第3話
大洗恭子。
彼女の楽しみは、ただ一つ――倉持教授を観察することだった。
ゼミに出席すれば、教授が黒板の前でメモを取る姿に目を奪われる。
書き損じたチョークの跡を指でなぞる仕草も、ペンを直す手の角度も、ひとつひとつが尊い。
昼休みになると、教授が学食でカップラーメンをすする姿を目撃。
「すすってる……!尊い……!」と心の中で絶叫する恭子。
教授がフライドチキンを頬張る瞬間、こぼしたソースをナプキンで拭う仕草には、「奇跡……!」と小さく膝を打つ。
タバコをふかす姿もまた、観察ポイントだ。
誰もいないベンチで、ふーっと煙を吐く教授。
恭子は胸を高鳴らせつつ、指折り数えてタバコの本数をチェック。
(今日の本数は五本……ふむ、少なめ……!)
ゼミの帰り道も見逃せない。
教授が自転車のサドルに小石を置いたまま乗ろうとして、思わず片足をあげてバランスを崩す瞬間、恭子は思わず手を胸に当てた。
「危な……い! でもかわいい……!」
恭子の観察はあくまで大学内限定。
家までついて行ったり、待ち伏せしたり、プレゼントを送りつけることは一切ない。
「ただ見守るだけ」――それだけで満足。
彼女にとって、教授を見つける瞬間こそが幸福の絶頂だった。
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そんなある日、幼馴染の優子が恭子に問いかける。
「……あんたさぁ、もし教授が誰かと付き合ったり、結婚したらどうするの? もう告白しちゃいなよ!」
恭子は首を傾げ、不思議そうな笑みを浮かべた。
「教授が幸せになるなら、それでいいじゃない?
それに、告白なんてしないよ……♡ 私なんか好きにならないで欲しい♡」
優子は絶句し、ため息をつく。
「なんでこーなっちゃったかなぁ……恭子、前はクールで普通の女の子だったのに」
しかし恭子は、満面の笑みで即答する。
「あの時の私はカラッポだったよ。今は幸せ♡」
その笑顔は天使のように無邪気で、でもどこか狂気を帯びている。
優子は思わず背中を丸め、笑みを引きつらせた。
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ゼミの日も、二人は大学の教室にいた。
恭子にとっては教授観察の時間。
優子にとっては、食品関係の進路に役立つ……かもしれない時間。
しかし、優子の心の声は正直だった。
(……あたし、なんでこんな“ラブコメの付き添い人”やってんだろ。
教授は一切気づかず、恭子はニヤニヤ観察中。
昼食で教授がうっかり味噌汁をこぼす瞬間を見逃さないとか……正直意味わかんない……)
それでも恭子は楽しそう。
教授がノートを広げ、鉛筆で字をなぞるだけでも、胸がきゅんきゅんする。
「全部、愛おしい……!」
優子はため息をつき、机に額を押し付けた。
(……将来、あたしの人生はこんな狂気の傍観者で終わるのか……?)
そんな優子の様子に恭子は気づかない。
彼女は今日も教授を愛でるだけで、心が満たされるのだった。
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