*20* お前は本当に嫌なヤツだよ。
「随分とお粗末な演技を披露してくれたものだな」
「お褒めに与り光栄至極ですわ旦那様」
「どこをどう聞いたらそう聞こえるんだ。皮肉も分からないのか君は」
「あらあら、うふふ。それでしたら旦那様の方こそ。女の言葉をそのまま受け取られるなんてお可愛らしいこと」
「何だと――?」
人気がない柱の陰にきた瞬間の壁ドンからの冷遇。ネックレスを人差し指で引っ張られて顔を近づけられている姿は、離れた場所から薄目で見れば、熱烈に口説いているように見えなくもなくはない――と思う。
というか、自分から喧嘩をふっかけてきておいてキレないでほしい。しかし腹が立つかと言われればそういうわけでもない。むしろ事前の打ち合わせもなくあの場から逃れる方法としては、息ぴったりだったのではなかろうか。
まぁ初の共同作業が敵前逃亡とは少々情けないが。とはいえ謎なのは、想い人を前にしたはずの夫のあの態度である。
「先程の方が旦那様の元婚約者のクラリス様ですか……シルビア様がご自慢なさるだけあって、お綺麗な方でしたね」
彼女こそが夫の想い人であり、現状私の死因と思しきものの一つだ。残念ながら一瞬だけし全貌を見ることは叶わなかったが、あれは勝てない。いやぁ、勝つ気なんて最初からサラサラないけども。妹のシルビア様共々、挿絵を描いてもらう絵師さんを指定するのに困るレベルの美人だ。
頼むとしたらあの人気スマホゲーとか、あのアニメの神作画とか、あのコミカライズの絵師さん。自作でお目にかかれることがまずないやつ。何にせよ割と早めの段階で死因との対面を果たせたのは良かった。
「あの場の感想がそれだけか」
「ええ。エドガー王子? は面識も興味もありませんし、感想などあるはずもございません。あの場でならクラリス様とシルビア様の方に関心が向きます」
「エドガー様は第二王子だ。それにあの見目だぞ」
「はぁ……ですが本当に興味など欠片もありませんもの。そもそも見目と肩書がよろしい殿方に私が靡ける立場だとお思いですか?」
「まぁ彼より価値の低いわたしに買われるぐらいだからな」
自嘲気味に笑ってそういう彼の言葉に「そういうことでございますわ、旦那様。私はお買い得でしたでしょう?」と答えれば、何故か一瞬だけ夫が形容し難い表情を浮かべる。自分で言って傷付いたんか、おう。
「まぁともかくですね、そうなると会話をしたことがあるシルビア様と、その姉君であるクラリス様に言及する以外ないかと。ほとんど会話らしい会話もしていませんので、外見的な感想くらいしかありません」
「ハッ、仮にクラリスと言葉を交わしていたところで、君の教養程度では会話にならないだろう」
「貧乏子爵家の娘に侯爵家のご長女様と同じ教養があるとお思いですか? もしもそんなものがあれば、私も他に自分を高く売り込めたのですけれど」
皮肉には皮肉をぶつけるべし。たとえそこがどこぞのお屋敷内で行われている夜会であったとしてもだ。真正面から中指を立ててやりたいところだけど、流石にそれは自重する。
こちとら屋敷に熱出してる子供を待たせてて気が立ってるんだ。随伴要員という仕事が終わったならとっとと帰らせろ。
「人の揚げ足を取って苛立たせる才能だけはあるようだが……どこまでも可愛げがない女だな」
「旦那様、女が可愛げを見せるのは好意がある場合ですわ。というよりも、旦那様こそあの場で他に取るべき態度があったのでは? 元婚約者から話しかけられてあれではまるで子供の癇癪です。初恋を引きずるのはご自由ですが、いちいち八つ当たりをされる身にもなって下さいませ」
「減らず口を。良く回る舌だな。引き抜いてやろうか」
「アイリーンを泣き止ませる子守唄を旦那様が歌って下さるのならどうぞ?」
夫から溢れ出る色気と殺気。しかしこちらも退けぬ。会場から聞こえてくる華やかな演奏をBGMにして、互いにこめかみに青筋を浮かべながら皮肉合戦に明け暮れていると、お隣の柱から「あ、貴方達、こ、こんなところで何をやってるの!」という声が。
聞き覚えしかないその声に振り向けば、そこには顔を覆っているようでいて、がっつり指を開いてこちらをガン見しているシルビア様が立っていた。それだとほぼ見えてるだろうに……意味あるんだろうか。しかも羞恥からなのか怒りからなのか、頬が真っ赤だ。
美女の赤面って可愛いな〜とか暢気に思っていたら、彼女の登場で冷静になったのかあっさりと夫が私から離れた。離れる寸前に小さく舌打ちが聞こえた気がするけど、絶対私にしただろ今。帰ったらマーサと娘にチクってやる。
「これはシルビア様、お恥ずかしいところを見られてしまいましたね」
「そ、そうよ! さっきのことで貴方に謝ろうと思って探していたら、こんな人気のないところでそんな――は、はしたないこと」
「ああ、見世物にされて怯えていた妻を宥めていただけですよ。何やら誤解をさせてしまったようだ。申し訳ありません」
凄い自然な嘘つくじゃん。これが本当だったら夫として満点なんですけどね。実際は妻を恫喝してたんですよこいつと言えたらどれだけ良いか。けれどそんな夫の言葉を聞いたシルビア様は、自身の勘違いに「違ったのならよくてよ」と、さらに赤くなる。鵜呑みにしちゃ駄目でしょう。
いくら恋は盲目と言えども、この美女素直すぎて前世姉だった身としては若干心配になるなぁ――と、完全に部外者気分で二人を見ていたら、夫越しにシルビア様と目が合ってしまった。
慌てて下を向いたものの、時すでに遅し。夫に向けた赤面とは違って明らかに怒りからくる表情で、彼女が「やっぱりお前が泥棒猫だったのね!」と指を突きつけてきた。
うん、流石にこの近距離だといくら化粧しててもバレるよね。漫画だと見逃してもらえがちだけど、現実ならハリウッド映画の特殊メイクでもない限りこんなものよ。
自分の迂闊さを呪いつつ、さて面倒なことになったなと思っていたら、夫がふとこちらを振り向いて目を細めた。もう嫌な予感しかしない――が。
「君はまた身分を偽ったのか。病的に人見知りなのは仕方がないにしても、貴族であるからには同性の知人は必要だと言っているだろう」
「えっ?」
「何を言っているのよジェラルド。その女はわたしに嘘をついて裏で馬鹿にしていたのよ。そんな底意地が悪い女とは即刻離婚すべきだわ」
「シルビア様……それはいくら何でも飛躍し過ぎです。どうでしょう、わたしが残りの挨拶回りをしてくる間、妻にも弁明の機会を与えてやってはくれませんか。君も誤解されたままよりその方が良いだろう?」
「は、え、あぅ……」
「良・い・だ・ろ・う?」
シルビア様の被害妄想もさるものながら、この場で何よりも許せんのはこの初恋モンスターである。しかし悲しいかな、私達の関係は同格であろうとも雇用主と雇われ者。対談相手は格上の侯爵令嬢。断れるわけもなく。
「わ、私の拙い話で構わないのであれば?」
へらりと笑ってそう答えた私を見下ろしながら薄く笑う冷遇夫に、どうか今夜でなくても良いので、近い内に天罰が下りますように。