騎士。


「私は——その方々のために、風鈴を鳴らすことにしました」


「リーリエ……」


「お帰りください、殿下」


振り返り、かつての婚約者を見据えた。


「王都の災厄は、殿下ご自身でお解決ください。私は——もう、殿下の道具ではありませんから」


エドワードは床に伏したまま、動かなかった。


肩が震えている。泣いているのかもしれない。けれど私の心は、少しも揺らがなかった。


——りん。


窓辺の風鈴が、澄んだ音を立てた。


それは、長い呪縛からの解放を告げる音だった。



◇ ◇ ◇



季節は巡り、秋が深まっていた。


エーデルシュタイン辺境伯領——かつては荒涼とした辺境と呼ばれたこの地に、今は穏やかな活気が満ちている。


「リーリエ様! 今日も風鈴の音が素晴らしゅうございます!」


村娘が笑顔で手を振る。私も微笑み返した。


この領地に来て半年。クロードとともに各地を巡り、風鈴を設置してきた。邪気を祓い、人心を癒す音の魔法——それが、少しずつこの土地に浸透し始めている。


「リーリエ」


背後から低い声がかかった。振り返ると、クロードが馬から降りてくるところだった。


「お帰りなさい、クロード様」


「ああ。……様はいらない」


「ではなんとお呼びすれば」


「……普通に、名前で」


彼は視線を逸らした。耳の端がほんのり赤い。


(この人は本当に、不器用ね)


私は小さく笑った。


「クロード」


「……ん」


「今日の巡回はいかがでしたか」


「問題ない。北の村にも風鈴を設置した。住民は喜んでいた」


「そう、よかった」


並んで歩きながら、私は領地の風景を見渡した。


金色に色づき始めた木々。実りをつけた畑。子供たちの笑い声。そして——至るところで揺れる風鈴たち。


「クロード」


「何だ」


「この土地を『癒しの辺境』と呼ぶ人が増えているそうですね」


「……聞いている」


「あなたのおかげです」


「俺じゃない」


クロードは首を横に振った。


「お前の風鈴のおかげだ。俺は——お前をここに連れてきただけだ」


「それが、一番大切なことよ」


私は足を止め、彼を見上げた。


「私を必要としてくれた。私の音色を聞きたいと言ってくれた。あなたがいなければ、私は——」


「リーリエ」


クロードが私の言葉を遮った。


琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。


「一つ、頼みがある」


「なんですか」


「俺の傍で——ずっと、風鈴を鳴らしてくれないか」


「……」


「俺は口下手で、不器用で、お前にふさわしい言葉を知らない。だが——」


彼は私の手を取った。戦場で鍛えられた、無骨で硬い手のひら。


「お前の音色を、一生聞いていたい」


それは、プロポーズだった。


華やかな言葉も、甘い囁きもない。ただひたすらに誠実な、この人らしい言葉。


私の目に、じわりと涙が滲んだ。


「……クロード」


「返事は、今すぐでなくていい。俺は——」


「はい」


「……え?」


「はい、と言いました」


私は笑った。五年間、王宮では見せたことのない——心からの笑顔で。


「私も、あなたのお傍で風鈴を鳴らしたい。ずっと」


クロードは目を見開いた。そして——不器用に、けれど確かに、微笑んだ。


「……ありがとう」


「こちらこそ」


私たちは、しばらく手を繋いだまま立ち尽くしていた。


軒先で、風鈴が鳴る。


——りん、りん。


澄んだ音色が、秋の空に溶けていく。


私はようやく、私の音色を聞いてくれる人に出会えたのだ。



◇ ◇ ◇



——それから、数年の月日が流れた。


王都アルヴィスの災厄は、結局エドワードの手では収められなかった。


ヴァイスハイト家は王家への協力を控え、結界は崩壊したまま。疫病と不作、魔物の脅威に苦しむ民は王太子への信頼を失い、やがて彼は王位継承権を剥奪された。


歴史書には、こう記されている。


「王太子エドワード・レオンハルト・アルヴィス。愛人の讒言を信じ、守護者たる侯爵令嬢を追放した愚王。その治世は災厄の時代として記憶される」


一方、辺境伯領は「癒しの辺境」として繁栄を極めた。リーリエとクロードは正式に婚姻を結び、その子孫は代々、音の魔法を受け継いでいく。


風鈴は、今も辺境のあちこちで揺れている。


必要とされる場所で、必要としてくれる人のために——静かに、けれど確かに、その音色を響かせながら。



——りん。



遠い王都の廃墟で、割れた風鈴の欠片が風に揺れた。


もう二度と、音を奏でることはない。


それはかつて、誰にも聞かれなかった音色の——最後の残響だった。



【完】

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