復讐の日
『復讐、それこそがこれからは光よりも、食べ物よりも大事なものだ。』
――メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』より
その日、たった1人の男の死によって世界はその機能を停止した。
現代社会にとって必要不可欠となったコンピューターが全て停止してしまったのである。全世界のコンピューターが、である。
コンピューター技術は非常に発展し、便利にもなった。その恩恵はあらゆる分野に及んでいる。もうそれ無しでは機能しないものも多数存在する。
コンピューターの全機能の停止は現代において正しく死活問題である。
だが、この日、世界中でそれが起きてしまったのである。
その原因は、後の調査で発覚したことだが、一種のマルウェアであった。
世界中のコンピューターセキュリティを掻い潜り、誰にも気付かれずにその全てに干渉することができた原理は分からない。だが、現にそれは起きたのである。
この事件によって世界は機能不全を起こした。天文学的な数字の経済損失が起き、職を失い、命を失ってしまった人も大勢いた。その後起きた不具合の修正にも膨大な時間と労力を要した。
たった1人の人間が過去のあらゆる戦争、テロの原因となったどの組織よりも遥かに大きな被害と爪痕を残した。しかも、その犯人は既にこの世になく、誰にもこの罪と責任を負わせることは出来なかった。
その男の死は1人の人間の人生の終了ではなく、復讐の引き金に過ぎなかった。
「馬鹿な!」
世界中のコンピューターが停止してから彼、和田良雄の時間は光のように過ぎていった。
和田は世界的に高名なセキュリティエンジニアだった。様々な大企業、政府機関でその腕を買われる初老の男性だった。事件発生からすぐに彼は呼び出され、迅速に仕事をこなしていった。
そんな彼も今回の件には手を焼いていた。世界中の彼と同じ立場の人々も同じだったが、運良く彼は最も解決に近かった。
そんな中で和田は1人、深夜に暴言を吐いていた。
事態を収集していくにつれて、このマルウェアはコンピューターのデータやシステムを破壊するものではないということが分かってきた。コンピューターの機能を停止するだけ、『眠らせる』だけのものだった。
だから、簡単に言ってしまえば、そのマルウェアを排除し、システムも『起こしてやる』だけで良かった。しかも、そのマルウェアは自らの大元の発信源のサーバーを示していた。
病源、犯人の居場所が分かるならば、事件解決も早いはずだった。
和田はそのサーバーにすぐにハッキングした。セキュリティも緩く、容易な作業ではあった。ただ予想外であっただけで。
『初めまして。私の、このプログラムの名は『ウィル』。君がこの私と出会っているということは、私は既に死に、その後起きた事態も収束に向かっているということだろう。』
和田のパソコンの画面には黒いスーツに身を包み、4本脚の椅子に足を組んで座る日本人の高齢男性の映像が映し出されている。手入れをしていないだろう髭に禿頭の細身な眼鏡の男性だった。ステレオタイプな学者のような雰囲気を感じる。
発信源と思われるサーバーにハッキングすると同時にこの映像は映し出された。
「オレは何を見せられているのだ…?」
和田は混乱しながらも映像を注視した。
『このプログラムは私の復讐のための装置である。世界中のコンピューターの機能が停止し、非常に困っていることだろうな。私を止めたければココまで来ると良い。』
『ウィル』と名乗ったプログラム上の男性は誇らしげに話した。
犯人の犯行声明ということだろうか?
彼の言う『ココ』というのはサーバーのある実世界の場所のことであろう。和田は既にその場所は特定していた。と言うよりは、まるで誘っているかのようにあからさまだった。地図上では田舎の山奥だ。
『しかしだ。世界中のコンピューターにこれだけのことができたということは次の想像した方が良いのではないかね?例えば、不利益な国家機密を暴露したり、個人情報をばら撒いたり……もしかすれば、核ミサイルの発射装置を操作したりもできるかもしれんぞ?』
『ウィル』は笑い混じりの声で続けた。
「……人類を滅ぼす気か、コイツは?」
『ココに来て、私と話そう。全てはそれからだ。』
『ウィル』は偉そうにしている。
「馬鹿にしやがって……。何が目的か知らんが、絶対に止めてやる。」
ハッキングはできたものの、和田の腕を持ってしても何故か『ウィル』を停止させることは出来なかった。ならば現地に赴いて直接止めるしかない。最悪の場合、物理的に破壊するのだ。
和田は車に飛び乗り、『ウィル』の元に向かった。
和田の胸中には正義感と手を煩わされたことに対するイライラが満ちていた。
特定した場所は山奥の廃村の中、コンクリート製の建物だった。どうやら廃校らしい。
和田はその中に大型ハンマーを片手に入っていった。
壊れたドアから入り、教室跡を片っ端から確認して回った。
ボロボロの遮光カーテンの締め切られた教室にその装置はあった。教室には1メートル四方ほどで、その上に大型モニターの取り付けられた機械と使い古された学校用の椅子と机が相対して置かれていた。おまけに机にはコーヒーカップが1客置かれている。
「どこまでもふざけやがって!一杯お茶しましょうってか⁈」
和田には歓迎される気などあるはずもない。ぶっきらぼうに椅子に座った。
するとすぐにモニターが点き、画面には『ウィル』が映し出された。姿格好は前回の時と同じだ。
『ようこそ。待っていたよ、お客人。寛いでくれたまえ。とは言っても、ここには空のカップくらいしかないがね。約束通り、話そうではないか。私は対話のできるAIだ。何なりと聞いてみたまえ。』
「単刀直入に聞くぞ?お前は何者で、何が目的だ?早くこの事態を終わらせろ。」
和田は怒り口調で問うた。
『お客人よ。私は既に名前も目的も伝えたはずだが?私は『ウィル』、復讐が目的だ。』
「お前を作った張本人が誰で、何の復讐かを聞いてるんだ!要求はなんだ?」
和田には焦燥感があった。『ウィル』の言っていた更なる最悪の事態のことを恐れていた。
『要求などない。復讐そのものが目的なのだから。既に私の目的は果たされた。第一、私は既にこの世にない。死者が何を求めようと無意味だ。』
「死者だと?俺はあの世と交信でもしてるって言うのか?」
和田は腕を組み、首を傾げた。
『私、『ウィル』の人格の元となった人間、は今頃無縁仏として葬られているだろう。『ウィル』は遺志なのだ。最期の足掻きだ。怨霊と言っても良いだろう。』
『ウィル』は相変わらず堂々とし、姿勢を崩さない。プログラムされた存在なのだから、当然と言えば当然なのだが、和田は不思議と『ウィル』に生身の人間を感じていた。
「死者による復讐だと?ふざけやがって!何に対する復讐だ?」
『この世の全てにだよ。努力しても報われなかった、誰にも愛されなかった、孤独で哀れな人間の復讐だ。』
和田はその返答に溜息を吐いた。姿勢を崩し、前屈みになった。
「そんなありきたりなことで……。ただの誇大妄想ではないのか?」
『ウィル』は目を閉じ、少しだけ上を向いた。そして、口元に手を当て言葉を紡いだ。
『昔話をしよう。親が死に、兄弟も家族も親戚ない男には愛してくれる人はいなかった。その男はそれまでも数々の挑戦をした。だが、その悉くで敗れた。努力はしたのにだ。何1つ目標を達成したものはなかった。全てにおいて敗者だったのだ。』
和田はまた大きく溜息を吐いた。
「そんなこと珍しくもない。全てが順風満帆な人間なんていてたまるか。自分だけ悲劇の主人公気取りか?すぐに世界中のコンピューターを元に戻せ。」
『ウィル』は表情を崩さない。
『順風満帆とは言えなくても、何かしら成功はあろう。恋人がいたり、仕事で成功を納めたり、あるいは学生時代に何かを成し遂げたり。そのどれもがなかったら?それも努力の結果として。何の才能もなく、人にも好かれなかった人間がどのような気持ちになると思う?仕事に打ち込んだ結果、心身を壊しても誰も慰めてくれやしない人間が。』
『ウィル』は鋭い目付きで和田を見つめた。
和田は鼻で笑い返した。
「くだらないね。所詮は主観の嫉妬じゃないか。第一、これだけのことをしでかす才能がある時点で矛盾してるね。努力が足りなかったんだろ?」
『努力が足りていれば、誰でも上手くいくと?であれば、誰でも十分な努力さえすれば、野球やサッカーのスター選手、宇宙飛行士にもなれると?努力は報われる、か?才能ある成功者の物言いであるな』
『ウィル』は手を広げて語った。言葉には機械らしからぬ怒りが籠っていた。
和田はその身勝手な物言いに更に苛ついた。
「俺の苦労を何も知らないで!この怨霊め!」
和田は立ち上がって机を叩いた。
和田とて簡単に今の能力を手にしたわけではない。血の滲むような努力、研究の結果が今だ。
『当然だ。人は結局は主観でしか語れはしない。持たざる者が持つ者に対して羨むのも無理からぬことだろう?だから、この不平等な世界に対して復讐しようと決めたのだ。努力を馬鹿にされ続けた人間が……身寄りも、失う地位も名誉もない、所謂『無敵の人間』がな。』
『ウィル』は開き直ったかのように語る。
和田は持ってきていたハンマーを手に取った。これ以上の会話、交渉は無意味だろうと感じたからだ。そして、怒りにエンジニアとしての解決法を忘れてしまっていた。
「ちっぽけな嫉妬心にどれだけの損害が出たと思っていやがる⁈自分はあの世に高飛びか?無茶苦茶だな!」
和田はハンマーを大きく振りかぶった。
『ウィル』は平然とそれを眺めている。
『男の目的は既に果たされた。私を壊そうと意味はない。たった1人の人間が世界中を相手に勝利したのだ。未来永劫その名は語られるであろう!男の名は大石清である!』
『ウィル』は画面の中で立ち上がり、誇らしげに両腕を広げた。
「この気狂いの犯罪者め!」
『犯罪者としてでもその存在が語られ、残るならば本懐である!その名が語られ続ける限り、人々の記憶に残る限り、私は不死を手にしたに等しい!死してから漸く、漸く目的を達成できた!』
『ウィル』は満足げな笑顔を向けたが、それが和田の癪に触った。
和田は全ての怒りと正義感を込めてハンマーを振り下ろした。続けて何度か大きく振り下ろした。その気が少し落ち着くまで。
装置は大きな音を立てて壊れ、破片は周囲に大きく弾け飛んだ。
和田は肩で息をしながらハンマーを地面に落とした。
「本当に馬鹿げてる……何故これだけの才能をこんなことに使ってしまったのか……」
和田は壊れた装置に疑問の目を向けた。
「原理不明のマルウェアは本当に怨霊だとでも?」
自分で言って鼻で笑った。
彼はすぐにそこを後にした。戻って片付けなければならないことが山積みなのだ。その膨大な量を考えるだけでも頭が痛くなりそうだった。
和田は帰り道、ふと思った。もし自分がこのように他人に求められる人間ではなかったらどうなっていたのだろうか、と。彼のように拗らせていたのだろうか?
和田はそんな思考を自らの正義の心で抑え込んだ。
事態が収束して間もなく、続いてひっそりとだが、不思議な出来事があった。
とある慈善団体にまとまった金額の寄付があったのだ。
寄付の名義は『ウィル』であった。
その寄付にはメッセージが添えられていた。
『私の最後の善意』
名義人の名が件のプログラムと同じということで調査が入ったが、正体を特定することは出来なかった。
事件後の調査で、この事件の真犯人、大石清という男は『ウィル』が語ったように既に死に、自治体によって無縁墓地に合祀されていた。死亡推定日時は世界中のコンピューターの機能が停止した日時とほぼ一致した。
大石清の消息と寄付の件、両方の調査に和田は参加していた。事件中、最も『彼』と接触した人物であり、そのプログラムに対抗できる人物であったからた。
大石清の件については特に何も得られるものはなかった。学歴や職歴、戸籍、あらゆる個人情報を集めたが、『ウィル』の語っていた通り、目立つことのなかった人物のようだった。血縁者はいなかった。交友関係も非常に狭く、しかも長い間疎遠の者ばかりであった。良い人であったという。元の職場の人間に尋ねても優秀ではなかったが、真面目な男だったという情報しか得られなかった。
寄付金の件に関しては、和田によって判明したことが1つだけあった。事態が収束すると大石個人の口座から自動的に寄付されるようにプログラムされていたということだ。
だが、和田はこの事実を隠蔽した。判明すれば、大罪人のお金として寄付が取り消されるのでは、と思ったからだった。
「なぁ、『ウィル』……いや、大石よ……どんなヤツのでも、人を助けようとする善意を無碍にはできんよな」
和田は窓際に腰掛け、ウィスキーグラスを片手に夜風に当たっていた。
「他人のことが本当に大嫌いな奴のすることじゃないな……真に悪いやつではなかったんだろうな…」
対面に置いたもう一つのグラスに瓶を傾けた。
「口に合わなかったら悪いが、せめてものお供えだ。」
和田は事態収束の最大の功労者として方々で表彰、賞賛された。
だが、大石についての調査を進める内に同情心が僅かながらも湧いてきた。
和田の扱いとは正反対に、マスメディアは連日、大石清をこき下ろした。彼の人生を紐解いて、その随所に問題点があったなどと物知り顔で解説する。
いや、別段変な人生でもない。似たような道を歩む人間なんていくらでもいる。そう和田は常々思っていた。
ネット上では大石を擁護する意見、理解を示す意見も少数ではあるがあった。
特別なことのなかった人生と孤独。それが彼を歪ませてしまったのだろう。
和田はその日、連日の忙しさに確認を怠っていたメールを処理した。
その後、全てのことを忘れようと深酒をしていた。自身の感情のやり場に困っていたのだ。
事態収束後の日時に一通のメールが彼のパソコンに送られてきていた。
そのメールには一文だけが書かれていた。
『遺言を受け取ってくれて、最後の話相手になってくれて、ありがとう』




