第1話「存在しなかった英雄たち」
2083年、人類は世界の終わりを静かに待っていた。
空は鉛色に淀み、都市は巨大な防御壁に覆われている。AI、クローン、時空兵器──あらゆる科学技術が、互いを滅ぼすための道具へと変貌した時代。僕たちは、"時間を先に制した者が勝つ"という「時間戦争」の渦中にいた。
僕の名前は高階レン。
この世界で最も不要な人間だった。
研究員として、僕は日々、未来を破壊するための兵器開発に従事していた。
そして今日、僕は、その役割を終えようとしていた。
屋上のフェンスに手をかけ、僕は眼下に広がる都市を見下ろした。
遥か遠くで、時空兵器の光が閃光を放つ。
あの一瞬で、何億という人間が、歴史から抹消される。
そんな世界で、僕が生きている意味は、もうどこにもなかった。
「……さよなら、世界」
僕は、静かにフェンスを乗り越えようとした。
その時だった。
背後から、冷たい声が聞こえた。
「高階レン。君は、ここで死ぬべき人間ではない」
振り返ると、そこに立っていたのは、政府の特殊部隊だった。
彼らは、僕を無理やり連行し、地下深くにある研究施設へと連れて行った。
そこには、僕が開発に携わった、そして、僕が忌み嫌っていた技術の全てが集約されていた。
「君は、全人類を救うために生まれるはずだった100億人の魂を解放する使命を負っている」
僕の目の前に現れたのは、政府の最高責任者であるソフィア・ローラン博士。
彼女は、僕に一つの装置を見せた。
それは、僕が開発を命じられた、そして、僕が開発を拒み続けてきた装置だった。
「未誕生者を救う装置」──『エグゾダス・ゼロ』。
「これは、“存在しなかったはずの人間の魂”を、この世界に召喚する、時空のルールを逸脱した装置です。この装置を使えば、歴史から抹消された人間を、再びこの世界に呼び戻すことができる」
「……そんな、馬鹿な」
僕は、彼女の言葉を信じることができなかった。
そんな技術が、本当に存在するのか?
僕が開発していたのは、ただの時空兵器だったはずだ。
「この装置を使えば、全人類を救うことができる。だが、この装置を使うことができるのは、君だけだ」
「なぜ、僕が……?」
「君は、この世界で、最も孤独な人間だからです。誰にも愛されず、誰にも必要とされず、そして、誰にも期待されなかった人間だから」
ソフィア博士の言葉は、僕の心を深く抉った。
そうだ、僕は、この世界で最も不要な人間だった。
だからこそ、僕は、この装置を使うことができる。
誰にも愛されなかったからこそ、僕は、全人類を愛することができる。
僕は、ソフィア博士に連れられ、『エグゾダス・ゼロ』の起動室へと向かった。
そこには、巨大なカプセルが設置されていた。
カプセルの中には、何も入っていない。
だが、僕には、その中に、100億人の魂が眠っているのが見えた。
「さあ、高階レン。君の使命を果たしなさい」
僕は、ソフィア博士に促され、カプセルへと手を伸ばした。
僕の手がカプセルに触れた瞬間、僕の脳内に、一つのイメージが流れ込んできた。
それは、僕と同じくらいの年齢の、一人の少女の姿だった。
彼女は、僕に向かって、静かに微笑んでいた。
「私の世界は、あなたたちが戦った時間戦争とは別の形で滅びた。──あなたたちの世界も、もうすぐ終わるわ」
その言葉が、僕の脳裏に響く。
次の瞬間、カプセルが光り輝き、少女の姿が、僕の目の前に現れた。
彼女の名前は、アイリス。
僕が召喚した、最初の「未誕生者」だ。
僕は、この世界で、初めて孤独ではないと感じた。
僕の物語は、ここから始まる。