荒天の沼地
朝、屋根を打つ雨の音で目が覚めた。
毛皮を重ねたベッドの上で、さらに毛皮を纏って寝ていたけれど、少し肌寒かったのかミノムシみたいに包まれている。
「雨か……」
洞窟型のライテ小迷宮とは違って、ウルダー中迷宮は空がある。
外の天気や時間に合わせて変化する空は、外が雨なら迷宮も雨になる。
これまで何度も中迷宮に入っていたけれど、雨が降っても請負人は活動する。
雨の日にしか咲かない花、雨が降っている間活動的になる魔物など、場所によっては変化があって、シルヴィアと採取中に降った時には、急遽取る物が変わったこともある。
雨が降ったら咲く蕾は水に沈めたらいいのにと思ったけれど、どうやらそんな簡単にはいかないらしい。
「すごい雨っす」
「探索どうするん?」
「豪雨の沼地を見てみたい気持ちもあるっす。あんまり探索が進んでいないので、何か見つかるかもしれないっす。でも、環境が酷いんで進んでいきたくはないっすねー」
「ウチ背負ったら濡れへんで?」
「それはそうなんすけど、雨で視界も悪いっす……。不意打ちされても問題ないから大丈夫な気がしてきたっす。でも、魔物の対処はどうするっすか?」
「ん?カニは引っ張ってくるんやろ?」
「ここの請負人たちが雨の中戦うかどうかっすね。あまりにも強い雨だと戦わなくても仕方ないっすよ」
雨に濡れた中戦うとなると体力の消耗が激しい。
奪われる体温に滑る手元、雨量によっては先が見えないし、飛び道具への影響もある。
街中ではないから拠点の警戒は必要だし、急ぎの依頼の場合天候なんて気にしてられない。
幸い献上品の最低数は確保できていて、すでに運び出しているから今日が休日になっても問題はないはず。
「とりあえず今日も討伐するのか聞いてみるっす」
シルヴィアと2人で屋根を打つ雨の音を聞いている限り、勢いのある雨だということがわかる。
普通なら探索したくない天候だろう。
朝食を済ませた後ウチを装備したシルヴィアは、降りしきる雨の中に足を進める。
しかし、固有魔法で弾かれる雨は、体に当たるほんの少し前に弾けて地面へと落ちていく。
滴る水滴も全く付かずに。
「おはようっす!警戒ご苦労様っす!」
「おはようさん」
「おう。おはよう。よく眠れたようだな」
「いつの間にか降っていたこの雨に気づかない程度には熟睡っすね」
「これなぁ……。夜中に降り出してどんどん激しくなったんだ。今はマントを着ているのもバカらしくなるぐらいびしょ濡れだ。幸い寒くないから体温が一気に奪われることなく警戒できているが、今後のことを考えると屋根付きの物見小屋を建てた方が良さそうだ」
「それはあった方がいいっすね。遠くまで見える方が警戒もしやすいと思うっす」
「その通りだ。で、お2人さんはどうしたんだ?まさかこの豪雨の中探索に出るとでも言うのか?」
「そのつもりっす。雨の中でしか見れない物があるかもしれないからっす」
「止めはしねぇけど、討伐は休みだから連れてきてもらっても困るぞ」
「了解っす。それが聞きたかったんすよ。じゃあ魔物連れてこないように気をつけて行ってくるっす」
「おう。無理すんなよ」
警戒担当の請負人と別れて一度休憩所へ戻り、ガドルフたちの予定を聞く。
ガドルフとキュークスは室内でできる鍛錬、ベアロは雨の中素振りをするそうだ。
今頃アンリは地上で魔道具の作成に精を出しているはずで、目標はライテで作ってもらった魔道具を作れるようになること。
設計図はあるから、素材をうまく加工するところに注力する必要がある。
無駄に素材はあるので、失敗を前提に頑張ると聞いている。
「行くっすよー」
「おー」
行くことに拒否はしないけれど、ざーざーと降り続ける雨でテンションは上がらない。
濡れないとしてもだ。
どんよりとした空気のせいだろう。
薄らと雨の中をマントを着て散歩した記憶が浮かんできた。
隣にいたのは父上だろうか。
それとも母上だろうか。
今みたいに気分も下がらず雨を楽しめていた気もする。
バシャバシャと草原に溜まった水を跳ね上げるシルヴィアの足音を聞きながら、雨の中に手を伸ばしてみる。
しかし、雨は手のひらに当たる直前に弾かれているため、何の感触もない。
雨に打たれたいわけではないから正しい効果なのかもしれないけれど、部分的に解除もできない。
もう少し融通が利いてもいいのにと思わなくはない。
「沼と草原の境がわかりづらくなってるっすね」
「ほとんど水浸しやもんな」
気づけばシルヴィアの足元草ではなく泥になっていた。
いつものどろどろとしたものではなく、雨のせいかさらさらしているようにも見える。
泥の表面を雨水が流れているだけかもしれない。
そんな中をシルヴィアは突き進み、ウチは金色に光るハリセンを細長く伸ばして地中を探索する。
ぐちゃぐちゃ土をかき混ぜるたびに水が流れ、巻き上げられた土で茶色く濁る。
振り続ける雨で視界も悪いため、あまり捗りそうになかった。
「んー。空が光ったっすねー」
「え?雷落ちるん?迷宮の中で?」
「雨が降るんすよ?雷も落ちるっす。寒くなれば雪も降るし、荒れた日には強い風も吹くっす」
「まぁ、そりゃそうか」
外の天候と同じなのだから、外で雷が落ちるなら迷宮でも落ちるのだろう。
どういった原理かは全くわからないけれど、とりあえず納得しておく。
そもそも広さからして街より大きいのだから、考えるだけ無駄だろう。
めっちゃ気になるけれど。
「お?沼地カエルっす」
「まだこの辺やとビッグじゃないんやな」
「そうっすね。弾力のある体とムチのように伸びる舌が厄介っすけど、大抵食べられる側のはずっす」
「美味しいん?」
「あっさりしてるっすね。むっちむちっすよ。普段はもっと端っこの方にいるっすけど、流れてきたっぽいっす」
「へー。帰りに狩ってもええかもな」
「余裕があればそうするっす」
戦うのが面倒なのであまりやりたくなさそうな声音だった。
食べたいウチと戦いたくないシルヴィアのやり取りは帰りに持ち越すことにして、沼地カエルに何度か空振りするもハリセンを叩き込むことに成功した。
ぷかりと浮かんで流れていく沼地カエルを眺めながら、どんどん先へと進んでいく。
・・・あ。カエルが何かに喰われた。ナマズやろか……。
魔物が魔物に食われる光景を遠目で見ていたら、周囲が白く光った。
「うわっ?!」
「なんすかー?!」
バリバリと水面を走る光に、遅れてくる轟音。
ウチの目と耳にはそこまで影響はなくすぐに戻ったけれど、シルヴィアは内より長い間身を固めていた。
固有魔法の影響度合いの差だろう。
いくらウチを背負って背中から固有魔法を受けていても、ウチほど完全に防げているわけではない。
優先されるのは外傷への発動だと思う。
「びっくりしたっす!すぐ近くに雷が落ちたっす!いやー、エルを背負ってなければ死んでたかもしれないっすね!眩しかったしうるさかったす!まだドキドキしてるっすよ!うひー!ゾワゾワするっす!」
腕をさするシルヴィアは、落ち着きなく周囲を見回している。
今までも固有魔法がなければ怪我を負うことはあったけれど、魔物と違って自然現象が相手だから気持ちの整理ができないのかもしれない。
ウチは雷が落ちるところを直接みていないから被害も少なく落ち着いていられるけれど、このまま進むのはよくない。
探索は中断した方がいいだろう。
「今日はもう帰った方が良くない?危ないで?」
「そ、そうっすね。雷が落ちるのは危ないっす。ゆっくり帰るっすよ」
自分でも本調子じゃないことがわかっているからか、素直に従ってくれた。
影響が出ないなら突き進めばいいと言われなくてホッとしていると、ウチらの横をひっくり返った沼地ナマズが流れていった。
・・・なんで?
2人してナマズを見送ると、次はひっくり返ったカエルも流れてきた。
噛み跡などがないからウチが気絶させた個体とは別だろうけど、ぽこんと膨らんだお腹を上にしている姿は少し笑いそうになる。
「え?なんなん?うわっ!またナマズ浮いてる!エビもや!あっちの方にはワニも流れてるで!」
「雷の影響っすかね?どれも死んでなくて気絶してるだけっす。これならわたしでもトドメさせるっすね」
剣を抜いて時間をかけて魔力を流し、沼地カエルに近づく。
足を持って喉元に突き刺し、グッと力を入れたら簡単に刃が沈み込んでカエルがビクンと震えた。
頑張って体を起こして首を後ろに向けて見えたのはここまでだった。
血抜きや簡単な解体を済ませ、他に浮いている魔物も同様に仕留めていく。
ついでに被害を免れた沼地貝も気絶させて拾っていく。
しばらく雨が止まなそうなので、泥抜きに挑戦するつもりだ。
「おかえり。早かったな」
「雷が沼地に落ちたので中断したっす。これ雷で気絶したところを仕留めた魔物たちっす。食堂に行けばいいっすかね?」
「そうだな。今日は商会の買取所も空いてないし、食堂に誰かしらはいるだろう。こんな日は戦闘しない請負人なら飲む。そこで買取してくれるはずだ」
「了解っす」
拠点には各自の休憩所に加えて、食堂や買取所、簡単な屋台などの商会運営の建物がある。
依頼はビッグ沼地ガニの討伐だから、それ以外の魔物は一旦商会が買取り、算出された金額が各パーティの頭割り。
パーティ内でどう分配するかはそれぞれに任せている。
食堂や屋台の利用は有料で、すぐにお金を払うか記録してもらって後日払うか、商会が出してくれる気で作られた仮のお金でやり取りするか、素材で払うかだ。
そして買取所は個人の持ち込みも歓迎していて、今回の獲物を買い取ってもらいたかったけれど、この雨の中狩りに行く者はいないだろうと判断されて閉じている。
そして仕事していない商会の人たちは食堂で酒盛りしていると。
・・・全く。大人はすぐに酒を飲む困った生き物だ。
酒盛りの中には訓練を終えたベアロもいて、食料の持ち込みを喜ばれる結果となった。




