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*25* 埒が明かないです。寝ろ。

「人の気配がしているかと思えば……何のつもりだ」


 いくら色気がない夜着だとはいえ、深夜の一時に部屋を訪ねて来た妻を前に開口一番何という言様だろうか。あと咄嗟にペーパーナイフを構えないでほしい。そもそも手紙の封を切るだけなのに何でそんな長い必要があるんだろう。


「何のつもりって、夜這いですよ旦那様。何時まで待てば明かりが消えるだろうなーと部屋の外で待っていたのに、全然消えないものだから寒くて入ってきてしまいました」


「見て分かるだろう、疲れているんだ。そういう冗談は止めろ。不愉快だ」


 言いつつまた書類の山に視線を落とす夫。卓上ランプの明かりに照らし出された表情は、元々冷たい顔立ちなのに彫りの深さも相まって、血の通った人間とは思えない美しさだ。我が夫、雪花石膏(アラバスター)製疑惑。


 お互い四ヶ月放置していても平気という歪な夫婦間ではあるものの、多少放置しすぎたかもしれない。四ヶ月前にほんの少ーし詰めたと思っていた心の距離がまた開いてる。自分で作った設定通りとはいえ面倒な人だな。


 だけどまぁ、ここまで来て引き下がるつもりはない。何故ならお礼の押し売りに来たのだから。仮にも離婚したいと言うなら受け取れと言いたい。


「では言葉を変えましょう。実家の領民を助けていただいたので、その恩返しを兼ねて職務を果たしに来ました。産後半年は待って頂くというお約束の期間も過ぎましたし」


「ああ……復興支援のことか。別にあんなものは君の実家の鉱脈に眠っている鉱石の価値を考えれば端金だ。支援した金額くらいすぐに回収出来る。分かったならさっさと自室に戻れ」


 一瞬だけこちらの言葉に反応して視線を向けたが、すぐにまた書類に視線を落として羽虫を追い払うように手を振る。せっかくなかなか首を縦に振らない忠義者の執事を、世継ぎがいらんのか? と脅してこうして本邸まで入り込んだというのに。


「それはそうかもしれませんが、私の領ではその金額を必要な時に用立てられなかったのですから、ここで簡単にはいそうですかと引き下がれませんわ」


「今は……疲れている。物理的に無理だ」


「私相手ではそういう気になれないということでしたら存じております。ですがアイリーンを授かれましたし、何でしたら私が何とか頑張りますわ」


「そういうことじゃない。第一仮にも貴族の娘がそんなことを軽々しく口にするな。はしたない」


「仮にもは余計ですが、貴族の娘ならば嫁ぎ先の血を残すのに前向きな方が、殿方は都合が良いのでしょう?」


「それはそうだが少なくとも今ではない――って、何故真夜中にこんな話を延々しなければならないんだ。わたしにはまだ仕事が残っている。これ以上下らない話を続けたくない。出ていってくれ」


 うーん、話が平行線。だけど会話をしている間に観察していたら、あることに気付いた。この人、十月に会話を交わして以来かなり窶れたな。けど窶れたと言っても見窄らしいと言われる類ではなく、元から少ない輪郭の柔らかさが失われて硬質な厳しさに磨きがかかった感じ。


 これ以上放っておくと急に脳溢血とかで倒れて若死にしそう。一応離婚するにしても夫の幸せも掲げている身としては、その幕引きは避けたい。再婚相手候補になるかはまだ分からないけど、シルビア様が可哀想だ。


 ならば今夜のところは作戦変更である。寝かそ。死因がまさにエナドリ過剰摂取、栄養不足、睡眠不足のトリプルコンポだったので。反面教師ってやつ。


「あら、それこそ駄目ですわ旦那様。ご自分の今の顔色ご存知? 跡継ぎを作る前に儚くなってしまうおつもりですか」


「相変わらず口の減らない女だな君は」


「まぁまぁそう言わず。今夜はもう普通に寝ましょう。抵抗したら投げ飛ばしてでも寝かしつけますよ?」


「はっ、その細腕でか。馬鹿な」


「ふふ……侮って下さるのは結構ですけれど、実際お飾りの妻に投げ飛ばされたら、旦那様はどんなお顔をなさるのかしら?」


 前世は人数が少ない田舎の高校だからって、文化部なのに柔道部の数合わせで練習につきあわされたんだぞ。大体の学生の実家が農家で、敷地面積の広い農業学校で、将来農業従事者になる人間しかほぼいない、実習だらけで数少ない女子もそこそこ筋肉質。


 一限目から五限目まで実習、六限目体育の日とか泣いたわ。就職先は果樹、畜産、田圃、それとも――畑? みたいな。大学もそっち系に進む子がそれなりにいた。畑が大きい家の子とか、畜産の家の子は特に。


 兼業農家が多かったとはいえ、この国の食の未来は私達にかかっているという気持ちもそれなりにあった。あと小説を書くようになったきっかけは、冬の農閑期が暇だったからというのもある。


 そんな環境下で兄弟姉妹も何らかの運動部の練習に参加していたせいで、喧嘩は取っ組み合いの地獄絵図。顎に掌底を食らって鼻血が出ても、一度襟元を掴んだ手は離さないほどだった。


 加えて今世は一切電化製品の手助けがない洗濯と育児と移動手段。毎日の水汲みと洗濯物絞りと、抱っこしながら寝かしつけの散歩。筋肉は裏切らない。


 睨みつけてくる夫を無視して執務机に近付き、手許の書類を覗き込む。どうせ私には分からないだろうと思っているのか隠そうともしない。そのことに腹が立ったわけではないけど、普通に気になったので「ここの計算、間違っておりますわ。簡単な見落としにも気付けないほどお疲れなのね」と指摘。


 すると不機嫌にその間違い箇所を確認した夫は、次の瞬間こちらの指摘が正しかったことの屈辱に顔を歪めた。だからそこそんなに難しい計算じゃないってば。足し算と引き算くらい知ってるわ。ナチュラルに女性蔑視するね。


「――――――」


「――――――」


 執務机の横に回り込んで煽りを兼ねて微笑む私と、連日の疲れと突然の夜這いの苛立ちでこめかみをひくつかせる夫。無言で睨み合うこと瞬き二つ。最初に動いたのは、立ち上がってこちらを打とうと手を振り上げた夫。


 家庭内暴力の気配を察知した身体は、瞬時に受け流しからの体落としへと動いた。いきなり叩こうとした妻の前に跪く形になった冷遇夫は、何が起きたか分からず呆然としている。ふぅん、こんな顔するんですね。愉悦。


「ほら、疲れが足にまできているではありませんか。もう寝ましょう」


 声に笑いを含ませないように気をつけてそう言うと、今度は無言ながら素直に立ち上がってくれたので、ランプを片手に隣室に向かった。しかしながらランプの明かりにぼんやりと浮かび上がる室内は、本当に呆れるくらいただの寝室だった。ベッド以外ほぼ何にもない。生活感皆無。


 その代わり一人で寝るにはどころか、三人寝ても大丈夫そうなベッドにまだ呆然としている夫を座らせ、上掛けをめくり、夜着の上から羽織っていたガウンを剥ぎ取って横たわらせる。ついでに廊下で冷え切った私も潜り込んだ。


 そのまま上掛けを二人の上にかけ直し、娘にするようにぽんぽんと優しく肩口を叩いてあげる。あまりにされるがままの無反応なので、そこまで嫌いな女に負けたことがショックだったのかと顔を覗き込むと、すでに瞳がトロンとしていた。横にしたら目蓋を閉じる人形かな?


「旦那様、よくもそこまで眠いのにお仕事を続けようとなさいましたね」

 

「うる、さい、な。それだけ……確認しなければ、ならない書類が……日々溜まっている、んだ」


「不思議ですねぇ。有能だと有名な旦那様が毎日あれだけ働いているのに。それにさっきちらっと見ましたけれど、治水工事の件に触れていた書類は、アンバー領ともノーマン領とも関係のない地名でしたよ?」


「あの短時間で、勝手に、内容を見たのか」


「うふふ、貴男の妻は文字も数字も読めるんですよ。それであの書類の何割くらいが本当に旦那様のお仕事なんでしょう?」


「…………」


「旦那様?」


「寝ろと言ったのは、君だ。もう眠る」


「ええ、それはその通りですわね。ではお休みなさいませ旦那様。ご所望でしたら子守唄も歌いますけれど」


 私のからかい半分本気半分の言葉に返事はなかったものの、数分後には険しい表情のまま寝息を立て始めた雪花石膏(アラバスター)製の夫を前に、放置した四ヶ月についてほんの少し作者として罪悪感を抱く。


 ――これは、あれだ。


 原作者の私がまた踏んではいけないテンプレートを踏んだってことですね。

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