4 ◇ 幸せの条件と猜疑心
全5話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。
そして弟の【絶世の美男子】の影響は、ついに、行き着くところに行き着いてしまった。
「なんですって?!うちの息子が──エゼル王国の第二王女様の婿候補に!?!?」
大抵のことにはもう動じなくなっていた父さんが驚愕する。
弟が魔導騎士団の部隊長を務めるようになってさらに何年か経った、とある平日の昼下がり。
我が家──サーリ侯爵家に、王宮からの使いがやってきた。
いきなり何事かと身構えた僕たち一家に告げられたのは、まさかの隣国の第二王女様からの婚約打診だった。
…………あり得なかった。
貴族同士の政略結婚は当たり前で、それが他国との縁に繋がることもある。
でも、さすがに「王族」は話が違う。他国の王子様や王女様と結婚をするとしたら、王家か公爵家あたりの血筋の子女だろう。
うちみたいに、何か特別なことがあるわけでもない侯爵家の、しかも次男。
隣国のエゼル王国は、ここクゼーレ王国に並ぶ大国だ。そんなところの第二王女様とは、さすがに釣り合うわけがない。
もう弟の結婚を本格的に諦めようとしていた母さんでさえも、喜ぶよりもまず「何故我が家なんかにそんな話が?!」と動揺していた。
王宮からの使者の説明によると、要点は二つだった。
一つ目。
この婚約は、エゼル王国の第二王女様ご本人たってのご希望だということ。
そして、二つ目。
クゼーレ王国側としては、これは願ってもいない話だから、無事に成立させろということ。
──要するに、弟は国家の外交的政略結婚の駒になった。
弟の影響力は、次男という立場を超えて、侯爵家という家格を超えて、王国の国境をも超えて──ついに、大国の王女様にまで届いてしまった。
父さんと母さんは、喜んでいいのか嘆くべきなのか、もう訳のわからない顔をしていた。
興味本位でついてきて一緒になって話を聞いていた妹は、話の大きさについていけずポカンとしていた。
……この場にいないのは、魔導騎士団部隊長として魔物討伐に出てしまっていた弟だけだった。
僕はなんとか、父さんと母さんの代わりに「成立させろといきなり言われましても、本人に確かめてみないことには始まりません。いただいた話をまずは本人に伝えて、意思を確認してみます。」と答えた。
◇◇◇◇◇◇
それから王都に帰ってきた弟にすぐに連絡を取って、弟をすぐにサーリ侯爵邸に帰ってこさせて、僕たちは弟から話を聞いた。
沿道からいきなりナイフを持って飛び出してきた例の令嬢とは違って、弟はその第二王女様には心当たりがあるようだった。
「ああ、結局そういう話になっちゃったんだ。」
そう言って困ったように笑う弟。父さんと母さんが知っていることを話すよう促すと、弟は簡単にこう説明した。
「うーん……父さんたちが覚えてるか分からないけど、僕が昔、路地裏で誘拐されかけていたご令嬢を助けたことあったじゃん?」
「あ、ああ。」
父さんが困惑しながらも頷く。その横で母さんが「……まさか、そのご令嬢が……?」と、早々に続きを察する。
「ああ、そう。そのご令嬢が、当時お忍びで来国されていた第二王女様だったんだよね。
それでこの前、その第二王女様が王室外交で来国されて魔導騎士団もご見学なさったんだけどさ、そのときに僕、気付いたんだ。『あ!』って。」
「『あ!』……って、お兄。」と妹が呆れたような目をして弟を見た。
「団長からも『エゼルの第二王女様は僕のファンらしい』って話を受けてたからさ、まあ……そういう話がくる可能性もなくはないとは思ってたけど。
……まさか本当にくるとは思わなかったな。」
弟は自分がモテることを自覚はしていたものの、さすがに大国の王女様までもが真剣に婚約を打診してくるとは思っていなかったようだった。
「エゼル王国の第二王女様といったら、【エゼルの妖精姫】と言われている御方でしょう?
直接お見かけしたことはないけれど、噂は聞いたことがあるわ。」
母さんはそう言ってから、貴族の母親として複雑な心境を吐露した。
「貴方の縁談を組もうにも、国内のご令嬢だとお相手を誰にしても波風が立ってしまいそうで……もうどうしていいか分からなかったの。
…………もう、王女様ほどの御方でもないとダメかもしれないって。
だから、もし貴方が結婚できるとしたら、その御方しかいないかもしれないわ。」
父さんと母さんは、ずっと悩み続けてきた。
弟には縁談の話がひっきりなしに舞い込むせいで、逆に誰を選べばいいか分からなくなっていた。
誰を選んでも「何故あの人なのか」と選ばれなかった他家から非難され、「彼に相応しいのは貴女じゃない」と選ばれた候補も非難される。
好意は受け取られなかったとき、悪意に変わることもある。あのときの令嬢のように。
──「振り向いてくれないなら貴方を殺して私も死ぬ!!」
弟がもしそこら辺のありふれた地位のありふれた容貌の女性と結婚しようものならば、周りはきっと、勝手に失望して勝手に文句を言って……人によっては、弟と結婚相手を勝手に嫌って攻撃してくるだろう。
弟はそんなに簡単に手が届いていい存在じゃないから──なんて、勝手な理想と期待を押し付けて。
だから、父さんと母さんが困惑しつつも少し期待をしているのも理解はできる。
大国の王女様、しかも【妖精姫】の異名を持つほどの美女が相手なら……【絶世の美男子】の弟と並んでも、文句を言われないのではないか。
皆に納得してもらえるのではないか。他の女性たちも諦めがつくのではないか。弟が傷つくことなく、皆に祝福してもらえるのではないか。
誰よりも他人を惹きつけることができるせいで、逆にどうにもならなくなってしまった弟が……普通に、幸せになれるのではないか。
父さんと母さんは、サーリ侯爵家の地位向上だの、他国王家との繋がりだの──そんなのは関係なく、ただただ弟を心配していた。
「…………それで、お前はどうしたい?」
僕は弟に質問をした。
すると弟は、申し訳なさそうな顔をしながら、弟らしい本音を言った。
「結婚したら僕はエゼル王国に婿入りしなきゃいけないんでしょ?
……それは嫌かな。だって僕、この国が好きだし、今の仕事が好きだから。」
僕は、弟の甘えた発言を諫めるべきなんだろう。
「僕だって侯爵家長男として政略結婚をしたぞ。お前だって王国の一貴族だ。貴族としての務めを果たせ。それくらいのことは受け入れろ。」って。そう言うべきなんだろう。
でも、ただの侯爵家次男の弟に……僕よりも軽い身分の弟に、僕の政略結婚よりも何倍も何倍も重い結婚を受け入れなきゃいけない道理はあるんだろうか。
弟はちゃんと家を継げない次男らしく、家を出て自力で生計を立てて地位を得ているのに。今さらそれも捨てさせるのか。
なんで弟がここまでしなきゃいけないんだ。どうして家族がここまで悩まなきゃいけないんだ。
弟はただ顔が整っているだけの、甘えた次男気質の天然なやつなのに。
僕は分からなかった。
弟を説得して結婚の後押しをすべきか。それとも弟のために「王家の言いなりになんてなるか!それは侯爵家次男の役目じゃないだろう!弟を外交の駒に使うな!」って、次は王宮からの使者を怒鳴り返すべきか。
「……王女様が義理のお姉さんになったらすごいと思うけど……それでお兄がこの国を出てっちゃうのは寂しいな。それに、王女様の旦那様になっちゃったら、私たちとも簡単には会えなくなっちゃうんでしょ?」
次男気質の弟以上に、歳の離れた末っ子らしい甘えた気質の妹がポツリと呟く。
それを聞いた弟は、少しだけ考えてこう言った。
「うーん。……『お気持ちは大変ありがたいのですが、僕はここクゼーレ王国で魔導騎士団部隊長としての役を全うしたいです。』じゃダメ?
魔導騎士団は王宮直属の戦闘部隊だし、少しは僕のことを自国の戦力としても貴重に思ってもらえていたらいいんだけどな。団長を通してそう伝えようかな。『団長からも僕を魔導騎士団に残すよう、直訴してください。』って、ちょっとお願いしてみるよ。できるか分からないけど。」
微塵も共感できない弟のぼやきを思い出す。
──「いちいち気を遣わなきゃいけないから疲れるんだよね。」
女子たちからのお菓子を断らずに持って帰ってきていた、あの頃の弟。
……僕が怒ってからはもう、持って帰ってこなくなった今の弟。
弟はずっとこうやって、何かを断るために、毎回毎回、なんとか躱すための言い訳を考え続けてきたんだろう。
周りの期待を裏切らないように。相手を傷つけないように。でも自分が攻撃はされないように。
──強く、優しく、美しい、王国一の好青年。
皆が憧れている僕の弟の「表の顔」は、綱渡りのようなバランスで保たれていた。
「…………まあ、それで上手く流せそうなら、いいんじゃないか?」
僕は弟に同情した。だから、僕は弟の肩を持った。
◇◇◇◇◇◇
その結果どうなったかというと……話は終わらなかった。
クゼーレ王国の王宮を通さずに内密に、エゼル王国側からうちのサーリ侯爵家に連絡がきた。
「クゼーレ王国に公賓として接遇させてしまうのは申し訳ないので、非公式で第二王女がそちらに来訪する。そこで本人と直接話をさせてもらいたい。」とのことだった。
弟が渋ったという事実が、先方に正しく伝わったんだろう。
第二王女様の対応からは、クゼーレとエゼル両国の権力で強制するのではなく、本人に納得してもらった上で婚約を成立させたい──そんな誠意を感じた。
……国を越えるほどの「誠意」という名の、弟への「好意」を。
そしてその結果、弟がどうしたかというと……
…………弟は逃げた。
弟は第二王女様の来訪日が事前に分かっていながら、休暇申請をしなかった。非公式で王女の来訪対応をする予定がある旨を、魔導騎士団に伝えていなかった。
そして昨晩、運良く魔物討伐の要請が入ったところで──……弟は自分の部隊を出動部隊に選ばせて、さっさと王都を離れて討伐遠征に行ってしまった。
最悪だった。
弟はよりによって第二王女様の「誠意」を、信じがたいほどの盛大な非礼で返した。
……でも、どっちの方が最悪かは分からなかった。
何があっても怒らない温厚で辛抱強い弟をこんなにも追い詰めたのは……周囲の期待で、王家の圧で……第二王女様の過剰な「好意」と来訪だ。
父さんは「一体どうすればいいんだ!」と頭を抱えて、母さんは「何て説明すればいいの?!あの子はいつ帰ってくるの?!」と慌てふためいた。妹は「お兄の馬鹿ぁーッ!!」と届かない文句を言っていた。
……………………。
「……いいよ。代わりに僕が対応するよ。
父さんと母さんはとりあえずついててくれれば大丈夫。僕が何とか話をするから。」
僕はこのとき、方針を決めた。
第二王女様に、きちんと婚約打診の理由を聞こう。
……それで、もし王女様が弟の「表の顔」しか見ていないようなら、僕は弟の「裏の顔」を話して伝えよう。
弟は顔がいいだけで、中身はただの間抜けで楽観的な男です。顔がいいことを利用して、悪い状況も笑って誤魔化す調子のいい男です。
弟は、貴女が誘拐犯から助けられたときに御礼のために名乗ろうとしていたのに、「面倒くさい」と謝意を無碍にした男です。
弟は、王女である貴女が来訪すると分かっていて逃げるような男です。
──他人からの好意に慣れすぎたせいで、王女である貴女からの好意すらもぞんざいに扱うようになってしまった……化け物のような男です。
そうして、第二王女様の目を覚まさせる。
弟の「裏の顔」を知ったら、弟が期待通りの男ではないことに気付けるだろう。それで、幻滅してもらおう。
…………そうすれば、弟のことを守れるから。
僕の方針を知らない父さんと母さんは「しっかり者のお前がいて助かった!」と半泣きで僕に頼ってきた。
妹は「お兄ってば、兄さんにいっつも尻拭いさせてて本当に駄目だよね!」と届かない文句を言っていた。
僕は家族からの言葉を聞きながら、弟の間の抜けた行動をフォローし続けていた学生の頃を思い出していた。
◇◇◇◇◇◇
そして予定通りの時刻にサーリ侯爵家にやってきたのは、補佐官に外交官、侍女複数名に護衛複数名をぞろぞろと連れた、エゼル王国の第二王女様ご本人だった。
国内外で【エゼルの妖精姫】と呼ばれるだけのことはある。本当に「妖精」かと思うほどに、人間離れをした容姿をしていた。
見事な光り輝く銀髪に、透明感のある空色の瞳。「氷で作った彫刻に宝石の瞳を嵌めて命を吹き込ませた」と言われても納得できる。
弟が「誰もが手を伸ばしたくなってしまう」究極の人類の美形であるならば、彼女は「誰もが触れるのを躊躇ってしまう」人外と見紛う美貌だった。
僕たち一家も、僕たち侯爵家の使用人たちも、妖精姫を前に完全に固くなりながら、何とか応接間までエゼルの御一行をご案内して席についた。
父さんと母さんの顔色が悪くなっている。これからまず最初に「ごめんなさい。肝心の息子ですが、今日はいません。」とこの妖精姫に伝えなければいけないという事実が、恐ろしくて仕方ないんだろう。
ちゃっかりついてきた妹も、さっき歩いて移動しているときに僕にこっそり「……ねえ、兄さん。どうしよう。」と言って不安になっていた。いざお姫様の実物を前にして、この状況がいかに「ヤバい」かを妹は実感したらしい。
「…………侯爵様。御子息様は、今どちらに?」
正門から応接間まで無言でついてきていた第二王女様が、ついに口を開き、鈴を転がすような声を発した。
ここで「御子息って、それ僕のことですか?」なんてボケるほど、僕は度胸もないし馬鹿でもない。
御子息……当然、それは弟のことだ。弟だけが現れないこの状況を、第二王女様は疑問に思っているんだろう。
彼は先に応接間にいるのかもしれない、応接間に着いてから呼ばれて来るのかもしれない──……そうやってしばらく黙って様子を窺っていたに違いない。
父さんが微かに身震いしながら「実は昨晩、魔導騎士団の緊急討伐の招集がかかりまして……愚息は部隊長として王都外へ遠征に向かっております。大変申し訳ございません。」と謝りながら頭を下げた。
それを聞いた王女様は、まったく表情を変えないまま、また鈴の音のような声でこう言った。
「……そうだったのですね。
クゼーレ王国の魔導騎士団のことは以前こちらに来国した際にも伺っております。
王国民を守る崇高なお仕事は、何よりも優先されて然るべきです。部隊長として今日も命を懸けて部隊を率いていらっしゃるとのこと、心より尊敬いたします。
こちらこそ、お気を遣わせてしまいまして、大変失礼いたしました。」
王女様のお言葉に、家族一同がホッと胸を撫で下ろした。
弟の調子のいい許されっぷりは、もはや本人不在でも発揮されるほどの域に達していた。
好青年の印象をちゃっかり上手く利用しているこの一点に関しては、弟は相変わらず狡い奴だと思った。
そこからは、第二王女様の隣に座っていた補佐官と外交官から、まずエゼル王国側の希望や条件をつらつらと語られた。
お堅い表現を抜きにして簡単に言えば、以下のような話だった。
〈弟の『クゼーレ王国にいたい』という希望は分かった。しかしこちらとしても、第二王女を事業も領地も持たない他国の侯爵家次男にただ嫁がせるわけにはいかない。あわよくばエゼル王国側で今後も王女として国民を象徴する存在でいてほしい。
弟の希望を最大限叶えるために『弟がクゼーレ王国で相応の新規の爵位を得る』もしくは『エゼル王国とクゼーレ王国の二拠点で別居婚をし、年間の3分の2以上はそれぞれの母国で生活をするよう調整する』などの対応を考えてきた。どうかその方向で検討してほしい。〉
提案されたのはどれもいいんだか悪いんだか、すぐには判断がつかないものばかりだった。
弟には少なからず負担があるものばかり。完全にエゼル王国に婿入りという形で行ってしまうよりはマシかなと思える程度のもの。
……弟はこれらの「条件」だけでは頷かないだろうという自信があった。
僕は父さんと母さんに宣言していた通り、僕がサーリ侯爵家側の人間としてメインで喋るようにしていた。
だから、一通りエゼル王国側からの話を聞き終えた後、父さんや母さんには確認せずに、僕なりに話を進めることにした。
「──ありがとうございました。
ご提示いただいたものを中心に検討させていただきます。
そして恐縮ですが、検討するにあたり一つお伺いしてもよろしいですか?」
補佐官の方が「何でございましょうか?」と聞き返してくる。
僕は補佐官ではなく、その隣にいる第二王女様と目を合わせた。
それから僕は、一番聞きたかったことを第二王女様に直球で問いかけた。
「王女様。お話いただける範囲でよろしいのですが、お聞かせ願えますでしょうか。
──貴女様は、弟のどこに好感をお持ちでいらっしゃいますか?」