*3* 魚を焼いたら夫が釣れた。
「ふっふっふ、良い色に焼けてきましたね〜」
プツプツと表面に浮いた脂が弾ける音と、ふんわりとした身の香り、火に落ちた脂が立てるジュッという音と、香ばしく焼けた皮の香り。胃袋を刺激することこの上なし。間違いなく今この場には幸せが満ちている。
このまま火の面倒を見つつじわじわ焼いていれば、マーサがアイリーンのオムツを替えて戻ってくる頃には、ちょうど良い焼き加減になるって寸法よ。
ガキ大将との戦いの末、思いのほか大量に釣れてしまったお魚。大口を叩くだけあって、あの子の釣果もそれなりにあったのだ。ただ育ち盛りばかりとはいえ、そんなに人数の多くない教会で魚を食べきるのは無理だからと、困り顔のシスターに余りをお土産に持たせてもらった。
しかしだねぇ、シスター達。子爵家夫人に川魚を持たせたところで、普通は〝じゃあ帰ったら早速料理人に頼んで、今夜の食事にしますわ〟とはならないと思うよ。夫に冷遇されてて、食堂で夕食をご一緒できない私以外は。
とはいえお目々ピカピカ、鱗ツヤツヤ、身もパンパンな川魚。人種の混在地域な私の実家ではご馳走ですよ。フライにソテーにワイン蒸し、香辛料を効かせたスープ煮込みも良い。
でも私はあえてシンプルに串に刺して塩焼き。この食べ方が一番好きだ。前世で解禁シーズンになったら、鮎や山女魚を兄弟達と釣った。向こうなら今は山女魚の時期だろうな。こっちではニジマスだけど。
それにしても、裏庭で魚を焼くと言った時の執事の顔は見物だった。焚き火で焼くには火力が心許ないと言えば、わざわざ調理場の料理人にまで話を伝えて、灰と炭の入った素焼きの壺まで用意してくれたのだ。
勿論これを期待して口にしたたわけじゃないですとも。ええ。これは彼らから、冷遇されているお飾り妻への好意です。
炭火の遠赤外線でパリッと香ばしく焼けた皮目に、歯を立てる時を想像して思わず頬が緩む。本当ならここに冷えたビールがあればもっと良いのだけれど、そこまで求めたら欲張りすぎか――と。やっぱり人間欲をかきすぎるのは良くない。向こうから苛立った足音が聞こえてくる。
「おい……ここで、何をやっているんだ」
「あら、こんな日に限ってお早いお戻りですね、旦那様」
眉間にがっつり皺を刻み、怒りに震える声で魚を焼く私を見下ろす旦那様。てっきり今日も仕事で遅くなると思っていたから、こんなに早い時間の帰宅は誤算だった。彼は私と良い匂いをさせる魚を交互に見やり、肩を怒らせる。
「この焼いただけの川魚は何だ」
「ご安心下さい旦那様。こちらは私達の夕食です。それにただ焼いただけではなく、腸をとってしっかり中も洗っておりますわ。寄生虫対策済みです」
「そういうことじゃない。何故こんな品性の欠片もない姿の魚を、庭で焼いているのかと聞いているんだ」
「ちょっと色々あって分けて頂きましたの。懐かしくなってつい。私の領地では、釣りたてをこうして串を打って焼くのが一番美味しい調理法だったので」
「蛮族にもほどがある。というか、庭で魚を焼くな。何故こんな当然のことを、仕事から帰って来てまで言わねばならんのだ」
いちいち腹の立つ言い回しをするものだなと関心したものの、確かに家に帰ってきていきなり、春花盛りの庭園から焼き魚の匂いが漂ってくるのは駄目か。それとも甘い焼き芋の匂いなら良かったのか。
とはいえどうせ怒られるのだから謝るのも面倒だ。ここはもういっそ堂々と切り抜けよう。入手経路を訊ねられても嫌だし、謝罪会見に時間をかけていては、せっかくのこのご馳走を焼きすぎてしまう。
「お言葉ですが、これを厨房に持ち込んだところで旦那様のご命令で、料理人は調理してくれないでしょう?」
「当たり前だ。屋敷の者達を雇っているのはわたしであって君ではない」
「ですよね。だったら自分で調理するまで。新鮮なものは新鮮なうちに食べないと、勿体ないではないですか。それにここは裏庭ですもの。匂いは少し漂うかもしれませんが、敷地内で消えますわ。それに火の始末をしっかりするなら構わないと、庭師とジョセフが言っておりました」
「仮にもアンバー家の人間だろう。魚臭い煙の匂いが髪につく。即刻止めろ」
「ああ、髪に匂いが……でしたら今夜の同衾はなしということで。旦那様も久しぶりに自分のベッドでのびのびお休み下さい」
「はぁぁぁ……そういうことを言っているわけではない」
「まぁ大きな溜息。まさか私が同衾しないとお寂しいのですか?」
「そんなことがあり得るわけがないだろう!」
「だったら問題ありませんわね。ちょうどマーサとアイリーンが戻ってきたようです。では、また明日の朝食でお会いしましょう」
まさにグッド・タイミングで離れの方から、マーサが天使をあやしながらこちらにやってくるのが見えた。我が天使はすでに芸術的素養があるのか、花の匂いや手触りを楽しんでいる様子。到着まであと五分はかかりそうだ。
私にとってはこれ以上なく心強い味方だが、冷遇夫にとっては悪魔の手先でしかない。いつかこの人にも味方に見える日が来るんだろうか? 全然想像がつかない。
でも私はこの人に悪の道に堕ちられては困る。最低でもせめて男児を授かり、マーサに超絶良い御縁を見つけて、アイリーンが婚約者の引く手数多な十歳くらいになるくらいまでは。それでそこまでいったら、やっぱりこの人にも幸せになってもらいたい。
私が死んで許されるのはそれを見届けた後だ――とか珍しく殊勝なことを考えているのに、何故か旦那様が立ち去らない。
「旦那様、まだ何かご用が?」
「…………」
「もうまもなく、旦那様の天敵のマーサとアイリーンが来ますよ?」
「…………」
ほほぅ、だんまりですか。困ったね。いや、この場合困るのはこの人の方なのだけれど。沈黙する彼の視線は相変わらず魚に向けられている。もらってきた魚は全部で六匹。私とマーサの二人分。一人で三本食べる計算だったから、今日はメイドに大人用のスープと、乳幼児用の人参のグラッセだけ持ってくるように頼んだのだが――。
「野蛮な食べ物の味が気になるようでしたら、一匹差し上げます。ですからアイリーンが旦那様に気づく前に、これを持って本邸にお戻り下さい」
やんごとなきお育ちのお坊ちゃんの目には物珍しく映るのだろう。きっと幼い頃に読んだ本の中に出てきたりしたのではないだろうか。前世でいえば十五少年漂流記と、トム・ソーヤ的なやつ。憧れるよね冒険譚。
そんなことを考えながら私が差し出した魚の串を、旦那様は迷うように見つめていたが、父親の気配を察知したアイリーンのむずがる声を聞きつけるや、無言でひったくるように受け取り立ち去った。野生動物の餌付けだな。
「うーん、可愛いところもある……のか?」
己のストレス軽減のためにそう思いたいだけかもしれないが、もしもそうだったら少しだけ冷遇夫のキャラクターに愛着が持てる気がした。同衾という名の寝かしつけと食育。次はこの手で攻めるのもありか?




