5 ◇ 異国からの菓子と兄心
これにて完結です。
別視点など(関連作品)につきましては、後書きをお読みください。
王侯貴族の政略結婚に、恋だの愛だのなんて甘ったれたことは必須じゃない。
家格や条件が合う相手を探して、僕の二人目の縁談のときのように、問題がなければ「ああ、いい感じですね。ではこれからよろしく。」と言って、後から恋や愛を追いつかせる。それが当たり前で常識だ。
だから、今の僕の質問は甘ったれている。
でも、弟と第二王女様のこの縁談は、家格も条件も全然何も合っていない。
だったら、せめて恋や愛くらいは、少しでいいから合わせるべきだ。
僕はそう思いながら質問した。
僕に真っ直ぐに問いかけられた王女様は、僕の意図を察したようだった。
どこまで汲み取っていたかは分からないけど、少なくともサーリ侯爵家にとって、僕のこの質問が何よりも大きな判断材料になることを理解したようだった。
王女様は「ええ。お話しさせていただきます。」と頷いて、目を合わせてきた僕のことをしっかりと見つめ返してきた。
そして王族ならではの覇気のある視線を僕に向けたまま、彼女は僕の質問への答えを話し始めた。
……しかしそれは、いきなり出だしから訳のわからないものだった。
「貴方様がわたくしを見て、どう思われているかは分かりませんが──……わたくし、食事の量は人一倍多いのです。大抵の若い男性よりも、多く食べられる自信があります。」
「…………?」
「幼い頃から奇妙な生き物が大好きでした。魔物の生態図鑑が愛読書で、中でも昆虫種と爬虫種の項目はお気に入りです。
才能には恵まれませんでしたが、身体を動かすことは大好きです。ダンスのレッスンはもちろん楽しかったのですが、それだけでは物足りなかった。兄王子たちの剣技のレッスンをよく覗きにいって、こっそり真似をしていました。
……そしてわたくしの最近の趣味は、もっぱら格闘技観戦です。」
「そ……、そうなんですか。」
突然の情報に僕は戸惑いながら相槌を打った。
その儚げな容姿からは想像し難い、だいぶ……かなり……いや、相当違和感しかない内容だった。
彼女は僕のそんな内心を見透かしたかのように、そっと目を伏せた。
「──ですが、それらすべてのことが、わたくしには望まれていないのです。エゼル王国の第二王女には。
周囲には幼い頃から、可愛らしい小動物を愛でる姿ばかりを求められました。
格闘技のような暴力的なものは貴女が見るべきではないと、よく止められて引き戻されます。
人前では決して食べ過ぎないようにと、何度も、何度も指導されました。今でも食べるものをよく考えろと、耳にタコができるほどに言われますわ。
…………わたくしは、ただニンニク料理が好きなだけなのに。
すべて、わたくしの容姿には似合わないそうです。」
彼女はそこで一息ついて、また視線を前に上げた。そして宝石のような瞳に再び僕を映した。
「だから、わたくしは逃げたのです。
8年前、ここクゼーレ王国に来訪した際に。
異国の地で、誰もわたくしのことを知らない場所で、私だけの人生をやり直そうと。」
◇◇◇◇◇◇
「わたくしは幼い頃からずっと、本当の自分を隠すことが嫌で仕方がありませんでした。皆の求める理想の姿を演じ続けることを辛く感じていました。
どこへ行っても割れ物のように過剰に慎重に扱われ、一言一句に怯えられ、少しでも表情を変えると何故か異様に謝られて……しまいにはマナー講師から『周りの方々を困らせてしまわないように、貴女は何も喋らないでください。』と諭されました。好きな物事を皆の前で語るなど、夢のまた夢でした。
国民に【妖精姫】と讃えられても微塵も嬉しくありませんでした。王家の四人兄妹の中で、わたくしだけが髪も目も色が違って、妖精などという人外に例えられて……わたくしだけが血の繋がりが無いのだろうかと、本気で悩んだ時期もありました。
わたくしは本気で悩んでいるのに、侍女にそれを訴えると『たしかに貴女様は本物の妖精なのかもしれませんね』と笑われました。
……もう何もかもが嫌だった。一度でいいから普通の少女になりたかった。
そして14歳だったわたくしは、愚かにも逃げ出したのです。
クゼーレの王都を散策していたときに、従者の隙をついて姿をくらませました。」
「………………。」
「……愚かでした。当然、上手くいくはずもありませんでした。
道も知らずに一人で彷徨っていたわたくしは、浮いた容姿のせいかすぐに目をつけられてしまい、路地裏に引き摺り込まれ誘拐をされかけました。
そのときわたくしを助けてくださったのが、貴方の弟様でした。
護身術が不得手だったわたくしは、誘拐犯から逃れることもできず、泣きながら甘えた考えと浅はかな行動を悔いていました。これは愚かな自分への罰だったのだと諦めかけた──そのときに、弟様がわたくしたちの揉めていた声を聞きつけて、助けに来てくださったのです。
王女のわたくしが言うのも可笑しな話ですが、わたくしは『王子様が来た』と思いました。
絶望していたわたくしには、彼が光り輝いて見えました。」
…………運までもが、弟を理想の美男子に仕立て上げようとしてくるのか。
僕は弟から話を聞いた当時と同じことを思った。
予想通り、僕の弟は王女様の中では「完璧な理想の王子様」だった。彼女が見ていたのは、やはり弟の「表の顔」だった。
僕は「お話ありがとうございました。」と礼を言おうと、口を開きかけた。
でも王女様は、そんな僕を遮るようにして、僕の予想を見透かした上で否定した。
「もちろん、誘拐犯から助けてくださったあの勇敢な御姿に、わたくしは見惚れました。
……ですが、わたくしが彼を好きになったのは、そのあとのことです。
わたくしを誘拐犯から救い、従者と合流するまで付き合ってくださった、およそ30分ほどの間。
彼は、わたくしについて、何一つ決めつけをなさらなかったのです。
彼は、この明らかに浮いているわたくしの容姿について、何もおっしゃらなかった。
クゼーレの王都を一切知らなかったわたくしに、『王都に来たのは初めてなんですか?』と聞いてくださった。そしてそれから『僕は、あのレストランのガーリックステーキが王都で一番気に入っています。骨もついてきて食べ応えがあるんですよ。もし機会があれば、ぜひ食べてみてください。』と、女性が気に入りそうなカフェではなく、ご自分の好きなお店を教えてくださった。
剣を握ったこともないだろう、魔物などという穢らわしいものに興味なんてないだろうと、周囲に決めつけられてきたわたくしに……彼は『僕は剣術が趣味なんです。今は魔物を討伐する仕事をしているんですが、貴女は剣や魔物にはご興味がありますか?』と普通に尋ねてくださった。
ご趣味の剣へのこだわりを、クゼーレ王国の魔物の生態を、たくさん話してくださった。
あの御方は異国の姫のわたくしに、普通の少女のように、ごく自然に接してくださったのです。……わたくしはそれがとても嬉しかった。
貴方の弟様は、誰よりも素晴らしい御方ですわ。」
そして王女様は、最後にこう締めた。
「わたくしは、もうあの8年前のような愚かな娘ではありません。
『本当の自分自身を見てもらえないから』『誰も私を分かってくれないから』と、嘆いて逃げ出すようなことはいたしません。
公務で動物保護施設を訪れる際には、大蛇のところに駆け寄る前に、まず犬猫やウサギを愛でて笑うよう心掛けています。
国内の格闘技大会にはすべて行きたいけれど、会場の方々がわたくしに気を遣って遠慮してしまうというのであれば、招待席は兄王子たちに譲ります。
晩餐会の場では、物足りなくても決してそれを口にしません。出していただいたものを、出していただいた分だけ、ありがたく美味しくいただくようにしています。
……自室に戻ってから間食をすればよいだけですから。
わたくしは大人になりました。エゼルの第二王女として、わたくしは今まで、多くの愛と期待を受けて育ってきました。今はそのことに感謝して、多くの愛と期待に応えることこそがわたくしの使命だと思っております。
わたくしの振る舞いで国民がみな喜び、王家を愛してくれるのであれば、多少の本心を隠すことなど容易いこと。……わたくしは、今はそう考えております。
──ですが、もし叶うのならば……わたくしはその使命を、せめて伴侶の前では忘れたい。
昔のような愚かな娘に戻りたい。
本当の自分を見てほしい。私のことを分かってほしい。
未だにまだ、そんな我儘を捨てきれていない甘えた自分がいるのです。
大人になった今でも、すべてを捨てて逃げ出そうとしたあの日が頭から離れない。
貴方の弟様のお話がただただ嬉しかった……あの日の感情が忘れられない。
ですから、わたくしはご迷惑を承知で今日こちらに来国しました。
……もし叶うのならば、わたくしは貴方の弟様に、こんな愚かな私を受け入れていただきたいと思ってきたのです。」
◇◇◇◇◇◇
やっぱり、うちの弟は相変わらずだ。
相変わらず、勝手にいいように周りに解釈されて、勝手に好かれる超能力を持っている。
──……弟は、彼女が期待しているような男じゃない。
僕は彼女の話を最後まで聞いて、再びそう思った。
「弟をそのように思ってくださって、ありがとうございます。
ですが……貴女は、弟を過大評価していらっしゃる。
弟は、そのような気遣いのできる人間ではありません。先入観を持たずに他人に接する信念など、弟には無いと思います。」
「…………詳しくお話をいただいても?」
第二王女様は、僕の言葉を一瞬だけ咀嚼してから、僕に詳細を話すよう促した。
だから僕は、覚悟を決めて話すことにした。
「弟はずっと自分の見た目に胡座をかいて生きてきました。
弟はもともと少し抜けているところがあって、昔からよく周りに迷惑をかけていました。それでも周りが勝手にいいように受け取ってくれるから、弟はその天然さを直そうともしないまま大きくなってしまいました。
周りが勝手に持て囃してくれるのをいいことに、相手を喜ばせるための努力や工夫も一切してきませんでした。
女性が好みそうな洒落たカフェはろくに覚えない。まともにエスコートなんてする気もない。少しでも自分の印象を上げるためには何を言うべきで何を言わないべきか──なんて、悩んだことすらないはずです。
しかも自分の顔がいいことをちゃっかり自覚しているから、困ったことになっても、すぐに笑って誤魔化そうとする。そして実際に誤魔化せてしまう。
普通ならば許されないことも、自分ならば許されると確信している節もある。現に、今日だってこの場にいません。事前に予定は分かっていたというのに。
……本当に、調子のいい人間です。」
「………………。」
「ですから、貴女が褒めてくださったことについても、弟は何も考えていなかったと思います。
貴女のお名前を聞かなかったのは、人から感謝されることの喜びを忘れてしまっていたからだと思います。
貴女の美貌を前にしても何も言わなかったのは、自分がすでに容姿の賛辞に慣れきってしまっていたせいで、もはや他人を褒める発想すらなかっただけでしょう。
骨付きのガーリックステーキを勧めたのも、剣や魔物の話をたくさんしていたのも……どうせ小粋な雑談の一つも思いつかなかっただけです。とりあえず自分の好きなものを話してその場を凌いでいただけでしょう。相手の興味がどこにあるのかを考慮できるほど、細やかな気遣いができる人間ではないので。
……たまたま、弟の趣味が貴女と一致しただけです。
弟はそんな思慮深い人間ではありません。全然気も利きません。それが偶然、貴女の望んでいたものに合っただけのことです。……まったく、運のいい弟です。」
第二王女様は、僕の顔を真顔のまま、刺すような視線で見つめていた。
不快に思っているんだろうか。魅力的な弟をこき下ろす凡庸な兄を見て。
…… もしかしたら、嫉妬だと思われているかもしれないな。
僕はそんなことを思いながら、一息ついて前置きを終えて、続きを話した。
「──ですが、弟にも良いところはたくさんあります。
王女である貴女様には遠く及びませんが……弟も、その見た目から、過剰に周囲から期待を寄せられ続けてきました。
……そして、行き過ぎた好意も多く向けられてきました。それによって弟は心に傷も負ってきました。
弟はその見た目で得をしてきましたが、それ以上に辛い思いもたくさんしてきました。
弟は、本当は……女性が少し苦手なんです。女性からの好意が怖いんです。
それでも弟は……だからといって女性を嫌って見捨てるようなことはしない。弟には過去の恐怖に負けない『強さ』があります。
目の前で誘拐されそうになっているご令嬢がいたら、何か考える前に助けに入る『勇気』がある。
気の利いた会話や器用なエスコートができなくても、貴女を従者のもとへ無事に送り届けようとする『優しさ』がある。
爽やかな好青年であることを周囲に求められているのを理解して、その期待に応え続ける『男気』もあります。
──弟は、過剰な好意や悪意に負けない、過度な期待に簡単には潰されない──前向きで芯の強い人間です。
これが、僕の弟の『裏の顔』です。」
第二王女様は無言のまま、僕のことを真っ直ぐに見据えていた。
僕は彼女の宝石のような透き通る目をしっかりと見つめ返しながら、最後に僕が思っていることをはっきり伝えた。
「ですから、弟は貴女が思ってくださっているような人間とは少し違います。
それでも、兄の僕の感想ですが、貴女は弟とよく気が合うのではないかと思います。
気兼ねなく好きなものを話し合えるということが分かれば、弟はきっと喜ぶと思います。
そして、周囲に期待されることの大変さや苦しさも、弟はよく知っています。
僕たちには理解できないその辛さに貴女が共感してくださったら、弟はきっと安心すると思います。お互いに励まし合い、支え合う存在になれるかもしれません。
ですので、もし弟のそんな『裏の顔』にも失望せず、好感を持ってくださるのであれば──是非、僕としても弟をお願いしたいです。
貴女が望んでくださるのであれば、僕の方からも弟を説得しようと思います。」
僕の話を聞き終えた第二王女様は、僕から目を逸らさないまま、躊躇うことなく即答した。
「ええ。是非、お願いいたします。」
◇◇◇◇◇◇
「──おい。お前の代わりに、僕たちで王女様といろいろ話しておいたぞ。」
翌日の夜。さすがに申し訳なさそうな顔をしながらサーリ侯爵邸に顔を出しにきた弟に、僕は約束通り王女様を勧めることにした。
「話してみたらだいぶ印象変わった。」
「そうなの?」
僕に説教されると思っていたらしい弟は、意外と怒られずに済みそうだと分かった途端に早々に申し訳なさそうな顔をやめて、代わりにキョトンとして首を傾げた。
相変わらず調子のいい弟だった。
「彼女、相当な大食いらしいぞ。好物はニンニク料理だってさ。」
「え?」
「運動は得意じゃないみたいだけど、格闘技観戦が趣味らしい。剣の試合も好きだって。
あと、奇妙な生き物が好きだから、魔物の話も全然イケるって。魔物図鑑が愛読書なんだってさ。
よかったな。お前とかなり趣味合うじゃん。」
弟は目を丸くして「……それはすごいね。たしかにそうかも。」と驚いた。
僕はそれから一瞬迷って、あと少しだけ話すことにした。
「……彼女、今まで見た目のせいでいろいろと大変な思いをしてきたんだってさ。お前に似てると思ったよ。
だから一度、ちゃんと会って話してみなよ。彼女ならお前の苦労も分かってくれると思うぞ。」
僕には微塵も共感できないぼやきの数々。
あの話は僕が全部するんじゃなくて、彼女から直接聞いた方がいいだろう。
僕がそう思いながらあっさりと話を締めると、弟はそれが結局説教に聞こえたのか、ちょっとだけ申し訳なさそうにしながらそっと笑った。
「そっか。……じゃあ、次はちゃんと会おうかな。
昨日は任せちゃってごめんね、兄さん。」
◇◇◇◇◇◇
それからおよそ一ヶ月半後。
王国一図々しい弟は、図々しくまた王女様を呼び寄せた。
そして僕のアドバイス通り、二人でいろいろと話をしてみたようだった。
「──あ、兄さん。」
王女様御一行がお帰りになった応接間で妹がはしゃぐ声がしたから覗いてみたら、弟から声を掛けられた。
「このお菓子、王女様からいただいたんだけど──兄さんも食べる?」
弟の横で、妹が「ねー!これすっごく美味しい!明日の分も取っておきたいけど、止まらないよー!」と言いながらお菓子に手を伸ばしている。
「そうだね。じゃあ次もまた持ってきてもらえるようにお願いしてみようか。」
呑気にそう言って笑う弟。
「はぁ……お前たちは、まったく。何度も国を越えて王女様に足を運ばせているだけでも十分不敬だってのに、さらに土産の菓子まで要求するのか。図々しいにもほどがあるだろ。」
僕は溜め息をつきながら弟と妹の向かいに座った。
──弟に、女性からもらったお菓子を分けてもらうのは、一体何年振りだろう。
僕はそんなことを考えながら、妹が絶賛するお菓子を一口食べてみた。
「……!うまいな、コレ。」
「でしょ!甘くてほろほろしてて最高なの!」
妹が何故か自慢げに言ってくる。
そのお菓子は、弟からお裾分けされてきたお菓子の中で、飛び抜けて一番美味しかった。
そんな僕の驚く顔を見た弟は、相変わらず王国一整った顔をして、楽しそうに笑っていた。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
毎度感じていることですが、数多の作品が溢れるこの「小説家になろう」の中で拙作に気付いて読んでくださる方がいらっしゃるということが、何よりもありがたく本当に嬉しく思います。
私がこうして自分なりに楽しみながら投稿ができるのは、ひとえに読者の皆様のお陰です。改めて、本当にありがとうございました。
この作品は、すでに投稿済みの拙作の舞台裏的な位置付けとなっております。ですので、もし「『弟』が誰か知りたい」「別視点が読みたい」という方は、
異世界〔恋愛〕
【連載】婚約者様は非公表
(本編を読まずに、第一部後日談 幕間「笑ってはいけない会食」だけを読んでも大丈夫だと思います。)
もあわせてお楽しみいただければと思います。