最終電車 約束の二人
最終電車の空気は少し独特だ。
1番最後の車両ならなおさら、人は少なく、終点の駅が近づくにつれ、どんどん人々は降りてゆく。
遂に、その車両には僕ともう一人、黒髪ロングの少女だけになってしまった。
電車が左右に揺れながら、線路を走る。
それまで気にも留めなかったのに、その少女を認識した瞬間、僕は目が離せなくなった。
涼やかな目元、少し丸い小鼻、形の良い唇、黒のキャミソールワンピースに薄手のカーディガンを羽織っている。
足元には細いストラップのサンダル、何より印象的なのが、長い髪から覗く、雫型のピアスだった。
電車が揺れ動くたびにピアスも左右に揺れる。
少女は自分の手元をじっと見つめていた。敬虔な信徒が神に祈るかのように。何かをそこに、僕は神聖めいたものを感じた。
ふと、少女がこちらを見た。
僕の頭が確かならば、少女は真っ直ぐ僕を見つめている。
不安に駆られ、周囲を見渡す。
誰も座っていない座席と、少し汚れた床が目に映った。
それだけだった。
少女はそんな僕の様子を意に介さず、ただこちらを見続けていた。
歯に海苔でもついているのか?
僕はスマホをインカメにして、急いで歯を確認した。
歯どころか、僕の顔には何も異常は見当たらなかった。
アナウンスが流れる。
「えー、まもなく石抱駅に着きます。お出口をお降りの際は、お足元にご注意ください」
程なくして、電車は止まった。
ドアが開かれる。
少女は僕を見つめたままだった。
その視線から逃れるように、ドアから覗く駅のホームに意識を逸らした瞬間。
少女が、僕の目の前に立った。
グルリ、世界が廻った気がする。
少女は僕の目を見つめていた。
妙に黒い瞳に、吸い込まれそうになる。
お互いの息遣いさえ、感じられる程の距離に、僕たちはいた。
少女は片手を差し出す。
僕は咄嗟に、何故か自分の片手を差し出して、少女の片手を覆った。
少女は一息吐いて、言った。
「約束は果たされなきゃいけない」
僕はまるで茫然自失として、同じ言葉を繰り返した。
「や、約束は、果たされなきゃ、いけない」
少女がふと、微かに微笑んだ。
僕はビクッと肩を振るわせた。
「海で待っている」
「君は……」
瞬間、強い風が吹いて僕は目を瞑った。
奇妙なことに、君は消えてしまった。
君の長い髪が、風に吹かれて、扇のように舞った、一瞬の出来事だった。
僕はなんだか狐に化かされたように、しばらくの間座り込んでいた。
やがて目的の駅に着くと、フラッと降りた。
駅のホームは閑散としていた。
ただ、最終電車行きのアナウンスが耳を突くように繰り返し聞こえる。
君はどこに行った?
まるで何かを辿るように一歩ずつ足を踏み出す。
改札を出ると、まばらな街灯が辺りを照らしていた。
耳を澄ませても、もう君の声は聞こえない。遠くで車が道を走り去る。
ほとんど掠れて見えない星空を見上げながら、君がさっき言った言葉を呟いた。
「約束は果たされなきゃいけない」
海鳴りの幻聴がする。
幻の潮の匂いが鼻につく。
湿った風が細波を運んでくるようだ。
なんでだかは分からない。信じたいだけかもしれない。
でもそこへ行けば君に会える気がした。
石混じりの砂浜に、今日と変わらない姿で。
僕と君は約束した。
手を重ねたあの時に。
生温い追い風に後押しされて、僕はもう一度、脳味噌に刻みつけるようにして言った。
「約束は果たされなきゃいけない」




