*17* あら、素敵なドレスですこと。
彼女とのお茶会で入手した情報を元に、同人誌の中からヒロインらしきキャラの名前を探したり、夜会までに貴族名鑑を無理やり暗記したり、本業の育児をしたりと忙しくしていたら、一週間なんてあっという間に経つわけで。
その間に勿論夫と顔を合わせる機会は皆無であり、謎に包まれたドレスの試着すらなかったのだけれど――本日はついにXデー。
「何でこんなにギリギリにとは思いましたが……確かにこれは直前まで見せられませんわね。あのクソ旦那様」
前回の気弱なメイドによって届けられたドレスの箱を開けた瞬間、マーサはそう吐き捨てた。しかしその気持も分からないわけではない。何故なら箱に入っていたドレスにはほぼ装飾がなかったからだ。
しかも色も私の年齢では地味すぎるアイボリー。肌が出る部分も一切ない。たぶん〝お前を飾り立てる金など必要ない〟ということかな。妻を娶ったお披露目も兼ねての出席であるのにこうくるか。余程初恋の彼女に操を立てたいと見える。うーん、天晴な野郎だわ旦那様。
ドレスを検分するマーサの無言が怖い。広げた形は神殿の柱か? みたいなエンパイアドレス。別にこの形が悪いってわけではないんだけど、これが似合う体型の人って限られると思う。
バストの下に切り替え線のあるハイウエストのラインは、ナポレオン時代に流行していて、それまでの窮屈なコルセットから、より快適に美しさを求めた女性達の間でブームになったデザインだと前世の資料本にあったけど……残念ながら今のこの時代の主流はその窮屈なコルセットドレスだ。
腰のくびれと開いた胸元、華美な装飾を誇るドレスで着飾る女性達のいる会場で浮くのは、まず間違いない。元々顔が薄味なのでぼんやり感が凄い。壁の花というよりも、壁紙と同化してしまいそうである。
「お口が悪いわよマーサ。むしろ子供を産んだばかりで身体の線が崩れていることを加味して下さったのよ」
「ナタリア様の優しい前向きさは美徳ですけれども……」
「ふふ、納得いかないのね? だったらそうねぇ、旦那様はこの格好の妻を連れ歩ける愛情の持ち主なのよ。独占欲かしら。愛されるって辛いわね。今日は絶対に会場で傍を離れないようにするわ」
当然嫌がらせのためにである。嫌がらせには嫌がらせで返すのが流儀だ。ここで淑やかでさめざめと我慢するドアマットに納まっていては、娘の救済など不可能。母は強いものなんだよ。
たとえ私が失敗して死んだとしても、あの女なら夢枕に立つかも……くらいのダメージを夫に植え付けなくては。というわけで、今夜は空気を読まない図太い妻としてピッタリと寄り添ってやろうっと。
「普段だったら反対するところですけれど、今夜は是非そうなさって下さいね。どこにでも人の不幸が大好きな暇人がおりますから。でもこの程度の嫌がらせは予想済みでしたし、用意したものが無駄にならずに済んで良かったのかもしれませんね」
「本当にそうだわ。手伝ってくれてありがとうマーサ」
「何を水臭いことを。本当ならわたし一人で仕上げたいくらいでしたのに」
打って変わってそうカラリと笑った彼女は立ち上がり、部屋のクローゼットからこの日のために二人で縫い上げたブツを取り出した。ふわりと軽やかに翻る即席の腰巻き。素材はこの前マーサが実家から持って帰ってきてくれた二級品のシルクオーガンジーである。
二級品なので白ではなくやや黄色い糸だが、これならアイボリーのドレスからもそう浮かないだろう。そこに時間の許す限り銀の刺繍糸で蔦文様をあしらいまくった。近くから見ると多少歪なところもあるものの、刺繍糸の色が銀なのでそれすらも華々しく見える。結果オーライの力作だ。
ほぼかぶるだけで済むドレスに袖を通し、腰巻きを装着。マーサががっつり化粧と髪型を整えてくれればあら不思議。ちょっぴりやんごとない感じの滲む、少々古臭い家のご令嬢の完成だ。
いつもはスッピンだから本日の夜会にシルビア様がいても、すぐには私とは分かるまい。彼女には身分を偽って接していたので、少々気まずいこともあり、一発では顔バレしにくいように濃いめのメイクだ。
普段は下働きのような格好ばかりしている母親の変身に、小首を傾げて見入る愛娘。鏡を確認するより先に娘の方へ向き直り、ドレスの裾をつまんでカーテシーをとった。
「アイリーン、今夜の母様はどう? ちゃんと綺麗かしら?」
「あーい!」
「まぁ、お嬢様にも分かりますか! ナタリア様のお優しい雰囲気が作り上げるこの守ってあげたくなる儚さが!!」
「儚いって言うよりは薄味なだけだと思うのだけれど」
「コンソメスープは澄んでいれば澄んでいるほど、料理人の腕が確かな証拠になるのですよナタリア様」
「使われた材料に灰汁の出るものがなかっただけじゃないかしら?」
「ブーケガルニに凝ったんですよきっと。まぁとにかく、今夜のナタリア様は美味しいコンソメスープに見えますわ! ね、お嬢様?」
「あにゃにゃい!」
通じ合う二十八歳差の二人に思わず笑みが零れる。たぶん伯爵夫人に見える方が良いのだろうけれど、こちらに無関心な夫や、社交界の噂好きな人間達の言葉より、二人がくれる称賛の言葉の方が万倍も大切だ。
「うふふふ、美味しいコンソメスープの私が、美味しそうな白パンの娘と美味しいデザートの侍女にチューしちゃうぞ」
「んきゃーっ!」
「んふふっ、嬉しいですねぇお嬢様」
こういうこともあろうかと、まだ口紅を塗っていなかった唇を二人の頬に押しつける――が。
「んにゃにゃ……っぷしゅん、ぷしゅっ!」
「あらら、せっかく止まっていたのに、興奮したら可愛らしいクシャミが戻ってきてしまいましたねお嬢様」
言いつつアイリーンの鼻を拭ってくれるマーサ。そう……困ったことに当初は一緒に夜会についてきてくれるはずだった彼女だが、アイリーンが昨日から風邪気味なのだ。
幼児の季節の変わり目あるある。熱が出てると子供の目ってキラキラ潤んで普段より可愛いんだよね。だからすぐに体調不良が分かる。弟妹もよくこうなっただけに、少々不安なのだけれど――。
「まだ微熱だけれど心配だわ。やっぱり旦那様だけで行ってもらおうかしら」
「いえ、このくらいの子供だと微熱はよくあることですよ。ですがあとでわたしお手製の風邪シロップを飲んでいただきますね」
「そう……ありがとうマーサ。それじゃあ帰るのは深夜だろうから、アイリーンのことをお願いね。アイリーンも母様がいない間は、マーサの言うことをよく聞いてお利口にしていて頂戴」
「んにゃぁう〜」
まだ心配は残るものの時間が押しているのでそう言って、最後のキスを柔らかくてほんのり微熱のある頬に落とし、口紅を塗って部屋を出た。後ろ髪を引かれまくりつつ屋敷本館の玄関ホールに向かうと、そこにはすでに正装した夫が待っていた。
悔しいことに文句のつけようがないほどの美形である。一瞬立ち止まって鑑賞していたら、夫の隣に立っていた執事が私の到着を伝えたのか、眉間に皺を刻んだ彼がこちらを向いて口を開いた。
「遅い。その程度の身支度に一体いつまでかかっているんだ。早く出るぞ」
中身を知らなければ見惚れるような美青年だが、口を開けばこれである。しかも自分が贈ったドレスに腰布がなかったことにも気付いていない。嫌味を言うことしか興味がないのだろう。キャラクター設定真面目にやれば良かった。
「申し訳ありません。娘が微熱を出しておりましたので」
「言い訳か。熱を出させるなど、母親としての仕事が出来ていない証拠だな」
「仕事が出来ていない分、親の自覚を持って世話をしております。今夜が夜会でなければずっと傍についておりましたわ。それとも今からでもお一人で向かわれては如何でしょう?」
暗に〝ここで戦るつもりなら付き合うが?〟と突きつければ、舌打ちを一つ。妻をエスコートをすることもなく、さっさと用意されていた馬車に乗り込んでしまった。
こちらもそんな安定の冷遇ぶりに傷付いたりすることもないので、ドレスの裾を持ち上げて馬車に乗り込む。さぁ、行こうか。この世界での私の恋敵の顔を拝みにな。