貝の泥抜き
食堂で買取と昼食を済ませ、割り当てられた休憩所へと戻った。
時たま鳴り響く雷にシルヴィアがビクリと震えていて、沼地の経験があまり良くない方向に向かっている気がする。
かといってウチにできることはないけれど。
・・・ウチを背負って雷が直撃しても大丈夫ってやったら気にならんようになるかな?その場合ウチがおらん時は悪化しそうやけど……。とりあえず雷落ちそうな時は外出えへんようにしよ。
途中で掴んできた大きめの樽にウチの水を張り、沼地貝を突っ込んで蓋をする。
その樽に背中が当たるように座り込んだら、泥抜きの準備は完了だ。
海辺で獲れる魔物じゃない貝は、水につけてしばらく放置していると砂を吐き出す。
沼地貝にも同じことをしてもらうつもりで用意したけれど、すでに樽の中からゴンゴンと暴れる音が聞こえてくる。
「どれくらいかかるんすか?」
「わからん。しばらくしたら様子見で蓋開けて、水の入れ替えとかしよか」
「手間かかるっすねー。そうまでするより他のもの食べた方が楽っすよ」
「ふっ。シルヴィアさんはまだまだやな。手間暇かけて美味しくするのが料理。材料を集めるのも美味しいもの食べるために必要なことで、ウチは美味しいもの食べるためなら何でもするんや!」
「そ、そうっすか。頑張って欲しいっす」
「他人事ちゃうで?シルヴィアさんもウチと一緒に材料集めるんやで?」
「え?聞いてないっす。まぁ、素材集めるのと同じなんで別にいいっすけど……。そのうち屋台も手伝わされそうっす……。その手があったかみたいな表情止めるっす!わたしは料理できないっすよ!」
「解体できるなら手先器用やろ?できるできる。今度やってみよ」
「あんまり興味ないっすー」
体をほぐしているシルヴィアと話しなが樽に背中を預けている。
ガドルフもよくわからない動きで体を鍛えていて、キュークスは雨音を聞いているのか耳をピクピクさせながら胡座で天井を見上げながらぼーっとしていた。
ウチと一緒で暇なようだ。
「泥吐いたかな?」
「さっき入れたばかりっすよ」
「ちょっと様子見るだけやん。ちょっとだけ……うわっ!背中離したらめっちゃ揺れるやん!」
「押さえとくっす」
「おおきに。どれどれ……」
もう一度背中を預けてから蓋を開けてもらい、そのまま口を掴んで固定してもらう。
中を覗くと両手で抱えられるぐらい大きい貝が、水に泥を吐き出しているところだった。
ガタガタと揺れた理由は、この泥吐きによる衝撃だったようだ。
「泥を再利用される前に水を換えた方が良さそうっすね」
「あー、お願いするわ。ウチには持てへん」
「仕方ないっすねー」
ガタガタと揺れる樽を持ち、外に出て水を捨てたら戻ってくる。
そしてまたウチが水を入れてしばし様子見。
これを繰り返すこと5回で、ようやく泥を吐かなくなった。
その分水を吐いた勢いで樽の中をガンガンとぶつかり、内部を傷だらけにされたけれど。
あまり何度も同じ樽は使えなさそうだ。
これがこの貝を食用にしない原因だ。
頑丈な容器、例えば総鉄製の箱を用意すれば可能だろう。
しかし、鉄鉱石を採取して製鉄でインゴットに変え、それを職人が整えて物にするため、鉄製品は高価になる。
端材を集めて叩き直しても使える鍋やフライパンなどの調理器具とは違う。
樽も木を伐採して乾燥させ、職人の手で加工されるけれど、鉄と比べると材料費が安くなるためまだマシだ。
それでもいくらでも売れるかわからない貝のために消耗する物ではないけれど。
しかし、ウチにはお金がある。
食材ぐらいにしか使っていないスライム階層で得たお金だ。
美味しければ鉄の箱ぐらい注文して、時間をかけて元を取ればいい。
美味しいことを心の底から祈る。
「頼もうー!」
シルヴィアの背に乗って食堂へと戻った。
相変わらず商会の人や一部の請負人は酒盛りをしていて、交代したのかさっき食堂内で料理していた人も一部飲んでいる。
ツマミはカニの身を茹でてほぐしたもの、茹でた芋に塩をかけたもの、割いて炙った干し肉だ。
ウチらの登場にちらりと視線を向けて元に戻したけれど、シルヴィアが手に持っている沼地貝に気づいたのか再度こっちを見る。
特に料理人の視線が熱い。
「それを調理しろと?」
「泥抜きは済ませたっす」
「ほう。そうまでしてもらったら調理しない訳にはいかんな。おい!買取ってくれ!」
「うぃ〜。任せてくれ〜。あ〜?沼地貝〜?ん〜?状態もいいし〜銀貨1枚ってところか〜?そんなもんでどう〜?」
「べろべろやん」
「非番だから朝からずっと飲んでるんだこいつ。とりあえず銀1でいいか?」
「こちらは問題ないっす。美味しく料理してほしいっす」
「それは任せろ。何度か扱ったことがある。その時は泥抜きもできていない切れ端だったが、まぁ貝だから似たような調理でいけるだろう」
酒のせいで少し顔の赤いおじさんが沼地貝を受け取って厨房へと向かった。
中では酒を飲んでいない料理人たちもいて、貝を開く係、捌く係、調理準備する係と役割分担して動き始めた。
同じ食材ばかりで飽き始めていたのか、全員笑顔で言い合いながら準備を進めていく。
飲んでいた人たちも、新しい料理が出てくる気配にソワソワし始めたけれど、あげるとは一言も言っていない。
買い取られているからどう提供するかは料理人次第だけど。
「お待ち!買取とはいえ素材提供者だからお代はなしだ!お前らは銅貨準備しとけよ!」
「えー!」
「嫌なら食うな!味見したがカニやエビとは違った美味さだったぞ!」
「おぉー!俺くれ!」
「俺も俺も!」
「こっちもだ!あ、酒も頼む!」
しばらく待って出てきた料理は、好意で無料になった。
置かれた料理を離れたところから見ていた酔っ払いたちは有料だけど。
出された料理は貝で出汁をとったスープに、ぶつ切りにして焼いて塩を振ったものとシンプルだった。
物が大きい分量も多い。
それをシルヴィアを2人で食べながら、今後も取るか話し合う。
「美味いなこれ。噛めば噛むほど良い味出てくる。カニやエビみたいな一口が美味いっちゅうよりも長く楽しめそうやわ」
「そうっすね。たまに食べたくなる味っす。売れるとは思うんすけど、泥抜きの手間が面倒っすよね〜」
「鉄板で箱作ったらあかんかな?水抜きもできるようにして」
「結構な値段するっすよ?銀貨5、60枚は必要っす。それに、ここまで運ぶのにも費用がかかるっす」
「5、60枚なら、1個銀貨1枚としても100個取ったら運搬費含めて元取れるんちゃう?」
「毎日貝を取っては箱に入れて、水や泥の管理もするんすよ?もういっそのこと仕事にしたら良いと思うっす」
「迷宮の中で貝の管理かぁ……。楽しくなさそうやわ」
「それに、沼地貝は魔物っす。普通なら捕まえるだけでも危ないっすよ。掴んでも開く力が相当あるっすし、開いた次は噛まれるっす。水や泥を吐く勢いで飛んでくることもあるから、箱に入れても逃げられる可能性もあるっす。鉄ぐらいなら凹ませれるはずっす」
「難儀やなぁ」
蓋付きの鉄製の箱に入れたら水を変えるて泥を捨てるだけというわけにはいかないようだ。
それが全部を鉄で作った箱だとしても。
沼地貝を生きたまま捕まえる手間、箱の中で暴れられることによる箱の損傷、世話する時の怪我の可能性、住居が迷宮内になる危険性などを考慮したら採算が合わない。
かといって迷宮外で泥抜きをしようものなら近隣への安全確保も必要で、さらには沼地エリアまで移動する日数や捕まえられる数など色々考えることが出てくる。
ちょうど良いので酔っ払いも巻き込んで話をしたけれど、その誰もが割に合わないと首を振る。
商人だけは少し考える素振りを見せたものの、良くて帰りに1、2個を拾い、迷宮広場内で泥抜きが限界と判断された。
それよりも沼地貝の味の話で盛り上がり、干物にするためにもう少し手に入れてほしいとまで言われる始末。
定期的に販売する仕事にはならないけれど、たまに取り扱うぐらいでちょうど良いのだろう。
気が向いたら拾って泥抜きすると伝えて食堂を後にした。
「何かすごい使い道でもできたら買取金額も上がって採算取れるようになるかもしれないっすけど、今はどうしようもないっすね」
「せやなー。カニのようにはいかんかったわ。でも、ここにおる間はたまに取ってええんちゃうかな」
「まぁ、そうっすね。帰りに捕まえるぐらいでちょうど良いっす。それに、さっきもお願いされたっす」
拠点に戻ってのんびりしながら沼地貝について話す。
食べられなかったキュークスとガドルフに、今度また取ってくると伝え、ベアロはちゃっかり食べていることも話した。
2人とも耳がピクピクしていたから、ベアロが戻ってきたら抜け駆けをずるいと弄るつもりだろう。
ウチとシルヴィアはそれを見て笑うだけだ。
「明日はどうしよか?」
「雨があがったらビッグ沼地ガニの狩り、降ってたら近場で沼地貝でも取るっす」
「そうしよか」
結果、雨は3日間振り続け、沼地貝を15個手に入れることになった。
食堂では美味いことは美味いけれど、肉の方がいいと声が上がるほど焼き貝が提供された。




