*24* 相談相手にはならないね。
「アイリーン、こっちの紙にあんよ乗せて〜……ペタッと。上手ねぇ。今度はこっちにお手々をギューッと、はい天才。おじい様とおばあ様に届けてあげましょうね。それと母様のノートにもお手々ペタッってしてくれるかな〜?」
愛娘との共同作業にデレデレになりながらノートを近づけると、呑み込みの早いアイリーンは「あーう!」と元気に手形を押してくれた。小さいのに指と指紋と掌紋がちゃんとあるの感動。
「上手ね〜! ほら見て、マーサ。先月よりちょっと大きくなってるわ」
「お嬢様は生きてるだけで尊いのに、大きくなっちゃうなんて素晴らしい」
「流石にそれは褒めすぎ……じゃないわね。大きくなって偉いわぁ、私の可愛い宝物ちゃん。でもちょっとだけじっとしてくれるかな〜?」
小さな紅葉みたいな手形と足形がついた紙を乾かすために、まだ押し足りないと紙に執着するアイリーンを抱きしめる。もうこれで四回目のリテイクなのだ。紙が勿体ないのでこれ以上の失敗は許されない。
まぁ仮に失敗した手形だらけでアートみたいになっている紙も、全部同封したところで両親と弟は喜びそうではあるけど。男児を産むまでは家に帰れないから、帰れたところでその時にはすっかり成長してるだろうし、小さくてふくふくした掌も足の裏も今だけの可愛さだ。
あ……でも待てよ。寝てる時に特大の紙の上に乗せて、アイリーンの身体の周辺をペンでなぞれば全長が分かるのでは?
ふと降ってきた閃きをあとで試してみようかと思っていたら、向かい合って娘の掌と足の裏を拭いてくれていたマーサが「それにしても、領地の疫病が落ち着いてきたようで良かったですね」と零した。
その言葉にこの四ヶ月ほどほとんど顔も見ていない夫を思い出す。別に十月にシルビア様と開いた初お茶会で、いよいよ不仲になって離婚調停に入ったとかではなく、純粋に仕事が忙しいみたいなのだが……今はもう二月。
今のところ原作にも動きはないし、今月で十ヶ月になる娘からは益々存在を忘れ去られている。その代わりと言っては何だが、シルビア様はほぼ一週間に二回はアイリーンにお土産を持って現れるので、恐らく娘は実父よりも彼女の顔を良く見ていると思う。
会いに来る頻度が姪っ子が可愛い親戚なんだもん。流石に最近は先触れを寄越してから遊びに来るのだけれど、あまりに甲斐甲斐しい頻度で訪ねて来るので、時々彼女と結婚したのかと錯覚しそうになる。
現に今日までハイハイからつかまり立ち、つかまり立ちから伝い歩き、伝い歩きからの後追い行動は、夫ではなく全てシルビア様とマーサと共に見守ってきた。以前心配していた予想が見事的中してしまったわけだ。
このままだと娘は〝パパ〟と言うより先に〝ネェネ〟という言葉を覚えるだろう。ちなみに私を指す〝マァマ〟と、マーサを指す〝シャシャ〟は習得済みだ。毎日話しかけるから言葉を憶えるのが早いのだろう。しかし――。
「えぇ。これも旦那様が実家に多額の融資をして下さったおかげだわ」
「旦那様にそれ以外の使い道はないので大丈夫ですよ」
「あら痛烈。でも本当にあのままだとうちの領地を立て直すためには、短く見積もってもあと五年はかかったはずだわ」
「それはそうかもしれませんが……そのせいでナタリア様は、この敵だらけの屋敷に押し込められて虐げられておいでです」
そう言ってムスッとしてしまったマーサを見て、手を拭ってもらっていたアイリーンが「シャシャ〜?」と声をあげる。その可愛らしい声を聞いて一気に「んん〜、何でしょうかお嬢様〜?」と笑顔になるマーサ。うちの娘この歳にして大人を転がす天才だわ。傾国の美幼女。
まぁでも今のマーサの発言ではないけど、原作者ながらあれだけ酷いモラハラを受けていたのに、何故逃げないのかと疑問に思っていたのだけれど……ここでもテンプレを採用してしまっていたらしい。
とはいってもこれは私が設定していたわけではなく、学習をさせたAIが導き出す解答と同じことだ。不幸な主人公の物語の身の上テンプレート。
Q・モラハラ冷遇男から逃げられない理由って何?
A・多額の借金、故郷が帰れない状況、家族も同レベル、依存ets……。
そういう内容から弾き出された最適解。初期のAIに中世の城下町を描かせたら、高確率で戦争と結びつけて燃える(物理)みたいなもの。
しかもこの不幸なルーレットは天災、戦災、疫病という中世暗黒時代を下敷きにしているらしい。私というキャラには借金と疫病がセットというわけだ。もう悪意しか感じない。キングボ○ビーに取り憑かれた桃○じゃないんだぞ。
眉間に皺を刻んで溜息をつきそうになっていたら、部屋の時計の時報が鳴ったので、慌てて本日も来訪予定な彼女のために、本邸の方にある応接室の使用許可を取りに向かった。
――……一時間後。
本邸の使用人達の手によって完璧に整えられた応接室で、冷遇夫が言うところの〝侯爵令嬢を招いても恥ずかしくない〟お茶会を楽しみながら、シルビア様にある相談事をしてみたのだが――。
「ジェラルドに領地の復興を手伝ってくれたお礼がしたい? なら答えなんて決まっているわ。さっさと第二子を作れば良いの。勿論男児よ」
「あー……やっぱりそれしかないですよねぇ」
「当たり前じゃない。貴族の結婚にそれ以外求める人間なんていないわ」
生まれついての美貌を生かした表情でキリッとそう言った彼女は、次の瞬間横から「うにゃうぅ」と乱入してきた愛娘に相好を崩した。
「まぁ、わたしの指を離しなさいこの無礼者」
「あばば、いにゃ~」
「ふふん、そんな小さい手で握りしめたって痛くも痒くもなくってよ」
私の膝からシルビア様の膝に鞍替えした娘は、そのままご機嫌に彼女の白くて細い指を握る。洗濯で荒れた母や侍女の手と違って、すべすべで気持ち良いのだろう。ちょっぴりジェラシー。
赤ん坊の行動に振り回される派手目な美女は、侯爵令嬢だろうがお構いなしに『乳幼児に触れる前には手洗いうがい、お化粧と宝飾品はつけない、髪が天使の指に巻き付かないようアップに纏めて、服は汚れが気にならないもので尚且コットン製のものを』と最初に詰め寄ったマーサのおかげで、すっかり〝孤児院に時々現れる素性の隠せていないやんごとない方〟風だ。
突っ込むのも野暮な気がして諦めたけど、最近は夫の留守中でもお構いなしに遊びに来るので、最早娘と夫のどちらが目的なのか分からない。聞いたところでツンデレなシルビア様が素直に答えるとも思えないものの、たぶんどちらとも会えたら嬉しいが正解だろう。
「ふにゃぅ、あーうー」
「あ、ちょ、お止めなさい。そんな体勢はしたなくてよ! お前にはジェラルドの娘としての恥じらいや品格はないの?」
「まーうー、にぃぃぃ」
「そ、そんな風に笑ったって誤魔化されないわよ。ちょっと保護者達、この娘の躾はどうなっておりますの!」
直前まで大人しく座っていた彼女の膝の上で急に寝転がり、爪先を自分の手で掴んでV字開脚する娘を前に、頬を赤く染めたシルビア様が非難の声を上げる。女の子同士なんだからそこまで照れなくてもとは思いつつ、お育ちが良いんだからしょうがないかと思い直す。
「そう仰ってもそれくらいの子供はそんなものですわ。むしろ笑顔を見せているのは信頼の証なんですよ」
「信頼……」
「ええ。以前旦那様に慣れていただこうと抱かせたら、秒で泣きましたもの。そうよねマーサ?」
「はい。自分に興味のない人間に抱かれるのはこのくらいの子には、さぞ恐ろしいでしょうからね。お嬢様にとっては旦那様より、シルビア様の方が安心できる存在なのではないでしょうか」
「ふ、ふぅん? みだりに男性に肌を許さないのは淑女として当然ですわ」
いや、相変わらず言い回しが独特だなぁ。乳幼児を抱っこするのにそんなセンシティブになることある? でも一週間のうち二日訪れてはくり広げられているこの平和な風景が、割と定着しつつある今日この頃。
最初のうちは娘の顔の造形に対して『ジェラルドの血を継いでおきながら、なんたる凡庸顔! 母親たるお前のせいよ』と無茶振りをしていたのに、今や遊びに来る度に玩具や服を持ってくるくらいにデレデレである。うちの娘の可愛さに陥落しないものなどおらぬ。
実の父親であるのに無関心な誰かさんに、彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。このお嬢様赤ちゃん好きすぎでは?
「とにかく、次にジェラルドが帰宅した時にでも同衾するのよ。それで第二子を作って産めばこれ以上ない礼になるはずだわ! お前の血が入っていたってきっと彼に似た美男子になるわよ。この子が証拠」
ああー、これは赤ちゃんが好きすぎて暴走しだしたね。DNAがもたらす奇跡への期待が重いし。
悪気なく名案でしょうとばかりに胸を張るシルビア様を前に、苦笑するしかない私とドン引きするマーサ。何も分からず無邪気に喜んでいる娘という空間に、突っ込み役になりそうな夫は今日も不在だ。
しかし彼女の言にも一理はある。うちの領民の命を助けてもらったからには、領主家の娘たる私の命がけの人体錬成で等価交換をすべきだろう。うーん仕方ない。不本意だけど今夜は夜這いだな。