*21* プロトタイプ悪役令嬢。
冷遇夫が「では、お手柔らかに」とほざいて、一人で会場に挨拶回りに戻ったところで、何故かシルビア様まで「お前、ここから動くのではないわよ」と言い残して会場に戻っていった。
正直このままこれ幸いに、会場の給仕辺りに気分が悪くなったので帰ると言付けても良かったのだが、それだと面倒事の先延ばしにしかならないため、諦めて大人しく待つことにする。
柱の陰から見る会場はとても華々しくて美しい。本来なら日陰者として一生を屋敷内で過ごすはずの私がこんなところにいること自体、シナリオの破綻になるのではないだろうか。
そんなことを考えながらぼんやりとしていたら、シルビア様がワイングラスを両手に戻ってきた。しかも赤。これはあれだな。お約束の〝手が滑りましたわっ!〟がくるに違いない。
そうなるとマーサと作った腰布が汚れるのだけは避けねばと、腰布を留めているピンに手をかけたのだけれど――。
「ふん、言い訳の前に緊張で喉が乾いているのではなくて? ワインが嫌いでないなら飲みなさいよ」
そう居丈高に言ってズイッと差し出されるワイングラス。勢いが良すぎてグラスの中で踊る赤ワイン。え、何この娘。ここにきてまさかの目茶苦茶良い子枠とか聞いてない。何でこの子と結婚しなかったんだ夫よ。
戸惑うこちらを見て「うちの領地のワインが飲めないと言うの!?」とか、明後日の方向に怒るシルビア様。
この悪役令嬢ムーブ勘違いされ系、噛ませ犬ツンデレキャラには心当たりがある。たぶんだけどこの子、悪役令嬢のキャラを作るのに悩んで同じフォルダに書き散らかした一人だわ。消し忘れ……だと!
最終採用はアイリーンになったけど、彼女は名前をつけないで放置したキャラを採用した謂わばifの世界線の悪役令嬢。夫とは違う意味で見張ってないと、容易く破滅しそうな子を作ってしまってた。
「あ、いいえ。嘘をついていた私にお優しく接して下さるので、少々驚いてしまっただけです。赤ワインは好きですわ。生憎ワインの産地には詳しくないのですけれど、きっとシルビア様の領地で作られたものなら一級品ですわね」
「あ、当たり前でしてよ。ほら、早く受け取りなさい」
「ふふ、ありがとうございます。では頂きますわ」
考えてみれば相手はまだ十八歳かそこらの女の子だ。そう思うと少し緊張がほぐれた。差し出されたワイングラスを受け取り、香りを楽しんでから一口含むと、瞬間弾けるブドウの程良い酸味と甘味。思わず淑女らしさも忘れて「美味しいですねぇ!」と声を上げてしまった。
すると「ふ、ふん、お前みたいな貧乏人にも味の良さが分かるみたいね。流石はお姉様の品種改良したブドウだわ」と、サラッと姉自慢を挟むシルビア様。けどこの場合は君の敵に塩を送る優しさこそ褒め称えたいんだけど。
しかもその後も何故か一向に尋問は始まらず、自領産の白ワインや、自領産のチーズ、ドライフルーツ、ブランデー、カットされた腸詰めと、次々に名産品を持ってくるシルビア様。ついに銀色のトレイを持ち出してきたぞ。
その姿は侯爵令嬢というよりも高級デパートの敏腕バイヤー。恋敵をどうにかして引きずり落としてやろうという意地悪な侯爵令嬢には見えない。もしかして最近はドレスにワインをかける嫌がらせが廃れて、飲み食いさせてドレスの腹回りをきつくする嫌がらせが主流になってるとか?
つらつらと商品(?)のプレゼンを続ける彼女に、思わず「言い訳を始めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」と聞いた私は悪くないはずだ。そんな私の発言にハッとした表情を浮かべて「くっ、これがお前のやり口なのね……」とか言い出すシルビア様。やり口て人聞き悪いな。
というかどうしようこのポンコツ令嬢。原作者特権とかがあったら、夫そっちのけで娘とマーサの次に推してしまいそうだ。悪意のある(私の)原作から守護りたい、そのお馬鹿可愛さ。
――と、そういうことでやっと本題に入る流れになったわけだけれど。
「ふぅん、じゃあお前がド辺鄙で貧乏な領地のために、一回り以上年齢の離れた貴族の後妻にされるところを、お姉様を失って気落ちしていたジェラルドが哀れに思って拾ったのね」
「はい。ですので私は恩義に感じておりますが、旦那様はクラリス様を失った心の隙間を、私という代用品で埋めただけに過ぎません」
「ジェラルドったら優しすぎるのね。でもだとしても、わたしを選ばないでお前を選んだことは納得出来ないわ。第一解釈違いなのよ。完璧な男性を体現しているジェラルドの妻が、お前みたいな泥臭い女で良いわけがないもの」
これでもかーなーり気を遣い、冷遇夫を好意的に持ち上げてでっち上げたシナリオだったのに、シルビア様にはそれでもまだ気に食わなかったらしい。主に私の存在が。まぁそれはそうなんだけどさ。
でも君が優しすぎると頬を染めて評した男の実際は、嫁いびりに勤しむモラハラ系初恋モンスターだぞ。正直娘を生んだ母親の身としてはお勧めしない。
「お姉様とジェラルドは、幼い頃はそれはそれは仲が良かったのよ。いつも二人で本を読んだり、ダンスの練習をしたり、わたしが遊んでって言っても全然聞こえていないみたいで。だからいつも無理やり二人の間に割って入ったの」
そして唐突に始まる思い出話。けれどマウントというよりも美しい記憶を辿るような声の響きに、少しくらい吐き出させた方が良いかもしれないと思ったので、傾聴の姿勢を取ることにした。
「成程、大好きな二人に構ってもらえなくて寂しかったんですね」
「でもお姉様はそんなわたしにも優しくて、割って入ったあとはずっと一緒に遊んでくれたわ。最初は困り顔だったジェラルドも最終的には許してくれた。三人で色んなことをして遊んだわ」
「あの旦那様が……ちなみに、どんな遊びをなさっていたんですか?」
「そうねぇ、一番多かったのは物語ごっこかしら。お姉様が呪いで眠らされたお姫様で、ジェラルドが王子様、わたしはお姉様を眠らせる悪い魔女よ」
「成程ぉ。他にはどんな役を?」
「村一番の美女がお姉様で、それを見初める騎士がジェラルドで、二人の邪魔をする村で二番目の美女の役とか」
「まぁ、二番目の美女だなんて……難しい役を任されたんですね。他には?」
「父親に冷遇される可哀想な令嬢役の長女をお姉様、そんな境遇でも健気な彼女を助けるために現れる隣国の王太子をジェラルド、出来の良い長女に嫉妬してイジメ倒す父親の愛人の娘役がわたし」
「ん、ん〜、見事に演技力を求められる役どころばかりですわね!」
「ふふん、そうでしょう? おかげで高笑いが上手くなったのよ」
「まぁ作り込みが素晴らしいですわ。ちなみになのですが、ごっこ遊びの物語を選んだのはどなたでしょうか?」
「わたしよ。二人が一番輝ける選出でしょう。無理を言って遊んでもらうのだもの。最高のものにしないと」
駄目だ駄目だ駄目だ。聞けば聞くほど救いがない。原作者がデリートし忘れたばっかりに。気を抜いたら涙が出そうになってきた。ちょっとどうしよう可哀想過ぎるのでは。本人のメンタルが化物級なのが唯一の救いかもしれん。
あと当時から夫のヒロイン以外に対するクズさが満載のエピソードなのは勿論だけど、お姉様さ……良い人かなぁ!? 違うんじゃないかなぁ? 止めようよ年長者ぁ。
――結論。
シルビア様は推定無罪。むしろ普通なら真っ当なヒロイン枠じゃないか、このドアマット具合は。これでこの美貌を武器に冷遇夫と姉を亡き者にする悪の道に走らないとか聖女なの?
夫と離婚した暁にはこの娘に次のアンバー子爵夫人の座を――! とか思ってたけど、奴の性根を叩き直すまで一旦保留かもしれない。勿体ないくらい良い子なんだもん。先に男を見る目を養わせるべきだと良心が告げている。
あとは何だろう……作品の中弛み防止とかって名目で、サラッと下らないことでシルビア様を退場させてそうだ。生前の私が。これに関してはこの手の作風に不慣れなもので申し訳なかった。
大前提は変わらず自分と娘とマーサの生存に、夫の闇落ち回避。そこにこの娘の生存が加わってしまったことで難易度がさらに上がったものの、考えてみたらこれは作品のヒントになるお助けキャラを得たってことかも。
幼少期の夫とクラリス様。二人の過去を掘り下げたら、何か私がナレ死しない新たなヒントが見つかる可能性がある。となれば。
「あのぅシルビア様、こんな田舎者の私ですが、もしよろしかったら初めてのお友達になって下さいませんか? 勿論ただでとは申しませんわ。例えばなのですけれど……」
彼女のような悪役令嬢がもう出てこないことを祈りつつ、お詫びと冷遇夫への仕返しも込めて、詫び夫在宅時の見分け方情報を添えて。初のご令嬢の友人ゲットだぜ。