*18* おい、一気に登場させるな。
馬車の中ではお互いに無言。会場の停車場に到着したらしたで、乗る時がああなら降りる時もこうだよねって感じに一人で降りる夫。こちらも期待は全くしていなかったので手を借りずにさっさと降りた。
その様子を目撃してしまった一部の馭者と来場者に軽く会釈をして、一刻も早く一人で会場入りしたいのだろう夫の腕に自分の腕を絡める。露骨に嫌な表情を浮かべる夫に向かってニタリと……じゃなかった、ニコリと微笑んで見せてやった。流行遅れのドレスの恥は一緒に受けましょうねぇ。
チラチラと向けられる好奇の目を無視して入口で招待状を手渡し、会場へと足を踏み入れた。その瞬間思わず「まぁ……」と声が出てしまう。隣の夫が鼻で笑う気配を感じたものの、そんな些細なことなど気にならない。だってもう映画のワンシーンでしょうこんなの。
でっかいシャンデリアから滴るように伸びるのは、ガラスではなく水晶かダイヤっぽい? お金ってあるところにはあるんだなぁ。明かりを灯すだけのものにどれだけお金を使うんだろうか。掃除も大変そうだし。
とはいえ美しいのはそう。でもこういう時に綺羅びやかとか絢爛豪華とか、仮にも文章を書くのが趣味なくせに、ありふれた感想しか出てこない我が身の人生経験の少なさを嘆きたい。でも前世の結婚式場(常に招かれる側)だってここまで立派じゃなかった。
今ここにカメラがあれば資料用として、全方向から舐めるように写真を撮りまくりたい。それくらい見事な会場風景だった。
まぁ考えてみれば王弟とその妻が出席している夜会なのだから、このくらいは当たり前なのだろう。でもそんな由緒正しい会場に、嫌がらせと意中の女性に操を立てていると見せつけるために、この格好の契約妻を連れてくる冷遇夫のクソ度胸。いやぁ、本当に痺れるね。
夫が会場入りした瞬間一斉に若い女性陣の熱い視線と、男性陣の嫉妬の視線が集まってくる。流石は顔に初期ステータス全振りしただけあるわ。
ついでに私は女性達から冷たい視線を、男性達からは値踏みする視線を投げつけられている。ただ若干このドレスのおかげで、一定数の憐憫も向けられているらしい。彼等や彼女等の嫉妬の炎を弱めるという点でいえば、このドレスで正解だったのかも。
私は自分の顔の地味さを知っているからこんなことでは傷つかない。心だけはダイヤモンド並の硬さだからね。それに可愛い娘とマーサからの〝綺麗〟があれば、この会場内の全員からブサイクと言われたって構わない。
でも気分の良いものではないので、せめて皮肉の一つも言ってやろうかと隣を見上げれば、もうこちらへの興味をなくして、会場内にいる想い人を探す夫の横顔。さっきまで腕を振り払おうとしていたのも忘れて視線を彷徨わせるその姿が、何だか可哀想になってしまってその気も失せた。
仕方なく一緒になってこっちを気にしている人間がいないか、キョロキョロとしていたら――見つけてくれましたよ。シルビア様が。よくよく考えれば相手がすでに結婚していても好きというところで、同族感がある二人だ。向こうが夫に気付くのもさもありなん。
今夜はドレスアップ効果でいつにも増してド迫力の美貌な彼女は、群がる男性陣をちぎってこちらへ向かってくる。肉食美女は物語的には美味しいライバル枠だ。でも現実世界で敵に回ると超怖い。
嬉々としてこちらに向かってくる彼女に気付いていない夫の袖を引けば、煩わしそうに私を見下ろし、次いで目で彼女の存在を教えてやったところ、今度は一瞬だけげんなりとした表情を浮かべた。うーん、君のやってることもお相手からしたらそんなもんかもよ? とは思いつつ。
近付いてくる彼女は夫に付属している私の存在を見るや、その表情を甘やかなものから清姫もかくやという鬼の形相へと変えた。文楽人形を見る気分になってしまったじゃないか――と。
一応濃い目の化粧はしてきたものの、真正面から見られたらバレるだろう。メイドのふりをしていた恋敵を雇用しようとしたのだと知ったら、きっと物凄く怒るに違いない。夫にも馬鹿なことをしたことがバレて大目玉を食う。仕方ない。夫への嫌がらせは一旦止めて壁の花になろう。
「シルビア様は貴男に御用があるようですし、私はあちらでお話が終わるまでお待ちしておりますわ」
そう言って戦線離脱を計った直後、急にそれまで消極的に腕を組んでいた夫が私の腰を抱き寄せた。その唐突な行動に驚いて見上げると、彼は「妙な勘違いはするな。妻を同伴させる意味を考えろ」と小声で言った。ああ、虫除けの仕事を果たせということか。
私達の契約を知らない周囲の女性陣や男性陣から、小さく「不仲なんじゃなかったの」だとか「意外な好みだな」といった声が上がる。大丈夫ですよ皆さん。不仲だし好みでもないので。
しかし創作物でも現実でも顔が良い人間というのは、どうしていきなり肩や腰を抱いても良いと思い込むのだろうか。はっきり言って怖い。距離の詰め方おかしいってば――などと思っている間に、ゴ◯ゴのような目をしたシルビア様が到着してしまった。
怒髪天な美女を前に一気に周辺の温度が下がる。けれどそれも夫を前にした途端、女神の微笑みに変わった。
「ご機嫌ようジェラルド。良い夜ね」
「これはシルビア様。後でこちらからご挨拶に伺うつもりでしたが、先にお声をかけられてしまうとは。申し訳ありません」
「ふふ、嘘ばっかり。どうせお姉様を探していてわたしに気付かなかったんでしょう?」
「そのようなことは。シルビア様を取り囲む男性陣に気兼ねして、声をかける機会を失っておりました」
「もう、また嘘。でも良いわ。ジェラルドだから許してあげる」
「は、ありがとうございます」
二人が高貴な応酬をしている間に溶けて床のシミになりたい。もしくは透明人間になって会場内から脱出したい――が。
「それで……そちらの野暮ったいドレスで、何も言わずに突っ立っている方が泥棒猫なのかしら?」
ふと彼女から向けられた言葉に思わず背筋が丸くなる。声音アイスピックか? 殺意高すぎでしょう。でも上の階級の人間に声をかけられたら答えねばならないのが貴族社会。俯いたまま「ご機嫌ようシルビア様」と小声で返す。けれどさっきから無理やり私に腕を組まれてご立腹だった夫は、この仕返しの機会を見逃さなかった。
「妻はこの通り気が弱いので、お手柔らかに頼みます。ドレスも華やかなものは似合わないからと。夫としてはもっと着飾らせたいのですが」
そう言ってこれみよがしに「なぁ?」と囁き、腰を抱く腕に力を込める夫。はあぁぁぁ? 何いってんだこいつ……遊びのつもりか知らんが、焚き火にガソリン突っ込むなよ!?
視線を下げたままシルビア様の圧に耐えていると、そこに「まぁシルビア、そんなところにいたのね」と涼やかな声をかけてくれる女性。普通なら天の助けと仰ぐところだけど――。
「ジェラルド……?」
「クラリス……様」
考えつく限り最悪のカードが出揃ったんじゃないですかね、これ。登場人物が渋滞起こしてるだろ。原作者出てこい――って、私ですね。はい。