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★23★ 契約結婚の誤算。

 逸る気持ちを手綱を握る力に変え、苛立ちながら馬を加速させる。護衛もそれにならって馬を並べた。長閑な田園風景に物々しい馬蹄が響く。


 平時に領主が領内を馬で駆けるなど本来ならばあってはならない。領民達が不安がるからだ。そんなことは分かっているが、今はそんなことに気を遣われても困る理由があった。


「どうして離れで大人しくしているだけのことが出来ないんだ……!」


 領内の小麦畑を視察していた最中、屋敷に残した執事から早急に帰宅を求めるメモが届けられた。そこに書かれていた思いも寄らない内容に驚き、視察を切り上げて早駆けする羽目になったのだ。


 苛立ち紛れに馬へ見せ鞭を振るおうかとしたものの何とか理性を保つ。これ以上速度を上げても屋敷への到着時刻に然程差は出ない。馬を走らせながら思い浮かべるのは、屋敷の離れに隔離していることが無意味なほど、地味な見た目とは裏腹に嵐ばかり起こす名目上の妻だ。


 第一子が息子ではなく娘だったためまだ離縁することも出来ない。そのくせ第二子を作る夜伽については時期を待てと注文をつけてくる。契約に基づく雇われの立場だというのに、まるで自分こそがこちらの手綱を握っていると言わんばかりの態度が腹立たしい。


 そもそも彼女に目をつけた理由は、クラリスでなければ誰を娶っても同じだという半ば自棄からきたものと、彼女の家が治める土地にある稀少な宝石が採れる鉱山だった。根底にあるのはクラリスへの当てつけと打算。彼女もそれは理解している。愛のない夫婦など貴族には珍しくもない。


 ただ愛を失ったからには領地経営をと思ったが、それも複雑な地盤を読めるものが彼女の一族だけという、厄介極まりない鉱山の性質に阻まれた。しかも地盤の読み方は直系の血にしか受け継がないという。


 代々領主家の人間に欲というものがなく、発掘するための資金も、技術者も、人手すら足りていない、まさに宝の持ち腐れを地で行く恥ずべき家だ。極めつきは代々お人好しと言うよりは愚かなほど他者に甘いこと。

 

 他の貴族家が鉱石のために縁談を持ち込もうと、鉱山の共同経営を持ちかけようとも頑なにそれだけは拒んだ。彼の地の領主で現在はわたしの義理の父でもあるジャスパー・ノーマンもまた、温厚でありながらも頑固だった。


 領民からの訴えは勿論のこと、一部の流民達の訴えにまで、どんなに小さく下らないものだろうとも叶えて当然だと思っている。おかげで彼の地はこの国の土地でありながら、奇妙な文化を形成していた。

 

 また元からの領民の暮らす地区と、流民だけが暮らす地区は大まかだが区切られており、両者が互いに文化の違いを尊重し合って交流しているという部分だけは、それなりに学ぶべきものがあるだろう。

 

 今回の婚姻が結ばれた理由は、彼の地が受け入れた流民達から出た熱病のせいだった。領内に封じ込めることには成功したものの、復興に充てる財源が足りずに借金が膨らんだ。だからこそ、その弱みにつけ込む形で年齢と爵位の釣り合いを説き、強引に結婚に持ち込んだというのに――。


「ああ、クソッ! このままではただの負債だ!!」


 馬蹄に紛れさせるように叫び馬を駆る。ようやく屋敷の門が見えてくると、すでに数人の使用人が不安げに帰宅を待っていたため、馬の速度を落として背から飛び降りた。


 使用人に馬を預けたわたしの元へとメモを寄越した執事が駆けつける。その表情に普段屋敷の使用人達に指示を出す冷静さは見られない。ただただ困惑と焦りがあるだけだ。


「ジョセフ、お前がいながら何故あれに勝手を許した」


「も、申し訳ございません旦那様。まさか侯爵家のシルビア様をお相手に、屋敷のメイド達を頼らずご自身の侍女と二人で準備をするとは思わず……」


「それは確かにそうだろうな」


「しかし旦那様、奥様は何を考えておいでなのでしょうか?」


 そんなことはこちらが聞きたいくらいだ。元よりあれに婚約を持ちかけたのも、社交場では常に壁の華。格下の家の人間に陰口を叩かれようが、反論もしないようなつまらない女だったからだ。

 

 いや……今となってはそのはずだった(・・・・・・・)が正しいか。


 よりにもよってあの思い込みが激しく、気性の荒いシルビアを相手にするなど普通の令嬢はしない。クラリスの妹で昔からこちらへの好意を口にし、よくまとわりついてきた彼女の相手は、幼馴染のわたしですら手を焼く。


 それを昨夜の今日で幼児と会う? 妻を娶ったと告げても、まだ引き下がろうとしない彼女のわたしへの執着心と嫉妬深さを考えれば、不興を買うことなど火を見るよりも明らかだ。社交界に不名誉な噂を提供するつもりはない。


「知らん。契約の内容以外のことには特に制約を求めているわけでもない。家名に泥を塗るような行いでもなければ捨て置けと言いたいところだが……今回ばかりは目に余る。わたしは彼女に女主人の真似事をしろとは言っていない」


 顔を合わせた際に怒鳴りつける愚行を避けるため、会話を交わしながら廊下を突っ切り庭園に向かう。すると何の嫌がらせか庭園内でも一番小さな四阿で、見窄らしい茶会を開いていた。


 周囲に当家の使用人は一人もいない。いるのは彼女が実家から連れてきたマーサという無礼な侍女と娘、それにシルビアが連れてきたノースランド家の使用人達だけだ。


 明らかに冷遇されていると見せつける当てつけがましさに苛立つと共に、昨夜クラリスとシルビアに見せつけるために演じた仲睦まじい夫婦像が、この一件で水泡に帰したことを理解する。


 接近するこちらに最初に気付いたのは妻だ。彼女の気配が固くなったことに気付いたのは背後に立つ侍女。人見知りなはずの娘に至っては、何故か笑顔でシルビアに腕を伸ばしている。


「今戻ったぞナタリア。ようこそシルビア嬢」


「ジェラルド! お仕事でいないと聞いていたのに会えるなんて嬉しいわ!」


「そう言って頂けて光栄です。今日は妻を訪ねて来て下さったのですか?」


「ええ、そうよ! 昨夜仲良くしてほしいと言われたから仕方なくよ。ちょうど今この子を抱っこさせてもらうところだったの。最初は貴男に全然似ていなくてがっかりだったけど、よくよく見たら可愛いわ」


「それはそれは……ありがとうございます」

 

 なるべく怒りを気取られないよう声をかけた途端、困惑する視線の妻と嫌悪を露わにする侍女の視線に出迎えられる。娘は何もしていないのに顔を歪めてすでに泣き出しそうだ。泣かれないよう少し距離を取る。


「しかしナタリア、いくら昨夜親しくして頂いたとはいえ、こんなところで侯爵家の方をお相手にお茶会とは感心しないな。それにアイリーンは人見知りだろう。泣き出したりすればシルビア嬢のご迷惑になる」


「ええ……と、申し訳ありません?」


 愚鈍にも思える謝罪に、抑え込んでいた彼女への苛立ちが膨らみかけたが、横から「お嬢様はつい今までとってもご機嫌でしたわ」と、無礼な侍女が割り込んできた。さらにその言葉を「泣いてもわたしは構わないわ。赤ちゃんだもの。それに見て! 笑ってるわよ。ね〜?」とシルビアが引き継ぐ。


 しかしそう言われて視線をそちらに向けると、ギュウッと眉間に皺を刻み唇を戦慄かせる娘の姿。このままだと確実に泣かれる。あのいつものこの世の全てが憎いと言わんばかりの泣き声が脳裏を横切り、思わず後退ったこちらに向かい微笑んだ彼女が口を開く。


「普段お仕事で忙しい旦那様がいらして照れているのね? そういうわけですので旦那様、お茶会の場所は変えますから、殿方はお引き取り下さいませ」


「せっかく帰ってきたのだしジェラルドも座りなさいよ! ほ、ほら、わたしの隣が空いていてよ?」


「うふふ、いけませんわシルビア様。旦那様は今日はとてもご多忙だと仰っていましたもの。きっと屋敷の者からシルビア様がいらしていると伝言を受けて、お顔を見に戻っていらしただけですわ」


「ま、まぁそうなの? だったら無理を言っては駄目ね。でも、また機会があれば顔を見せにきなさい。そうしたら構ってあげなくもなくてよ」


「んぎゅぅぅ……みゃ、あぁぁうぅ!」


「あらいけない、大丈夫よアイリーン。旦那様、お仕事の続きをなさりに執務室へお戻りになって下さい」


 ああ、クソ――何が愚鈍だ。その双眸に浮かんだ優越感と憐憫に返す言葉もなく、娘に泣かれることを厭うて引き下がるわたしの方が、この場では余程愚鈍に映ることだろう。

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