*12* 感動の再会……で良いのよね?
マーサが実家へのお使いに出かけてから十一日目。
夫の幼馴染な台風令嬢が襲撃してきた日から五日目のお昼時。
ちなみに夫はあの日の夜は私の部屋で寝落ちしたものの、翌朝には妻子に挨拶もせずに部屋から出て行き、以降姿も見なければ声をかけてこない。屋敷の人間も夫が私の部屋で一夜を過ごしたことは知っているだろうが、特に何も変わらない。まぁ居候への対応なんてこんなものだと思う。こっちも気楽だし。
「はい、こんなもんでしょうっ、と!」
恒例の青空の下で洗濯ロープに並びはためく娘のオムツ……と私の寝間着。寝間着はもうネグリジェとか言わない時点でお察しの通り、色気も何もない肌触り重視のシルク製……ではなく、コットン製だ。
石油由来のポリエステルがないので、当然オーガニックコットン。前世基準で考えればこれだってかなり贅沢である。色は目に優しい若草色。
記憶が戻る前から愛のない結婚生活を予想していたらしく、実家から持ってきた嫁入り道具のうちの一着である。これが色違いで全部で六着もあるのに、ネグリジェは一着もなくていっそ清々しい。契約結婚のことといい現実的な性格だったみたいだ。
そして授乳期間中は胸元が何かにつけて汚れるから、洗い替えがあっても一枚汚れた時点で洗うのが正解だ。乾燥機なんてない世界だと、乾かそうと思ったらお日様以外に頼れないからね。
丸めていた背中を思い切り伸ばし、時間をはかる用に日向に立てておいた小枝を見やると、全工程を終えてもまだ一時間ほどしか経っていなかった。
「ふふ、一人でも結構早く終わるようになったわね。アイリーンも、マーサがいないのにぐずらないで一人遊びが出来て賢いわ」
そう地面に広げた敷布の上でご機嫌に遊んでいる娘の傍に屈み込むと、幼いながらに母親の顔を覚えている娘が短い手を伸ばして、唇を尖らせながら「あぷぷふぃ〜」とお喋りしてくれる。意味は分からないけど、育児は勘だ。あとは極力言葉をかけること。
「お、抱っこのおねだりね? この愛され上手さんめ〜!」
「うにゃあ〜!」
「んふふ、うちのお姫様は太陽と土と草とミルクの匂いがしますね~」
「にゃうううう〜!」
「は〜今日も天使すぎるわぁ。可愛いほっぺた食べちゃうぞ〜!」
「あ〜みゅ〜!」
抱き上げて頬擦りをすると、嬉しそうに笑うアイリーン。母乳だけでここまで大きく重たくなるなんて、未だに信じられない。哺乳類の神秘。そしてこれはうちの天使。私、創造神。世界よ我等母娘に平伏せ。
しばしデロデロに甘い母娘のイチャイチャタイムを楽しみ、心が落ち着いたところで裏門へと向かう。何で裏門なんかに向かうのかといえば、待ち人がいるからで。何で表門じゃないの? という点でいえば、私達の扱いが本妻ではなく腰掛け妻だからだ。世間体への配慮大事。
娘を抱いて屋敷の庭を散歩しつつ(本邸には近付かない)、夕飯に使う食料を配達しに来ている出入りの業者と鉢合わせそうになったので、屋敷の壁際に身を潜めてやり過ごし、門番が二人だけの裏門へと辿り着いた。
この門番二人も基本的に私達がいないように振る舞う。こちらが話しかけたら無視はしないだろうけど、主人の怒りを買いたくないだろうからそんなことはしない。彼等が居てくれるからこそ、私と娘がフラフラ出来るんだもの。お役目ご苦労様です。
「ねぇアイリーン、母様ね、今日こそはマーサが帰って来る気がしてるのよ」
「にゃぷぷ〜にゃ」
「昨日もそう言ったって? それは昨日のことよ。良い女は過去を振り向いたりしないの。母様が元気な間はずっと言うから憶えておいてね」
話し相手が娘しかいないのでそんなやり取りをしていたら、門番の一人が噴き出したように聞こえたけど、きっと気のせいだ。
何にも聞いてませんよの体で簡素な装飾の門の向こう側を眺めていたら、不意に土煙のようなものが見えた。変だな、この辺の道はきちんと舗装されてるのにと思っていたら――地響きがして。近付いて来るにつれ、それが馬蹄の音だということが分かり。
「ナタリア様ー! お嬢様ー! マーサがただいま戻りましたよぉぉぉ!」
という声が届く頃にはその姿をしっかりと捉えることが出来たので、こちらも「マーサ! お帰りなさい!!」と声を張り上げる。ここで慎み深さがないとかって皮肉を言われないのはありがたい。無関心様々だわ。
門番の二人が門の錠を開けると、マーサを背に颯爽と飛び込んでくる馬。言い間違いでも見間違いでもない。マーサは単騎で戻って来た。門番の二人もこれにはびっくりした様子で、口を開けたまま硬直している。
でもうちの領地では女性が一人で馬に乗ることなど珍しくもない。皆前世の自転車感覚で乗っている。色んな人種の人間が集まるが故の緩さだろうか。ふんわりとした見た目とは裏腹に、ひらりと軽やかに馬上から飛び降りるマーサの元に駆け寄る。
「うううう……遅くなって申し訳ありません、ナタリア様、お嬢様。さぞやお寂しかったでしょうぅぅぅ」
「良いの、良いのよ、マーサ。貴女が無事に帰って来てくれて、私もアイリーンもとても嬉しいもの。でも確か出立時は馬車で出かけたはずよね、何故馬で戻って来たのかしら?」
「ああ、こちらのお屋敷の馬達は見てくれは立派だったのですが、荷物を大量に運んでもらうには少々不向きでしたものですから。ですけれどアンバー家でしっかりとお世話は致しました。後から荷物と一緒に到着します」
「そうなのね、ありがとう。それに貴女の乗馬服姿は久々に見たけれど良く似合ってるわ。領地を思い出して私まで着たくなってしまうわね」
腕の中でマーサに向かって手を伸ばす娘を彼女に抱かせつつ、思わず羨ましさが滲んだ言い方をしてしまったら、娘にデレデレな表情をしていたマーサが一瞬で悪戯っ子の顔になる。
「そう仰ると思ってお持ちしましたよ。乗馬はまだお嬢様がお小さいのでお勧め出来ませんけれど、乗馬服くらいはと思いまして。あとでお部屋に戻って着て見せて下さい」
「最高! 流石はマーサだわ。私のことを一番分かってくれてるのね」
「それはもう勿論でございます。ナタリア様のなさりたいことは完全掌握、お嬢様のことも追々憶えて参りますから」
「きゃあああ、素敵〜!」
「みゃみゃむ〜!」
同性で同年代な話し相手と味方に飢えていた私と、いつも可愛がってくれていた大人が減って一人遊びを余儀なくされていた娘。母娘の心が一つになっておかしなテンションになってしまった。
娘を抱きしめるマーサに横から抱きつき、しっとりふっくらなモチ肌ほっぺに自分の頬をくっつける。この癒やしの二乗、堪りませんなぁ。私達から一度に甘えられたマーサは、満更でもなさそうに「もう、母娘揃って甘えん坊さんですね」と笑う。唇の端に出来る笑いエクボ超好き!
そんな感じで裏門前でマーサに甘え倒すこと二十分。地響きでなく常識的な速度の車輪音と共に馬車が見えてきた――んだけども、おやおやおや?
「気のせいじゃないと思うのだけど、行きよりも馬車が増えていない? 私あんなになるくらい書いたかしら?」
「こちらでお借りした三台はナタリア様のご注文の品で、後ろの二台は領民と使用人の皆とご当主様達からの分です。こちらでのナタリア様とお嬢様の扱いを話したら皆ブチ切――もとい、とても心を痛められておりましたわ」
そこまで言ったらもう最後まで言っても同じだよと思いはしたが、この結婚が家族や使用人の皆や領民達にとって、少しでもためになれていると、ここにはいなくても故郷には味方がいると分かるだけで百人力だ。
ただあの量の荷物が物理的にあの部屋に入るかどうかは、かなり怪しい。でも絶対全部入れたいし、あとで考えよう。元々ほとんど何もない部屋だし、天井も高いから、DIYで突っ張り式の収納棚でも作れば全部入るでしょ。むしろそれよりも問題なのは――。
「……あの中から目当ての名前を探すのに、どれくらい時間がかかるかよね」
「んまぁ〜! ちょっと見ない間にまた美人さんになりましたねお嬢様! 可愛い可愛い可愛……っは!? すみません、何か仰いましたかナタリア様?」
「いいえ? たくさんお土産を持って帰ってきてくれて嬉しいって言ったの」
娘の可愛さに荒ぶるおかげで、こちらの独り言が聞こえなかったことへの安堵と、引き離していたことへの罪悪感を感じながら笑って誤魔化したが、さて本当に明日からどうしようかな?