腐食トカゲの煙に要注意
新階層に出現する魔物は腐食トカゲと呼ばれていて、口から周囲を腐らせる毒煙を吐き、爪からも毒液を分泌する。
大人が乗れるほど体が大きく肉厚で、鱗も硬い上に剣が滑る。
移動は遅いけれど、獲物を見つけた時と戦かう時は素早くなり、太い尻尾の一撃は盾が凹むほどだ。
厄介なのが腐食の毒煙で、武具や服などの耐久性を著しく低下させて、こちらの継戦能力を奪ってくる。
吸い込めば体内をズタズタにされ、煙ゆえに避けづらく見えづらい。
新階層は腐食トカゲが吐くそんな煙が薄らと漂っているため、身体強化が弱まった瞬間一気にやられてしまう。
そのせいで長期間休憩が取れず、長期間の探索ができなくて攻略できていないそうだ。
「とりあえずウチらが行けばいいやんな?」
「そうですね。我々迷宮騎士の装備でも、煙を浴びたら金属は錆びたり、服は穴が空いたりと悲惨なことになります。吸い込んだ分は身体強化でなんとかなるのですが、やはり身に纏った物へ魔力を大量に流して保護するのは効率が悪いので」
「ふ〜ん。そうなんや。じゃあちょっと行ってくるわ。シルヴィアさんよろしく!」
「わかったっす!」
ピクルスの騎士に見送られて、シルヴィアが腐食トカゲに近づいていく。
向こうもこちらに気づいたようで、ドタドタと短い足を懸命に動かして迫ってきた。
小さければ可愛い仕草も、大きさが大きさなので恐怖でしかなく、さながら暴れ馬が近づいてくるようだ。
「一応気をつけて対処するっす!エルは叩けそうならハリセン頼むっす!」
「了解や!」
動きを見極めるためにも、距離をとりつつ慎重に戦う。
決めていた戦いかたで、対象は強そうな初めて見る魔物や、どうみても危険な場所だ。
今回は強そうな魔物というより、危険魔物だけど。
「うわっ!近づいただけで煙吐いてきたっす!」
「もくもくでなんも見えへんな!」
「この状態で噛み付いたり爪で襲ってくるから気をつけるっす!」
そう言った瞬間、煙を突き抜けるように腐食トカゲが飛び出してきた。
大きく開いた口で噛みつこうとしてきたが、身構えていたシルヴィアは難なく避ける。
避けた先に鋭い爪が生えた腕が振るわれるも、展開していた盾の魔道具で防いで逆に近づく。
そしてくるりと背中を向けると、ウチの目の前に腐食トカゲの横腹が現れる。
「そこやぁ!!」
スパーンと気持ちのいい音が鳴った。
この迷宮に入って1番良い音かもしれない。
そんな音が鳴った横腹を天に晒し、4本の足をジタバタと動かしてもがいている腐食トカゲ。
どうやらお腹に力が入れられず、上手く動けなくなっているようだ。
隙だらけだから迷宮騎士や請負人でもトドメは刺せそうだけれど、最初に吐かれた毒煙が充満していて近づけない。
風で散らせば別だが、そこまで急ぎでもないためシルヴィアが魔力を散らした横腹に剣を突き刺してぐりぐりと動かし、トドメを刺した。
魔力がないからこそできる芸当で、通常の腐食トカゲではシルヴィアの攻撃は通じないらしく、解体は迷宮騎士や請負人に任せることになった。
ハリセンで叩いた横腹以外に解体ナイフが入らなかったので。
「これ食えるん?」
「腐食トカゲは食べられる部分もありますよ。足は無理ですが尻尾と体の一部ですね。ただ、体内の腐食液を煙にして吐き出してくるのですが、その腐食液が入っている袋を解体途中に破いてしまうと途端に食べられなくなります。なので、解体は尻尾から始めるのがおすすめです」
尻尾は太いだけで毒はない。
筋肉が詰まっていてムチムチとした歯応えのある肉になり、干し肉に適しているのだとか。
体の肉は腐食液が入っている袋と取り除けば食べられるようで、こちらも肉厚でむっちりとした食感だけど、尻尾よりは柔らかく焼いて食べると肉汁が美味しいそうだ。
それを聞いた迷宮騎士に教えられながら解体していた請負人たちが、ごくりと喉を鳴らしていた。
ウチも早く食べたい。
「しかし、アレやな。毒液と違って煙やと面倒なんやな」
「そうっすね。見えづらい上に広範囲に広がるから気を抜けないっす。サソリやゾンビの毒液とは比較にならないほど強力らしいっすよ」
「おー。危ないな。だから腐食液入った袋捨てていくんか」
「いえ、こんな状況でなければ素材として確保しますよ。しかし、今は進むことを重視しているので、安全に運ぶことができないのです。移動中に毒液が溢れ出して、皮袋を破って装備に掛かり、腐食したなんて悲惨なことにはなりたくないです。回収するとしたらきっちりと毒液が漏れ出ないようにする必要があります」
「なるほどなー。危ない物運ぶ時は、それ相応の方法が必要っちゅうことやな」
「その通りです」
ピクルスの騎士と話しているうちに解体が終わった。
魔力が抜けた皮や肉は腐食液の入った袋と一緒に廃棄。
尻尾と食べられる肉、魔力が抜けていない皮と鋭い爪を素材として持っていく。
そうして腐食トカゲとの戦闘を終え、属性スケルトンを倒しつつ進み、3体目の腐食トカゲをシルヴィアが倒した後、シルヴィアが立ち止まってジッと手を眺め始めた。
「どしたん?手相でも見てるん?」
「てそうって何すか?手を見てるのは、なぜかピリピリするからっす」
手のひらを見るのは手相のためだと思ったけれど、ウチもよくわからなかった。
たまにある謎の言葉やイメージが頭をよぎるアレだと納得しておく。
それよりもシルヴィアの手だ。
ピリピリする原因はわからないけれど、少なくともウチはなんともない。
離れたところから毒煙を警戒している請負人や迷宮騎士も、そんな状態にはなっていなかった。
「エル、シルヴィア。少しジッとしてて」
「アンリ?了解っす」
ウチらが動かないことで様子を見にきたアンリが、話を聞いてそのままつま先から頭の先まで目を向ける。
時にはウチと背中合わせになっているところからゆっくりと何かを追うように視線を巡らせ、やがて手や足先で止まる。
何度か繰り返したアンリは、納得したような顔で口を開いた。
「まず、エルの固有魔法の魔力は背中から出てる。それを馬車に向けた時は、完全に覆われずエルから遠い場所はほんの少しだった」
「それは前に聞いたことあるっすね。馬車以外でも大きな物にエルを背中合わせで着けた場合、エルに近ければ全く傷付かず、離れた場所では普通に傷がついたんすよね?」
「そう。実験の賜物」
満足そうに頷くアンリ。
調べた結果を覚えてくれていたから嬉しいのだろうけど、今はその時ではないはず。
ウチのじっとりとした目に気づいたのかは不明だが、こほんと一息してから真面目な顔に戻った。
「その時の実験では、離れたところほど弱い攻撃で傷がついた。でも、ある程度近くても魔力を込めた一撃で傷をつけることもできた」
「つまりどういうことっすか?」
「エルの魔力で覆われているシルヴィアに対して強力な攻撃が放たれた結果、手の守りを突破されている。そうしてピリピリとしたダメージが発生している」
「へ?これがエルの魔力を突破された結果なんすか?もっと裂けたり血が出たりするんじゃないんすか?」
「突破したのが腐食毒の煙だから、手を痛めた程度。それが爪だったら手が切れていてもおかしくない。見てみて」
アンリがシルヴィアの足元を指差す。
ウチには少ししか見えなかったけれど、履いている革製のブーツの表面がぶつぶつと穴だらけになっているし、ブーツに突っ込んでいるズボンも小さな穴が空いている。
慌てて迷宮騎士や請負人たちを見ても、そんなことにはなっていなかった。
「シルヴィア、身体強化はしている?」
「戦闘中はしてるっす」
「装備に魔力を込めている?」
「いやー、わたしはそれ苦手なんでしてないっすね」
「わかった。服や靴がボロボロになっているのは魔力を込めていないから。手がピリピリするのは戦闘が終わって身体強化を解いた結果、残留した毒煙の影響を受けたからだと思われる」
「そういうことっすか」
「んー?どういうこと?ウチわからん……」
固有魔法の影響の話をしていたから、固有魔法の効きが悪い部分にダメージが出たことはわかる。
でも、それならば煙に突っ込んだ時点で影響が出るはずだけど、それはなく腐食トカゲを倒すこともできている。
身体強化が絡んでいるせいで、ウチには理解しづらい。
なにせ使えないから。
「まず、エルの固有魔法の恩恵を私も受けているっす」
「せやな」
「しかし、その恩恵も強弱があって、背中から遠いほど効果が薄れているっす」
「ふむふむ。いろんな実験した結果わかったことやな」
「そうっす。その結果、エルの固有魔法に覆われたわたしの手は腐食トカゲの毒煙に耐えられないみたいっす」
「んー?だからピリピリしとるん?せやけど、それやったら最初の戦いで煙に突っ込んだ時にわからへん?」
「その時は身体強化してたっす。でも、エルも知っている通り、わたしは物に魔力を流すのが苦手なんすよ。だから靴や服がボロボロになって、身体強化を切った後に残った煙で手をやられたっす」
「うーん……。じゃあ他の人らの服やらがボロボロにならへんのは?」
「魔力を流してるからっすね。ほら、腕だけ強くしても服に魔力を流さなかったら、激しい動きで服にダメージが出るっす。そんな感じで武具にも流すのが普通なんすよ。中には服や武具を飾りと言わんばかりに素手でや足に強化を集中する人たちもいるっすけど」
「なるほどなぁ」
迷宮騎士や他の請負人が怪我したり服をボロくしていないのは、自身の装備まで魔力を流しているからで、戦闘時はそれをさらに強化する。
それでも、何度も腐食トカゲと戦えば装備は通常より早く摩耗するし、強化が未熟だったら体内をやられてしまう。
対してシルヴィアは戦闘時に自分の体にだけ魔力を流して身体強化をかけた。
素早く動くため足腰を、動きを見逃さないため目や耳を、攻撃を受けても受け流せるように腕を。
しかし、その魔力は服や武具には流されていないため、固有魔法の影響だけでは防げなかったというわけだ。
「つまり、どういうこと?」
「あー、この先はわたしじゃ厳しいってことっすね」
「正確には腐食トカゲの相手は。属性スケルトンは問題ない」
「どうするっすかね〜」
「新階層前でシルヴィアには離脱してもらって、そこからはわたしがエルを背負う。シルヴィアほど身体強化は上手くないけれど、エルを運ぶぐらいはできる」
「いやいや、アンリは魔法を放てるし、斥候みたいなこともできる身軽な方じゃないっすか」
「身体強化の性能では負けてる。地力も」
シルヴィアとアンリが互いに褒めあっていた。
結論としてはアンリの提案通り、この階層はシルヴィアに背負ってもらい、次の新階層ではアンリに背負ってもらうことになった。
迷宮騎士や請負人からも背負いたいと立候補があったけれど、ウチが拒否した。
声を上げた全員が固そうだったから。
そして、この先遭遇する腐食トカゲは、新階層の前哨戦として請負人や迷宮騎士が倒し、危なくなったらアンリによってウチが放り込まれることになった。
属性スケルトンの場合は今まで通りで。
「ほんま面倒な迷宮やな!」
「そうっすね〜」
シルヴィアは何かを考えて空返事だった。




