草原迷宮商会
ウチとシルヴィアが開催したビッグ沼地ガニの足による狂乱は、組合職員からの撤収命令と、組合長のセインによるお叱りで終わった。
少し騒ぎすぎたようだ。
そんな上がった気分を少し落としたウチとシルヴィアを請負人組合の入り口で迎えたのは、沼地ガニの調理方法を買い取ったハイゼルだった。
「なかなかの盛り上がりでしたね」
「そのせいで怒られたけどな」
「まぁ、酒を飲まずにあの騒ぎですから、管理する組合としても一言ないとさらに上から怒られますよ」
「しゃーないかぁ……」
新たに口にするたびに「美味い!」という声が上がり、通りを挟んだ向こう側からも人を呼ぶ。
気を良くした人は他の屋台でたくさん買い込み、ウチの屋台を含めて近場の屋台で用意されていた分は軒並み底をついた。
急いで下ごしらえをしても食べられるまで時間がかかる。
そうなるとなぜそんなことになっているのか聞いてくる人も出てきて、騒ぎのことを伝えると参加し始める始末。
結果、屋台街の一部で酷い人だかりが発生し、盛り上がる声から迷宮広場を囲う壁の向こうからも問い合わせも起きた。
それに動いたのが迷宮前広場を管理する組合で、原因がウチにあったことからか、お叱りは組合長直々となった。
あまり騒ぎは起こさないでほしいと目を見てしっかり言われてしまい、頷くしかできなかった。
「新しいことをする時は根回しが必須なのですよ。今回で言えば炊き出しの場所選びもまずいですが、列整理や切り分ける人員も足りていません。さらに請負人相手ですと盛り上がりやすい傾向にあるため、最初は平民相手がよろしいかと」
「早く食べたかってん。早く調理しないと腐るのもあるし」
「魔力が籠っていれば腐りづらくもなっているので、あの足だと4、5日は平気ですよ。まぁそういった雑事は置いておくとして、今後もビッグ沼地ガニの調理をするつもりですか?」
味が良くなるのは知ったけれど、腐りづらくなるのは知らなかった。
そんな効能があれば、魔力を使って野菜を育てるのも納得できる。
「んー、やってもたまにでええかな。正直面倒が勝つわ」
「でしたら、屋台などの展開はわたしの商会で行います。それでいつでも……とは言えませんが、品がある時は気軽に食べられるはずです」
「それはええな。ビッグじゃない沼地ガニを気軽に食べるのもええけど、たまにはビッグも食べたくなりそうやし」
普段は沼地ガニで十分だ。
大きいと焼くの2時間がかかるし、殻の処理も面倒になる。
今回はウチが魔力を抜いてシルヴィアに壊してもらったけれど、毎回そんな事をしたくない。
食後は洗い物だけでいい。
「えぇ、えぇ、そうでしょうとも。あの味は良い商品になります。そしてエルさんとシルヴィアさんにお願いがあります」
「お願い?」
「依頼と言う方が正しいですね。お2人にはビッグ沼地ガニを狩るわたしのパーティを手伝っていただきたいのです」
つまり、沼地に入ってビッグ沼地ガニを釣って草原まで引っ張るのと、その後の戦闘を手伝ってほしいということだ。
優先するのは2つの爪、余裕があれば足をいくつか切り落とすまで押さえ込み。
逃げられそうになったら進路上に立ち塞がって時間を稼ぐ。
つまり、少し前にやった事を依頼として受けてほしいということだ。
ウチらの戦い方は迷宮に派遣していた請負人たちから聞いているようで、指示も正確だった。
「シルビアさんどうする?」
「んー。特に依頼を受けているわけじゃないので、受けてもいいと思うっす。暇な時に沼地を探索できれば十分じゃないっすか?」
「せやな。ハイゼルさんどれくらい狩ればええん?」
「そうですねぇ……日に2匹もあれば十分でしょう。何かあれば伝令を走らせますし、持ち帰りや生活のための人員も送り込みます」
「なんか大事になってきたな……」
「新しい商売はそういうものですよ。迷宮が絡めば運搬に手間がかかりますし、以前も木材を大量に切り出す時は街ぐるみで伐採と運搬をしました。請負人はその護衛ですね」
「素材の宝庫やもんな迷宮は」
「はい。その宝庫から宝を持ち出して儲けるのが我々商人ですよ」
ニヤリと笑うハイゼルだけど、その笑みは頼もしさしかなかった。
そこから長期間迷宮に潜るにあたって必要な物を話し合うために、ハイゼルが所属している商会『草原迷宮商会』にお邪魔する。
この商会はこの街がまだ村だった頃からあり、街の発展と共に大きくなった老舗の名店で、主に迷宮の素材を使った商品を販売していた。
外からの商品はあまり扱わないことで、商会のぶつかり合いを防ぎつつ、迷宮の攻略にも力を入れているそうだ。
こういった商会は迷宮のある各地で存在していて、後からできた各地を繋ぐ商会とも上手く連携している。
さらには古くからあることで、その地を治める貴族や豪族とも付き合いがあり、請負人組合にも口出しできるほど力がある商会も存在するらしい。
「まずはお茶でもどうぞ」
「いただくっす」
「おおきに……渋い……」
「牛乳で割るとまろやかになりますよ。砂糖も少しですがあります」
「高いんやろ?」
「それなりにしますね。まぁ、投資とでも思って味わってください。砂糖の栽培は南東にある海洋国家群が主ですし、迷宮でも取れなくはないのですが、量が確保できていません。攻略難度が高い場所なんです」
「へ〜」
砂糖を小さなスプーンでたんまりとお茶に入れながら聞く。
シルヴィアも砂糖を入れるようだ。
いつもはハニービーのいろんな話から取った蜜を混ぜたハチミツだから、お茶の香りしかしないのに甘いという慣れない味に苦戦しつつ、購入できないか悩む。
値段を聞いて諦めたけれど。
手のひらに乗る小さな壺で銀貨30枚はぼったくりやと思う。
ビッグ沼地ガニ焼きの200切れ分だ。
「さて、依頼について詳しくお話ししましょう。お2人にはビッグ沼地ガニの討伐に協力していただきますが、そのための拠点をこちらで用意いたします」
「拠点?迷宮内にあるあの沼地ガニの足を焼く屋台みたいなやつ?」
「そうなります。もっとも、次のパーティを送り込む際に職人も連れていく形になるので、住めるようになるのはしばらく先となるので、直近ではテント生活ですが」
「ウチは構わんけど……」
「わたしも問題ないっす。警戒はそちらでやってもらえるんすよね?」
「はい。住居の構築、食事の準備、解体、運搬、昼夜の警戒は全てこちらで手配します。お2人にやっていただくのはビッグ沼地ガニの討伐関連だけです」
「いたれれなんたらやな」
「至れり尽くせりっすか?」
「そうそうそれそれ」
ウチらのやりとりにハイゼルは苦笑している。
長期の依頼になりそうだから、もっと色々言われると思っていたらしい。
食事が出て寝るところも守ってもらえるのなら、風呂が欲しいくらいだけど、それはウチらが持っていく。
今の家には風呂がついているせいでライテの時に作ったタル風呂が未使用で転がっている。
それを持っていけばお湯を出す魔道具を使って、迷宮の中でも風呂に入ることができる。
後は保護者たちの同意が得られたら、長期間潜っても問題ないだろう。
それを伝え、お互いに迷宮に入る時は連絡する事を約束してから、草原迷宮商会を後にした。
「へぇ、ビッグ沼地ガニは強いのか?」
「強さはわからんけど硬いで」
帰ってしばらくするとガドルフ、ベアロ、キュークスの3人も帰ってきた。
2日前に迷宮から戻っていて、今は珍しく3人で飲みに行っていたそうだ。
実際には迷宮内で一緒になった臨時パーティの人たちとの宴会だったそうだけど。
3人は森林エリアで数日の呼ぶ狩りをしていて、キュークスはウチの小さな膝に寝転がってブラッシング中、ガドルフとベアロ相手にお互いの話をしている。
「シルヴィアさんはエルと活動していて問題ないのか?素材採取の依頼が来ることもあるだろ?」
「今のところ来てないっすね。だから問題ないっす。むしろエルと一緒に活動する方が楽しいまであるっす」
「そうか。なら、一度2人の動きを見てみるのもありか」
ガドルフたち獣人組とは初めて顔を合わせるシルヴィアは、ウチとのことで色々聞かれている。
キュークスはアンリから聞いていたのか、耳をぴくぴくさせるだけで話には入ってこない。
むしろウチが話に入ってブラッシングの手が疎かになると尻尾で叩いてくる。
もふもふだから気持ちいいぐらいだけど。
「よし。エルのパーティメンバーとして俺たちも沼地へ行くか」
「草原で戦う分にはいいわね。沼には入りたくないけど」
「それは俺もだ。ベアロもいいか?」
「おういいぞ。俺の斧とカニの勝負だな。どこまで通用するか楽しみだ!」
熊が口角を上げて笑うのは、何度見ても凶悪そうだ。
ベアロの発言にガドルフも狼の顔をニヤリとさせるし、ウチの癒しはキュークスとミミだけだ。
アンリは魔道具の製作を見てから夢中になっているし、そもそも癒しはない。
シルヴィアは相棒という感じで、これまた癒しではない。
場合によってはイジっても怒られない気楽な相手でもある。
「食事できたんだよー」
「運ぶ」
アンリができた食事を運び、夕食が始まった。
話題はカニに関する騒動が中心で、屋台はウチが持って帰ってきたビッグじゃない沼地ガニを焼いて出すだけになり、ビッグ沼地ガニはハイゼルに丸投げだ。
ウチとシルヴィア以外口にできていないけれど、それは供給され始めたら自分で食べてほしい。
調理する場所が必要だから面倒だと言えば納得してくれた。
迷宮内で調理してもらえるなら、狩りの合間に食べられるかもしれない。
食事をしたばかりなのにビッグ沼地ガニに思いを馳せ始めたウチを、みんなが笑って解散した。
・・・カニに溺れそうになる程美味いねんから、何度も食べたくなるで。笑ってられるのも今のうちや!




