*13* 言っていいこと、悪いこと。
洗濯物を一人でしないのは久しぶりで、お喋りに花を咲かせながらの作業はあっという間に終わってしまった。シーツと枕カバーとペチコートまで洗ったのに。慣れている人間が戻ってくると、こうまで作業速度が変わるのかと感心した――が、それで終わらないのが我が侍女殿だ。
水浸しになった洗濯場から、のんびりと本邸からは見えない場所まで移動して私とアイリーンを木陰に座らせ、部屋から持ってきた使い込まれた大工道具と、裏門の辺りにひっそり隠しておいた木材を広げ、ガリガリゴリゴリとノコギリをかけ始めた。
木材には予め墨が入っていたから切り出すだけとはいえ、お仕着せのエプロンワンピースで猛然とノコギリをかける姿は、頼もしいの一言である。こちらが手も口も出せないスピードで次々と作業をこなし、丁寧にヤスリがけをしたら、釘と金槌を使ってトンテンカンとやりだした。
今日も屋敷の使用人達が無視を決め込んでくれているので、音を気にしたりとかいうことは一切ない。不干渉が徹底されているのはこういう時には最高であるし、職人技は見ているだけでもだいぶ楽しい。抱っこしたアイリーンも奇声を上げて大ハッスルだ。
作業開始から二時間半。女性一人の力としては破格の速度で完成したそれは、木目が美しいシンプルな本棚。形的には上手く表現出来ないものの、お洒落な梯子みたいなやつ。
持って帰ってきてくれた本の冊数からすると足りないが、不定形本も充分入るだろう。作業内容を見せてもらえたおかげで次から一緒に出来そうなので、明日から参加しようと心に決める。
「あとはここをはめ込んで、こっちを切って、削って……あ、ガタつきがあるか。じゃあここをもう少し削って――と、よし、こんなもんですかね!」
「わぁぁぁ、凄いわマーサ! 貴女にこんなに木工の技術があるなんて思ってもみなかったわ!!」
「みゃぶぶぶ〜!」
「おほほほ、お褒めに与り光栄ですわ。でも半分はナタリア様のお手伝いのおかげですよ。お嬢様には余った切れ端で積み木を作って差し上げますわね~」
たった二人からの拍手と喝采でも、マーサは額の汗を拭いながら嬉しそうに笑ってそう言ってくれる。積み木まで作ってくれるとか……まだ娘には早いけど遊べるようになったら大事に遊ばせようっと。
「でも木材と木工道具まで領地から持ってきてくれるなんて。何もかも本当に至れり尽くせりで、私の侍女に納まるには勿体ないわ」
「ふふふ、何を仰るのですかナタリア様。わたしは死ぬまでナタリア様とお嬢様の侍女ですとも。道具は使い慣れたものの方が良いですからね。それにこちらではどうせ用意して頂けないだろうと思いまして」
「ああ〜……確かにそうねぇ。伯爵夫人としては相応しくないかも」
「そんじょそこらの伯爵夫人と一緒にされては困ります。ナタリア様はわたし達の領民の希望ですわ。今回一人で帰ったものですから、それはもう大変だったんですよ?」
「そうよね、ごめんなさい。皆を心配させてしまったわよね……」
「いえ、心配というよりも、どうやって事故に見せかけて、あれをどうしてやろうかという話で夜通し盛り上がりましたわ」
途端にそれまでの柔らかい表情から一転、ギラついた瞳で悪ーい表情を浮かべるマーサ。ここは彼女にしてみたら、主人を蔑ろにする敵地以外のなにものでもないのだから仕方ないが、私はこの現状の元凶。
そんな後ろめたさから「うーん……そのお話はここでするのは止めた方が良さそうね?」と誤魔化せば、マーサの方も「うふふ?」と表面上は穏便に笑って受け流してくれた。いくら不干渉だとはいえ周辺に人の気配はある。
点数稼ぎに告げ口でもされて、彼女に何かあったら原作者として夫を許せない自信があった。その場合は、実家にアイリーンを預けて自害するくらいの嫌がらせしか出来ないけど。
――ともあれ。
「まずはこの本棚を部屋に運ばないと駄目ね。二人で持ち上がるかしら?」
「結構良い木材を使っていますから、少し重いですものね。あ、先に言っておきますが、ナタリア様に運ぶのを手伝わせたりはしませんよ?」
「え? でもそれならどうやって運ぶつもりなの?」
「裏門で荷物を運ぶ用の一輪車を借りてきますわ。そこからは別館の廊下を引きずっていきます。古臭い絨毯でもないよりはマシですもの」
「そ、それだと絨毯は――」
「気になるようでしたら張り替えられるでしょうけど、このお屋敷の人達は気にしないでしょうから、そのままにするのではないですか?」
要するに引越し屋さんがよくやる方法、重い物を運ぶなら古い毛布に載せて引き摺れば良い作戦か。その場合絨毯は死ぬだろうけど、確かに古いものだし、お飾りの妻のいる別館がどうなっていようが誰も気にしないだろう。
ちなみに昨日運び込まれた木箱入りの本達は、まだほとんどが裏門の横に積みっぱなしだ。雨が降らず、比較的空気が乾いた気候でなければ出来ない荒業であるものの、流石にあの量を一気に部屋に運ぶことは無理だし、本棚を運び込む際に邪魔になるしね。
なのでマーサのその案を採用することにして、彼女が一輪車を借りてきてくれるのを待つ間、興奮気味のアイリーンを落ち着かせることにした。しかし頬をリンゴ色に染めて喃語を話していた娘が、うとうととし始めてもマーサが戻ってこない。ついに寝落ちた娘を伴い裏門へと向かったのだが――。
「勝手に荷物を開けるとは何事ですか旦那様!! たとえナタリア様と夫婦であろうが、これはやり過ぎです!! あるまじき行いですよ!?」
「屋敷にこれだけの大荷物を持ち込まれれば、中身を検めるのは当然だ。わたしと彼女は契約を交わしただけで夫婦ではない。そしてお前はただの使用人だ。当主に楯突いて許される立場だと思っているのか?」
「ノーマン家の領地から出た今、わたしの主はナタリア様です! 主を護ることが侍女の役目であることすら分からないのですか?」
あ、私の実家ってノーマン家って言うんだ〜……じゃなくて、何だか大変なことになっているではないか。言い争う二人の足元には、雑に開けられた木箱の破片と、地面に無造作に捨てられた私の同人誌が。
周囲にいる門番と執事がチラチラと内容を見ている気がして、ある種の居た堪れなさと、この場の収束のために出ていかねばならぬという事実に、憤りだしたアイリーンを抱き直して一歩踏み出したその時。
「ハッ……ノーマン家はよほど行き遅れの使用人に手厚いと見える。お前に夫を充てがえばその減らず口を閉じるのか?」
明らかな侮蔑の色を込めた夫の言葉に、マーサの頬に怒りとは違う朱が差したのを見て、気がつけば飛び出していた。いきなり現れたこちらに対し、驚きの視線を向ける面々がスローモーションで視界に入るも、私の手は夫に向かって大きく振り上げられている。
破裂音が耳に、掌に衝撃が走り、目を見開く夫を前にして、ようやく。
「私のことは何とでも仰って下さい。納得してお金で買われた身です。ですが、私の侍女を侮辱するのは許しません」
震える声が恐怖でも後悔でもなく怒りからだと言ったら、貴男はまた嘲笑うのでしょうね? モラハラ冷遇男な旦那様。